2019年10月20日

ミラーレス激戦区に

■■ 2019年10月20日 日曜日 午前9時40分
 
 今朝は晴れており暖かい。何か久しぶりの晴れのように感じるが、晴れている日はそれなりにある。だが一日で終わってしまったりするので、雨が多いように感じてしまう。
 そして台風が去ってから寒くなったのだが、それがまた戻っていて、寒さが深まらない。
 そのため、まだ真夏の薄い夏布団を使っている。これでも被ると暑く感じることもある。朝夕の寒さも厳しくなく、喫茶店に一時暖房が入っていたのだが、冷房に戻っている。
 それでも気温は20度を少し上回る程度なので、それなりに低い目なのだが。
 昨日などは昼間、暖房を付けると、暑いほどで、寝る前まで過ごせた。いったい気候は何処へ向かっているのだろう。秋の宙ぶらりん状態が続いているのだろうが、冬が少し遠ざかった。と思っていると、またある日突然寒くなるのだが。
 これは体調もあるのだろう。最近少し風邪っぽいので。これは雨で濡れたりすると、そうなる。ずぶ濡れになるわけでも、雨で体が冷えるわけでもないのだが、水分の多いところにいる程度なのだが。
 晴れの日曜日、これは自転車散歩には丁度いいのだが、たまに陰る。雲が多いのだろう。それと今朝はいつもの時間に起きてきたので、眠い。理想的な時間、早起きではないが、目覚めはよかったが、二度寝したので、そのとき起きたときはもっと寝たかった。寝たりない感じ。
 しかし、遅起きが続き、もの凄く遅くなった日もあったので、それに比べると、まし。
 目を覚まし、時計を見てびっくりするようなことは滅多にないが、そのとき驚くだけで、別に支障はない。ただ、押し気味の一日になり、何か時間を追いかけているような感じだ。何処かで追い抜いてやれと。何かを早くするとか、省略すれば、追い越せる可能性もある。しかし、省略すると、一日が短く感じる。
 まだ寒くなりきらないので、先日買ったユニクロ裏地がジャージのナイロンパーカーの寿命が増えた。下に着込まなくても、まだまだ着られる。
 昨日はご飯が切れていたので、スーパーで弁当を買った。出汁巻きおにぎりセットで、小さなおにぎりが二つ入っているだけだが、出汁巻きが分厚く、ボリュームたっぷり、あとはウインナーと唐揚げとスパゲティが入っているが、まるで小学生の弁当。メインは出汁巻き卵で、これは残したほど。
 おむすびが小さいのが二つなので、腹が減ると思い、小さい目の赤飯を買う。これは余計だった。腹がすかないまま、寝る前まで来たので、食べないと危ないので、食べる。寝る前に食べるのはよくない。夜食の場合、それからまだ起きているのでいいが、今から寝ようとしているときに食べるのはよくないが、昼を食べたあとの昼寝はいい。それほど長く寝ないし、うとっとする程度なので。また、食べたあとは眠りやすい。動きが鈍るためだろう。鈍化の魔法だ。
 
 夜の徒歩散歩はまだ続けているが、寒くなり出したので、大層になってきた。
 ただ歩いているだけでは暗いだけで、退屈なので、夜景を写している。夜道だ。それで、毎回違うカメラを持って撮り比べている。
 昨夜は久しぶりにニコンのネオ一眼P900を持ち出す。昼間でも最近は滅多に持ち出さないが、超望遠が必要なときは、必要だ。
 この怒濤の超戦艦コンパクトデジカメは2000ミリ砲を積んでいる。そんなもので夜景など写す人はいないだろう。それ以前に暗いので、コンパクト系では厳しいのだ。その上2000ミリなど以ての外。
 流石にそういうシーンは夜中にはないが、月ぐらいかもしれない。しかし月はどう写しても月で、もう一つ絡みが欲しいところ。この2000ミリ、デジタルズームと合わせて月に向ければ画面一杯に月になるはずだが、そうなると、もう月とは言えなくなる。別のものだろう。手の平を写すのもいいが、アップしすぎると皮膚の写真になるのと同じだ。
 さて、一度このカメラで暗いところを写したことがあり、そのときの方法を思い出した。ただ、室内の薄暗いところで、試しただけで、実戦はない。
 受光素子はそのへんにゴロゴロあるコンパクト系で、まあ、一番小さい。それだけでも不利。その理由は感度が上がらないことだろう。これは宿命だが、1万近くまで感度上げできるタイプもある。
 ニコン系は今は3200あたりまでなら上がる。パナソニックもそうだ。しかし、このP900はプロとなっているので、6400まで上がる。まあ、受光素子の大きなカメラでも3200あたりまでが常用だと言われている。
 だから6400というのは有り難い。画質云々を問うカメラではないので、荒れても問題はない。写し取ることが大事。このあたりのドキュメンタリー的な世界はニコンらしい。今はどうかは知らないが。
 そして24から2000までのズームだが、24ミリ側だけはF2.8と結構明るい。これならフルオートで800ぐらいで写せるだろう。
 このカメラのフルオート、お任せシーンモードだと感度は800あたりで止まってしまう。パナソニックは上限の3200まで自動的に上がるのだが、ニコンは800で終わる。そのため、夜景など、厳しい。そのときはプログラムモードに入れる。そしてオートでの上限は同じなので、感度を手動で6400に入れる。そして夜景で、遠いところを写すのなら無限モードに入れる。これはマクロ切り替えなどのボタンの中にある。マニュアルフォーカスモードではない。無限だけが出せる設定。これは一眼や、ミラーレスではできない。マニュアルフォーカスに切り替えて、フォーカスリングを端まで回せば無限だが、機械式でないと駄目。そして機械式の距離目盛での無限が曖昧。端に余裕があるためだ。AF機なので、端に遊びを入れている。だから無限が出せない。
 そのてん、P900は無限だけを指定してやれば、無限が出せる。
 これで遠方へカメラを向けてピントが合わないということはなくなる。AFを使わないためだ。だからまあAFスピードは〇秒だ。
 この組み合わせを登録できる。一つだけ撮影ダイヤルの中にUと言うのがあり、これはユーザーのことだろう。いちいち設定を弄るより、撮影ダイヤルを回したほうが早い。ただ、フルオートからUの位置までが遠いので、ぐるぐる回さないといけないが。これは暗いところではダイヤルは見えないので、液晶で確認する。回す度に、どのモードなのかを知らせてくれるので。
 この6400でかなり薄暗い室内を写したのだが、このカメラバケモノかと思うほど、よく写っている。しかも明るい目に。しかもかなりの望遠側で。
 それで散歩に出た。遠方にマンションとか住宅とか電柱とかがあり、手間に田んぼ。だから見晴らしが良い。写すと昼間のように写った。やり過ぎだ。6400だと露出不足の警告は出なくなり、8分の1ほどで切れた。こんなに明るく写るのなら、暗い目に写しても余裕がある。感度を下げてもいい。
 このカメラ、しっかりと握って写せば望遠側でも4分の1秒ぐらいまでは大丈夫だ。手ぶれ補正と、受光素子の小ささが、効いているのだろう。
 結局ネオ一眼で、同クラスのカメラで、夜景を含めて何でも写せるのは、このP900とパナソニックのFZ300だった。1インチタイプは、感度も高く上げられるので、それは入れていない。また最初からレンズが明るい高級コンパクト系も。
 そういうのは広角は良いが、望遠になると厳しくなる。
 このP900はニコンらしく切れの良いどぎつい写り。特に解像感が凄まじい。メリハリのある切れの良い写真が写せる。
 少し大きく重いが、グリップが効いているので、片手だけで写せる。そこがネオ一眼らしい。ズームは当然レバーなので、シャッターダイヤル周りにあるので、片手だけでも操作出来るので、自転車で坂道の上から写すとき、両手を使えない場合でも、電動ズームのありがたさを思い知る。
 手ぶれ補正はレンズ側なので、覗くとくっと止まるのが分かる。流石に2000ミリで上とかを向けると、ぐらっとするが。
 このカメラ、ペンタックスのK70より大きい。しかし持つとそれほどでもない重さで、K70のほうがずっしりとくる。
 だが戦艦だけあって、押し出しのいいカメラ。レンズが太く、太いまま2000ミリまで一気に伸びる。これもネオ一眼のおかげだろう。手動ズームよりも早い。まあ、リングが重いタイプはカメラが動いたりするし、持ち直して回さないと回りきれなかったりする。
 そして、操作系も、一眼レフの中級機から付くとされる2ダイヤル。軍艦部と背面にある。特に背面のダイヤルが良い。回しやすい。
 ただ、カメラとしてみた場合、高級機ではなく、普及機レベルのカスタマイズ性しかない。ボタンの少ない。メニューの項目も少ない。
 
 オリンパスの中級機が発表になったのだが、ミラーレスがまた賑やかになった。その前のニコンのZ50の発売は、新シリーズなので、こちらのほうが新鮮だが。
 ニコンミラーレスといえば、Z50が流用した新マウントのフルサイズミラーレスのほうが有名だが、印象は薄い。
 要するにフルサイズミラーレスの勢いよりも、従来通りのサイズに人気があるためだろうか。値段的な人気だ。
 たとえば24あたりから100ミリあたりのレンズしか使わない人なら、フルサイズでかまわない。また単焦点一本とか。しかし、フルサイズミラーレスの標準ズームそのものが馬鹿でかかったりする。太くて長い。カメラは意外と小さく軽い目でも。
 そうなると、値段もミラーレスに比べて安い普通の一眼画質のサイズでも良いのではないかとなる。
 ただ、ミラーレスで目新しいのはニコンだけで、あとのはマイナーチェンジ版のようなもの。今まであったカメラにマーク2とか3とかが入る程度。
 キヤノンからもミラーレスの新製品が出ているが、これもイオスMのアップ版。ただし、ファインダーは付いていない。付いているのもあるが、それの新製品はまだ出ていない。
 ここでニコンZ50と競合することになるのだが、ニコンの方が大きく重い。レンズもそれほど小さくない。フルサイズや、それ以上も行けるほど大きな新マウントのためだろうか。
 まあ、それで出そろった感じで、年末商戦に突入するのだろう。
 しかし、ミラーレスに関しては、キヤノンのネオ一眼SX70があればことすむのではないかと思える。21ミリから1400ミリ近くまでのズームを乗せているので、下手なミラーレスで写すよりも、写せる範囲が広いので、実用性が非常に高い。幅広いジャンルにまたがって写す人には、これだろう。
 受光素子は小さく、レンズも交換できないが、これも立派なミラーレスだ。
 
 
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2019年10月19日

オリンパスEM5マーク3の発表

■■ 2019年10月19日 土曜日 午前10時43分
 
 今朝は曇っている。雨が降りそうだ。しかし気温は高い目で、ムッとする感じ。寒くはないが、朝は最近着ている秋冬物。秋物よりも分厚い。薄いのでもいいのだが、一度暖かいのを着ると、戻れないようだ。
 昨日はもの凄く遅起きしたので、夕方行く喫茶店はもう出るとき暗くなっていた。雨がぱらっとしていたが傘を差すほどでもなかったのだが、途中でドバッと降り出した。俄雨と言うより、本降りだろう。それで、上着が濡れたが、ユニクロパーカーなので、問題なし。見事に弾いて、喫茶店内では水滴が浮いていたが、すぐに乾燥したようで、消えた。あまり色が変わらないのがいい。染みたところの色が変わりにくいのは弾いているためだろう。完璧ではないが。
 合羽の上着の軽いタイプを着ている人がいた。ほとんどパーカーだ。ズボンは普通のカッパの下。いずれも雨が降ってきたので、自転車を止め、それらを出して着ていた。通勤のプロだろう。自転車やバイク通勤の人なので、怪しい日は用意しているのだ。
 ズボンは綿ズボンをはいていたのだが、台風のとき、びしょ濡れになったので、違うのをずっとはいていた。これが意外と濡れていない。綿ではなく、化繊タイプで、裏地がある。冬用のボアとか毛とかではなく、幕のようなものとの二枚重ねのような感じだが、非常に薄くて軽い。こんなのをいつ買ったのだろうかと思い出そうとしたが、出てこない。今まではいた覚えはあるが、冬の初め頃のように思える。薄いので、真冬では役立たずで、そのまま放置したものらしい。だから汚れていない。それに皺にならないのがいい。別に寒々しくはないので、寒くなってもまだまだはけるだろう。
 今朝は昨日ほどには遅くはないが、それでもいつもよりは遅い。遅起きにならないように心がけながら寝たためか、早い目に目が覚めてしまった。理想的な時間だが、睡眠不足が心配なので、起きられなかった。相撲でいえば立ち合いが合わない。
 しかし、それなりに決心して寝ると、それを覚えているのか、いい時間に目が覚めた。しかし、起きる決心が付かなかったので、その後寝て、遅い目になったが、これは確信犯なので、仕方がない。
 
 昨日はオリンパスEM5マーク3の発表があった。世の中には色々な出来事があるが、カメラの新製品などはピンポイント過ぎる。しかし、数年前の誕生日カメラとして2のほうを買っている。結構高かった。それの新製品が出たので、少しは気になる。
 カメラの一寸した進歩、改良点、新しいところ、そのデザインや機能とかは、広い世界とも繋がっている。それなりに、今の風潮を表していたりする。世間がカメラの中につまっていたりし、これで世相が分かったりする。
 まあ、どちらへ向かっているのかが何となく見える。
 要するにこういった中級機は上級機にしかなかったものを取り込んで云々が多い。このカメラもそうだが。すると上級機でなくても、この新製品の中級機で十分ではないかと思えるのだが、それなら値段が高いだけの上級機になるので、絶対に引き渡してはいけないものを残している。そうでないと差が付く。機能は同じようでも、そっくりそのままではなかったりする。
 そして、しばらくして、最上級機が出るのだが、このときは中級機に渡したものよりも良いものを加えて登場するのだろう。
 だが、実際には先日買ったオリンパスの入門機EM10初代と、EM5マーク2との差はほとんどなかったりする。むしろ軽くて軽快で、レンズも軽い初心者向けのほうが写りが泥臭くてオリンパスらしかったりする。まあ、ファインダーの見え方、解像力などでの差はあるものの、実際に写しているときは気にならない。
 また、AFのスピードも昔に比べて、ジワーとしか合わないようなことはなく、それなりのスピードで合う。
 だから、誕生日カメラは、オリンパスミラーレスの中級機ではなく、初心者向けのEM10系でよかったのだ。このカメラなら店頭で必ずあるし、買いやすい。また、液晶が上下回転式なので、多用しやすい。EM5マーク2は横開きで、しかも引っ張るのが固いため、急いでいるときは指が痛く。だからほとんど使っていない。ダイヤルがゴチャゴチャあるのも同じで、初代のEM10も同じことができるのだから、ほぼ同じカメラのようなものなのだ。
 大きく見ればそうだが、細かいところを見ると大差が出るのだろう。不思議な話だ。
 さて、EM5マーク3という新製品だが、写真で見ると、付けているレンズはEM5マークUと同じキットレンズの28から300のズーム。24から400ではない。それを付けると、長く太く見えるためだろう。コンパクトさが売り物のカメラなので、そうなったようだが、実用上中級機なら24から400を付けたキットが好ましい。そうでないと、変化がないし、具体的な美味しさがない。24ミリから400ミリなら、広角端での寄りが効く。28から300は50センチ離さないといけないので、テーブルものが難しい。身体を反らさないと写せない。
 だから、EM5マーク2からマーク3に乗り換えるのなら、中身はほとんど変わっていないので、24から400のズームレンズを買ったほうがいい。こちらのほうが変化が大きく、実用性が高い。まあ、少しカメラが重くなってしまうが。
 さて、数年前の誕生日に買ったのだが、実はそのときもう一台欲しかったカメラがあった。出たばかりのキヤノンイオスキッスMだ。キッスシリーズなので、初心者向け。ファインダー内蔵のMシリーズとどう違うのかという話だが、操作系は簡略化されている。だから入門機。
 だが、高かったので、買えない。そのスペックを上回る中級機ミラーレスがオリンパスEM5マーク2で、値段も安い。出てからしばらく立ち、既にそろそろ新製品という噂もあったほど。
 まあ、そつのないキヤノンのほうが無難。どうせレンズ交換などしないのだから、レンズ本数の少なさなど問題外。
 問題はこのオリンパスの新製品、予測価格が、嘘のように高い。オリンパスらしくない。それならソニーのα6400で良いのではないかと思ったりする。それよりよりも高いのだから。まあ、6600は結構高いが、ボディー内手ぶれ補正が付くためだといわれている。
 受光素子の大きさが違うのだが、そのあたりの差は問題外。違いを見付けるほうが難しいほど。心持ち背景ぼけがややある程度だろうか。
 そういう中での伏兵がいる。富士だ。T30の一石が強い。オリンパスより受光素子が大きいのに軽かったりする。まあ、イオスM系も小さいが。
 そしてトップメーカーだったニコンはどうしたか。重さなど気にしないZ50を出している。堂々としたカメラだ。
 しかし、最近は写す楽しさだけなら、ペンタックスK70を愛用している。世間の風など何処吹く風とばかり、古典を踏み続けている。新製品など滅多に出ない。その体力もないのだろう。
 光学ファインダーで見た世界。これが非常にいい。そしてミラー音も。いずれもミラーレスに対しての反動だろう。だが落ち着く。
 
 
 
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2019年10月18日

都はるみ 旅の夜風

■■ 2019年10月18日 金曜日 午後0時08分
 
 今朝は曇っており、雨がぱらっとしているが、気温は高い目で、寒くはない。急に暖かくなった感じだ。
 それよりも起きるともの凄く寝ていたようで、かなり遅い。普通の遅さではなく、そこからもはみ出ている遅起き。
 朝方目が覚めたのだが、まだ早いので、そのまままた寝てしまった。これはよくあることだ。
 もの凄く眠りやすい時期なのかもしれない。いつもなら遅い目の朝ご飯を食べたあとで、これから昼の喫茶店へ向かおうかという時間。だから朝の喫茶店は夢の中で済ませたと思えばいいのだが、そうはいかない。この朝の喫茶店は寝起きに行く喫茶店で、朝でも昼でも夜でも、起きたときに行く。ただし、昼寝は省く。
 つまり一日のスタートなので、この日課は外せない。まあ、早朝から出かけないといけない用事でもあれば別だが。
 その日課がいつできたのかは忘れたが、そのため、朝から出掛けるということはなくなった。つまり朝から遠くまで出掛けるとかだ。
 その寝起きすぐに行く喫茶店から戻ってから朝食の用意をする。昼と夜は適当だが、この朝ご飯のときはおかずを作ったりする。煮物をしたりとか。夕食などは、その残り。昼は適当にパンでもいい。
 そして朝の喫茶店で、この日誌を書く。それが日課。
 しかし、最近起きるのが遅くなっているので、このままずれ込むのではないかと心配している。一応決まった時間に決まったことをしている方が安定する。
 しかし、今朝の蒸し暑さというのが妙だ。何か調子が違う。寝過ぎたのは、そのためかもしれない。眠りやすい気候だと思える。
 秋が深まり、日々寒くなっていくはずだが、今朝は調子外れ。風が強いのは最近の傾向だが、徐々に寒くなっていた。
 この暖かさの戻りはまた台風でも来ているのかと勘違いするほど。
 今朝のようなと言うより、もう昼なのだが、夏の服装でもいいほどだが、街ゆく人は秋物。一度それを着てしまうと、夏物は仕舞ってしまったのだろう。
 
都はるみ 旅の夜風
 この曲は色々な人が歌っている。愛染かつらと言えば分かるだろう。
「君の名は」はラジオドラマだったはずだが、古いので忘れてしまったが、映画での橋のシーンは有名。女風呂が放送時間はがら空きになるという伝説は、これだったのかどうかは忘れたが、そういった時代によくあるドラマ。ただ、歌はこの愛染かつら「旅の夜風」のほうが有名。前奏曲の調子の良さはいかにも演歌らしい。
 花も嵐も踏み越えて、の詩は何処かで耳にしたはず。
 これを都はるみが歌うと、もの凄く調子の良い明るい曲になるので不思議だ。まるで、そういう情景を楽しんでいるかのように。
 都はるみが歌うとどうしてそうなるのか。
 それは歌い方にあると思われるが、本家よりよかったりする。それはそっくりそのまま上手くコピーできるというのではなく、都はるみ風になるためだろうか。流石に「旅の夜風」では唸っていないが、唸りそうになっている箇所がある。少し力んだとき、唸っているように聞こえるためだろうか。本気で唸れば、痛快だろう。
 まあ「旅の夜風」そのものが、意外と調子のいい曲なのかも知れないので、都はるみが歌うとさらにそれが引き立ち、軽快な歌になる。楽しそうな。
 旅の夜風のラストはハッピーエンドで終わる。だから良いのだろう。
 愛染かつらとは愛染堂にある実在する桂の木だ。昔のメロドラマだが、意外と今のラノベで復活しているのではないかと思ったりする。
 こういった、昔の名曲、流行歌などを多く都はるみがカバーしており、それを聴くの楽しい。都はるみ自信の曲よりも気楽に聞けるためだろう。
 美空ひばりの何回目かの誕生日を記念して出た「裏町酒場」も、複数の人がカバーしているが、先に都はるみ版を聞いたので、美空ひばりのオリジナルを聞いても、ピンとこなかったりした。
 また「女の階段」などは美空ひばりは、あの粘っこさと生きの良さで撫でるように歌うが、都はるみは軽快で無垢。天真爛漫に歌いこなし、こちらの方が軽快。だから、美空ひばりに比べ、都はるみのほうがラノベ的になる。結構良い勝負をしている。
 ここでは唸りは使わないので、高音での張りと伸びのあるキーンとした声を売り物にしているが、それだけなら他にもいるだろう。そこに何処か遊びの要素があり、それが軽みになるのだろうか。だから、他の歌手は無難に歌いこなして上手という感じだが、都はるみにはプラスアルファがある。それらを全てはるみ節で括るのは早計だが。独自に情感が伝わる。
 この都はるみの歌い方の本質は、他の歌手が歌う都はるみを聞けば分かる。
 たとえば「惚れちゃったんだヨ」とか「あら見てたのね」など、一寸やり過ぎの歌い方だが、他の歌手が歌うと、下品になる。ただ、唸っているだけ、ただ高い声を出しているだけ。特に素人の人が歌うと、漫画だ。
 だが、都はるみが歌うと、コミカルな歌なのだが、滑稽さの中にも情感が出る。結構シリアスな情が出てくる。だからコミカルな歌ではないことが分かる。
 だから、ものまね以外、都はるみの歌を他の歌手が歌うとき、無難な歌い方になることが多い。都はるみの何とも言えないあの芸のようなものが難しすぎるのだろう。
 だが、相変わらず、その歌唱の秘密は分からない。だが、都はるみがオリジナル以外の曲を歌うときや、他の歌手が都はるみの曲を歌うとき、その違いで、何となく見え隠れする。
「旅の夜風」は男女コンビで歌う場合が多い。しかし、都はるみは一人でできる。女役と男役ができるため。
 美空ひばりは男になりきった男歌。都はるみは男役をやっても女性のまま。だから男装した女性として歌う。
「はるみの三度笠」などもそうで。これは女なのだ。
「旅の夜風」の中に賀茂の河原が出てくる。京都だ。都はるみの地元。そんなところに吹いていた風だったのだろうか。
 映画のシーンを断片的に覚えている態度で、津村病院や、高石かつえ、程度の記憶。歌手としてデビューし、「津村病院の皆様」などと、会場に見に来てくれた同僚達に挨拶するところが印象に残っている。しかし、愛染かつらの映画だったのか、別の映画だったのかは曖昧。そして映画だったのかテレビドラマだったのかも、忘れてしまったが。
 テレビドラマなら、いいところで、あの歌が挿入され、非常に盛り上がる。そして、「続く」となる。
 要するに懐メロではなく、懐メロドラマ。
 
 
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2019年10月17日

近松公園散歩

■■ 2019年10月17日 木曜日 午前10時13分
 
 今朝は曇っている。気温も低い目。雨が降りそうな感じだ。このところ天気が悪い。晴れることもあるが、長く続かない。春や秋はそんな感じだ。天気が日替わり。
 寒いので昼間でも電気ストーブを付けているが、もっと寒くなる夜、寝るとき、電気毛布ではなく、夏蒲団のペラッとしたのを一枚かけているだけでも何ともなかったりする。そんなに保温性のいい掛け布団ではないのだが、これがおかしい。もっと寒い日があり、そのとき真冬の分厚くて重い毛布をその上から掛けて寝ていたのだから、これは何だろう。
 その毛布は足元に置いてある。いつでも引っ張り出せるように。
 それがここ数日いらない。電気ストーブは室温を上げないが、それでも付けていると、多少は室温が上がるのかもしれないが。
 それとも身体のヒーターがオンになったのかもしれない。それなら熱があるということだが、そんな感じはない。
 寒くなってきたので、身体が、そのモードに入ったのかもしれない。身体の中にヒーターがあるとすれば、血だろう。腹あたりにヒーターがあり、そこを通過した血液が温まり、全身に回る。腹を冷やすといけないというのはそういうこともかもしれない。
 また、首筋や手首などは露出しているので、寒いときは、そこ部分が冷たい。そこを通った血は、そこで冷えるのかもしれない。冷たい血が全身に行き渡るとか。
 まあ、哺乳類なので、体温の調整を多少はしているのだろう。そうでないと、寒いと動けなくなる。だから調整できない生物は冬場は寝ていたりする。
 今朝も寒いので、先日買った秋物のユニクロパーカーでは間に合わない。それでは寒いので、裏地に毛の立ったカッターシャツのようなのを着る。冬物だろう。つまり秋物の寿命の短さを思い知らされる。特に一番上に着るタイプ。中に着るタイプは夏向けでもいい。だが、パーカーやジャンパーの上に、さらに何かを着るというわけにはいかない。
 では、秋物のジャンパーやパーカー系はいつ着るのだろう。秋の初め頃に買ったのだが、そのときはそんなものを着ると大袈裟。夜の散歩のとき、たまに引っかけていた程度。そして涼しくなってきたので、着てもよい時期になったのだが、そんなのでは薄くて寒いので、冬物が必要。
 だから、無理に着ようとすると、中にセーターでも着込まないと何ともならない。
 しかし、昨日今日と着ている冬物の裏にボアの入ったカッターシャツのようなものの上にユニクロのパーカーを着ることはできる。この裏毛付きのカッターシャツには防水性がないので、丁度いいかもしれない。それと風にも強いパーカーなので。
 つまり、秋物の上着は重ね着してなんぼの世界になる。しかし、それは冬の寒さに近くなければ、今はまだ無理。すると、秋物での重ね着は冬物になる。それなら最初から冬物を一枚羽織ったほうがすっきりするだろう。防水性や防寒、防風性のあるダウンジャケットのほうがすっきりしたりする。
 昨日は晴れていたので、自転車散歩にちょうどだったが、起きた時間が遅かったので、それで行くのを躊躇ったが、短い距離なら良いと思い、出掛けることにした。昼頃入る喫茶店からの出発だが、昼などもうとっくに過ぎている。いつもより遅いためだ。
 前回も台風が去ったあとの晴れ間に出掛けたのだが、祭りの山車と遭遇し、それを写していると、もう満足を得たので、戻ってきた。だから、散歩にはならなかった。
 今回は近場を狙い。尼崎方面に南下し、植物公園があるので、そこに入る。つまり公園を梯子する作戦。
 植物公園は温室もある。それよりも森のように樹木が茂っており、こちらのほうがいい。散歩コースができているのだが、自転車では入れない。広い公園で、ただの芝生の広場に近い。バーベキューやり放題の場所だろう。そうなるのを恐れて、禁止となっている。
 散歩コースは無視して、入り込んだことのないところを、自転車を突きながら歩く、路面が悪いので乗るとガタガタになる。中途半端な石畳のためだろう。雨の日、ぬかるみにならない程度。
 鳥などが来ているが、鳴き声だけで姿が見えないが、花を写しているとき、一羽だけ下の方の枝に止まっているのを発見し、さっと撮す。こういう鳥はすぐに逃げるので、早撃ちしないと、間に合わない。
 そして、偶然が全てを決する。そんな良い条件で鳥がいつもいるわけではないので。
 次は近松公園。ここも植物公園並みの規模がある。近松門左衛門の墓のある寺と隣接し、記念館のようなのも立っているが、いつも閉まっているような感じだ。
 この公園内は一周するにしても自転車で通り抜けるのは難しいので、止めて、一周する。
 人は少ない。老夫婦が歩いているのと、子供を遊ばせている若いお父さんがいる程度。
 そこに猫が現れる。このあたりのボスだろうか。よく肥えている。太い足だ。これが前方から向かってくるが、かなり遠い。だから猫もまだ逃げないで、こちらに来る。それを望遠で写す。向かってくる猫。これは良い構図になるのだが、望遠でないと小さすぎる。だからお散歩カメラで100ミリほどのカメラでは写せない。先ほどの鳥もそうだ。目の前の草花や全体の風景なら良いが。
 先ほどの鳥といい猫といい。偶然。その日、その時間、猫の都合と合わないと会えない。鳥もそうだ。その時間軸での出来事なのだから。数秒早かったり、遅れたりすると、もう遭遇しない。置物ではないので。
 そこを通過すると、池があり、ベンチが多くある。ここは将棋公園で、何組もがベンチを台にして、ベンチ将棋をしている。昔でいえば縁台将棋。
 これを遠くから望遠で写す。近いと、絡まれやすい。それに五月蠅そうな癖のある老人ばかりなので。これはズームした瞬間、シャッターを切る。一枚だけ。早くカメラを下ろさないと、写していたことが分かってしまうため。まあ至近距離の将棋盤を見ている人がほとんどなので、遠距離に急に目を向けないだろう。
 その素人将棋指しは十人以上いる。ほぼ同じメンバーだとは思われるが、この日、このときの配置は一回性のものだろう。その顔ぶれや座っている場所や、立って覗き込んでいる人の配置も。
 あとはカラス程度しかいない。公園内の芝生を堂々と歩いている。食べ残しを探しているのだろう。あまり警戒しないカラスで、近付いても、ある程度の距離までは逃げないで、こちらを見ている。
 この公園に入るとき、自転車を止めて、さて公園の階段を上ろうとした瞬間前方をカラスが歩いていた。これも偶然。だから公園入りと同時に獲物を見付けて鳥狩り、凄い偶然が初っぱなからあった。その後、公園内をウロウロしたが、そんな偶然はなかった。
 そのカラスは後ろから来た老夫婦に追い越されそうなる寸前逃げたが。
 この老夫婦が来なければ、もっとカラスを写せたのだが、これも偶然。その後、そんな老夫婦など歩いていない。犬の散歩をしている老人と遭遇しただけ。猫の発見はそのあとにあった。
 だから、カラスがいなければ、そのまま猫がいた場所まで行っているだろう。当然猫はまだ出てきていない時間帯になるので、遭遇することはない。
 昨日の自転車散歩のカメラはパナソニックのFZ300で、猫や鳥など動くものはあまり得意としない。こういうときはキヤノンのネオ一眼がいい。AFフレームで囲んでくれ、動いても食いついたままなので。まあ、上手く認識してくれた場合だが。
 一番確実だが難しいのは一点AFで、目玉を射ること。まあ、瞳AFの手動版だろう。
 公園の自然を写しながら、猫や鳥というジャンルの違う写真を一瞬に切り替えて写すので、カメラもそれに対応した万能機が良い。ジャンルが特定できないのが、散歩の世界のためだろう。
 それで、この二つの公園巡りは近いので、戻り道、ちょうど夕方前に入る喫茶店に入る時間。少し早いが。
 ショートコースなので、疲れなかった。
 
 
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2019年10月16日

FZ300の凄さ

■■ 2019年10月16日 水曜日 午前10時26分
 
 今朝は晴れている。気温は低い目だが、陽射しがあるので、暖かい。暑くはない。
 昨日はついに電気ストーブを付ける。これには二つのタイプがあるのだが、すぐに暖かくならないタイプ。方式が違う。これは去年か二年前かは忘れたが、一灯だったのを二灯にした。細い柱のようなタイプもよかった。軽くて動かしやすかったので。しかしそれより暖かい方式で、しかも二灯のほうがいいと思い、古くなったこともあって、買い換えた。
 やはりこの季節、火のないところにいないと寒い。
 昨夜は寒いはずなのだが、夏のペラペラの掛け布団だけで済んだ。真冬向けの分厚くて重い毛布を足元に置いているのだが、使わずに済んだ。これは重すぎる。ぬいぐるみの中に入っているようなもので、皮膚呼吸が難しくなりそう。当然顔は出しているが。
 電気毛布はまだ敷いていないが、壊れたホームゴタツの中に入れている。
 しかし、夏布団だけで震えないで眠れたのは不思議だ。電気ストーブで身体が暖まっていたためだろうか。当然寝るときはストーブは消している。
 その前夜は夜中に何度もトイレに立つほど冷えたのだが、昨夜は一度で済んでいる。だから連続してよく眠れたはずだが、起きた時間はいつもよりも1時間以上遅い。ここ最近起きる時間が遅い。まあ、支障は出ないのでいいが、いつものように過ごすと、当然一時間から二時間ほどずれ込むようで、遅い時間まで起きている。
 そうなると、寒くなったので睡眠時間が延びたのではなく、単に起きる時間と寝る時間がずれただけかもしれない。
 昨日もそれなりに晴れていたのだが、風が強かった。それで、自転車散歩を予定していたが、中止。その気になれない。行きはいいが、帰り道、結構だれるので、向かい風で、しかも風が強いと、かなり厳しい。それと行く場所が決まっていない。方向だけを無機的に決めればいいのだが、その方向へ行くと、もう行くところはおおよそ分かっている。
 一寸離れたところにある町、何度も通った町なので、もう何があるのかが分かっているので、新鮮さがないのだが、全ての道筋を踏破したわけではないので、通ったことのない枝道とか隙間の道などが残っている。魚の骨にくっついている身を食べるようなものだ。
 単なる新しい目の住宅地。田んぼだったところにできた住宅地。これは趣が何もない。そういうところが非常に多い。
 それで、旧街道や、村と村とを結んでいたであろう村道などを行くことが多い。
 また、川沿いがいい。これは排水溝になっている場合が多いが、昔の潅漑用水跡だったりする。既に田んぼはなくなっていても、水路だけは残っていたりする。そういう水路は辿れば大きな川に出る。上流があるはずで、大きな川などから引っ張ってきているので。
 秋も深まってきたのか、秋物を着ている人が多い。どちらかというと、冬に近いのを着ている。徳利のセーターを下に着ている人も見かける。つまり毛糸のセーターが恋しい頃なのだ。暖を望んでいるのだろう。毛糸のパーカーがあり、これは結構この季節いける。毛糸といってもアクリルだが。一応編んであるので、引っ張ればもの凄く伸びる。だが、一発で毛玉ができる。
 ペラッとした綿のカッターシャツのようなタイプで、ボタンも小さく襟も同じだが、裏に毛が仕込まれているタイプがある。そして脇にポケットが二つあったりする。それを以前買っていたのか、発見する。今だ。今の季節向けだ。見た目カッターシャツだが反則の裏が毛。だから触ると分厚い。見た感じは分からない。薄そうに見える。これなら厚着しているようには見えない。
 もうコートを着て、マフラーをしている人もいる。この前まで半袖の人ばかりだったことを思うと、テンポが早い。それが長袖に替わったのは数日前だ。今はコートとマフラーでもおかしくない。
 
FZ300の凄さ
 パナソニックのネオ一眼で全域F2.8でズームは25から600のコンパクト系の小さな受光素子のカメラ。これが期待以上に凄いカメラ。
 まだ現役だが、その前の初代がFZ200で、これは名機と言われていた。その後継機だが、数年前の新製品。
 出た時期はもうミラーレス全盛期で、コンパクト系では1インチタイプのネオ一眼に人気がいった頃だろう。だから、受光素子の小さな、このカメラは、何かよく分からないカメラになっていた。
 ネオ一眼の主力は各社とも1400ミリ前後。だから600ミリというのは足りない。ネオ一眼に期待しているのは超望遠のためだろうか。
 そして600ミリまでの1インチネオ一眼も出てきており、画質ではそちらの方へ行くはず。
 パナソニックも400ミリや450ミリあたりまでの望遠付きのネオ一眼が出ている。1インチだ。
 ソニーとキヤノンは600ミリまでのを出している。だからメインはそちらだろう。
 ただ、このカメラ、不思議と何でも写してしまえ、それなりに十分な絵が得られるので、不思議だ。
 最近は夜の写真をよく写しているので、毎回違うカメラを持って散歩に出ている。僅かな距離なので、被写体も同じようなものだが。
 それでカメラ比べではないが、普通の一眼レフで写した場合、問題なく写せる。レンズもキットレンズの暗いものでも感度の高さや手ぶれ補正で何とかなるものだ。
 しかし、それがコンパクト系の小さな受光素子になると、暗いところでの撮影は結構厳しくなる。先ず感度上限が3200あたりまで。明るい道なら問題はないが、それよりも薄暗いところでは厳しい。
 まあ、普通の一眼レフやミラーレスでも、そういうところではピントもなかなか合わなかったりするものだが。
 ところがパナソニックのAFの特徴というのがあり、それは暗いところでは大きなフレームが出て、まるでAFを諦めたようになる。だからどこにピントが来ているのか分からない。
 このFZ300もそのタイプで、これはピンポイントのスポットAFにすれば、そんなことはないが、被写体自動認識のフルオートだと、そうなる。これが意外とピントが来ていたりする。合焦しないとシャッターが落ちない機種もあるので、とりあえず合焦マークが出るだけでもいい。
 その大きい目のフレームが出るのは遠方に向けたときだろうか。それほど遠くではなく。そして暗いときに、それが出る。
 この変わったAFの自動化は珍しいやり方かもしれない。小さな箱が無数に出るとかではなく、中央に大きな箱一つだけ。
 これはパナソニックのAFがコントラスト式でも、一寸変わっているためだろう。空間認識らしい。よく聞くのだが、一瞬で全部の距離を測るようなものだ。だからこれを応用した4Kで、あとでピントを選べる機能もある。四K動画から複数のピントを切り出す感じだ。ただ、カメラが認識できなものは含まれないので、合わないものは最初から合わないが。
 それで苦しいはずの夜の撮影をいとも簡単にやってしまえる。
 まあ、普通のコンパクト系に比べ、レンズが明るいこともあるが、それでも感度は3200以上上がらない。しかし、その程度のレンズの明るさの違いだけではない。
 ニコンの一眼レフなどで薄暗い室内を撮るとき、ピントが来ないときがある。ところがこのFZ300は例の大きなフレームが出て、さっと合う。これはパナソニックのミラーレスカメラでも同じだ。ニコンなどの一眼レフは万単位の感度まで上がるが、3200しかないので結構苦しいのだが、二段から三段はレンズが明るいので、感度を1万に上げたときと同等。だから写せる。ただ、ぐっとシャッタースピードは遅くなるが、四分の一秒ぐらいまでなら600ミリでも何とかなる。それは余程暗い場合だし、フルオートでは落ちない設定になっているはず。露出不足状態で切れる。
 まあ、受光素子が小さい分。ブレにくいのだ。600ミリと言ってもフルサイズで言えば108ミリになる。超望遠どころか、望遠とも呼べない程度。これでかなり助かっているのかもしれない。
 どちらにしてもこのカメラ、バケモノだ。スペック神話というのが嘘のように思えたりする。ただ一つ誇れるスペックは600ミリまで全域f2.8という数値程度だろう。これが本当は効いているのかもしれない。一応ライカバリオレンズだが、門真ライカなので、そこでの神話は大したことはないはずだが、本体とレンズの一体型というのは、最適化されているだけに、かなりレンズの性能を引き出しているのではないかと思える。
 このズームでの明るさは、他のどのカメラにもないはず。まあ、パナソニックのデジカメ、ネオ一眼を始めたとき全域f2.8だった。受光素子は今の一般的コンパクト系よりももっと小さかったが。
 要するにこのカメラ、色々買ったカメラの中ではヒットしたカメラ。個人的に気に入っているというより、使える範囲が広い。
 600ミリまでのズームだが、自動的に700ミリを少し越えるところまで伸びる。これはフルオートの設定ではそうなる。
 さらに設定でデジタルズームをオンにすると1400ミリを超えてしまう。1200ミリではなく1400ミリ越え。受光素子の小さなデジカメで倍に拡大するわけだから、これは無理があるので、このタイプでは使っていなかった。劣化が結構あるためだ。1400ミリのネオ一眼だと2800ミリまで行けるが、流石にブレが目立つ。それに画質がぐっと落ちるのが分かる。
 ところが、このFZ300は劣化が目立たない。実用性十分。だから同じパナソニックの20から1200までのズームで写したものよりも、綺麗。受光素子は同じ大きさで、こちらのほうがエンジン部も新しい新製品なのに。だからFZ300でデジタルズームで写した方がよかったりするので、不思議な話だ。違いはレンズの明るさと、ズーム比の少なさ程度なのだが。そしてが総数が2000超えがほとんどだが、1200に敢えて抑えている。これで階調がよくなるのか、白飛びしにくい。これは画質狙いのスペックなのだ。
 こういう凄いカメラがあることをあまり知られていないのは盲点のためだ。つまり受光素子の小さなカメラは最初から無視されるためだろう。
 ちなみに受光素子の大きなパナソニックミラーレスのGX7よりも写りがいいのだ。そして1インチミラーレスよりも。両機と写し比べて、FZ300が勝っている。
 また、受光素子が小さいと、背景をぼかしにくのだが、レンズの明るさで、深度が結構浅く、かなりボケてくれる。特に望遠側のボケは、一眼並み。といってもその一眼のレンズが暗いので、比較にならないが。
 普通の風景なら300ミリほどの望遠で十分。それが600ミリまであるので、ストレスがない。それ以上の望遠が必要なのは鳥や、遙か彼方を歩いている人を気付かれずに写すことだが、600ミリでも十分行けるのだが、1400ミリまで持って行けるのが強い。そして画質の劣化はほとんど分からない程度。まさに万能機だ。普通のネオ一眼に比べ、レンズが明るいので、背景もよくボケる。この違いも大きい。当然シャッタースピードも早くなる。そして感度も上がりにくい。
 これに対抗できるのはキヤノンのネオ一眼だが、レンズは普通だし、感度も3200までなので、夜間に弱い。ピントはほとんど合わなかったりする。
 ただ、このキヤノンネオ一眼、良いレンズを使うはずだったのだが、中止されて、以前のレンズをそのまま使っていたのが惜しまれる。レンズ性能を上げることで、写りは変わるはずなのだが。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 12:02| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月15日

新書太閤記 賎が岳の会戦 吉川英治

■■ 2019年10月15日 火曜日 午前10時11分
 
 今朝は晴れている。久しぶりのような気がするが、台風の印象が強いためだろう。台風後、一度晴れているが、短かった。そしてどんどん寒くなっていく。昼間の気温が20度を超える程度なのだから、これは厳しい。この前まで昼間なら30度近くあったような気がする。それが20度少し。これは中間の25度とかがない。一気にここまで下がっている。
 そのため、朝はコートを着ている人がいる。風も強い。女性は長い目のコートが流行りなのか、自転車に乗っている人に多い。長いのでひらひらする。あれがやりたいのだろう。またニット系の柔らかいが薄いコートのようなのも多い。防寒性にはそれほど貢献しないが、この時期ならいいのだろう。
 昨日は喫茶店でジャージのパーカーを着ている女性がいたが、裏地は毛羽立っていた。冬用だ。もうそういうのを着てもいい気候になっているということだろう。
 喫茶店内は極端で、店により冷房をしているとこと暖房をしているところとかがある。
 それでガクッと気温が下がったためか、眠い。これは冬眠に入るわけではない、人が冬眠すれば、それは永眠になる。
 それで起きるのが遅くなる。目が覚めたとき、もっと寝ていたいような気になる。気だけではなく、瞼がそう言っている。だから瞼からのお知らせで、そういう気になるのだろう。開けたくない。もう少し寝ていたいと。
 夏場はさっと起きられるのだが、冬場はグズグズするようだ。
 それでユニクロで秋向けに買った裏地ジャージのパーカーだが、これはジャンパー風だ。これを着てちょうどといった感じ。下はカッターシャツ。夜など寒いとき外に出る場合、カーデガンを中に着たりするが、少し厚着過ぎる程度でちょうど。寒いと感じるよりもいいが、暑すぎると、逆に気分が悪くなったりする。暖房のムッとする空気などがそれで、息苦しい。寒すぎても暑すぎてもいけない。
 秋の季候の良い頃とは今頃のことを指すのだろうか。すると、少し寒い目ということになる。暑い目の頃は過ぎたので、これも秋。だから中間がない。秋はその中間なのだが、どちらかに傾いている。
 今朝はいつもの伊丹モスが定休日なので、その近くにある古い喫茶店へ行く。高いが仕方がない。さらにその近くにも喫茶店があるが、入ったことのない店。中がよく見えないが、テレビが置いてあることを確認。これは五月蠅いので、駄目だろう。テレビからの声が聞こえるので。
 その並びにもう一軒あったのだが、潰れている。正月の数日、ここに来ていた。
 他にも喫茶店がある。いい感じの個人喫茶があるのだが、十代の頃からたまに行っていた。しかし、雑誌の取材で、その店を案内したので、その後行けない。
 そのあと行ったのは二年ほど前で、インタビューなどを受けるとき、この店に入った。それが最後だ。しかし、店内で写真をバチバチ写されたので、目立ちすぎだ。だから、もう行けない。
 若いママさんだったが、新婚だったのだろう。二十歳代の頃だ。今はそのママさんはお婆さんになっているが、昔と同じ髪型。そして子供が手伝っている。
 ここは煙草屋でもあるので、全席喫煙は当然のこと。客がそれなりにいて潰れないのはパチンコ屋が近いためだ。
 少し寒いが、秋本番になっている。
 
新書太閤記 賎が岳の会戦 吉川英治
 賎が岳と言えば、賎が岳七本槍で有名。このときの戦いのとき、羽柴方の武将が立てた手柄。特に若き小姓達が活躍した。福島正則、加藤清正、等々は有名。そして大身の大名になり、寿命まで生きた。だから色々と語り伝えたのだろうか。その家の歴史のようなものを期したものが残っていたようだ。
 いずれも二十歳代。そして柴田側の二十歳代の若武者と言えば、その甥。佐久間盛政だったと思うが、兄弟が多いので、うろ覚えだが。この甥の佐久間の動きで、勝負が決まった。
 賎が岳の戦い、吉川英治は会戦と呼んでいる。いずれも山岳部で互いに陣地を展開し、ほとんど山城に近い砦を山々に作った。琵琶湖の北側だ。秀吉側もそれと対峙する山々に山砦を築き。長く対峙した。各部隊が広く展開し、睨み合っていたのだから、会戦だろうか。
 明智光秀による本能寺の変は、秀吉が弔い合戦に勝利し、その後、織田家跡取りと旧明智領や信長直轄領を分ける会議が清洲で行われた。発案者は筆頭家老、織田家ナンバーワンの柴田勝家。北陸探題で二百万石以上あるのではないか。織田家最大。ただその中には前田や佐々も含まれている。二人とも勝家の家来ではない。上司と部下程度の関係。
 
 明智の謀反を聞いた後、柴田も駆けつけるが、近江に入るとき、既に終わっていた。だから出る幕がないので、清洲会議で、何とか主導権を握ろうとしたのだろう。
 清洲会議は秀吉の言い分がほぼ決まり、ここで勝家は負けている。
 しかし、その柴田グループは生きている。
 信長の次男信孝、これは岐阜に入っている。伊勢方面に滝川一益。これは関東から戻ってきている。出身は伊賀らしい。明智家よりも家柄がいいとか。
 鉄砲などの扱いは明智が一番で、二番が滝川。新兵器などに強い。既に明智がないので、最新兵器では滝川が一番となるが、戦いはそんなことでは決まらなかったようだ。
 不満を懐く勝家は頻繁に信孝や滝川と密談を繰り返す。信孝から見れば信長の妹お市さんは叔母になる。勝家との縁を、この信孝が結んでいる。だから織田信長の次男織田信孝と柴田勝家の仲は深い。当然清洲会議では信孝を跡目にするはずだった。
 それで、勝家は秀吉と直接戦うことで、決着を付けることになる。不満なので、収まらないのだ。清洲会議がそれではただの猿芝居になってしまうのだが。しかし、この会議で、秀吉は多くの領地をもらうことを辞退したが、有利な条件を色々と得ている。
 
 勝家の作戦としては秀吉と和議を結ぶところから始まる。これが既に戦いなのだ。いきなり和議なので、戦わないと言うことなのに。
 要するに秀吉に油断させるためだが、丸見えだろう。
 その使者に前田利家も加わる。和議が成立し、喜ばしいはずなのに、前田利家は既にどういうことが起こるのか、そのとき予感していた。
 それよりも清洲会議で、あっさりと秀吉領の長浜を柴田に渡している。本能寺のときは寧々さんも母親も、姫路ではなく、ここにいたのだ。それを勝家の案に従い、勝家に渡している。ここは北国への要地だ。ただ、条件を秀吉は出している。勝家の息子を城主にすること。ただ、勝家には実の子はいない。それで養子がいるが、勝家とのそりが悪く嫌われている。その養子を入れるのが条件。これで、もう秀吉の作戦も見えているのだが、勝家の跡取りを城に入れるのだから、何もできないはず。
 しかし、和議の使者の中に、病中の、その養子も同行した。勝手に。
 秀吉は感動した振りをして、和議がなったのは、この長浜の城主になった養子の熱意あってのことと褒めた。
 だが勝家の養子は、病気が悪化し、戻れないで、秀吉の元に残って手厚い看病を受ける。医者も常駐させ、また回復後も、寒い琵琶湖を行くのだから、暖かそうな船をあつらえ、そこにも医者を乗せた。
 父の勝家から冷遇されていただけに、この秀吉に懐く。これで、長浜は取り返したようなものだろう。
 
 柴田勝家の作戦は岐阜の信孝、伊勢の滝川一益と北からの柴田勝家での挟み撃ち狙い。
 秀吉は7万ほどだろうか。柴田グループも全部合わせれば5万から6万になる。ただ、秀吉は中国の浮田などを加えていない。それらを持ってくると明らかに秀吉軍の方が多い。
 そこで勝家は家康の元へ使者を送り、味方にしようとしたが、冷遇。家康はなかなか会ってくれない。待遇も悪い。家康に織田家の内紛に入り込む名分がない。これはのちに長久手の戦いまで待たないといけない。吉川英治は秀吉と対照的なこの家康の描写に多くページを割いている。そうでないと秀吉も見えてこないためだろう。派手な秀吉、地味な家康。
 
 その頃、家康は旧武田領を盗み取っていたが、北条とぶつかり、睨み合ったりしていた。家康は甲州だけでいいと既成事実を認めさせ、北側は北条に任せると言って、北条とのかち合うことを上手く避けた。だから家康は家康で、戦闘中だったので、ということを理由に、接客も質素なものだったらしい。
 家康から見れば柴田勝家は同盟国の一番の重臣。軽く見てはいないが利用価値を見出せなかったのだろうか。それに信長のいない柴田勝家は、少し厳しいだろう。
 さらに柴田勝家は毛利を動かすため、前将軍に依頼するが、これは無理だろう。既に元就はいないが、三本の矢の合意は難しい。それと秀吉を敵に回すことは毛利に隣接する浮田との戦いになる。これは面倒だ。
 
 秀吉がその頃取った手は、柴田勢が戦っている上杉との不可侵条約。お互いに戦わないこと。不戦条約かもしれない。それを成立させている。現実的だ。
 これでお膳立てはできた。いつどちらかが動き出してもおかしくない。柴田と上杉は戦っている最中。佐々成政と前田利家が前線に領地を持っている。敵と敵は味方の図。武田は滅んだが、上杉は生き延びた。武田のときは信長だが、上杉のときは秀吉になったことが大きい。上杉家は生き延びる。
 
 この羽柴と柴田の戦いで先ず大軍を発したのは秀吉。ただ、火蓋を切ったのは柴田側だが、柴田勝家も滝川一益も信孝も直接動いていないし、命じてもいない。フライングだった。
 それは滝川一益配下の城が奪われたようだ。城の家老が奪った。これが発火点。秀吉が奪ったのではない。この城の城主は秀吉に傾き、柴田系を裏切ろうとしているので、家老が先手を打ったのだろう。
 柴田勝家もも羽柴秀吉も形式的には織田家の家臣なのだ。同じ織田家内での争いはあり得ない。御法度。秀吉に名分を与えてしまう。このチャンスを秀吉は逃さず、当時都近くの城にいた秀吉が兵を集める。
 秀吉の本拠地は姫路。既に長浜は勝家に渡しているので、家族は全部姫路へ。しかし、秀吉は天王山に近いところ、京への入口あたりにいる。これだけでも秀吉の方が不審だろう。だが、秀吉は都で政の任にある。これは数人の実力者が合同でやるのだが、その中に勝家も入っているが、京でそんなことはできない。
 また勝家に次ぐ宿老の丹羽長秀は秀吉に一任。他のメンバーの池田も秀吉に任せているので、実質信長に変わって畿内五カ国の政を見るのは、秀吉になっている。だから、姫路には帰らず、京への西の入口あたりにいる。だから拠点だ。
 
 それで、伊勢方面でのこの報を聞き、名分をさらに高めるため、織田家の当主の小さな子、三法師のお墨付き、これは命令のようなものだ。それをもらう。だから私戦ではなく、織田家として戦う。小さな子がそんな命令を発せられるわけがない。織田本家にいる前田玄以を動かしたのだろう。清洲会議で、この三法師を選んだ意味がそこにある。
 これで、従う有力者も名分があるので、従いやすくなる。
 
 だが肝心の滝川一益も、早すぎたと思った。柴田勝家も早いと思ったようだ。予定外。雪解けを待って戦う作戦だった。しかし、そのままでは滝川一益が危ない。秀吉は大軍で長島へ来ている。作戦的にはそれでいいのだが、雪でなんともできない。
 それで強引に雪を掻き分けて琵琶湖が見えるところまで来ることになる。やればできるのなら、最初からやればいいのだが、積雪の中での移動は厳しいのだろう。そのための要員もいるし、多くの兵も送り込めない。
 当然近江との境界線あたりの山々に勝家が来ることは予測していたので、秀吉は二回も下見に出ている。
 そして、真っ先に柴田領である琵琶湖畔の長浜を寝返らせる。看病し、親切にしたおかげだ。勝家の養親の息子は秀吉に懐き、簡単に羽柴軍となる。
 山々での兵はほぼ互角で睨み合っているが、秀吉直轄軍はいない。秀吉本軍は1万5千程だろうか。だがこれは遊軍的な動きをする。
 この陣での秀吉側での最大兵力を持っているのは弟の秀長。これがこの方面での本軍。いるだけの本軍だ。余計なことはしない。
 
 さて、伊勢方面だが、滝川一益は強い。勝家よりも強いのではないかと思える程。地元が近いこともあるのだろうか。簡単には落ちない。やっと城一つを秀吉は落とすが、あとは長期戦になることを知る。あまり力攻めはしない秀吉なのだが、手間取っていられない。挟み撃ちになるためだ。
 
 そして賎が岳で変化がある。
 長浜は寝返ったのだが、柴田の養子の城主の家老の二人は不満。その二人は秀吉勢として山砦を守っている。複数の山があり、要所の山は砦化している。勝家側もそうだ。
 この家老二人が裏切る。勝家側の兵を呼び込むつもりなのだ。これは勝家側の策略で、それがまんまとあたり、家老二人は承知する。
 だが、別の家来の一人が、それを密告する。そのため、この作戦は果たせなかった。これが成功しておれば、形勢は変わったかもしれない。あの中入りをしなくても、秀吉側の拠点を取れたのだ。
 それで、バレたので、逃げだし、勝家側の陣地へ逃れる。元々柴田家の人なので問題はないが、失敗したことで手柄にならない。
 そこで、この家老、案を出す。ずっと秀吉側にいたので、秀吉側の陣地をよく知っている。その配置なども。これは柴田軍も物見で、分かっているのだが、内部から見ると、弱いところがあるらしい。茨木の中川軍が守っている山だ。柴田側からは遠い。それだけ秀吉側の内側にあるのだ。この山がポイントになる。戦いはここで決する。賎が岳ではない。その近くだが。あとでこの戦いを柳ヶ瀬方面の戦いと秀吉は言っている。当然吉川英治が言わせているのだが。
 
 羽柴陣営から見れば、敵は先ず来ないだろうという程奥にある。対峙している取っ付きではなく内側。だから油断していると、その家老は言う。一応人を入れているだけ程度。
 要するに羽柴陣営の奥深いところに近いところを奇襲すると言うこと。その裏切った家老は絵地図まで書いており、間道までしっかりと書いている。複数の山を回り込みながら、そこに行ける。成功すればその家老、北陸で十万石以上の領地をもらえる。
 
 要するに世に言うところの中入り。桶狭間のときの信長の作戦だ。土手っ腹を狙う。この中入り成功例は少ないようだ。飛び出しすぎて失敗する。
 義経のひよどり落としが有名だろう。鹿も四つ足馬も四つ足なので、鹿が下りられる坂なら、馬も降りられるということで、急襲する。須磨の海岸、長く伸びた敵の中に割り込む。
 今回はそんな険しい道ではなく、間道なので、一応道はあるが、本陣からかなり離れてしまうということ。そして敵の陣地に囲まれていること。
 ただ、この情報、膠着状態を脱するには丁度いい。仕掛けるとすれば、そこだ。しかし、それだけでは勝家は動かない。
 秀吉は秀吉の頭で考えた作戦で動いたが、柴田は逃げてきた家老の提案から動いた。
 ところが、もう一つ、裏切り家老は情報を持ってきていた。それは勝家も欲しかったもので、秀吉が今何処にいるのかだ。この秀吉率いる遊軍のようなものが精鋭部隊だろう。秀吉が直接指揮する。
 秀吉側の、この長陣での本軍は秀長が二万程持っていたはず。あとは千単位の部隊が山々で陣を張っている。あと有力なのは堀軍だろう。五千だ。これが大きい。勝家本隊は七千程。その他の軍はあちらこちらに陣を敷いており、前田軍などはかなり後方。
 
 例の山を取りに行くため甥の猛将佐久間盛政が1万5千を二つに分けて押し寄せる予定。山を守る中川隊は千程。これは勝てるだろう。そして、奇襲なので、すぐには周囲の陣から駆けつけられないし、それ以前に秀吉がどうもいないようなので、もの凄いチャンスだ。
 秀吉は大垣あたりにいる。これを内部にいた裏切り家老の手の者が調べていたらしい。最初から裏切るつもりなのだ。まあ、元々柴田家の人達なので、そんなものだろう。
 秀吉は伊勢と岐阜で戦っている。岐阜は信長の次男信孝だが、動きが分からない。だから大垣から岐阜を落とすつもりで来ている。ただ雨で増水し、川が渡れないので、待っていた。
 
 ここで中国大返しと同じことを、やるわけだ。琵琶湖の上まで一気に走り上がることになるのだが、もし第一報を聞いたとしても、戻るまでには賎が岳の戦いは終わっているかもしれない。作戦が見事なためだ。これは秀吉が仕掛けた罠ではない。本当に分からなかったらしい。
 では勝家はどうして負けたのか。秀吉の戻りが早すぎたこともあるが、問題は甥の佐久間盛政。
 奇襲といってもほぼ柴田軍の、ここでの本軍に近い人数を割いている。柴田本隊は有力な敵部隊である堀軍を牽制する動きをするだけ。秀吉側の本隊二万の秀長軍は決戦のときに出てくるのだろう。
 それで簡単に中川隊は敗れる。無理だろう千では。それに城郭ではない。砦程度。しかも柵程度ではなかったかと思われる。
 お隣の山には仲良く本拠地も近い高槻の高山右近がいる。これは危ないと思い、逃げている。だから茨木の中川の方が勇敢で、逃げるどころか打って出ている。しかも何度も引き返すように、近くの山砦からも使者が来る。無理にでも連れ戻し、合流した方がいいと。ここでは三つの陣が並んでいたようだが助けに行くにもどの陣にも千しかいないのだ。
 中川はここで討ち死にする。
 
 だから柴田軍の大勝利。奇襲に成功。ここさえ取れば、お隣の砦を取るのは簡単。奥に入り込んでいるので、この山を取ったことの意味は大きい。羽柴軍の陣形が崩された感じだ。だが、これは平野部での野戦なら飛び出しすぎたことになる。
 
 しかし、何故柴田軍は敗北したのか。
 その直接の原因は甥の佐久間盛政にあるとされているらしい。吉川英治は玄蕃と呼んでいる。玄蕃丞と。兄弟もおり、名前が紛らわしい。また、織田家にも佐久間家がある。それと関係しているのだろうか。桶狭間のとき出城を任されて討ち死にしている。惜しい人だったとか。その兄弟は残り、織田家の重臣で最後は本願寺攻略を任された。織田家最大の敵。だからポジションは高いのだが、追放されている。
 さて佐久間盛政、柴田勝家の甥で、跡取りよりも大事にされ、溺愛とまで吉川英治に言わせている。この佐久間盛政が甥と伯父の関係を戦場に持ち込んでしまった。非常に気安い仲。だから口答えするし、親子げんかのようなこともする。
 中川砦を落とした佐久間盛政はそのままその山で一泊することにした。長い山道を移動して、さらに戦闘で疲れた。ここで休みたかったこともあるし、朝になれば、さらにそれに連なるや砦を落とせる。お隣の高山右近は逃げ出しているし、もう一人も逃げ腰で、大軍のいる秀長の陣と合流しようとしているのだから、三つも一気の取れる。こういう砦は一個抜けると、次々と抜けるのだろう。連係プレーがしにくくなり、孤塁になるためだ。
 その孤塁を恐れて柴田勝家は五回も盛政にすぐに戻れと伝令を送っている。しかもあとになるほど重臣クラスを向かわせているのだが、佐久間盛政は動かない。最高司令官の軍令が通じないのだ。これは伯父と甥の関係を持ち込んでいるためだろう。このとき佐久間盛政は二十後半の暴れ盛り。柴田勝家は55歳ぐらいだろうか。武将としては60ぐらいまでは十分伸び代があったらしい。だからそれほどの年寄りではない。明智光秀などもっと上だ。
 
 佐久間盛政が戻らなかったのにも理由がある。秀吉がいないのだ。そこで一夜過ごしたとしても、織田軍のどの軍がくるかだ。一番有力なのは堀軍の五千。しかしそれは柴田勝家が陽動作戦で押さえている。だから動けない。
 2万いる羽柴秀長はどうか。それには吉川英治は触れていない。秀吉の命を待っているのだろうか。場所は木之本あたりだろうか。これが本軍だ。また、これは人数だけの兵かもしれない。
 だから、翌朝打って出れば、羽柴方の砦をあと二つは簡単に落とせる。そして、そこを基地にすれば、柴田軍の出城ができるようなもの。陣取り合戦で、じわじわ詰め寄れる。
 しかし、中入りだったことを忘れている。敵の砦の中でも奥まったところにあるため、本来なら袋だたきに遭うところ。しかし、奇襲で取ったので、問題はないが、留まるべきところではない。反撃が来るのは間違いないのだから。
 
 柴田勝家が恐れたのはやはり秀吉の存在。大垣からは遠いが、中国大返しを知っているだけに、何をしてくるか分からない。
 そして、佐久間隊は奪った孤塁で寝てしまう。
 当然秀吉の弟、羽柴秀長は奇襲された瞬間既にその一報を大垣へ知らせている。中川軍奮戦中と。
 その一報を秀吉が大垣で聞いたとき、「やられたあ」とか、「負けた」とかではなく「勝った」と周囲に叫ぶ。勝家が動いたからだろうか。勝家の作戦は挟み撃ち。しかし、岐阜も動かないし、伊勢方面も籠城したまま動けない。挟み撃ちなどできない。
 大垣城と岐阜城は近い。美濃だ。大垣城には地元の稲葉一鉄がいる。読み違えたかもしれないが、かなり以前の人だが、まだいたのかという感じだ。意外と若かったのだろう。秀吉は城主の稲葉一鉄と堀尾という信頼できる家臣を残し、岐阜や伊勢方面の押さえとしたのだが、稲葉一鉄が不満を漏らす。堀尾を残しているのは自分への疑いのためだと思ったのだろう。そこで稲葉一鉄は自分も戦場へ行くと言い出す。それに折角の手柄を立てるチャンスなのに、まだ若い堀尾を大垣に止めるのは気の毒だと。堀尾といえば稲葉山時代の岐阜城への要手の裏道を案内した少年だ。秀吉とまだ野武士っぽい蜂須賀小六などと少数で裏側から城内に入り、火を付けたのがきっかけで落城している。
 
 さて、「勝ったと」とは逆に、このあと秀吉が到着したのを見て「負けた」と言ったのが勝家。まだ、戦いはどうなるのかは分からない状態だ。
 秀吉の決断は早い。すぐに馬に乗り、琵琶湖の北へ向かって単騎で走り出す。信長と同じやり方だ。
 その前に道々の村に、握り飯や馬の餌などを用意するよう触れに行かせる四十人程が先発している。そしてかがり火を街道に焚けと。
 そして握り飯を用意したものはその十倍の金額を払うと。
 大垣から琵琶湖の北側、秀長の陣までは秀吉長浜時代の領内だったはず。だから領民との縁もあるのだろう。
 
 秀吉が休憩で立ち寄った寺の地名が馬毛だったと思うが、ようするに「負け」。住職に秀吉は「馬毛寺」だろうと訂正させる。「負けじ」だ。そういう逸話が残っていたのだろう。
 このときも秀吉が先頭。ほとんど一騎駆けの大将だ。何故なら、馬がいいので先頭になる。
 さて、夜中、佐久間隊は寝ている。しかし物見は立てている。何かうっすらと明るいものが見える。場所は特定しにくいが、細い線上の明かり。それが湖畔沿いに長く伸びているのを見る。
 柴田勝家の陣でも、それが確認できた。秀吉が戻ってきたと柴田は、ここで「負けた」と吉川英治に言わせる。柴田側での戦記などはないはずなので、旧柴田家の武将が聞いたのかもしれないが。このあたり、小説としては秀吉に「勝ったと」と言わし、柴田に「負けた」と言わせたかったのかもしれない。しかし、その「負けた」は、柴田の気持ちで、誰も聞いていなかったかもしれない。ここは小説としての対比で分かりやすい。
 ただ、こういう細かい描写は司馬遼太郎にはない。陣張りや兵の動きの細やかなところまで描いている。これは枚数の問題かもしれない。新書太閤記は無制限に近い程長い。好きなだけ書いていいということなのか。だから巻数も多い。
 
 柴田側からすれば中入り後はすぐに戻れと言ったのに、という最悪の状態になった。中入り後の切れが大事と兵法書にあるらしい。それを吉川英治が紹介している。キレとは、切り上げること。すぐに敵と離れること。そうでないと敵のど真ん中にいるので、よってたかって袋だたきになる。それに桶狭間と違い、敵の大将首を取ったわけではない。茨木城主の中川の首を取っただけ。しかも千人もいなかった。だから秀吉の首を取ったのなら、大成功で、戦いはここで終わっている。羽柴軍総崩れだろう。どの部隊も自分の城へ帰るだろう。
 
 寝ているとき、物見の報告を聞いた佐久間盛政は即座に退却を始める。秀吉軍の精鋭部隊が戻ったならそのまままっしぐらに来るはず。うかうかしていると逃げる道がなくなる。ここは機敏だ。すぐに逃げた。もう砦の山は放置して。
 三時間ほどの時間差で秀吉直属軍はその砦へ到着、逃げる道は分かっているので、追撃。あとは一方的に逃げる柴田軍と後ろから追いかける秀吉軍との戦い。勝負にならない。
 秀吉は猛将のイメージはない。どちかというと血を見るのを嫌がり、無理攻めよりも城を囲み、兵糧攻めや水攻めで有名。直接戦闘ではなく。
 しかし、吉川英治によると、若い頃、ただの一武者だった頃は身体に何カ所も傷を負いながら戦ったらしい。ただ、背は低く、痩せており、体格差で不利だったのではないかと思える。
 この戦いは大垣から一騎駆けで突っ込み、その後も、敵の中に突入している。後ろで指揮するのではなく。ここ一番に掛けていたのだろう。
 
 さて、勝家の心配がそのまま現実になる。戻ってきた秀吉はすぐにそのまま佐久間盛政が占拠した砦まで行くが、もぬけの殻。これは先ほど書いた。
 佐久間盛政は何故そこで戦わなかったのだろう。これは囲まれるためだろう。中入りなので、敵のど真ん中にいるためだ。今なら退路は確保されているので、逃げたことになる。要するに先制攻撃されたのだ。それは柴田側がやる段取りだった。
 本軍の柴田勝家は秀吉側の有力部隊の堀隊五千を7千で牽制していたが、堀隊い5千も動き出す。それよりも、長く伸びた松明、秀吉軍の到着で、「負けた」となるのは先ほど言ったが、それが家来にも伝わったのか、7千の本軍が戦う前に半分ほどになっている。命令を待たず先に逃げたのだ。
 有力部隊五千の堀軍の後ろには秀長軍二万がいる。柴田軍は少ないように見えるが、佐久間盛政の奇襲のとき、二万近くを二つに分けて動かしているのだ。それが全部逃げた。
 だから陣地にいても陣そのものが崩れているのだ。それこそ孤軍になる。一緒に逃げたほうがいい。
 あとは一方的な秀吉軍の追撃戦で、柴田軍は後退するほど兵の数は減っていった。バラバラに逃げたためだが、戦わないで脱走した兵が多かったのだろう。山の中に隠れてしまったり、別の方面に逃げたりとか。
 その退路の途中に、後方で陣を敷いている前田利家がいる。後詰めのようなものだろうか。
 佐久間盛政はそこまで辿り着いたとき、数えるほどの兵になっていた。奇襲のときの兵は二つに分けたが1万5千はいたはず。それが数えるほどになっている。それでもここで食い止めようとするのだが、兵の多くは負傷しているし、少なすぎる。
 では前田は何をしていたのか。
 佐久間の頼みで鉄砲隊を貸す。前田軍本隊は戦うかどうかは決めかねているようだが、二隊ほどの鉄砲隊を貸す。貸すのであって、一緒に戦おうということではない。指揮系統が違うためだ。前田軍も逃げてもいいのだ。戦いはもう終わったのだから。
 前田軍は動かない。
 NHK大河ドラマ「利家と松」では退却せず秀吉軍と戦っているシーンがある。あくまでも勝家と共に戦い抜く義理堅い人と。一応北陸探題勝家の配下。家来ではない。織田軍内でも上司だろう。だが、織田軍団というのが分解してしまっている。
 
 前田利家と秀吉との仲はいい。それで敢えて前田軍を後方に置いたのだろう。
 勝家が逃げるときも、前田軍が寝返ったという噂が勝手に流れたらしい。逃げる側としては理由が欲しいためだろう。
 ドラマでは利家を旗本衆が囲み、飛んでくる鉄砲や弓矢から守っていた。利家が引く命令を出さないので、次々に家来が死んでいく。楯になって。
 それでもまだ引かない。これで勝家への忠義のようなものを言いたかったのだろうが、新書太閤記では戦わず、さっさと逃げている。
 それで佐久間盛政も防ぎきれず、落ちていく。
 
 このあと、前田利家は息子の城に入る。府中というところで、柴田の本拠地北之庄のすぐ南だ。前田利家は能登あたりに大きな領地持っている。息子が勝家の近くに城を持っている。
 そして逃げてきた柴田勝家と前田利家とが、ここで顔を合わせる。
 7千の本軍が十人ほどにになってしまった勝家が来る。騎馬八騎歩兵二人程度だったと思う。追撃を受け、兵が減ったのではなく、勝手放題に逃亡したのだ。
 勝家は軽く食事をし、そのあと、秀吉に降ることを進める。そしてこれまでの礼を言う。
 
 そしてしばらくして追撃中の羽柴軍がどっと北陸へ入り込み、その通り道でもある前田親子のいる府中城を囲む。
 しっかりと囲んだあと、千成り瓢箪を一人に持たせて、単身大手門へ秀吉は向かう。羽柴軍の総大将だ。
 門からその姿を見た前田の家来が秀吉であることを知り、中に入れる。秀吉も知っている前田の家来だろう。
 秀吉が訪ねて行ったのは松。「利家と松」のあの松で、御台所。ねねとも親しい。利家ではなく、松を訪ねている。それで、台所へ行く。
 それを見ている前田の武将達の中には秀吉を知らない者がほとんど。派手な陣羽織で、しかも腰に采配を差している。相当の身分の人が来ていることだけは分かる。この戦いの総大将なのだから、相当どころかトップが単身来たのだ。
 秀吉は松に、利家を貸してくれと頼む。これは清洲時代、よく二人で遊びにいった。そのとき、利家を貸してくれと松に言ったのだろう。そのままをここで繰り返している。それで松はピンときた。
 前田利家は本丸へ通じる門ではなく、勝手口のようなところから秀吉を迎える。これは敵の総大将を迎えるのではなく、友人を迎える感じだ。仕事ではなくプライベート。
 これで、府中は落ちた。もう抵抗する城はなく、旧朝倉領だった場所はほぼ秀吉に降った。抵抗する柴田の家臣はいない。
 実際には上杉の押さえとして前田とほぼ同格の佐々成政が残っている。秀吉嫌いだったようだ。
 結構広い領地を持っている。しかし、上杉と秀吉は和睦している。秀吉と上杉は戦わない約束。
 佐々成政は秀吉を敵に回すと、上杉と挟まれてしまい。それで終わってしまう。だから秀吉に従う以外、道はない。同僚の前田と同じように。
 
 あとは柴田勝家の本城北之庄だけ。それでも三千ほどの兵を城に入れていた。お市さんは自害を選んだが三人の娘は総攻撃前に秀吉が迎え入れた。
 吉川英治のそのあとの文章がいい。歴史の妙がそこにあると、その一人は淀君となり、豊臣家を最後まで守る戦国期最大の戦いをした。大坂の陣だ。
 末の娘は家康の息子に嫁ぎ、三代将軍家光を生んでいる。数奇というよりほかないと。
 
 
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2019年10月14日

秋祭り

■■ 2019年10月14日 月曜日 午前11時01分
 
 今朝は雨模様。台風が去ってからまた雨というのは、この季節の長雨と関係しているのだろうか。台風が来なかっても、この日は雨だったのかもしれない。
 台風明けの気温はやはり寒くなっている。当然かもしれない。冬に向かっているので、十日間予報の最低気温などは右肩下がり。当然最高気温も。だから、それで普通なのだが、その上、雨が降ると寒々しい。台風のときの雨はそれほど冷たくなかった。
 しかし、今朝もは半袖のTシャツだけで歩いている人がいる。スポーツをしているわけではない。パッカー系を脇に挟んでいる。ということは暑いので、脱いだと言うことだろう。
 そういえばムシムシする。湿気ている。夏なら蒸し暑いとなるが、秋では暑いとは言えないが、蒸れるのだろう。
 雨はよく分からない程度なので、傘は必要ではないが、鬱陶しい空模様。台風明けの晴れ間は昨日あったのだが、続かなかったようだ。これも天気予報でもそうなっている。
 今朝はかなり遅起きになった。寒いためかもしれない。何度もトイレに立ったので、何度も起きている。夜中に起きるのは一度ぐらいだったが、何回も起きた。寒いことを予測して、毛布を一枚増やしていたのだが、やはり室温も下がっていたためだろうか。
 それで、最後に起きてから、そのあとの時間が長い。長すぎて、遅起きになった。まあ、その分よく寝ていたのだから、悪いことではない。特に遅刻とかはない。
 このあたりも季節の変わり目だろう。秋物に替わるほど変化がある。それでもまだ夜は寒いほどで、夜の徒歩散歩もしているが、中にカーデガンを着込んでいたりする。ゆっくりとした散歩なので、運動と言うほどではないので、歩いても汗など出ない。それに歩いている程度では身体も暖まらない。もっと激しく動かないと。
 それで秋になれば着られると思っていたユニクロ裏ジャージパーカーだが、これでは役立たずになっている。賞味期間一週間ほどになる。まあ、中に着込めばいいし、台風の雨の中でも染みこまなかったので、その活躍だけでも満足。しかし、暖が足りない。
 昨日は台風通過後の晴れた空だったので、自転車散歩に出たのだが、すぐに秋祭りの山車と遭遇。これは塚口神社のもので、山車は町内ごとにあるので、全部集めると、一寸したものだ。
 それを写していると、もう撮影など行かなくてもいいかと思い。散歩には出なかった。
 カメラはオリンパスミラーレスのEM5で28から300までのキットレンズ付き。散歩なので、広角から望遠まで一本でいけるほうが楽なので、これにする。
 望遠300ミリで不足はなかった。アップしすぎると、街中を行く山車の雰囲気が出ない。
 山車の屋根の上に四人ほど上っており、これは落ちそうだが、命綱がある。屋根から紐が出ており、それをしっかりと握っていた。そうでないと、ずり落ちるだろう。
 普通の車と違い、サスペーションがない。だから、もろに地面の影響を受け、ガタガタしているのではないだろうか。山車の中や後ろ側や前側にも人がいる。子供は一番奥まった場所に何人かいる。いったい何人乗っているのだろう。それだけでも重いだろう。神輿ではなく、山車。車を付けて引っ張らないと、これは担げる重さではない。屋根などは段違いで二つある。だから都合四人が上っているのだ。
 屋根なので、傾斜がある。だから左側の傾斜、右側の傾斜にいる。その屋根が二枚あるので、低い方の屋根にもそれぞれ二人。
 村の祭りと言うよりも、このあたりは町だった。寺内町だったので、それができるのだろう。年貢がいらない町。
 まあ、こういう山車風景は同じような絵になる。
 
 
 
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2019年10月13日

ユニクロ裏地ジャージパーカー台風耐性

■■ 2019年10月13日 日曜日 午前10時11分
 
 今朝は曇っており、肌寒く、風もある。台風が去ったので、温かい空気が消えてしまったのだろうか。
 昨日は朝の喫茶店からの戻りが厳しかった。結局傘を差さないで、濡れながら帰った。途中、傘を差せるタイミングはいくらでもあったのだが、差してもすぐに閉じないといけなくなったりするので、面倒なので、差さないことにした。台風の風よりも、ビル風のほうがきつかった。普段からビル風が吹くところなのだが、傘を差していると、その抵抗分で、前へ進めない。傘は楯の役目をしているのだが、雨ではなく、風除けになってしまい、それがじわっと圧をかけてきて、帆を下ろさないと船が傾く。
 小さな駅に差し掛かったとき、降りてきた人が改札から出て傘を開いた瞬間松茸になっていた。ビニール傘ならそんなものだ。
 それで傘なしで風が吹き付ける中ででのユニクロ裏地がジャージのナイロンパーカーの防水力だが、これは効果があった。何か塗っているだけだと思えるのだが、いつもなら背中が冷たくなるほど濡れてくるのだが、それがない。ズボンは完全に濡れて、何ともならないが、上は無事。下に着ているカッターシャツは何ともない。染みこんでいないのだ。ポケットの中の煙草も無事。ズボンのポケットに突っ込んでいた千円札はやや湿っていた。
 それでパーカーをハンガーに掛けながら確認すると、肩のところが一部浸水。背中は大丈夫。胸も大丈夫。帽子を被っていたのだが、それも前の庇が濡れている程度。そしてパーカーのフードを帽子の上から被っていたのだが、フードも染みこんでいないのは帽子の頂上が濡れていないので、それで分かる。帽子の庇まではフードはかからなかったので、そこは濡れていない。この違いだ。明快。フードで押さえが効いていたのか、風で飛ぶはずの帽子が飛ばなかった。これはポイント増だ。
 これなら合羽代わりにはなるが、完璧ではない。合羽のように。まあ、合羽でも隙間から水が入ってきたりするのだが。
 そして、これは繊維の性質ではなく、塗っているので、数年でその効果はなくなるとか。レインコート系で油を染みこませたようなのがあるので、昔からある手法だろう。ゴムの合羽なら物理的に大丈夫だ。潜水服のように。
 これで、防水性のあるズボンをはけばほぼ完璧だ。
 お昼頃に行く喫茶店はショッピングモールつかしん内にあるのだが、台風だと閉まるようになった。既に昼を回っており、雨風共にそれほど厳しくなく、雨はやんでいるときもあるし、風も静かになっていたので、開いているかもしれない。だが前回の台風では全館閉まっていた。店の前まで行ったのを覚えている。昼から閉まったようだ。今回もそれがあるので、ホームページを見ると、流石にそれを見に行く人が多いらしく、お知らせのページが大きくあり、開いている店、閉まっている店の詳細が出ている。
 専門店は従業員の足が問題なので、全部休み。スーパー系は行けるところまで営業するらしい。そのスーパーはこのモールのオーナーである平和堂。ここは頑張って開けているらしいが、途中で閉めるかもしれないということだった。
 それで、まだ台風が通過中に、また往復して濡れたくないので、行くのをやめた。
 夕方前の喫茶店は近所のコメダ。ここはチェーン店なので、開いているはず。以前も開いていたが、その前行ったときは閉まっていた。非常に風の強い台風のときで、店の横のフェンスが傾いていた。営業している場合ではなかったのだろう。閉まっていた。
 今回は無事開いていたので、無駄足ではなかった。雨はやんでいたが、風はまだ残っており、西の空を見ると紅色。そちらは晴れ間があるのだろう。
 そして今朝は生温かかった台風接近中と違い、秋に戻り、一寸寒い。風が強いので、首元が頼りない。やはりフード系はいるだろう。ウインドブレーカーが。薄くても、それ一枚でかなり違う。風を防げば寒さはましになる。
 この台風後、半袖やTシャツ一枚で歩いている人が激減。長袖率100パーセントに近い。さらにその上にジャンパーやコート類を羽織っている人が目立つようになる。ここからが秋物の本番だろう。だから衣替え。
 台風は去ったが、晴れていない。予報では今、この時点で晴れマークが出ているのだが、陽射しはなく、曇っている。外れたのだろう。
 最近の台風は通過しても晴れないことがある。台風が来る前、曇っていたとしたら、それに戻っただけかもしれない。
 
 
 
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2019年10月12日

台風と傘差し自転車

■■ 2019年10月12日 土曜日 午前10時33分
 
 今朝は台風。それでは寝起きに行く喫茶店へ行けないのではないかと心配していたが、結果的に行けた。
 ニュースでは大阪方面よりも、東海から関東にかけてのコース取りのため、大阪は暴風圏の端っこをかすめる程度。特に交通機関が止まるわけでもなさそうなのだが、今回の台風の規模が大きいらしい。
 だからかすめるにしても、厳しいかもしれないと思っていた。その厳しさは屋根瓦が飛んだり洪水になるレベルではなく、喫茶店まで傘を差して自転車で走れるかどうか。雨はいい。傘があるので、土砂降りでも問題はない。問題は風。これで傘が差せなくなる。まあ、合羽の上下を着れば何とかなるが、それ以上強い風だと自転車そのものが流される。特にママチャリは籠などが付いているので、そういうところに風を受けやすい。骨だけの自転車ならましだろうが。
 台風のせいではないが、起きるのが遅かった。たまに風の音が聞こえていたので、これは厳しいのではないかと思えたが、飛行機の音がする。まだ朝方までは大丈夫なので、飛んでいるのだろう。最接近はまだ先なので。
 雨は大したことはなく、小雨の強い程度。この降り方なら傘なしでも何とかなりそうな気がした。ズボンなどは濡れるが、上着はパーカーを羽織れば僅かな距離なので、染みこむまでに着く。ズボンはかなり濡れても、そのうち乾く。靴下が濡れるかもしれない。歩くとぬるっと靴の中で滑るように。
 巨大な台風が来ている。これは情報だ。見たわけでも感じたわけでもない。それと場所。個人の感覚というのは、この場所で受けるもの。まあ、それが台風なのかどうかは朝は分からない。雨の日程度。感覚的にはそこまでだ。それ以上の情報はない。
 それで、とりあえず出てみようと、ユニクロで先日買った裏がジャージのナイロンパーカーを着て走り出した。当然自転車だ。雨の日、ランニングもあるまい。
 雨は大したことなく、一度向かい風を受けて、傘が重くなり、腕や手などが痛かったが、そういう風の通り道があり、そこだけ風が強い。だから、ずっと強い風が吹いているわけではない。
 外に出ている人は少ない。仲間を探すが、傘を差して自転車に乗っている人は発見できない。合羽の上下を着て走っている人はいた。これは雨の日なら、そのスタイルの人のほうが自転車乗りには多い。それで百均やコンビニで合羽を買っていたのだが、どちらも気に入らないので、使っていない。
 頭の中では超大型台風の暴風圏内に引っかかっているというのがある。しかし、ただの雨の降る日としてみた場合、それに一寸強い風がたまに吹いている程度。たまに傘が厳しくなる日、などはよくある。
 それで、無事、喫茶店まで辿り着いたのだが、問題は帰り道だろう。より台風が接近する時間。
 ただ、喫茶店もパチンコ屋も開いているし、特にパチンコ屋の自転車置き場など、いつもと変わらないほど止まっている。
 朝はまだいいが、昼は接近しているので、昼と夕方前の喫茶店は無理かもしれない。しかし、外に出て様子を見れば分かる。問題は強風。傘が差せないどころか、自転車が煽られるほどなら絶対に行けない。それがどうなるかは、現実を見れば分かってくる。
 さて、ユニクロのパーカーだが、水を弾くことは確認された。水滴ができるタイプ。丸い水滴だ。この加工があるため、少し高かったのだ。だから簡易レインコートになる。フードもあるので、それを被れば、傘なしでも何とかなる。まあ、帽子があるので、いらないのだが、風で飛びやすいので、帽子の上から、このフードを被ればいいのだろう。これは傘を差すのが難しい状態のとき、そのスタイルで戻るしかないだろう。
 しかし、徐々に風が強く、雨も強くなり始めた。最悪の場合、自転車をそのままにして、バスで戻ることだろう。
 ということを外の風景を見ながら、喫茶店内で、この日誌を書いている。
 どうも、傘は無理なようだ。歩いている人も、傘を閉じている。
 やはり、普通の高い目の合羽を買うべきだろう。そういうのを去年も考えてコンビニ合羽を買ったのだが、その後年末まで強い雨に遭うこともなかった。
 そう思っているとき、喫茶店の自転車置き場の自転車が風で倒れた。この場所で倒れるのは希。
 しかし、年寄りの背の高い人が巨大な傘を差しながら通り過ぎた。背が高いので、小さな傘では間に合わないのだろう。だが、風を受ける面積も増えるので、厳しいだろう。
 と、ここまで書き、喫茶店を出ることにする。
 
 
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2019年10月11日

ニコンから新ミラーレス

■■ 2019年10月11日 金曜日 午前9時45分
 
 今朝は暖かい。昨日からだ。台風が近付いているためだろう。暖かい風を運んでくるようだ。まだ影響は出ていないが、明日は雨だろう。今朝も曇っている。秋晴れが続き、涼しく寒くなってきていたのが中断された。この台風が去ると、ぐんと寒くなるだろう。秋の続きだ。先日までの続き。
 今朝は寝足りなかったが、しっかりと起きてきた。昨日は遅い目に起きてきたので、一日がせわしなかった。すぐに夕方になると、焦る。それに日が落ちるのが早いので、遅く感じる。
 夕方前に行く喫茶店からの帰り道が真っ暗というのは、かなり目立つ。この前までは夕日が見えていたのに。
 昨日の昼間の喫茶店は暖房でも付けているのか、暑くて何ともならなかった。昼頃は結構暑かった。これも台風の影響。しかしその前日は非常に寒かったので、調整したままなのかもしれない。
 店員が若くて新人。そういう日は冷房がなかったりする。温度調整まで気が回らないのだろう。
 今朝の朝の喫茶店は冷房がきつい。まあ、暖かい日なので、それでいいのだが、ほどほどの冷房というのを知らないようだ。故障しているのかもしれない。間が出せないとか。
 昨夜は前夜とうって変わり夏布団のままでよかった。しかも窓を開けたままでも問題なし。昼間、暑いので開けていたのだが、閉めるのが面倒。寒いと面倒でも閉めただろう。だから暖かかったのだ。こういった十度近い気温差というのは季節が分からなくなったりする。
 しかし、前日寒かったので、そのまま長袖や、さらに上にジャンパー系を羽織っている人が今日もいる。前日がそうだったので、今日も、となるのだろう。一度秋物を出してきて、着たので、そのままいってしまうのだろう。夏物を仕舞ったのかもしれない。ちょうど衣替えの頃なので。
 
 ニコンから新しいシリーズ物のミラーレスが出るらしい。フルサイズのZマウントと同じだが、フルサイズの普及版ではなく、一般的な一眼レフの受光素子の大きさ。キヤノンでいえばイオスM系だろうか。ソニーでいえばα6000系。富士でいえばその中級機レベル。
 キヤノンはフルサイズの普及機を出しているが、ニコンにはそれがない。それに無理にフルサイズにする必要がない。
 1インチタイプのミラーレスならニコンにもあるが、もう終わっている。
 ただ、今回はZマウントなので、口径が大きい。この新製品と一緒に望遠ズームや標準ズームモデル。だから、普及機だが少し大きいそうだ。キヤノンイオスM系や富士に比べて。これで500グラムほどだろう。イオスキッスやソニーなら300グラム台。こちらの方が軽快かもしれない。
 背面液晶が上下回転式なのはいい。横開きよりも使いやすい。横開きは開けるとき、爪が痛いし、固いので、引っ張り出すのが面倒。引っ張り、捻り、回転と、動作が多すぎる。まあ、ミラーレスなので、液晶で写すことが多いはずなので、使いやすいほうがいい。
 キットレンズで、ダブルズームキットなどの売り方ができるので、店頭に出しやすいだろう。だから近所の家電店でも見ることができるはずだが、来月だろうか。
 しかし、ダブルズームキットは使いにくい。高倍率標準ズームの方が好ましい。そのうち出るだろうが、Zマウントのレンズそのものが少ない。
 これなら、ソニーα6400あたりのほうがよかったりする。安くて軽いのはキヤノンイオスキッスMだろうか。イオスキッス系なので、初心者向けで、ゴチャゴチャしていないカメラで、フルオートしか使わない人なら、これで十分。
 まあ、そういうキヤノンのミラーレスのダブルズームキットなどを買うよりも、キヤノンミラーレスのSX70のほうが実用性が高い。去年の年末に出たときに買っているが、これはミラーレス殺しだ。21ミリから1400ミリ近くあるので、何でも写せる。一番利便性が高い。
 イオスM3を持っているが、あまり使わないのはその利便性だ。300ミリまでの望遠では物足りないためだろう。写りの差はほとんどなかったりするし。
 
 
 
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