2018年08月22日

蟻とキリギリス

■■ 2018年8月22日 水曜 8時44分
 
 今朝は晴天、雲一つない。台風は去ったのかまだいるのかは見ていないが、次のがまた同じコースで来ているようだ。魚雷を時間差攻撃で二発発射したようなもの。
 夏の終わりがけで、涼しくなるはずだが、台風で暑さがぶり返している。そしてまた来ているので、盆過ぎの残暑の頃のベースの空がなかなか現れない。今朝の空がそれなのだが、これがまた崩れるのだろう。
 昨日も雲が沸き立ち、今にも降りそうなほど異様な空だったが、降らなかった。それで蒸し暑い。今朝はそこそこ爽やかだ。次の台風が来るまでの間は、湿気も少ないかもしれない。
 昨日の大阪方面の気温は全国でも二位か三位ほど。午前中の話なので、ものすごい高温ではないが、目立たないところで暑い。記録としては地味だが、妙な時間帯や、記録的な暑さではない日に暑かったりする。
 高校野球の決戦が終わる頃、秋風が吹いているイメージがある。春の甲子園では、これが始まり出すと、やっと春めいてくる。期間が長いので、ストライクゾーンが広いので、季節の移り変わりの範囲内に入るのだろう。
 夏の終わりがけはなぜか居心地が悪い。季節的にも気温的にもまだ夏なのだが、あとわずかといういうのが、淋しい気もするし、秋風がたまに吹き出すためか、蟻とキリギリスの心境になったりする。まあ、夏は暑いので安心して夏休みをしていてもおかしくはないので、これはキリギリス状態。しかし、遊び倒しているわけではなく、あまり何もしないで、じっとしているようなもの。
 その間、蟻は働いていたようだが、遊びもしないで働きもしない状態だと、キリギリスコースとはちょっと違う。
 これはイソップ物語だろうか。ゲーム信長の野望では初期のバージョンからイソップ物語が出てくる。これは外交のときの贈り物。当然名馬とか、刀剣とか、茶道具などもある。それよりも、戦国時代、既にイソップ物語が伝わってきていたのだ。まあ、童話、おとぎ話は、日本にも古くから伝わるものがあるし、文字化されないままの民話とかは世界中にあるのかもしれないが。
 キリギリスが困るのは冬だ。野に食べ物がなくなった冬、蓄えのある蟻は有利。有利というより、仕事をしていたのだから、その努力の見返りで、食べていける。蓄えのないキリギリスは蟻から餌を分けてもらう話だが、冬眠すればいいのだ。しかし、キリギリスは成虫のまま冬眠ができるかどうかは知らない。
 コツコツと働くことの大事さがいいたいのだろうか、キリギリスの遊びは音曲に耽っていたためだろう。アーチストなのだ。だから遊んでいたわけではない。蟻から見れば仕事をしていないので、遊んでいると思うだろうが。
 蟻はいい音色では鳴かないはず。小さいので、鳴いていても分からないだろう。しかし、蟻が鳴けるかどうかは知らない。いつも無言で働いているように見える。
 その働き蟻を観察すると、意味のない動きをしているのもいるらしい。蟻は集団で動くので、その動きに合わせるが、ただ単にうろうろしているだけの蟻もいるようだ。すべての働き蟻が有意なことをしているわけではない。
 でも、後をついて回っているだけとか、隊列から外れて、うろついている蟻にも意味があるのだろう。これは冒険者だ。うろうろしていて、偶然いい餌を見つけることもあるだろう。
 しかし、蟻の世界は蟻でないと分からないかもしれない。人の目で見ているためだが、うろうろしている蟻は迷わずうろうろしている。迷うのは意識がありすぎるためだろう。
 
 
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2018年08月21日

GPD Pocketの続き

■■ 2018年8月21日 火曜 9時06分
 
 昨夜からぐっと気温が上がったのは台風の影響だろうか。久しぶりに蒸し暑い夜で、朝まで扇風機をかけていたのだが、寒くない。夜中それでは涼しくなりすぎるはずなのだが、ならない。
 かなり湿気が高いのだろう。朝、起きると、むっとする。空気が南方。これはやはり台風が引っ張り込んだのだろう。今年は台風が多いが、この台風が天気を変えている。まあ台風が来る前は生暖かい。しかし、季節が秋なら、いいが、夏なので、生暖かい程度では済まない。
 朝の喫茶店までの道中も空気がムアンとしており、湿気で空気が重くなったかのように、ペダルが重い。風はそれほどなく、日陰に入ってもそれほど涼しくならない。空気そのものが熱帯なのだ。
 台風は九州方面に上陸し、北へ抜ければ大阪方面は関係がないし、直接の影響はないのだが、気圧の縁から生暖かい空気が流れ込むのか、離れていても、そういう影響はある。台風直々の雨より、周辺の方が雨がきつかったりするように。
 それでまた真夏に戻ってしまったような感じだが、この台風が去れば、熱帯地方のような暑さも消えると思うので、こういう暑苦しい日が続くはわけではない。
 今朝は少し遅い目に起きてきた。理想的な時間に何度も目を覚ましたのだが、理想過ぎて早すぎたので、何度か二度寝をしたのだが、最後の何度寝かの時間が長かったようで、理想とはかなり離れてしまった。
 それだけに気温の上昇も進んでいるため、その道中がさらに暑く感じる。ここ最近はその道中、暑くは思わなかったし、また暑さなど頭にないほどだった。
 今朝の頭は暑いだけ。真夏の暑さには慣れていたとしても、今朝の熱帯のような空気は真夏でも少ない。
 
 今朝のお供の端末は、夏に買った中国のゲーム会社が出資を募って作った超マイクロノートパソコンGPD Pocket。軽くて小さいが、これ以上小さいと、両手の指でタイプできなくなるので、ここが限界だろう。
 夏休みの宿題でもやるように、暑い盛り、これをいじって楽しもうとしていたのだが、暑苦しくて、あまりいじっていなかった。ちまちまとした世界なので、暑いと集中力が欠け、細かいことをしたくなくなるのだろう。
 老眼が少し改善したのか、小さい文字でも見えるようになった。これは度の弱い目のめがねでもいけることがわかり、それをかけだしてから、さらに鮮明に見えるようになった。これはモニターが小さく文字が小さい目のノートの場合、追い風だ。
 キーボードはクリック感があり、深い目だが、しっかりと底まで突かないと、スイッチが入らないようだ。それと爪が伸びていると空振りする。パチンと弾かれたようになる。爪を切り、指の腹で押せば誤入力は少ない。爪で空振りすると、音がする。楽器か。
 それといつものキーボードのような一般的な配列とは少し違うので、鉤括弧や句読点で迷うことがあるが、最初だけ。
 このノート、唯一の欠点はキーボード。ここだけは物理的にできているので、小さいと言うことが問題になるが、慣れてくると、高速打ちもできるようになる。意外と早くタイプした方が間違いにくかったりする。
 それと小ささを意識しすぎて、幅が狭いのだが、思ったよりも英字キーの間隔は広い。それを狭いと思い、指をあまり伸ばさなかったりする。
 スペックも高く、ケチらないでメモリを8メガも乗せている。メーカーものの高いノートパソコンででも4メガだ。まあメーカーものほどメモリは小さかったりするものだが。
 液晶の解像力はびっくりするほど高く、しかも明るさの低い目がいい。薄暗い室内では眩しすぎるため。それ以上落とせない機種もあるので、ここは満足度が高い。
 暑苦しいので、小さな端末でちまちましたことをしていると余計に暑苦しいので、たまに持ち出している程度で、まだ環境設定などはやっていない。しなくても、問題はなかったりしそうだが。
 この小ささからKindle本などが読みやすいのではないかと思えるが、まだ入れていない。
 しかし、今日は蒸し暑く、南方の国にいるような感じなので、その気が出るかどうかは分からない。
 
 
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2018年08月20日

二分の遅れ

■■ 2018年8月20日 月曜日 午前8時25分
 
 今朝は怪しい空模様。しっかりとは晴れていないし、雲が多い。長閑な雲ではなく、荒れた雲。風が強いのだろうか。薄曇りのような空になっているが、雲間から陽射しが照ることもある。ずっと陽射しはない。
 最近、夜は涼しい目だが昼間はいつもの夏とそれほど変わらないが、それでも気温は低い目。陽射しのあるところでは30度を切っても、まだきついだろう。それと湿気があると暑苦しくなる。乾燥しているとさらっとしており、衣服がべたつかない。長袖などは通りが悪い。引っかかる。また湿気が少ないと、背中がスーとする。湿気があると暑いのか汗ばむためか、衣服がくっついている。それが離れるため、さらっとするのだろう。
 八月もついに下旬に差し掛かる。夏休みのどん詰まり。もう僅かしかないが、最近の学校は八月いっぱいまで休めるのだろうか。今のところ、登校風景を見ないので、休めるはず。たまに登校日でもあるのか、それで見かける程度。
 夏休みは闇の中。明けると明るい学校が始まるが、意外と学校の方が闇で、夏休み期間の方が健全で明るい世界のような気がするが。だから小学校よりも中学校の方が闇は深い。
 小学校の夏休み時代が黄金時代だったとすると、大人になってからは、この黄金時代を目指すのかもしれない。失われたものを取り戻すため。しかし、そういう世界は存在しない。
 夜は涼しいので、掛け布団が必要。窓は開いていてもいい。カーテンも閉めなくてもまだいいが、更に涼しくなり出すと、まずはカーテンを閉める。生の風が入ってくるため。それでもまだ寒く感じるときは窓を閉めないといけない。さらに寒くなると電気毛布が必要だろう。まだまだそれは先だが。まだ八月なので、そんなことは考える必要もない。まだ暑いので、涼しく過ごす方法を考える時期。
 陽射しのある日中は暑いが、それでもかなりましになっている。
 朝の喫茶店からの戻り道大回り散歩は普通にできるようになったが、続くと、新鮮味がドンドン薄れる。暑いときはまっすぐ帰っていたので、たまに大回りコースをやると、風景が新鮮だった。
 今朝は喫茶店へ向かっているとき、ライターを忘れたことに気付く。まだ走り出してから僅か。今なら引き返せる。これが離れすぎると、コンビニとかに寄るだろう。そういうときのために鞄のポケットにライターを入れていた。予備だ。しかし、そういうときに限って、その予備を使っている。
 それで、ライターを取りに帰り、また走り出したのだが、この間、二分か三分かだろう。長くて五分。この差が結構ある。遅れを取るとかではなく、別のイベントと遭遇するかもしれないため。
 自転車で真っ直ぐな道を走っていると、二分遅れたのだから、本来は、二分分前を走っていることになる。そこで起こることは、もう起こらない。実際には二分前と今との違いは殆どないだろう。
 しかし、校門に入りかけている小学生が二人いる。前方から来る。もしライターを取りに戻らなければ、二分先を行っているので、校門へ向かっている二人を途中で見るだろう。二分後に来たので、校門前の姿を見る。二人を見たことにはかわりはない。しかし三分後では校門に入ってしまい、もうその二人の姿などない。だから、まったく見なかったことになる。その程度の変化だが。こういうのがきっかけで、何かが起こるわけではないが、本来なら二分先を走っている自分がいるのだが、実際にはそうではない。しかし、ライターを取りに戻ったというのは現実。その現実の延長は二分遅れたというだけのもの。二分先を行く自分というのは、どこまでいっても想像上のもの。
 ライターの予備が鞄の中にあれば、その遅れはない。運命を変えたちょっとしたこと、というのはあるのかもしれないが、それもまた運命かもしれない。
 二分先を行く自分の後ろ姿など見ると、驚くだろう。振り返ると、二分後の自分が来ていたりする。
 
 
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2018年08月19日

虫の音を聞く

■■ 2018年8月19日 日曜日 午前8時49分
 
 今朝は晴れている。気温は涼しくなっていたが、少し高いかもしれない。見ていないが感じで分かる。これは夏に戻る予感。予感しなくても天気予報でもそうなっていたはず。秋の前触れではないが、鈴虫のようなのが鳴いている。これは突然涼しくなった日の夜、聞こえてきた。それまでも鳴いていたのかもしれない。
 朝から鳴いている蝉の声、曇っているときは蛙が鳴いているのかと思ったりするが、音の前に何かがある。音が先ではなく、予感が先で、カエルに聞こえるのだろう。雨が降りそうな空なので。カエルなど、もう田んぼにはいなかったりする。庭先などにいるはずの雨蛙も。それを先に考えると、蝉の声がカエルには聞こえないはずだが、考えるというのは少し間がある。
 しかし、鈴虫の鳴き声のようなものは本当に聞いた。別の虫かもしれないが、あれは秋先から聞こえる音色であることは記憶にある。
 逆に言えば記憶が邪魔をして、現実が見えなかったり聞こえなかったりしそうだが。まあ、人は耳だけ、目だけで音を聞いたり見たりしているわけではないので、そんなものかもしれない。
 涼しくなってきたので、部屋でいるときも楽になったが、妙に怠かったりする。暑くてひっくり返っていた頃の方が元気だったりする。これは慣れだろう。暑さに慣れてしまい、麻痺状態が日常化していたためだろう。
 今年のお盆は何もしなかった。お盆の行事ではなく、特別な何かだ。まあ、盆休みらしい何かだが、その休みは、夏休み内にある盆休みなので、休みの中の休みとなる。休んでいるだけなら何もしていないのだが、休みというのは好きなことをして過ごせる日。その中に何もしないで単に休んでいるというのも含まれる。寝正月のようなもの。
 休日はごろっと家で無為に過ごすというのは結構多いかもしれない。それは有為なことをもの凄くやっている人に多いかもしれないが、よく学びよく遊び、というのもある。いつ休むのだろう。
 この場合の休みとは、仕事の休み。仕事は休むが、別のことをする。仕事ではなく、好きなこと、趣味のようなこと。これは自分で決めないといけないので、趣味がなければ、趣味的なこともできない。
 部屋でごろっとしているというのは、決めなくてもできるが、決めようとして決まらないままごろっとしたままというのもある。
 今日はごろっとして過ごす。という方針で、ごろっとしていることもある。
 それでも送り火の頃、尼崎中古屋まで自転車で行けたので、それで充分かもしれない。それまでは暑くて、必要最小限の移動しかしていなかった。
 その尼崎中古屋で見たオリンパスのミラーレスだが、戻ってから調べると、初代OM10デジタルだった。今店頭にあるのはマーク3のはず。そしてマーク2は型落ちでぐっと値段が下がっている状態。中古屋で見たのは、その前の初代なので、これはマーク2の方がいい。マーク2と3との違いは殆どない。
 それを昨日上新リアル店で確認した。マーク2も売られていたが、展示品価格。だから、これは中古に近いものだ。
 カメラよりも、涼しくなってきたので、遠出がしやすくなった。こちらの方がよい。これは無料だ。
 
 
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2018年08月18日

OM10デジタル中古

■■ 2018年8月18日 土曜日 午前8時47分
 
 今朝も涼しいが、台風が去ったあと、また暑さはぶり返すようだ。だからほんの冷やかし程度の涼しさ。このまま秋になるわけではなさそう。ただ、この変化は大きい。しばし暑さから解放されるため。
 だが、寝るとき涼しすぎて戸惑ったりする。昨夜は20度を切っていた。10度台。これは久しぶりだ。今後は寒いという言葉が続きそうだが、今はまだ涼しい。しかし、また夏がぶり返すはずなので、一気に寒いへとは進まない。
 昨日の朝も当然涼しかったので、喫茶店のからの戻り道大回り散歩を果たす。早い目に起きたので、時間的にも大丈夫。いつもの道筋だが、久しぶりに通る通りもある。あまり変化はないが、意外とこの季節草花が咲き乱れているというわけにはいかない。咲く花が多いのは春と秋なのかもしれない。ただ、実は成り出している。咲いたあとのようだ。
 さらに昨日は夕方前に行く喫茶店から出たとき、自転車を止めている場所がいつもと違う。混んでいたのだろう。離れた場所に止めていた。それで帰ろうとしたのだが、タイヤの向きが南を向いている。それだけのことだが、そのまま前進した。そんなことをすると尼崎方面に南下してしまう。といってもここも既に尼崎内なのだが、境界線際。
 尼崎中古屋を思い出し、何か出物があるかもしれないと思い、行くことにした。これは題目で、実際には暑くないので、自転車で走れるようになったためだろう。軽く散歩を楽しむ感じ。
 適当な道を適当に走っていると、有馬街道を見付けた。道標がある。尼崎方面と、神崎川方面が左右に分かれる箇所。神崎川というのは大阪方面と言うことだ。昔の大坂という坂の名になっている。
 これは以前にも見ているので、珍しくはないが、細い道沿いに尼崎へ突っ込める。旧街道は意外と自転車道として走りやすい。
 尼崎中古屋は山手幹線とい言う大阪方面へ向かう大きな道で、その道沿いに中古屋があるが、分かりやすいのは高速道路の下の道を行くこと。これはビルのように高いので、よく見える。
 尼崎中古屋へは何度か行っているが、最近は出物がない。動いていない。持ち込む人が偶然いない時期が続いたのだろう。
 昨日はやっと新しいのが入っていた。オリンパスのミラーレスで10だろう。マーク2にはなっていないので古いタイプ。しかし、このカメラ、店頭でよく触っていたので、なじみ深い。ダブルズームキットで45000円。新品のときは8万弱で7万円台まで落ちていたが、結構高い。しかし、時既に遅しで今年の誕生日に新品の上位機を買っている。
 だが、このキットレンズは持っていない。パンケーキ標準ズームは、本当に薄い。電動だが。望遠ズームは300ミリまでだが嘘のように軽い。このOM10に付けてもスカスカの重さで、店頭で感心しながら、触っていた。中古に出るのが遅かったと言うことだ。鞄が付いている。売った人がその鞄の中に入れて持ち込んだのろう。だから鞄代込み。しかし、その鞄が欲しくて買うわけではないが、中古屋なので、靴でも鞄でも売っている。だから持ち込まれたカメラを入れていた鞄も商品のうちと言うことだろう。フィルターなどが入っているといいのだが、元箱はないようだ。このレンズだけでも欲しいところ。
 グリップが付いているようで、それは外付け。これを付けると望遠側が楽だ。そして持ちやすくなる。
 今、使っているオリンパスのレンズは28から300まであるので、これ一本で行けるし、300ミリ側で50センチまで寄れるので、便利。しかし少し重く大きい。45000円と高いが、レンズ二本とグリップだけでも値打ちがある。
 このカメラ、何度か買おうとしていたカメラ。実際に買ったのはその上位機だが、この10の方が気楽だ。
 その帰り、久しぶりに和風ファミレスで早い目の夕食を食べる。戻ってから買いに行ったり、作ったりが面倒なので、ついでだ。
 マグロ漬けご飯。これはマグロ丼、鉄火丼のことだが、それほどマグロが多いわけではないので、そう言いきれないのか、マクロ漬けご飯となっている。少しだけマグロが乗り、醤油が掛かっている。ワサビも欲しいところだ。つまりマグロの刺身をご飯にぶっ掛けて食べる程度。この店の特徴で、ミニがある。そちらは安い。
 それと肉じゃがの皿を取る。このジャガイモが硬い。崩れにくくするため硬い目に煮たのだろう。大きいのが二つ入っている。あとは玉葱。そしてメインである牛肉。結構量がある。肉じゃがというのは海軍料理だったように記憶しているが、違うかもしれない。そんなに肉を盛れないので、ジャガイモを入れた感じ。ジャガイモで腹が膨れる。それと肉汁がジャガイモをおいしくする。それと人参も入っていた。ジャガイモ、人参、玉葱、これはカレーにできるではないか。
 食べるとき思ったのだが、その朝ジャガイモと人参を蒸かしていた。玉葱も入れようとしていたが、一杯なので、入れなかった。だから、いつも食べているようなものを食堂で食べるというのは、何か損をしたような感じだ。メインの牛肉はおいしかったので、満足度は高い。それと値段のわりにマグロが多い目に入っていたので、これも充実感に繋がる。
 まあ、涼しくなってくれば、煮物も作りやすく、また食べやすくなるだろう。
 
 
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2018年08月17日

盆明け

■■ 2018年8月17日 金曜日 午前8時20分
 
 今朝は涼しい。昨夜から急に涼しくなり出した。扇風機がいらないどころか、カーテンを閉めた。開けていると、風が入ってくるため。窓は開いている。夏の初め頃、寝るとき、窓を開け始めたのだが、そのときもカーテンは閉めていた。まともに風が入るためだ。その頃に戻っている。徐々にではなく、一日で。
 最近の最低気温は28度以上。熱帯夜としては立派なものだ。しかし、昨夜は21度まで落ちていた。これも急激。昨日よりも少し涼しいという話ではなく、その延長線上にない。いきなり一日で変わる。秋が一日で来るようなものだろうか。
 それで久しぶりに天気予報を見ると、朝は涼しかったと言っていた。ここが一番大事だ。晴れているのは高気圧が来ているからで、この高気圧が太平洋側から張り出してきたいつもの夏の高気圧ではなく、北からの高気圧らしく、これが乾いた空気を運んできたとなっている。湿気が取れただけでこんなに涼しくはならないので、空気が入れ替わったのだろう。そういえば風が強い。天気は風が運んでくる。だから台風などが来ると、バランスが狂うのかもしれない。
 朝、起きたとき、涼しいというより、少し寒い。当然掛け布団をしっかり使っている。朝の喫茶店までの道も嘘のように涼しく、陽射しのあるところでも平気。これで夏が去ったことが分かるが、これはまだ早い。まだ八月の中頃ではないか、秋には間があるはず。
 真夏の一番薄いカッターシャツから冬も着ているネルシャツに替える。外はいいが、喫茶店が寒いのではないかと思ったからだ。いつもより分厚い目のカッターシャツなのだが、暑くない。
 昨日はお盆の最終日というか、送り火の日。京都五山、所謂大文字山の山焼きで、「大」の字で有名だが、鳥居とか、舟形とか、全部で五箇所ある。五山の名前までは知らない。市内から見えている山のはずだが。
 この送り火が終われば夏が終わったことになる。その夜が熱帯夜でも問答無用。夏の終わりを宣言したので、そのあと暑くても、暑いとは言わない。
 送り火が夏の終わりを知らせる行事ではない。しかし、そういう季節感がある。祇園祭の頃が一番暑い頃。だから送り火まで我慢せよという話。
 近所の神社の盆踊りも最終日。雨が少しあったのか、中止かどうかが曖昧なままだったが、踊り出したようだ。踊りにくいほど雨が降ったようだが、すぐにやんだのだろうか。
 当然今日は盆踊りはない。送り火後なので、もう先祖はあっちへ戻っている。盆の休みで故郷へ帰っていた人達も、戻っている。
 送り火の時間帯が問題で、暗くなってからだが、普通の家庭でもやっている。やはり明るいときには先祖はまだいる。暗くなってから行く。これは地方によって違うはず。先祖はどこから来て何処へ戻るのか。送り火のときに戻るので夜立ちだ。
 送り火後の盆踊りは、先祖がいないのだから、誰に見せる踊りなのかとなるので、これはできない。雨の順延もなかったりする。盆が終わっているので、先祖もあっちへ帰ったので。
 しかし、そんなことを思いながら踊っている人は少ないだろう。
 まあ、今朝の涼しさで、夏が去ったというよりも、暑さのピークは過ぎたということだろう。夏休み的には心細い頃。月末まで、もうそれほど日にちはない。
 お盆を過ぎれば涼しくなるというのは、今年はピタリと当てはまった。しかし、今朝のような涼しさのまま秋になるとは思えない。戻りがある。しかし、猛暑という言葉は、それほど出なくなるだろう。
 これで、自転車散歩も楽になるが、日が落ちるのも早くなる。
 
 
 
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2018年08月16日

盆踊り

■■ 2018年8月16日 木曜日 午前9時15分
 
 今朝は曇っており、蒸し暑い。気温は28度ほどと夜と変わらない。曇っている日は朝夕の気温差がない。雨の日とかだ。しかし、昨日は雨が降るほど曇っていたのだが、陽射しが出て、そのときは暑かった。
 昨夜は寝苦しい夜で、28度あるので、完全に熱帯夜だが、いつもの夜よりも暑く感じた。湿気が強かったのかもしれない。それで扇風機をつけると、寒くなりすぎる。消すと暑くなる。
 こういうとき、リモコンがついているので楽といえば楽。ただ、電源を落とすと初期値に戻ってしまう。そのため、首の角度も。そして風の強さも。当然首振りも初期値に。だからリモコンのボタンを二箇所ほど押す必要がある。前回終了時を記憶していてくれると有り難いのだが。
 有り難いとは、なかなかそういうことはないということだろう。
 お盆の真っ只中にいるようで、盆踊りをやっているのをちらっと見る。近所のスーパーへいくときの通り道なのでわざわざ見に行ったわけではない。ポツンポツンと雨が落ちていたのだが、決行したようだ。その程度の雨なら、汗をかいた程度の濡れ方だろう。しかし、例年よりも人は少なかった。雨のためだろう。傘を差してまで見には来ない。
 少しだけだが屋台が出ているので、小さい子を連れて見に来る人がいる。裸電球の縁日の光景に近い。昔はローソクだったのだろう。松明だったかもしれない。
 電球は一定の明るさだが、ローソクや松明は揺れたりチカチカする。こちらの方が神秘的だ。
 盆休みも真っ只中のようだが、町の様子は普段と変わらないが、住宅地の中を抜けるとき、お経が聞こえてきたりする。
 今朝は蒸し暑いが、風がある。これで助かるのだが、空は不安定。猛暑日が続いていた頃は安定している。ただ単に暑いだけなので、分かりやすい。湿気とか低気圧とかになると、分かりにくい。
 流石にお盆なので、夏の勢いは衰えているためか、いつもの移動範囲内での道中は凌ぎやすくなった。しかし暑いことは暑い。少しまし程度。
 この前までは暑くて昼寝が難しかったが、最近はしっかりと昼寝ができる。
 しかし、夕方になるのが少し早くなったような気がする。一番昼が長いピークは六月の末あたりなので、それからしばらく立つので、昼が短くなっていくし、また太陽の高さが真上からやや落ちている。だから影が長くなる。一日や二日ではその変化に気付かないが、二ヶ月ほど立つと、目でも分かる変化。ただ、以前の状態を覚えていないといけないが。そうでないと、比べられない。
 いつも通る日影の道。真夏では狭いが、それが拡がっている。幅が拡がっているのだ。冬になると、もっと拡がり、陽射しのある路を通るようになる。少しでも寒さがましなため。
 こういうのは太古から変わっていない。だからそういうのを見ていた人は、今と変わらないものを見ていたことになるのだが、その変化などに神秘的なものを感じたかもしれない。
 
 
 
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2018年08月15日

真夏の自転車

■■ 2018年8月15日 水曜日 午前8時37分
 
 今朝は雨のようだ。曇っている上、ポツリポツリときている。傘を差すほどではない。昨日は夕立が来そうで来なかった。雷は鳴っていたのだが、降らなかった。
 今朝は最初から曇っているので、雨の一日になるかもしれない。台風が来ているので、その影響もあるのだろうか。ただ、風は弱い。まあ、台風が通過している場所は遠いので、直接の影響はないのだが。
 このところ台風が多く発生している。まるで魚雷が突っ込んでくるような感じだ。
 雨の日に多くあるように一日の気温が同じ。それに今日は近いと凌ぎやすいだろう。夜は28度。これは高い目。しかし、朝、起きたときは29度。この時間30度になるはずなのだが、上がらない。このまま上がらなければ昼間の暑さが凌げる。ただ、天気はよくないが。そこはよくないが、過ごしやすい。
 ただ、本降りになると、雨でウロウロしにくくなり、凌ぎやすくはないが。それでも雨は久しぶりなので、これは待っていたようなもの。待望というやつ。夕立ではなく、半日ほどは降っているような。
 昨日は朝の喫茶店からの大回り散歩に出てしまい、暑くて何ともならなかった。気温を読み違えたようなもの。結構暑さはましになっているはずだと思っていたのだが、そうはいかなかった。
 いつもの散歩コースから出てしまったため、これは遠征に近い、遠出だ。
 しかし、たまに少しだけ沖に出てみたい。僅かでも沖に出れば、それでいいと思いながら、北へ向かった。これは帰りの方角とは逆。だから回り込んで戻るというわけにはいかない。
 結局大したところまで進めなかったが、忘れていたような道に入り込み、そこをウロウロする。これはダンジョンコースだ。一度通ったはずの路もあるし、初めての路もある。
 その道沿い、不思議と歯が抜けたように家が消えている。休耕田があちらこちらにあるような感じ。更地と言うより草が生えている四角いのが家々の間に点在している。自然にそうなったとすれば、築の問題かもしれない。木造の日本家屋なら100年ほどは持つ。しかし、そう言う昔からの日本家屋ではない家はあまり持たないのだろうか。だから取り壊したのかもしれないし、ここに越してきた若い夫婦も年老いて亡くなり、子供はそこには住まないで、出ていったまま、というタイプだろうか。団地のようなものだ。それの一戸建てタイプ。マイホームだ。ただ、古い時代のようでガレージとかがなかったりする。二世帯は住めない。
 それで、その四角い空間、原っぱだが、伸び放題ではない。売っているのだ。ただ、伊丹と川西の間ぐらいにあり、伊丹の外れだし、川西の外れでもある。もう少し川西側へ行けばイチジク畑がある。ここで朝に摘んだものがいつも行くスーパーの果物コーナーに並んでいたりする。名物であり、特産品。
 まあ、このあたりは植木屋などが多い。庭木などを売っている。
 今は産業道路が走っているが、昔は多田街道が北へ延びていたのだろう。川西を貫いて山の向こう側まで続いている。意外とそこから有馬や道場、三田、丹波あたりへ抜ける道があったりするが、自転車では無理。昔はバイクで、そういった狭い道を走っていた。家から見える山の裏側だ。それらの山が大阪平野の壁。ただ、イメージが悪いので、裏とはあまり言わなくなった。裏六甲とか。三田方面からだと六甲山は裏ではなく、表だろう。神戸の手前に立ちはだかる壁。
 それで暑いので、引き返してきたのだが、流石に自販機を探して、お茶を飲む。しかし、そこはいつもの散歩コース内なので、もう戻ったも同然。そこに自販機があるのを知らなかった。細い道ばかり走るので、自販機も少ない。
 そして、思い出すと、そう言えば公園前の普通の家の前にあった。まったく意識して見ていなかったのだ。朝のちょっとした散歩は自販機を必要としない。つまり給水だ。
 喉が渇くというより、汗をかいたので、水分を入れないと、まずいと思っただけ。ただ一口でいい。飲むと倍ほどそのあと汗が出る。
 避けていた真夏の遠出だが、できないわけではない。上手く日影を見付けたり、日陰に入り、休むようなほどのスピードに変えたりすれば、何とかなる。日影さえあれば行けるが、坂道があると十倍ほど消耗する。そこは電動アシストでないと無理。強引に漕ぐと大汗をかくし、息もしんどい。わずか数メートルの距離だが一キロ以上走ったほどの疲労感。だから、降りて自転車を押す方がまだまし。それでも重い荷物を持って坂道を登るのだから、きつい話だが。
 まあ、炎天下、ウロウロするものではないが、初めて見るような風景があり、それが土産になる。
 
 
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2018年08月14日

水遊び

■■ 2018年8月14日 火曜日 午前8時20分
 
 今朝も晴れている、昨日の夕方、夕立があり、そのとき降ったのだが、短い時間。今朝も似たような空で、陽射しのあるところでは暑い。日影ではそれほどでもない。陽射しのあるところでも、以前ほどには焼けるような暑さではない。わりと平気で炎天下を移動していたりする。暑いというのをそれほど意識しないで。猛暑で暑いときは、暑いと言うことしか思わないで移動していたりする。
 しかし、基本はこの時期なので、暑いことにはかわりはない。
 お盆の頃、涼しくなってきた印象と、暑いお盆というのも印象としてある。
 蝉捕りや魚採りはお盆のときは中止。これは敢えてお盆に殺生することもなかろうということだ。また海水浴も、お盆まで。お盆を過ぎると流しものがあるので、それが鬱陶しいのだろう。川から精霊流しのものが流れ込んでくるため。
 ただ土用も海水浴は控える。これはまだ七月の話なのだが、所謂土用波、これが来るので、波が高いので、海水浴はしんどいという程度だが。
 海水浴というのはお金がいらない。ただ着替えるため、海の家などでお金がいるが、駅のトイレで着替える人もいる。流石に駅なので、シャワーはないが、普通の水道や水飲み場で洗う。噴水などあるとありがたいが、流石にその中に入って塩気を流すということは控えるべきだろう。また、コンロッカーでの着替えは箱の並びがまさに風呂屋と同じなので、相性がよかったのだろう。
 浜辺には浮き輪のレンタルがある。しかしそれは車のタイヤのチューブ。まあ、普通の浮き輪よりも丈夫だだろう。重い車を乗せても大丈夫なほど頑丈。ただ空気入れの先が飛び出ており、これが胸に当たると痛い。
 当然川でも泳げた。家族連れで泳ぎに行ったことがある。自転車ならすぐだが、バスなどを使うと、乗り換えないといけない。そういう場所ではないので、便が悪い。当然何の施設もない。
 川では泳ぐよりも、潜って魚を捕ることに専念。当然水中眼鏡や、シュノーケルが必要。ピンポン玉が付いたチョウチンアンコウのような玩具だが。潜るとピンポン球が弁の役目をするが、当てにならなかった。
 だから、潜らないで、顔だけ水の中に入れる程度。
 ウナギの稚魚などがいた。蛇もいた。これを間違えると大変。
 これは伊丹市内の武庫川の話。一本松と呼ばれていた。自動車教習所になって、寄りつけなくなった。ただその上流は、まだいけた。その近所の子供が、大人になってから話を聞いたのだが、海戦をやっていたらしい。軍艦を作っていたのだ。といっても筏だが。
 パシャパシャと水浴びをするような大人しい遊びではなかったらしい。
 魚などもすくうのではなく、石を投げて殺していたようだ。そういう漁もあったのかもしれない。あったとすれば石漁だ。
 今はそのあたりは高層マンションが建ち、そんな野蛮なことは当然できないし、地の子供達も、受け継がれていない。
 戦後すぐのころの子供は、危険とかのレベルをもっと知っている。そんな川での海戦など大して危険ではなかったのだろう。
 
 
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2018年08月13日

都はるみ二冊の本の続き

■■ 2018年8月13日 月曜日 午前8時40分
 
 今朝も晴れているが、雲が多いようだ。気温は高い目で、昨夜は充分熱帯夜の気温になっていた。種類の違う雲がある。昨日の昼間はよく晴れて、入道雲が出ていた。こういうのは夏の終わりほど派手なのが出たりする。そのまま雨が来るかと思ったが、来なかった。それで、ムシムシし、結構体にきつい。風が強いときもあり、そのときはましだが、ピタリと止まると、厳しい。
 八月半ば、もう少しで15日になる。ここを過ぎれば涼しくなるはずだが、毎年言っている。そういう年もあるし、そうでない年もあるのだが、いずれにしてもそのうち冬が来る。
 夏が秋まで延長し、秋がなかった年もある。秋らしい後半は既に寒くなりすぎ、早い目の冬。遅い目の夏、夏の延長で、秋時間を食っているのに、冬が早い。それで、四季ではなく、三季になっていた。当然三季という言葉はない。日本語変換のATOKでも出ない。しかし、その組み合わせを学習するだけではなく、言葉として登録される。これは怖い話だ。変換されない方が、そういう言葉がないことに気付いていいのだが。
 このところのニュース画面でも、猛暑とか、危険な暑さなどの見出しがなくなっている。35度程度までなら、もう普通なのかもしれない。予測最高気温が40度近くでないと、騒ぎ立てない。
 今日のニュース画面では東日本の空気が不安定で、大雨が降るかもしれないとなっている。局所的な豪雨だろうか。ゲリラ豪雨のようなものだろうか。夏の終わり頃、そういう雨が降る。
 入道雲はいきなり湧き上がるが、一時間も持たないらしい。当然形がドンドン変わる。
 しかし、この入道雲、相当高い。数キロ以上あるだろう。豪快な夏の空を演出している。
 昨日はムシムシするし、身体もえらいので、夕食を作る気がしない。そこで最近の切り札であるコンビニビーフカレーを食べる。ご飯はあったので、それだけでいい。コンビニで見ると、兄弟品としてビーフシチューもある。出汁というかスープが違うだけのもので、同じに肉だろう。この肉の量が多くて大きい。だからカレーではなく、肉を買っているようなもの。野菜など蹴飛ばして、肉だけを食らう図。
 100円ほどのレトルトカレーは胸が悪くなることがある。少しでも高いタイプの方が、それが少ない。値段と比例していたりする。
 この肉はかなり煮こんだもので、これは作るとすると大変だろう。フライもののように、余計なものがついていないので、肉だけ。
 今朝のお供のカメラはオリンパスのM5マーク2。ミラーレスで、高倍率標準ズームキット。これは新品で誕生日カメラとして買ったもの。28から300までの防水性のあるレンズがついている。ボディーも防水性がある。まあ、真面目なカメラで、このセットだけで完結している。レンズは一本ですむが、広角は28ではなく24ミリまで欲しいところ。望遠は300で頼りない。最近持ち出しているパナソニックのネオ一眼は1200ミリまであるし、広角は20ミリ。これではミラーレスも叶わないのだが、しっかりとしたメタルボディーで、作りがいい。ファインダーを覗くと、一目瞭然。大きく鮮明。ただ液晶が横開きなのが残念。まあ、このタイプのカメラ、昔のOMのように、普通にファインダー撮影だけでいいだろう。液晶もいいが、結局ピントがよく見えなかったりするので。
 このカメラのAFは一点AFでプログラムモードがいい。とっさの場合人を引っかけられないが、静物なら、AFフレームがドタバタしないので、安定している。あまりオート化は進んでいないのが、逆によかったりする。それだけに真面目なカメラ。
 シャッター音はこのクラスで最小だろう。もの凄く小さい。電子シャッターではなく、機械式シャッターでも。音が小さいので、音で気付かれにくい。
 まあ、オーソドックスな普通のスタイルで写すカメラ。28から300と大人しいが、35から70の昔の標準ズームから見れば、300ミリは効く。
 
都はるみ
 都はるみについて書かれた二冊の本。有田芳生の「歌屋 都はるみ」と大下英治の「都はるみ 炎の伝説」の続き。
 前回は「あんこ椿は恋の花」のエピソードだったが、その前の話も、興味深い。まだコロンビアに入る前、そのコンクールの大阪予選の話。
 こういうのを受ける人は音楽学校や音楽教室に通っている予備校生のような人が多かったのだろうか。まあ、その道を進むのなら、独学よりもいいのかもしれない。
 大下英治の「都はるみ 炎の伝説」によると、母親はまずは大きな京都の音楽学校に入れたのだが、途中から別の学校に変えている。より歌謡曲寄りの学校へ。そこからコロンビアの新人が出たためだろうか。実績がある。
 音楽学校なので、都はるみは楽譜も読めるはずだが、あまり好きではなかったようだ。楽譜など見なくても何度が聞けば覚えることができたらしい。このあたり、美空ひばりと似ている。
 五線譜、それは後付けのようなもので、日本の歌というのは、民謡とか、浪曲とか、音頭とかは音符などなかったのではないか。節回しだけで持っているようなもの。
 しかし後ろで演奏する人、よく知らないが、伴奏かもしれないが、譜面がないと、演奏できないはず。しかし三味線にも琴や太鼓や笛にも、それに近いものはあったはず。
 都はるみのコンサートなどで、たまに音程が外れた。とか、自分で言っていることがある。歌っているときの感情の流れで、そんなものは外してもいいのかもしれないが。そのためか、同じ歌い方を二度とできないとも言っている。このあたりに、何か秘密があるような気もする。つまりアドリブが多いし、そのときの気分が反映してしまう。
 余談だがあんこ椿のヒットで、映画化された。都はるみも出ている。しっかりとセリフなどもある。それらは台本で覚えたのではなく、その場でセリフを教えてもらって覚えたらしい。だから、相手のセリフも入っていたとか。目ではなく、耳で覚えているのだ。
 芝居をした人なら分かるが、台本で暗記しても、いざ本番になると、真っ白になり、セリフが出てこない。覚えたはずなのに。一人でならセリフは出るが、相手がいると、出なかったりする。
 口移しで覚える。これは落語がそうだろう。
 
 さて、コロンビア大阪大会でのエピソードだが、意外と受ける人が多かったらしい。予想していたよりも。予約制ではなく、先着順だったのか。
 あまりにも多いので会場を二箇所に設けることにした。遅く来た人はデパートの屋上になる。
 大阪大会で、京都大会はない。だから都はるみ親子は電車で大阪まででやってきたが、時間的な余裕がなかったというより、どれぐらい掛かるのか、分からなかったのだろう。だから、少し遅い目に来たらしい。それでも遅刻というほどではなかったはず。だが、会場が二つ。ここで運命が分かれたということだ。
 何とか本会場組に入れたらしい。もう少し遅ければ、もう一つの屋上にある臨時会場になり、審査員のメンバーが違ってしまう。
 その審査をする人の中に、雑誌月刊平凡の編集者がいた。
 都はるみはトップではなかったが、二位だった。一位は大阪の名門音楽学校の生徒。確かに上手さでは勝っていたのだろう。
 話はこれで終わり、都はるみは北村晴美のまま終わったかもしれない。まあ、この母親は、それにも懲りず、また挑戦していたかもしれないが、それでは別の流れになり、別のタイプの歌手になっていたかもしれない。違うレコード会社なら市川昭介との出合いはなく、あんこ椿へと至らない。
 大下英治の「都はるみ 炎の伝説」では、ここにはコロンビアの専属作曲家市川昭介は来ていない。では誰が引っ張って、東京へ連れて行ったのか。
 コロンビアの人と、月刊平凡の人が残念がった。何とか東京へ連れて行きたい。それで二位だが連れて行くよう何とかしたようだ。
 一位になった人は正統派らしい。都はるみも普通に歌っていたら、落ちただろう。上手い方を取る。しかし、そこに唸りが入った。個性だ。聞く側が驚くような何かがある。つまり新人らしい将来性を見出したのだろう。ちょっと変わっていていいかもしれない。そう感じたかどうかは分からないが。
 もし、一本電車を遅らせていれば、会場で歌っても、その二人は聞いていなかっただろう。この二人が本会場にいたからすくい上げられたのだ。
 大阪大会も受ける人が多いのだから、東京も含めた全国大会となると、これは大変な数。しかも予選で補欠のような都はるみ。
 地方大会で一位になった人達と同じ旅館で過ごしたらしいが、練習しているのを聞いて、みんな上手いと、親子で思ったらしい。
 それが文句なしで一位になる。審査員はより玄人の人達、しかも大物。プロ受けしたのだろうか。
 大下英治の「都はるみ 炎の伝説」によると、都はるみは舞台で上がるようなことがなかったとか。まだ怖い物知らずなのだ。
 そして自分が歌う番になったとき、客席や審査員の顔などしっかりと見えたらしい。そして自分が好きな畠山みどりの作曲をした市川昭介を探したとか。そして、見付け、彼に向かって、思いっきり唸ったらしい。星野哲朗宅でシェパードが怯えて吠え、お漏らしをした、あの唸りの直撃を市川に食らわした。
 
 有田芳生の「歌屋 都はるみ」によると、その賞品が花嫁道具のように車で自宅に届いたらしい。その中にミシンがあり、それを自転車の後ろに積んで友達の家へ遊びにいったらしい。何故か無邪気だ。素直に喜んだようだ。
 ミシンなど遊び道具のようにして運ぶものではない。その問題よりも、まだまだ遊びたかったのだろう。
 
 さて、それでコロンビアの専属歌手になるが、給料がいい。ものすごい額。まだ十代半で、並の月給取りよりいい。しかし、着物を着る都はるみ。その着物代が大変だったようで、母親は借金をした。いずれも「あんこ椿」や「涙の連絡船」のヒットで返せたらしい。
 大下英治の「都はるみ 炎の伝説」によると、そのまま市川昭介の弟子になったわけではなく、市川は断っている。気に入らないからではなく、凄すぎるからだ。責任が持てない。大変な逸材のためだ。
 しかし、説得されて引き受けた。東京の学校へ転入し、制服のままコロンビアに行ったり、練習に通った。市川宅での内弟子ではないが、通いの内弟子のようなもの。
 この師弟関係は市川昭介が亡くなるまで続く。年取ってからの師匠を、自分のコンサートに呼び、指揮を頼んだり、一緒に歌ったりしている。
 この師匠、他の作曲家が作った歌でも、レッスンしてくれたらしい。これはコンサートのとき、都はるみが語っていた。
 この通いでの練習、それほど忙しくはない。学校はあるが、家族と離れて、東京を満喫していたのではないかと思える。喫茶店ではホットケーキをよく食べたとか。
 
 デビュー曲は畠山みどりに近い浪曲的なものが少し入っている。まったく売れなかったわけではないが、大ヒットにはならなかった。二曲目が出たあと、市川昭介は、少し考えたようだ。少し歌が軽い。
 つまり、一曲目二曲目の流れで、都はるみの方向性が決まってしまう。しかし、まだ市川は都はるみの本筋が見えていない。
 それで市川は二曲目の宣伝を中止するように頼んだらしい。止めたのだ。これはというのがまだ掴めていないのに、売り出すわけにはいかなかったのだろうか。その本筋。それは星野哲朗を待たないといけない。コロンビアから与えられた詞ではなく、市川自身が託したい作詞家、星野哲朗で勝負したかったのだろう。それが「あんこ椿は恋の花」。これは前回書いたので、省略。
 大下英治の「都はるみ 炎の伝説」によると、コロンビアの新人歌手になった頃の都はるみは、スタッフからの受けは良かったらしい。素直で、大人しく、恥ずかしがり屋。そして手の掛からない新人歌手だったらしい。芸能人ぽくないのだ。
 市川昭介から猫と呼ばれるようになったのは、恥ずかしいとき、猫が顔を撫でるように、手で顔を隠すような仕草をするためだろう。しかし、これが本質ではない。また本筋ではない。
 スタップが何が食べたいかと聞くと、ラーメンと答えたらしい。ラーメンで済む子だったのだ。しかし、本当はチャーシュー麺が食べたいのだが、それを言い出せなかったとか。
 スタッフはそれを知り、都はるみの夢であるチャーシュー麺を食べさせるが、中華料理屋などへ行かなくても、その辺の屋台にいくらでもある。
 紅白などでまだ若い頃出演したとき、歌い終えると下を向いてはにかみ笑いをしている。それがのちに好きになった人ニューバージョンで、腰を振り、舞台を走り回り、最後は飛び上がるパフォーマンスをするのだから、当時は考えられない話。
 だから都はるみは長い時間を掛けて、自分を発揮してきた歌手なのだと思う。
 永六輔の話では、恥ずかしいものほど、もっと恥ずかしいことをするらしい。それが祭りというものだと。
 さて、本筋はやはり「あんこ椿は恋の花」で決まったようだ。これで都はるみを決定付けた。
 都はるみはパチンコ屋から、自分の歌が聞こえてくるのを聞いたらしい。
 この歌が流行っていた頃の動画がある。鹿児島での公開番組だろうか。羽織を着たお婆さん達が客。その頃のパフォーマンスは、愛想一杯の都はるみで、目の動きや手の動きや首の動きなどは今とは全く違う。それを聞いている年寄りが目をまん丸にして聞いている。この子の何処からあんな声が出ているのか、驚いているように。
 こうしてやっと世に出てきた都はるみ、その後、歌謡界のトップに立つのだから、話はこれからだが、デビュー前後のエピソードが、一番よくその人を表しているように思える。それらは全て伏線で、その後の大活躍で、それが発揮される。
 大下英治の「都はるみ 炎の伝説」と有田芳生の「歌屋 都はるみ」の二冊。少し食い違う点があるが、いい本だ。
 
 
posted by 川崎ゆきお at 10:56| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする