2019年12月31日

大晦日

■■ 2019年12月31日 火曜日 午前10時33分
 
 今朝は曇っており、ぱらっと来そうだが気温は高い目だろうか。寒くない。風が暖かいというと変だが、冷たい風ではないので、助かる。
 いよいよ大晦日となり、今年も今日で終わる。これは毎年決まっており、12月で終わらなければ13月14月と続く。年で切っているので二桁で終わる。ただ、西暦は長ったらしい。そのため、上二桁を省略することがある。明治、大正、昭和、平成、令和なら二桁ですむ。ただ一桁で終わることもあっただろうが。これはまたがると繋がりが分かりにくくなる。ただ、呼び名がつくことで、イメージがすぐに来る。西暦で言われても数字なので、イメージの来方が遅い。一度何かにバウンスさせてから辿るようだ。
 並行してよくあるのが昭和三十年代とか四十年代とか、西暦の60年代とか70年代とかだ。昭和は長いし、戦前、戦中、戦後ではがらりと変わる。
 平成何年代とかはあまり聞かない。区切らないでも分かるような感じ。
 大正は15年ほどなどで把握しやすいが、明治と昭和はいつ終わったのか、忘れている。また、明治百年などとも言われていた。徳川の世が終わってからの数え方だろうか。
 明治などは結構近い。明治生まれの人がいたし、それ以前の江戸時代の人もまだ生きていたので。
 そして、どの時代の人も、大晦日や正月を迎えたのだろう。いつ頃から大晦日を意識しだしたのかは知らないが。
 今朝は遅い目に起きてきたので、また一日が遅れがちになるが、大晦日ならいいだろう。早い目に目が覚めたのだが、早すぎたので、また寝た。その時間起きても喫茶店が開いていなかったりする。いつもなら開いているが、年末年始は営業時間が変わるので、少し遅い目に開く。
 元旦は朝の喫茶店も休みで、二日目からは開くが遅い時間に開くので、間に合わない。四日目から平日通りになる。それまでは個人喫茶に行くしかない。高いが。
 昨日は夕方の喫茶店から戻るとき、道が淋しいのが気になった。ちょうど通勤の自転車と重なる時間。その自転車がいない。それに歩いている人もいない。
 30日なので、もう休みになったのだろう。ただ単に自転車でウロウロしている人は元々少ないので、いつもの裏道は無人。
 スーパーは混んでおり、レジに行列ができていた。雨模様なので、客は少ないはずだが。
 結局昨日は正月用の食べるものなどは買わなかった。まあ、食べる物がなくなっても、食堂などは開いているし、コンビニもあるので、問題はない。ただ、餅はまだ買っていない。突き立ての軟らかい餅が欲しいところだが。これはギリギリで買うのがいい。早い目に買うと、固くなってしまうので。
 まだ軟らかい餅で雑煮を作ると、作りやすい。すぐに溶けてくるからだ。かなりとかして食べる。ドロドロの汁を飲むような感じだ。その汁をご飯にとろろのようにかけて、とかは流石に考えない。ご飯でご飯を食べているようなものなので。
 しかし、今年の年末、押し迫ってきた最終日近くでの天気が一寸悪い。あまり例がないのではないかと思える。これを例年になく、となるのだろうが、調べればあるかもしれない。数年前か、数十年前の、その日の天気は記録されており、ネットで見ることができる。一時間置きの気温や雨量や風速、風向きなども。
 しかし、今日が大晦日だと思わなければ、ただの天気の悪い日だろう。
 それほど大変なことにもならず、年を越せるだけでも幸いだろう。
 しかし、一寸先は闇。これは誰にでも当てはまる。
 
 
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2019年12月30日

正月の買い物

■■ 2019年12月30日 月曜日 午前11時04分
 
 今朝は雨。押し迫ったときの雨は、正月の買い物とかでは厳しいだろう。普段よりも荷物が多い。人出も多い。
 雨の日は、スーパーの駐輪場などはがら空き。しかし、今日などは雨でも客で一杯だろう。しかし、雨だし、寒いし、冷たいので、自転車移動は大変。普段より買い物袋は多いはず。
 まだ帰省ラッシュは続いているようで、車が多い。年末のややこしい時期だ。朝の喫茶店も、客が多い。今朝は寝過ごして、かなり遅い目に来たのだが、この時間はがら空きのはずだが、満席近い。色々と正月の買い物とかで来ているのだろうか。仕事納めは済んだのだろうか。
 これが明日になると大晦日なので、さらに押し迫り、気忙しい。しかし、町は夕方を少し過ぎたあたりから変わる。早い目に店が閉まり、静まる。
 まあ、買い物を何処でするのかにもよる。昔ながらの商店街は年中人は少ないが、通行人はそれなりにいる。駅前とかなら。
 正月の用意として飾り物がある。正月飾りだ。少し長い目のものを持った人が、昨日は歩いていた。レジ袋に入りきらないのだろう。
 ショッピングモールなどは駐車場があるので、雨でも、さっと行け、さっと戻って来れそうなものだが、駐車場が混んでいたり、そこで渋滞していたり、また、入るとき出るときも、歩道を挟んでいると、なかなか入れないし、出られない。当然車道は車が通っているので、割り込むことになる。なかなか一般道に出られない。整理員が誘導しているが、駐車場から車の列がまさに長蛇。遠いところから来ているのなら別だが、自転車の方が早かったりする。
 雨なので、雪が降るほどの寒さではないが、雨が冷たい。風がないだけ幸い。
 来週の今頃は仕事始めだろう。今年も今日と明日を残すのみ。毎年そんなことをいっているが、この時期の30日とか31日とかは意識的になる。文句なく年末。年末中の年末。
 雨で寒いが、朝の喫茶店内は暖かい。こういうときはもうあまり動きたくないが、帰りの道もある。まあ、よくある雨の日の道だが、あまり良いものではない。昼や夕方にも外に出るので、雨では難儀する。一日中雨の日は年に何度もあるが、この押し迫ったときは遠慮してもらいたいものだ。そして正月の最低気温を見ると氷点下になっている。その状態で雨が降れば、これは雪だろう。ただし、瞬間最低気温なので、一日中ではない。しかし、昨日今日よりも寒いようだ。
 それで、年内の用事は今日中に済ませ、大晦日は何もしないで、ゆっくりしたいものだ。明日に延ばせる用事もあるが。
 しかし、用事と言っても、平日と変わらない。餅ぐらいは買いたいものだが、つきたてがいい。手にしてまだ柔らかいタイプ。スーパーで見かけたことがあるが、まだ早いと思い、買わなかったが。
 これを買うとご飯がいらない。しかし、年内はまだ食べないので、正月用。まあ、元旦の朝に雑煮を食べる習慣のようなものがあり、その日だけは雑煮が食べたいもの。百均でも売っているのだが、ゴムのような餅が多かったので、買うのを避けている。
 餅屋の餅があり、まだ切っていないタイプで売っている。これを切るのが年末の行事。まあ、昔は町内で餅つきをし、数軒の正月用餅を大量についていたのを思い出す。今は餅つき器があるので、屋内でできるが、庭に裸電球を付け、炊きたての餅米から出る湯気が綺麗だったことを思い出す。そしてあん餅などは、出来立てを、その場でおやつとしてもらえたりした。あん餅だけは流石に丸める。近所のおばさん達が、それをやっている。犬が来て、見ている。犬は喉に詰めるはず。犬も欲しそうな顔をしているが、食べない。
 年末の大掃除もあり、畳を叩いたりしていたのだが、もうそんな光景は見ない。
 餅はスーパーへ行けば、いくらでもパックものがあり、いつでも買える。正月から店は開いており、その日に餅など買えば済む。
 今朝は遅起きだったので、さらに一日が短くなる。そして出遅れているので、さらに気忙しい。
 もうあと少しで年越しなのだが、その際際で大変なことになる可能性もある。
 だからこそ、無事に越せると、めでたいのだろう。
 
 
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2019年12月29日

X9標準ズーム撮影

■■ 2019年12月29日 日曜日 午前10時56分
 
 今朝は晴れている。雲が少なく、いい感じだ。青空が拡がっている。しかし、寒い。夜も寒かった。昨日も寒かったので、重い目のコートを着る。これはダウンコートだろうか。丈がある。腰まで隠れるので、自転車に乗ると、サドルの上に来てしまう。だから裾が下敷きになるほど。綿入りでナイロン生地だが、ボコボコとイモムシのようなものが出ていない。そのため、中に空気が入って膨らむ感じではない。これはもの凄く高く一万円中程だがレジにて半額の日に買っている。それでも高いだろう。まだ高い。
 フードも付いているが、内側にビロード。またエリは独立しており、ボリュームがあり、裏側はこれもビロード。着るとき首にあたった瞬間、もう暖かい。内ポケットが大きく、しかも三つある。両胸に二つ。下側に一つ。ビロードと言っているが、これは熱を発する生地ではないかと思われる。
 表側のポケットは六つ。胸に縦切りが二つ。腰に二つあり、それは水平開きで、その横に縦切りがそれぞれあり、縦切りポケット内はビロードで、手を入れると暖かい。まあ、手を突っ込むだけのポケットかもしれない。メインポケットは大きく深いので、パンケーキレンズ付きミラーレス程度なら入るだろう。まあ、冬場しか携帯できないが。
 これが一番の重装備だろう。しかし、9個あるポケット、使うのは腰の二つ程度だが。
 これで装備を一段上げた感じになる。正月も近付き、このあたりから本当に寒くなり、暖かい日はほとんど来なくなるので、大袈裟な格好をしていて暑かったというような日はないだろう。ある方がいいのだが、ますます冬の底へと向かう。
 昨日は早い目に起きたのに、今朝は遅い目になっていた。かなり遅い。まあ、満足のいくまで寝たので、いいだろう。特に二度寝や三度寝をしたわけではないが。
 昨日は早起きの恩恵で、夕方前に行く喫茶店が暗くなり出しているどころか、まだまだ明るい。それで、いつもの場所ではなく、昆陽方面へと向かう。方角が逆だ。昆陽の中古屋がある場所で、ショッピングセンターのイズミヤがある。だから夕食のおかずなども買って帰れる。
 このとき、寒いので、先ほどのコートを羽織った。寒いので行くのが面倒だったが、それを着ると、暖かいので、寒さも平気だった。まだ真冬ではないので、そんなものだろう。
 中古屋でカメラを見るが、以前と同じ。動きが全くない。ニコンのF4などが嘘のような値段で出ている。フィルム時代の戦艦一眼レフだ。最高機種。プロ用だ。まあ、飾りだろう。買っても。
 昨日持ち出したのはキヤノンキッスX9だが、レンズは標準ズームなので、大人しい。撮影に行く気はないが沿道は写す。ただ、あまり撮影ポイントはない。
 曇っており、雲が黒い。夕焼け前なのだが、焼けないし、陽もない。
 そのとき、夕日が少しだけ射し込んだ。スポットライトような斜光。これだけでなんでもない住宅地なのに絵になる。一眼レフのファインダーで覗くと素晴らしい。綺麗だ。電子ファインダーではそうはいかない。澄み方が違う。そして快いよいシャッター音。写した気になる。この充実感が一眼レフならではのものだ。斜光の美しさ、それを生で見ているわけなので。
 カメラ屋を出て、個人喫茶に入る。もうお爺さんになってしまったマスターがいる。ピザの店だが、普通の喫茶店だ。イズミヤに接する商店街だ。
 客がマスターに話しかけている。お婆さんだ。顔を見に来たと言っている。まだ、店に出ているかどうかの安否確認だろうか。お爺さんは膝をやられたといっている。しかし、歩けるし、注文も聞きに来られる。
 昆陽へ行ったときは、必ずこの店に入るのは、ここしか喫茶店がないためだ。イズミヤ内のフードセンターにあったのだが、潰れている。ここは安かったし、客も多かったはずなのに。
 店を出てイズミヤ内でおかずを買う。昆布巻きの小さいのとか、焼き鮭とかも買う。おかずだけでいい。弁当類はいらないので。野菜の値段が上がっている。
 先ほどの喫茶店の横に八百屋があり、大きな大根が100円だったので、それも買っている。それはイズミヤ内のスーパーには持ち込まず、自転車の籠に入れたまま。誰も盗らないだろう。
 この大根全部切って大根炊きし、冷凍することにするが、まだやっていない。
 戻り道は流石に早起きの貯金も切れたのか、暗くなり出した。日は沈み、もう暗いが、空はまだ僅かに明るい。
 交差点などで行き交う車や、背景のネオンなどを写した。特に明るいレンズではなく、暗いキットレンズだが、問題なく写せる。
 広角側は28ミリでもいいが、望遠が足りないが、これは縛りもので、85ミリまでで写すという写し方に変える。
 流石に単焦点の50ミリとかだけで写すのは苦しい。標準レンズオンリー撮影はフナ釣り。最も難しい撮影になる。
 しかし、標準に始まり標準に終わるというのは、かなり前の話で、フィルム時代から既に標準ズーム付きで一眼レフは売られていた。だからAF一眼時代は標準ズームがフナ釣りになるのではないかと思える。
 魚釣りの話で、子供はフナから始める。そしてどんどん魚を変えていくが、年取ってからはまだ子供時代のフナに戻るらしい。それでフナ釣りに始まり、フナ釣りに終わるというのだが、一番簡単なフナ釣りが一番難しいと言うことらしい。奥が深いと。
 ただ、昔の標準ズームは35ミリから70ミリだった。今は28ミリから85ミリか、24ミリから70ミリあたりまでだろう。だからズーム比は拡がっているが。
 パナソニックの標準ズームに24から120というのがある。臭いところをついてきたレンズだ。このあたりが一番都合がいいだろう。広角側に一段伸び、望遠側にも一段伸びているので。
 一眼レフでよくあるのは28から200相当の標準ズーム。しかし、結構重いし、レンズも長い。これもキットレンズでよく見かけるが、中級機だろう。だからカメラもレンズも重くなる。
 今日は29日。あと二日しか今年はない。12月は早い早いと言っているうちに、早くも末まで来てしまっている。
 
 
  
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2019年12月28日

古いキット望遠ズーム

■■ 2019年12月28日 土曜日 午前9時02分
 
 今朝は晴れているが、晴れている日の朝は寒い。夜も。
 今回はすっきりと晴れている。高気圧がどうのという話は見ていないので、分からない。また高気圧や低気圧は見えるものではない。ただ、気圧は感じることはできる。また低気圧の時は天気が悪いことが多いので、雲が多い。だから、気圧は見えないが、それなりに見える。要するに晴れておればいいのだ。とりあえず晴れなら。雨の日よりいいという感じ。雨風が影響するのは外での移動中だ。そこだけが都合が悪かったりするのだが、個人的なことだろう。水不足のときなどは雨が降った方がいい。もの凄く願っていたりする。祈祷してまで。
 だから雨が降れば大喜びすることもあるはず。そういうシーンは日常内では見ない。時代劇でたまに出てくるが。
 いずれもそれらは都合だ。別の都合の人もいるので、一概には言えない。主張とは、自分のことばかり言っているように聞こえたりする。同じ都合を持つ人なら同調するだろうが。
 天気予報を見ていると、大晦日から元旦にかけて寒いようだ。氷点下になっていたりする。除夜の鐘あたりに出掛けるのは厳しいだろう。寒いが、出掛ける人がいるのは人が多く集まるためだろうか。誰もいないところなら、行かなかったりする。だから、誰も行かない場所なのだ。
 いよいよ押し迫ってきたのだが、個々人の事情は個々に違う。微妙な違いなら、同じようなものだが、同じ個人でも、毎年違うだろう。
 今朝は珍しく早い目に起きてきた。まずまずの時間ではなく、早い。もの凄く早くはないので、ただ単に早いだけ。特別な早さではなく、いつもより、やや早い程度。これを早い目というのだろうか。
 昨日は自転車で、少し遠い目のところへ行こうとしたが、寒いので、途中でやめた。寒さに耐えるだけのいいことがあるわけではないので、寒いだけだったりすることが多いので、引き返した。
 まあ、寒い中、出ていっただけのことはあるかもしれないが、これは出てみないと分からない。
 やはりこの季節。自転車でのんびりと走るのは無理なようだ。のんびりできない。夏場の暑いときもそうだ。
 しかし、短距離なら問題はない。すぐに戻れる距離なので。だから近場をウロウロするのがいいようだ。バスとか電車に乗れば遠くまでいける。自転車より徒歩の方が寒くはない。
 31日まで僅かだが、土日などが入るので、平日の何でもない日を探すのが難しいほど。1日しかなかったりする。31日を入れなければ。
 
 昨日は先日買ったキヤノンイオスキッスX9に望遠ズームを付けて写す。このレンズ、かなり昔に中古で買ったX2のキットレンズ。初代の次ぎに出た軽く小さい一眼レフの二代目。今は10まで来ている。
 欠品の多い中古で、バッテリー系が駄目で、残っていたバッタリーを使い切ったところで、終わった。しかし、レンズ二本は残ったが、どれも古い。
 しかし、望遠ズームの形は今のとそれほど違いはない。ただ最短撮影距離が1メートル10センチと一般的だったが、今のは75センチあたりまで寄れるようだ。それとAFのモーターが違うので、早くて静か。それと手ぶれ補正も一段ほど高いかもしれない。レンズの型番はSが付いているタイプが出る前だろうか。
 しかし、新しい目のX9に付けて写すと、鮮明に写る。X2のときとはかなり違う。
 400ミリ相当の望遠なので、大したことはないが、ズームリングも柔らかく、軽く回せる。X9とのバランスもいい。レンズとボディーの重さが似ているためかもしれない。
 鳥などは小さくしか写せないが、風景の中に鳥がいるという感じでなら写せる。そちらの方が構図としてはいい。鳥のアップばかりでは図鑑だ。
 まあ、そういう鳥や猫はネオ一眼に任せておいた方がいい。
 
 
 
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2019年12月27日

イオスキッスX9の続き

■■ 2019年12月27日 金曜日 午前9時50分
 
 今朝は晴れているが雨が降っている。虹まで架かっている。その虹、かなり大きい。高いし長い。しかし青空も拡がっているので、薄くてよく見えない。
 陽射しがあり、そのため雨もよく見えないので、降っていないように見えるが、実は降っている。おかしな天気だ。空が荒れているのかもしれないが、風がないので、穏やかに見える。
 寒いが、みぞれでも雪でもない。細い雨だ。
 来週の今頃は正月三が日の三日目、最終日。翌日は正月明けとまでは言えないのは、まだ休みのためだろう。正月休み明けが、正月明けになる。これは学校や会社の休みから見たものだろうか。正月三が日というのは確かにあり、神社とかでは三日まで元旦と同じ様子だが、四日になるともう屋台なども消え、平日に戻っている。
 この三が日は、亜空間のようで、何処に属している三日間なのかが分かりにくい。まあ正月に属しているのだろう。その正月とは何かとなると、これもよく分からない。誰がいつ言いだしたのか、始めたのか。
 この正月、何も情報がなければ、何もないだろう。
 しかし、大晦日、新年が徐々に近付いて来る。毎年、そんなことを言っているのだが、こういうのを恒例という。決まり事なのだ。その意味は知らなくてもいい。分かっているのはそう決まっているという程度。色々な意味はあるだろうが、古すぎてピンとこなかったりする。
 それより年が明ければ正月で目出度い。何が目出度いかよりも、目出度く思えることだけで目出度い。年が明けるとめでたい。別に何もしていないのだが、朝、目を覚ますと新年でめでたい。または12時を回ると新年で、これもまためでたい。
 これは無事年を越えたためだろうか。それとも新年が来ることがめでたいのだろうか。来るのは分かっているが、真新しいのでめでたいのだろう。
 年を一つとるのは誕生日から。新年を迎えられることがめでたいという意味もある。無事、一年生きていたことに対して。まあ、生きているだけ、と言うのもあるが。
 当然、あまり良い年越しではない場合もある。良い年ではなく、悪い年で、それを引き継いだまま次の年も迎えるとなると。
 良い年でありますように、とは悪い年があると言うことだ。
 悪い年を引き摺ったままの新年。しかし、これは新しいので、未知を含んでいる。どう変化するか、まだ分からない。良い年になる可能性もある。
 いい年を完璧に迎えた人でも、餅でやられることがある。
 
イオスキッスX9の続き
 紙のマニュアルが入っていたのだが、レンズのマニュアルがない。キットものの場合、付属レンズの詳細が、カメラのマニュアルの中に書かれている場合もあるが、それがないどころか、カメラそのもののスペックなども記されていない。流石初心者向け。しかしコンパクトデジカメでもそれぐらいは載っているのだが、紙のマニュアルがないほうが多い。
 しかし、マニュアルは分かりやすく、また、写し方の方法なども記されている。具体的に。だからカメラの本を買ったようなものだ。
 標準ズームの最短撮影距離などは分からない。20センチ程度まで寄れるのではないかと思える。ネットで一度見た覚えがある。かなり短い。全域で。しかし、マクロレンズほどでもない。一番大きく写せるのは望遠端で、20センチ近くまで寄れるのだが、それほど大きく撮し込めるわけではない。
 まあ、ほどほどのアップが撮れる程度。小さな花などを大きく写すと、逆に小さな花であることが分からなくなったりする。意外とそのほうが、小さな花を写したと言うことが分かっていいのかもしれない。
 
 流石に受光素子が大きいためか、近距離のものを寄って写すと、背景がボケボケで、何が写っているのか分からなくなる。絞ればいいのだろうが。
 そういうとき、絞り優先とかにしないでも、背景ぼかしの調整ができるモードがある。
 クリエートモードだろうか。ここに合わして撮影すると、絞りを変えられるようだ。バーが出て、右へ行くほどくっきりとなる。初心者向けで、まずはそれで試してみるのだろう。そして、そんな回りくどいことをするのが面倒とか、手間がかかるとかになると、絞り優先モードに行けばいい。こちらだと数値でセットできる。しかもセット画面が大きいので、絞り値だけが変化するのではなく、絵図で大きく見せてくれる。
 受光素子の小さなコンパクト系の場合、絞り優先など必要ではない。全てレンズは開放。かなり明るいときにしか、絞られない。シャッターでできるだけ稼いでいる。開放以外にしたくないのだ。画質が悪くなるためもあるが、絞りの段階が二つか三つしか無いこともある。
 だからフィルム時代に近い、このカメラでは絞り優先とかシャッター優先で使う人が多いかもしれない。背景をそんなにぼかしたくないとかの問題があるので、フルオートでは満足できなかったりしてからの話だが。こういうとき一インチサイズのカメラだと、もの凄くボケないので、丁度いいかもしれない。
 一眼レフなので、光学ファインダー、ボケは開放でしか見えない。だからかなりボケていることになる。絞り込みボタンが、このカメラにはあるので、それを押して覗くと、ボケ具合は分かるが、画面は暗くなり、逆によく見えなかったりする。ただ、道端で、ゴソゴソ、そんなことをするゆとりはない。写す前にセットしておくべきだろう。
 まあ、背景がボケて欲しいと思っても、レンズそのものがキットレンズで暗いので、開放でも絞られた感じなので、それほどボケてくれないが。
 しかし、コンパクト系よりも、手前ボケや背景ぼけがそれなりに分かるほどなので、受光素子の大きさは、ここで発揮される。だから柔らかい写真や奥行きがあるような写真になったりする。
 こういうのは一度写すと、その味を覚えるので、前後関係を見て、大凡どんな感じになるのかが分かるようになる。
 最初の一枚は偶然が多い。そんな意図などなくても、偶然そういう風に写っていたとか。まあ、意図しても、そのようにならない場合もある。
 絞り優先モードに入れた場合、何処に絞りを持ってくればいいのかが分からなければ、暗いレンズなら開放に合わせておけばいい。露出オーバーには滅多にならないはず。開放が暗いし、シャッタースピードも高い目があるので。
 二段ほど絞れば一番鮮明という説があるが、別の説では開放がベストという説がある。そのレンズの特徴を一番よく引き出すとか。絞れば個性が消えるとか。まあ、悪いレンズなら、絞って誤魔化した方がいいのかもしれないが。
 開放にしておけば、暗くなっても、そのまま写せる。ピントが全部合った写真を写したいのなら、広角端にすればいい。そしてあまり至近距離にピントを合わせないようにすれば、深度が深いので、その範囲内に入るはず。二メートル半ほど先なら結構ピントが行き渡るはず。
 だから、ピントを合わす場所が大事。これで深度が決まり、ボケ具合が決まるので。ただ、広角ではよく分からないが。
 そういうのに敏感なのは50ミリ標準レンズ。先ずレンズが明るいし、広角でも望遠でもないニュートラルで、中途半端な画角なので、ピント位置でがらりと変わる。ただ、数メートル先までで、遠いところだと、それほど変化はない。
 標準ズーム特有の距離があるのだろう。一メートル半から数メートル先にあるようなものとか。
 まあ、このイオスキッスX9は、そんなことを思い起こさせるカメラで、一眼レフの使い始めの頃を思い出させてくれる。
 ただ、フルサイズカメラではないので、50ミリが80ミリになったりし、35ミリが50ミリになったりするので、少し違うが。
 
 レンズの詳細はパッケージにないので、ネットで調べる。これを買うとき、レンズ一本付きとなっており、どういうレンズが付いているのか、その詳細さえなかったのだが、まあ、展示品なのでレンズは付いたまま飾ってあったので、それで分かるのだが。非常に扱いが荒っぽいレンズだ。
 これは最新の標準ズームで、その前のタイプよりも開放が少し暗くなっている。F4だ。その分少しだけ小さくなっている。だからS系一眼系でキットもので使われるレンズ。当然単体販売もされている。ただ、白のレンズはレンズだけの販売はないかもしれない。
 最短撮影距離は20センチ少し。だからレンズ先端からでは10センチほど寄れる。85ミリ側でも寄れる。全域同じだ。これは分かりやすい。
 ここはもうコンパクトデジカメと同じほど寄れると言うことだ。オリンパスのコンパクトデジカメは最短撮影距離が長い方だが10センチ。まあそれと同じなので、コンパクトデジカメ並。ただ、広角端だけではなく、望遠端でも寄れるのがいい。広角端だけなら1センチとか、キヤノンなら0センチまで寄れたりするので、キヤノン系から見れば、10センチは、少し長いと言うことだが、10センチまで寄れるのなら、気楽だ。あまり最短撮影距離など気にしなくてもいい。
 これは28ミリから85ミリの大人しいズーム比のためだろう。
 
 AFは背景がゴチャゴチャあるところにある細いものや小さなものでも意外とさっと合う。これは一寸驚いた。これならマニュアルフォーカスなどいらないだろう。
 フォーカスエリアは一眼レフ系なので、広くはない。中央部周辺だが、左右に結構長い。上下もある。そこに数点の測距ポイントがある。ミラーレスのもの凄い数の測距点と比べるともの凄く少ないが、画面端にピントが来てしまい、面倒なことにならなくてもいい。
 このカメラのAF方式はかなり古いので荒っぽいが、シンプルで分かりやすい。中央一点は明るいところなら、印が見えるで、そこに命中させればいい。これが一番確実だ。ファインダーに黒い線で印が書かれているだけなので、暗いところでは黒い線は見えにくいが。
 全部の測距点を使っても、それほど多くない。中央部から出ている菱形状の範囲だろう。命中すればその箇所に赤いポーズが入る。距離が同じものなら複数のネオンが一瞬だけ灯る。ほとんどこれで写せる。
 中央部が一番感度がよく、性能がいいので、できるだけ中央部に被写体を置いて写すのがいい。中央部重点で。まあ、スナップとかでは構図を変えたくないので、端でピントを引っかける感じが多いが。それほど端にはピントが来ないのがいい。
 このあたり、ドタバタとしたミラーレス系に比べ、大人しい。
 どうしても周囲にピントが来そうな場合は、一点にする。全部か、一点か、その切り替えだけでいいだろう。測距点を移動できるが、面倒だ。中央でピントだけもらって、構図を変えて写した方が早い。
 一度変えると学習するようで、次回も覚えている。そしてプログラムモードと、フルオートモードでは、別々に覚えるようで、これはコンパクト系によくある使い方ができる。撮影モードダイヤルを回した方が早いので、それで、一点か、全部かを切り替える。
 それらの切り替えは、液晶で大きな絵のガイドが入るので、非常に分かりやすい。裸眼でも見える。これは露出補正のバーも画面一杯に出るので、よく見える。しかも明るい側とか、暗い側とかの説明も入っていたりする。
 これは入門機であり、初心者向けカメラなのだが、年寄りカメラのように、文字が大きく、分かりやすい。
 カメラもイオスキッスでは一番小さく、軽い。負担が少ない。
 一眼レフの泥臭さがなく、軽快で明るいカメラだ。メカメカしたカメラではなく、ボタン類も柔らかな押し具合で、カチカチ言わない。
 それと樹脂製なので、冬でもカメラは冷たくならない。
 
 T字型でグリップがしっかりとあり、非常に持ちやすく、構えやすい。指が痛くならない。カメラがぐらぐらしない。そしてすっきりとしたファインダーで、カシャッと写す。軽快なシャッター音が快い。これは写すだけでも楽しいカメラだ。
 
 
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2019年12月26日

キヤノンイオスX9の続き

■■ 2019年12月26日 木曜日 午前10時15分
 
 クリスマス明けは雨。これは昼過ぎからはやむらしい。雪のクリスマスになりかけていたのだが、クリスマス寒波でも来ない限り、大阪方面は雪にはならない。平地では。
 それに雨は今朝なので、ズレている。クリスマス明けの雪になるが、暖かいので雨。しかも小雨で、傘はいらないほどだが、喫茶店までの道中、少し濡れた。水滴が浮いている。防水性の証明。
 このダウンジャケットは今年買ったもので、ずっとそればかり着ている。能書きは防水性があるとなっていただけ。防寒や防風、蒸れ対策、等々色々な能書きを貼り付けたカードの多いのがあるが、そちらの方が安かったりする。
 高い目のブランド冬上着などを見ていると、防水性さえない。何もない。能書きや効能は一切なかったりする。金持ちなので野外でウロウロしないのだろう。ゴルフなどでも傘を差してもらうのだろう。王様のような大きな傘を。
 冬は屋敷内。外に出るときも車なので、自転車でウロウロする服装とは違う。
 しかし、昔のような一見して身分の高い人や金持ちを見かけない。まあ、町内には来ないだろうが、服装だけでは分からない。何かの儀式でもない限り。
 昨日は暖かかったので、自転車散歩にはもってこいで、十日間予報を見ても、そんな日は見当たらない。ちょうどクリスマスの日だし、カメラも買ったところなので、出掛けやすかったのだが、あまり写す気がしないのと、のんびりしていたかったので、冒険は避けた。
 その代わり、夕方、旧友とばったり道で出会った。もう死んでいるのかと思っていたのだが、生きていたようだ。ここ数年出くわさないので、てっきりあっちへ行ったと思った。病気だったし。
 昨日はコンビニでクリスマスケーキを買う。丸いやつもあったが、三角にする。それが二つ入っていて100円引きだった。まあ、普段から売ってあるやつだが。イチゴが固かった。この三角のケーキ、一口だ。それと天麩羅蕎麦を買う。かき揚げだ。クリスマスと大晦日をこれで越したような気がした。年越し蕎麦はカップそばでいいだろう。普通の蕎麦では食べきれなかったりする。夜中なので。それに腹もそれほどすいていないはず。それを夕食とするのなら、しっかりとした蕎麦がいいが、それでもこれ一食では頼りないので、おやつがいるだろう。
 立ち食い蕎麦屋での年越し、かやくご飯を付けて豪華に、もいい。
 来週の今頃は正月の二日目。今年はもう一週間を完全に切っている。まあ、用事は30日手前の29日までだろう。30日になると、もうあと一日しかない。
 年末年始、特に何も起こらないが、年越しというのがある。これは寝ていてもできるが、目を覚まさない人もいるだろう。
 
キヤノンイオスX9の続き
 買ったのは夜なので、明るいところでの撮影を翌日実行。
 暗いところでのフルオート撮影では感度上限は6400あたりで止まるようだ。まあ、昼間なら感度上げは必要ではないが。
 フルオートだと一寸暗いと昼間でもストリボが立ち上がる。これは癖が悪い。ストロボをオフにしても、電源を入れ直すと、覚えていない。そのため、ストロボを使わないモードがその横にある。
 初心者向けカメラなので、手ぶれしたり、感度を上げすぎないように、ストロボを使わそうとしているようだ。まあ、花などを写しているとき、ストロボが勝手に立つのはいいかもしれない。わざわざストロボを使おうとは思わないためだ。それに便乗してもいい。
 昼間見るファインダーはクリア。すっきりしている。ここが光学式ファインダーの良さ。そしてカシャッと鳴るシャッター音が小気味いい。余韻を残す音なので。これは前回も書いたが。
 ポケットに同じキヤノンの旅カメラを入れて、日常移動中に写す。28から80あたりのズームなので、望遠がないためだ。旅カメラならポケットに入るし1000ミリ近くまで写せる。ファインダーはないが、小さく軽い。キヤノンコンビだ。
 写りは悪いはずがない。それよりも、カメラを取り出し、電源レバーを引いた瞬間、さっと写せる。このスピードは流石だ。光学ファインダーなので、電源が入っていなくても見えるためだろう。しばらく真っ黒なファインダーを見て起動待ちするのに比べて文句なく早い。
 手動ズームなので、写す前にもう画角は決まっているので、そこにあわせればいい。広角と望遠、その中間、それしかない。ズーム比が低いので、選択肢は少ない。
 望遠で先ず写して、すっと戻して50ミリあたりでもう一枚、とかもやりやすい。望遠と言っても80ミリほどなので、標準レンズと変わらないのだが、一応中望遠だろう。広角も28ミリで、今は24ミリが多いので、それほど広角とは言えないが、28ミリはやはり広角で、標準画角内ではない。35ミリなら標準域と見てもいい。
 いつもなら、ほとんどメインとして使わないようなズーム比で、望遠がないので、写すものが減る。ほとんど望遠で写しているので。
 それでも80ミリあたりでそれなりの構図を取って写した。望遠の方が優しい。主要被写体を切り取ればいいだけなので。それができないので、周囲を構図として取り込みながら絵作りをしないといけない。これは勉強になる。
 猫と遭遇したので、このときは旅カメラで1000ミリ近くまで伸ばしてアップを写す。ファインダーがなくても、何とか写せる。カメラも小さいので、ブレやすいが。
 このキットレンズの最短撮影距離がかなり短いので、全域でかなり寄れる。
 小さな花が咲いていたので、それを最接近して写す。そうでないと小さすぎるので。ファインダーで覗くと、綺麗だ。既に絵になった像ではなく、生の花を見ているためだろう。こういうときは一眼レフの方が充実する。
 夕方は夕空を写したのだが、空にもピントが合う。フラットで雲が薄いと、AFは苦手なはずだが、しっかりと合うので、これは満足。
 フルオートだと、AF測距窓。フレームだが、複数出る。どこかで合うという感じだ。違うところに合う場合、一点に切り替えられる。そのボタンが良いところにあり、それを押すと動かせるが、十字キーの真ん中のボタンを押すと、一気に中央一点になるので、都合ボタン二つ押せば多点から一点へさっと切り替わる。これは便利だ。
 ただ、電源を入れ直すと、戻っている。これはフルオートの場合。
 まあ、普段は多点でいいだろう。
 
 感度は二万台まで上がるが、フルオートではそこまで上がらないので、プログラムモードに切り替えないといけないが、6400まででほとんどの夜の風景などは映ってしまうので、そのままフルオートでいいだろう。80ミリまでしかないので、スローシャッターでも行ける。ただ昼間のように写すのなら別だが。
 できるだけ操作をしたくないので、撮影ダイヤルなども回したくない。ストロボを使わないのなら、フルオートのストロボ禁止のダイヤル位置に固定しておけば、何も触る必要はない。
 ただ、このカメラではフルオートでは露出補正は使えない。だが露出は結構いいので、白飛びしそうな白いものなどでもそのままでもよかったりする。
 だから一眼レフコンパクトデジカメ、所謂バカチョンカメラ作戦だ。このカメラは一番安いタイプで、コンパクトデジカメよりも安かったりするので、それが似合っている。
 黒バックに白いものなどは露出補正が必要なようだが、これはスポットライトとして認識してくれれば、背景の暗さに引っ張られない。
 またAFの合致位置などからの推測で、評価が変わるようで、結構賢い。それがもっと進めばAIカメラになるのだが、徐々にそうなっていくのだろう。
 しかし、初心者用にわかりやすいガイドがあり、それに従っていけば、そういう設定になる。始めてカメラを触る人なら、これは分かりやすくていいだろう。
 
 小さなコンパクトデジカメと違うところは、持ったときの安定感だ。こちらの方が振り回しやすいし、構えやすい。それでいて、それほど大きくも重くもないカメラなので、丁度いい感じだ。ただし一眼レフはレンズ交換式なので、レンズを変えるとがらりと雰囲気が変わる。
 だが、このキットものの標準レンズしか付いていない白ボディーは、これで独立した、完成された使い方なのかもしれない。レンズも白い。これは売っていないだろう。白ボディーのキットを買った場合の組み合わせのためだ。これで何かパナソニックのカメラのように見えたりする。所謂白物家電イメージ。だから、このキット女性向けのようだ。
 これが売られていたところに50ミリ単焦点レンズが置かれていた。80ミリになる。所謂蒔きレンズで安くてよく写る。レンズも明るい。ただ、最短撮影距離が遠く、しかも手ぶれ補正は付いていない。キヤノンにカメラにははボディー内補正はないが、それに近い電子式手ぶれ補正が付いていたりするが。
 まあ、レンズが明るいので、手ぶれ補正はいらないのかもしれない。手ぶれ補正は超望遠用だったはず。今では広角でも、手ぶれ補正がないと不安になったりするのだが。これはただの保険で、ブレるときはいくら手ぶれ補正があってもブレるものだ。
 だから、標準ズームと80ミリ相当の標準系中望遠を抱き合わせたかったのかもしれない。そういうキットは他社にもある。
 ただ、この80ミリ相当のレンズ。フィルム時代の安い方の標準レンズだったのではないかと思える。だから50ミリ相当にならないで、80ミリ相当になっている。
 80ミリ単焦点撮影、これは悪くない。ズームの80ミリよりもよくボケるし、ファインダーも明るく綺麗に見えるだろう。蒔きレンズなので、安い。それに蒔きレンズは性能がいい。そうでないと食いつかない。この安さでこれだけ写るのだから、もっと高いものなら、さらにいいはず、と思わせるのが蒔きレンズの役目。安いので、まずは使って貰うことだろう。試しに。レンズ沼に引っ張り込む役目。
 
 大層な一眼レフやミラーレスよりも、こういったコンパクトで気楽で明るく軽い一眼レフの方が、写しやすいのかもしれない。
 日常を一眼レフで切り取る。この初心者向けのカメラなら、すっとできそうだ。何の芸も無く、ただ単に素直に写すような。
 イオスキッスX9白ボディー白レンズ。逆にプロ向けだったりする。
 
 
 
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2019年12月25日

キヤノンイオスX9

■■ 2019年12月25日 水曜日 午前9時21分
 
 今朝は何とか晴れている。風がないので、寒さはまし。気温は高いか低いかは分かりにくいが、この時期の寒さだろう。特に目立った寒さはないので、気にならない程度。さらに寒くなっていくはずなので、暖かさはもう期待できない。
 そのため、寒さがどの程度のましなのか程度になる。ましだと過ごしやすいが、快適なわけではない。寒いので。
 ただ、暖かい場所、暖房の効いている場所にいると快適。気持ちがいいというか、適温のためだろう。だが、暖房が効きすぎると、暑くなるが、その暑さが気持ちよかったりする。ずっとではないが。
 今朝は少し早い目というか、いつもが遅すぎるので、早く起きたような感じとなる。この時間、喫茶店に行くと、外光が眩しい。ちょうど陽射しを正面から受けるためだろう。太陽が直接見えるわけではないが、地面に太陽がある。だからその反射が下から来る。陽射しが下から。アッパーで突き上げられるような光線。これで、ノートパソコンが暗くなる。まさに逆光。
 陽があるので、太陽はモロには見えないが、見えない角度から店内に差し込む。だから照り返しと直射の二重攻撃。これは座った場所による。この攻撃を受ける席は二つ。この二つの席によく座るので、眩しいときの方が多い。ただ、これで暖房がいらないのではないかと思える。陽の暖かさというのは、やはり有り難い。
 今年もクリスマスまで来てしまった。明日からは喫茶店でよくかかっているクリスマスソングは消えるだろう。クリスマスとは何だったのかはもう忘れてしまった。サンタクロース信仰になっている。プレゼントのやり取り。子供なら、受け取るだけ。何かがもらえる日。そして丸く大きなケーキが食べられる日。食べるのはその日だけで、年に一度だったりする。そして夕食はケーキ。それだけ。
 だからご飯のように食べる。昔のケーキなので、パンのようなものだ。これで腹を壊したり、胸が悪くなったりする。食べ過ぎだ。しかも食べ慣れないもの。年に一度なので。
 今は菓子パンがケーキ並に甘いので、あの白いクリーム状のものは日頃から食べているので、慣れているが。
 ケーキは赤飯レベル。そういう日にしか食べないような。また甘い物を禁じられている人でも、クリスマスケーキだけは許されてたりする。一日だけ解禁。
 それで今年もクリスマスを迎えたのだが、クリスマスケーキではなく、クリスマスカメラを今年も買うことができた。食べないが。
 
キヤノンイオスX9
 クリスマスイブの夜。カメラを買い行った。これは自撮りではなく自取りのプレゼント。
 ここ数日キヤノンのネオ一眼で写していて、いい感じで写っているので、この路線を広げることにした。といってもそのネオ一眼で、既に完結し、何も付け加える必要はないのだが。ちょうど去年の今頃新製品で出た日に買っている。
 今年はそれで、キヤノンにすることにした。といっても上等なのは買えないし、また必要ではなく、かえって不便になる。また高級コンパクト系も、中途半端なので、ネオ一眼の使いやすさから見れば、持ち出しやすいが振り回しにくいカメラだ。
 それで、適当に選んだわけではないが、以前から、余裕があれば冗談で一台欲しいと思っていたイオスの一眼レフに目がいった。これはイオスキッスで安いクラス。それでも三段階に分かれており、初心者向けカメラでもピンからキリまである。その中で、一番安いのを買った。イオスキッスX9だ。X9iが狙い目だったが、一番安いのがいい。そのため、軽くて小さい。
 さらに標準ズーム付きキットで、望遠はない。望遠は実はかなり前に中古で買った古いイオスキッスの三代目あたりを持っていたので、そのときのレンズが残っている。カメラそのものは古すぎて感度が低いことと、バッテリーが劣化しており、使えなくなっていた。しかしレンズは無事。
 さらに今回は展示品なので、それなりに安い。だから中古と言うことだが、出たときから触っていた展示物なので、馴染みが深い。
 既にミラーレス時代になっており、一眼レフの人気がないのだろう。
 そのため、コンパクトデジカメの値段と変わらなかった。しかし、ファインダーの付いた一眼レフなので、こちらで写す方が本当はいいはずだ。
 標準ズームだけのキットなのは、ボディーが白いためだろう。樹脂丸出しだが、レンズも白い。このキットだけが特別で、黒ボディーならダブルズームキットがある。
 どうせ標準ズームだけでしか写さないという人向けだろう。女性向けのような感じがする。望遠が付いてこないので、持ち歩くのは標準ズームだけなので、軽い。
 昔、X7が欲しかったのだが、結局買えなかった。世界最小最軽量の一眼レフ。この記録は未だに破られていない。まあ、小さすぎて構えにくかったのだが。
 その後X8が出たりし、今度は大きくなっていき、X9で少し軽くなったが、X9iでまた大きく重くなった。今は10までいっている。
 同じクラスのニコンの34000を以前買って使っていたのだが、受光素子にゴミは付着した。自動的に掃除してくれないのだ。振動で振り落とす機能が省略されていた。これはミラーアップし、センサーを直接拭けばいい。
 しかしもう十分使ったので、ここで終わりだろう。
 X9は掃除装置が付いており、電源を落とすとき、さっと振動し、切れる。
 
 それで、クリスマスイブで賑わうところで、カメラを買い、ひとつ百円のパンを五つ買うと二割引になる時間帯に買い、これをクリスマスケーキとして、菓子パンをかじりながら、この文書を書いている。
 まずは試写だ。感度は二万まで上がるので、暗いところでも平気だが、初期設定は6400が上限となっていた。これは増やせる。
 ファイだーは一眼レフなので、暗い。暗い室内はそのまま暗い。
 他の一眼レフとピントの合い方に大差はない。
 写りは少し明るい目に出るようで、このカメラの用途が分かるような気がする。ファミリー写真の明るい感じだろうか。または小物とかの物撮りとか。そして風景なども観光地が多いはずなので、明るく。
 ただ、露出というのがあり、いかに評価測光とはいえ、暗い目に写ることもある。一眼レフの光学ファインダーなので、覗いていても分からない。
 
 このカメラ一番安い一眼レフだろう。ニコンはもっと安いのが、センサーのゴミ取りが省略されているので、そういうことでも安いのかもしれない。
 ただ、現役で市販されている一番安いタイプの一眼レフというのがいい。しかし、今のカメラなので、実はこのカメラ、ミラーレスになる。まあ、一時的にミラーを上げてしまうだけのことだが、最近のカメラだけあって、ミラーレスのキヤノンイオスMとそれほど変わらないのだ。大きいので持ちやすい。液晶だけのイオスM系と同じだ。
 液晶だけの撮影になってしまうが、普通のミラーレスのように軽快にピントが合い、軽快に写せる。このときのAFは、いつものコンパクトデジカメと同じ流儀で、分かりやすい。
 液晶も回転するが、横開き。カメラがそれほど大きくなく、軽いので、望遠を付けていても、ウエストレベルでも写せる。
 つまりキヤノンのミラーレスを買うより、お得で安い言うことだ。そしてミラーレス機にはない光学ファインダーが付いている。まあ、メインはこれなのだが、視野率が低く、倍率も低いが、肉眼に近い見え方をするので、被写体を探しやすい。電気ものではないところが残っているので、窮屈さがない。
 
 いずれにしてもクリスマス自取り買いなので、それほど凄いスペックのカメラではなく、キヤノンの中では一番低い一眼レフ。しかし、今のカメラなので、このクラスで十分だろう。
 
 ニコンの一番安いのよりも高いのは、機能が他にも色々付いていることだろう。
 たとえば絞り込みボタンがある。ファインダーで見えているのは開放で見ているため、実際の絞りに絞り込まれた状態が見えるようになっている。
 液晶が回転するので、ここもひとつ上。キットレンズもキヤノンのはAFMFの切り替えと手ぶれ補正オンオフの切り替えレバーが付いている。
 古いキットレンズなら、マニュアルフォーカスは機械式になる。AFに切り替えなくても、回るので、ピントを一時的に手動にできる。ただ、シャッターを半押し維持が必要だが。ただ、距離目盛はレンズ側にはないが。端まで回せば無限近くだろう。実際には無限を少し越えるようだが、AFなので、端でぶつかったときの余地を開けているためだろう。
 まあ、AFが最初から合いにくく迷っているときは、手動で回して、その近くまで持ってきてやれば、あとはAFがその位置から動くので、導いてやれる。
 フワッとした白い花とかでは合わなくて、後ろに合うことが多い。できるだけ、AFで合わすようにしているが、無理なときは、手動で導いてやれるので、MFモードに入れる必要はない。こういうのは滅多にないが。
 露出補正などはプログラムモードに入れていると、背面液晶が、画面一杯に補正画面に最初からなっている。全画面露出補正となり、タッチすることで、補正できる。ただ、ファインダーを覗いても同じだが、光学式なので、それは仕方がない。
 露出補正ボタンもあるし、電子ダイヤルでもしっかりと操作出来る。
 十字キーはあるが、チマチマしたメニューはそこに並んでいない。ただの上下左右キーのようなもので、あっさりとしている。
 要するに、チマチマとした操作系のパラメーターのようなのを弄る画面が大きく、液晶一杯を使い、しかも指でできるので、これは楽だ。だから初心者向けと言うことだ。分かりやすい。
 これはプログラムモードでもできる。
 
 このカメラ、ファンクションボタンを探したが、ない。まあ、あっても使わないだろう。
 切り替えや、一寸弄りたいときのボタンは最初からあり、特に不自由は感じないはず。これは高級コンパクトデジカメよりも単純かもしれない。ただ、何処に何があるのかすぐに分かるので、探し回らなくてもいい。
 そしてやはり液晶パネルが生きている。ここで大きな画面で合わせられるので、露出補正などは裸眼でも楽だろう。補正値が大きく出る。図で。
 
 これの上位機であるX9iもいいのだが、電源レバーがX9の方がいい。手前側にあり半円をしており、ぐっと引くか戻すかだけで、オンオフになる。親指でできるので痛くない。引きすぎるとオンを越えて動画になるが。この電源レバーを比べていて、まだ買う気はなかったころ、X9の方が使いやすかったのを覚えている。ミラーレスのイオスMと同じタイプだ。
 
 クリスマスに買うには丁度いい明るいカメラで、野暮ったい一眼レフだが、小さいと、すっきりとしており、白ボディーと茶色の革張りで、見た目も明るい。質感は全くなく、スカスカだが。
 光学式一眼レフの先は淋しいらしい。今年発売された一眼レフはキヤノンのX10と中級機だけではないか。もっとも、この受光素子の機種だけに限られるが。ニコンもペンタックスからも今年は出ていない。
 そしてキヤノンの中級機も、今出ているのが最後という噂もある。もう中級機は作らないということだろうか。
 しかし、世間がそちらへ向かっているとき、逆方向の光学式ファインダーの一眼レフへ行く方が、味わい深いものがある。
 
 カメラはネオ一眼があれば、それで行ける。21ミリから1400ミリ近くのカメラと、今回の28から80あたりのレンズの付いたカメラとを比べた場合、大きさは変わらないが、重さではネオ一眼がスカスカで軽い。まあ、一眼レフでもガラスのプリズムではないタイプのX9なので軽いはずだが、それでもまだ重いほど。
 それよりも画質に関してはネオ一眼で事足りている。時代はミラーレスではなく、ネオ一眼なのだ。まあ、そんなことをいう人はいないが、一眼画質と言われたものは、最近のスマホの画質でも分かるように、何とでもなるのだろう。
 ネオ一眼の原点はやはり一眼レフとコンパクトカメラとのハーフのようなもの。だから、原点に近い一眼レフを持つことは、押さえになる。
 だからキヤノンのネオ一眼、去年のクリスマスあたりに買っているはずだが、そのSX70は一眼レフとミラーレスのハーフでもある。中間なのだ。
 今回のX7とミラーレスのイオスM3のバッテリーは同じだった。
 X9のようなストレートなカメラは、結構安定感がある。既に行くところまで行った一眼レフで、これ以上大きな変化はないためだろう。
 
 X9のレンズキットに付いていた標準ズームが使いやすい。最近の一眼レフやミラーレスの標準ズームは沈胴式か電動式になっている。ここは機械式のズームで、写すとき、いちいち沈胴を伸ばす手間がいらない。沈胴にしても僅かな差で、それほど短いものではなかったりする。どうせ使うときは伸びているので。
 このキットレンズは昔、中古で買ったときのものがそのまま残っている。同じレンズだが、バージョンが違うのだろう。キットレンズも変化していくのだ。
 標準ズームなので、ズーム比は僅かなもの。広角端と望遠端まで一気。突き当たってカチカチ言う感じだ。
 電動ではないので、行き止まりがある。端でストップがかかるので、分かりやすい。
 このカメラ、生まれて初めて一眼レフを手にしたときの喜びのようなものを、未だに覚えているようで、昔は50ミリ標準だけが付いたセットだったが、今はレンズを買わなくても最初から80ミリと50ミリと28ミリが付いている。まあ、これはネオ一眼から比べれば広角端も望遠端も大人しいが、そういう原点のようなものが残っている。
 これからカメラをやっていくという感じで。ただ、昔と比べ、このタイプの初心者向けデジタル一眼レフは安くなったものだ。フィルム時代のものよりもはるかに安い。
 高級コンパクトデジカメの方が値段が高く、一眼レフの方が安いのだ。
 当然一年前に買ったキヤノンのネオ一眼よりも、今回の一眼レフの方が安い。高級ネオ一眼ではなく普及機なのに、それに負けているのがx9だ。
 画質的には見分けが付かないが、ボケ具合は流石に一眼レフの方がある。まあ、ネオ一眼でも望遠側とか、接近して写せば背景はボケボケになるのだが。
 いずれにしてもコンパクトデジカメを買う値段で買える一眼レフで、一眼レフだが、ミラーレスの顔も持っている。ミラーレスはレンズが変えられるコンパクトデジカメのようなもの。
 これで、写りの差が明快に出るのなら、一眼レフやミラーレスの値打ちもあるのだろうが、一見して分かりにくい。
 まあ、コンパクトカメラ代わりに一眼レフを使う。受光素子が大きいのだから、贅沢な話だ。
 
 それで、今朝はクリスマスなのだが、この新カメラを持って、寝起き、喫茶店まで、行く。
 試写は夜に室内でしたが、メインは昼間の明るいところなので、そこで見るファインダーとか、写りとかは夜とは全く違う。
 ファインダーは小さく、画面の周囲は切れているはずなので、実際にはもう少し周囲が入る。それは見えていないが。視野率100パーセントではないので、そんなものだ。
 ファインダーで覗くと、ギラつきなどがなく、澄んでいる。一眼レフは明るいレンズを付ければファインダーも明るくなる。キットレンズは暗いので、まずまずの明るさだが、昔のファインダーよりもよくなっているので、ざらつきなどはない。非常に落ち着いた画面で、目にも優しい。
 小さなファインダーだが、見え方に奥行きがある。
 シャッター音は軽快で、余韻を残すタイプ。これは昔からキヤノンの特徴だろう。それが軽快。カシャンと鳴る。電子音ではない。
 28ミリから80ミリあたりまでで写すというのは逆に新鮮。しかもカメラはそれなりに大きく、グリップも効いているし、レンズもそれなりに太く、しかも機械式のズームなので、違和感がない。つまり、このカメラは一眼レフだが、コンパクトカメラのようなもの。標準ズームなので、軽いし、バランスがいい。上から見ると綺麗なT字型をしている。やはりこの形が一番握りやすく、構えやすく、操作もしやすい。
 朝、喫茶店までの風景を写したのだが、何か初心者に戻ったような感じで、全てがフォーマットされたあとのようで、清々しかった。
 
 
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2019年12月24日

年末

■■ 2019年12月24日 火曜日 午前9時49分
 
 今朝は晴れており、少し暖かいかもしれない。風がないのが幸い。まあ、穏やかな冬の日と言うことだが、いいクリスマスになるだろう。クリスマスというのはカメラを買う日のことだが、そういう決まりはない。
 年末までのややこしいこととはクリスマス前にやるのがいいのだが、気が付けばクリスマスになっていることがある。もう少し間があると思っていたのだろう。意外とすぐに来る。中旬に入ってから一気に来る。
 来週の今頃は大晦日。別に普段とは変わりはないが、店が早く閉まったりするので、買い物などで梅田などに出るのは30日まで。31日になると、どんどんシャッターが落ち、壊滅状態になるので。
 クリスマスから大晦日までの間隔が異常。これは感覚の問題か、押し寄せられている感じだ。追い詰められているような。だからその数日は妙。別に用事が多いとかではなく、普段と同じことをができるし、普段通りの日常を送っていても、妙なものを感じる。これには具体性がない。あるとすれば、数字だろう。日にちの。
 そういう押し迫ったとき、台風の目の中に入ったようになったりする。これは気忙しいのだが、結構長いのだ。
 すぐに大晦日まで行くと思っているので、実際の日にちを見ると、まだ31日になっていないため。28日とか、そのあたりが何か間延びしており、のろくさえ感じられる。日が進んでいないような。
 これは早く、一気に過ぎ去ると思っているためだろう。だからそれほど早くはない。
 まあ、年末、押し迫ったとき、あまりウロウロしない方がいいのかもしれない。折角年が越せるところまで来たのに、思わぬことに遭遇し、厳しい年越しになったりする。昔は物騒だったので、今もそうだが、年末年始特別警戒云々がリアルなものとしてあった。
 年末のどさくさに紛れてとか、慌ただしく動いている人の隙を狙ってとか。また、急いでいる人や車も多いので、思わぬ接触があるのだろう。
 折角無事に大晦日あたりまで辿り着いたのに、そこでおじゃんになったりする。逆に年末に良いことがあり、勢いづくこともある。これはもう神頼みで初詣しなくても、年末に大きな福を得るといういいパターンだ。だが、そんなことは少ないが、年越し前から既に良い年になっていたりする。
 そして正月明け、ガタンと厳しい状態になったりするので、よいことも起これば悪いことも起こるのが常。
 
 昨日は遅起きだったが、昼の喫茶店からの戻り道に、少し遠出をしてやれと、寄り道をしたのだが、日がすぐに傾きだし、それに寒くなり出したので、途中で引き返した。だから自転車散歩未遂で終わったが、少しは沖近くまで出たので、散歩は散歩だ。つまり、いつもの帰路の道筋ではなく、たまにしか入り込まない道沿い。だからたまなので、以前とは少しだけ違っていたりする。毎日通っている道とは違う程度だが、よく知っている道。日常の中にはないが、見知らぬ場所でもない。それなりに見慣れている場所。外野ではなく、まだ内野。しかし、ボールが飛んでこない内野のようなもの。
 見えているのだが、踏まないような。
 まあ、冬場の寒い時期は、この感じのショート散歩で十分かもしれない。
 今朝は暖かいので、散歩に出られそうだが、気分が付いてくればの話。
 まあ、年末近く、あまりウロウロしない方がいいのだが、年の瀬の風景も悪くはない。
 人が慌ただしく行き交っている所をのんびりと自転車で移動するのは、気持ちがいい。
 
 
 
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2019年12月23日

キャノンSX70この一年

■■ 2019年12月23日 月曜日 午前10時46分
 
 今朝はやっと晴れた。まだ雨で、路面が濡れていたりする。それほど寒くはないし、風もないので、結構穏やか。
 しかし、遅起きになり、これで気分は今一つ。だが、朝の喫茶店へ行ってみると、がら空き。時間が遅いためだろう。ほとんどの客はパチンコ屋開店待ち客だったのではないかと思えるほど。
 この時間なら、完全に開いている。
 しかし、この時間は朝と昼の間で、食べに来る人が少ないのだろう。メインはハンバーガー。しかし、朝はトースト客の方が多いが。パチンコ客はコーヒーだけの方が多い。
 朝食は戻ってから食べるので、ここでは食べない。以前は喫茶店のモーニングサービスをよく食べていた。食べないと損という感じで。
 値段はコーヒー代と同じなので、おまけで付いてくる。
 今は朝、一番多く食べる。おかずを作るのも朝だ。ご飯を炊くのも朝が良い。そこで作ったものをそのあと食べれば良いので、一度作ると、二三日持ったりするが、これは野菜を煮たものなので、メインではない。メインはなかったりするが、卵とかハム程度はある。何もないときは、それだけでいい。それと味噌汁を作る。ここにホウレン草と豆腐を入れる。この椀だけでも十分だろう。そこに卵を入れれば、ひと椀とはいえ、結構量がある。
 野菜の煮物からいい出汁が出る。この出汁だけを残しておけば「お吸い物」になる。だからミソがいらなかったりする。野菜の煮物の出汁は醤油のみ。あとは入れている野菜類から味が出るので、一品の出汁となる。これを取り置けばいいのだろう。
 味を見るため、小皿で味見をするのだが、そのとき、美味しかったので、これは使えると思った。
 味見は単に水臭くないかどうかだけ。水を足して炊き直すとき、水を多く入れすぎた場合、味見する。最初に鍋に醤油を入れるときは、適当。これは味見はしない。鍋の量を見て、スーと醤油を流す。このスーの秒で決まる。
 ただし、いつもの醤油容器の口からでないと駄目で、瓶に入った小さな醤油差しでは糸のようにしか出ないので、分量が分からない。いずれも慣れただけろう。
 昨日は雨で何ともならかかった。それに冷たい雨で、寒い。それでも雨の中、夕方の喫茶店まで行く。遠い方だ。
 近い方は前日行ったし、高いので、続けるとそれが習慣になる。
 それに近いと風景を見ている時間も短い。近すぎて道を選べない。ほぼ一本道で、違う道から回り込むということはできない。遠回りになりすぎるため。
 道中は雨の中だが、それなりに変化があり、それを見ながら傘を差しながら煙草を吸いながら自転車で走る。雨が降っていなくても、この時期寒いので、あまり気持ちがいいものではない。
 夏至を過ぎたので、徐々に夕方も遅くなるだろう。今は一番暗い状態だが、一日一日明るくなっていくはず。
 
 今朝のお供のカメラはキャノンのネオ一眼。SX70。
 去年の今頃買った。ファインダーが大きく鮮明なので、迷わず買っている。その前の機種よりも明らかに見やすい。それだけの変化で、中身は同じだったりするが。ただ、映像エンジンが最新のものになっていたので、早くなった。また、画質も、それで少しは違うのだろうが、これは分からないレベル。
 このカメラが一番操作性がいい。ただ、フルオートで写したときだが。そのため、電源を入れてから被写体を捕らえるまでが勝負。これが早い。
 ファインダーは暗いところでは汚れたようになり、あまり綺麗ではなくなくなるが、昼間とか、日常の明るさでは、綺麗に見えている。何せ当時のキヤノンミラーレスと同じファイダーのはずなので。
 このカメラが素早いのは、ファインダーを覗いた瞬間既にピントが合っていることだが、これは21ミリなので、合うだろう。そこから、スーと望遠側へズームしたとき、かなり望遠まで進めてもファインダーはしっかりと見えている。ピントが付いてきてくれているのだ。他のネオ一眼だと途中で一度シャッターボタン半押しにしてピントを取る必要がある。そうでないと、ぼんやりしていて、被写体が見えないためだ。このカメラはそれが見えるのだ。だから一気の寄りに強い。
 ファインダーが大きく精細なので、狙いやすい。だから一気に狙った被写体まで寄れる。
 そこからがまた素早いと言うより、シャッターボタンが浅いというか軽いので、さっとシャッターが切れてしまう。これは少し早すぎるのではないかと思うほどで、手ぶれ補正がまだ安定していない状態のはずなので、もう少し待ったほうがいい場合もある。
 鳥や猫などを、発見してから一枚目を写すのが、このカメラが一番早い。
 丸っこいカメラで、軽い。スカスカの樹脂製だが、扱いやすい。
 一年間使ってきたのだが、写りは平凡で、これという特徴がない。きつすぎず、柔らかすぎず。無難な画質。猫を写したときは、毛の一本一本を浮かび上がらせるカリカリした画質ではなく、毛並みの柔らかさなどが出すのに適したもので、まあ、キヤノンのカメラはポートレートに向いているらしいだけあって、どぎつくないのだろう。ニコンとは対照的だ。
 このカメラで写せば、こんな特徴のある絵になるというのがなかったりする。そのため、絵に癖がない。それが一寸物足りないのだが。
 シャッターボタンは早く落ちるタイプだが、半押しキープがしっかりとできる。ここは見事だ。
 一枚写してから少しだけシャッターボタンを浮かすことができる。浮かしすぎると、半押しを通り越して解除される。そのため、二枚目はまたAFが動く。
 被写体自動認識AFはバタバタするタイプで、とんでもないものを囲ったりするが、少しカメラを振れば、違うものを囲んでくれる。それが動いているものであれば掴んで離さない。迷惑な話だが、十字キーを押せば解除される。これがいい。
 要するに超望遠を含んでの操作性は抜群で、非常に軽快。さっと見てさっと写せるカメラなので、手っ取り早い。ただ、あまり写している充実感はないが、早撃ちの快適さはある。仕事が早い。
 
 
 
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2019年12月22日

冬至

■■ 2019年12月22日 日曜日 午前9時09分
 
 今朝は曇ってしまった。雨が降るかもしれない。昨日の昼間から翔りだし、晴れていたのは午前中だけだったように記憶している。大事なことではないので、記憶になかっても問題はないが。
 今日は冬至のようだ。一年で一番夜が長い。それだけ日照時間が短い。ただ、昼間の時間は短くても晴れておれば、雨が降り続く夏至より日照時間は長かったりする。だが、昼間の明るさというのがあり、これは雨が降っていても、夜のように暗くならない。日はないが、太陽光は来ているのだ。
 夜が一番長いことと真冬とはまた違う。その真冬へと至ると言うことで、冬至。これは夏へ至る夏至も同じ。日が一番短い頂点と、日が一番長い頂点。これは何か象徴的だ。
 分かっていることは春に向かっていること。では春至ではないか。冬至が過ぎると、日が今度は長くなり出す。ここだ。このターニングポイントがいい。これで夜明けが早くなり、夕方が遅くなる。日が沈むのが遅くなり、これまでよりも日が長くなる。だが、一日が長くなるわけではないが。
 だから、今よりも真冬の方が日は長いのだ。夕焼け空も遅い目に来る。日の長さは夏至がピーク。それまでは右肩上がり。
 といいながらも本格的に寒くなるのはこれから。12月中、年内はそれほど寒くはない。年を越えて少し立った頃から厳しくなる。
 夏至と正月までの日数はほんの僅か。だから年明けを新春と言っても悪くはない。太陽の動きは春に向かっているというより、夏に向かっている。目標は夏前の夏至へ。
 では春には何があるのか。それは春分の日がある。ここでついに昼と夜の時間が同じになる。そして逆転し、今度は昼の方が長くなる。そして夏至でピーク。
 さらに冬至へと進むのだが、その前に昼と夜がもう一度同じ時間になるのが秋分の日。どちらにも傾いていないが、瞬間だろう。
 このピタリと同じになる日は春のお彼岸、秋のお彼岸とも重なる。
 ただし、これは地球の北半球だけのことらしい。要するに太陽の高さだ。それが一番高いか、低いかと言うこと。また、地球はやや傾いて回転している。軸が最初からズレている。四季もそれに関係するのだろう。赤道ではなく北回帰線、南回帰線がその証拠だろうか。
 
 先日買った冬の暖ズボン。何か窮屈な割りに腰の後ろに隙間ができて、寒々しい。最近のズボンは腰が短いためもあるが、ベルト式のためだろう。ゴムズボンならパンツと同じで、しっかりと止まり、浮くことはないだろう。
 表面生地は綿でいいのだが、重いし窮屈。それで、昨日はふわふわのズボンを買う。分厚い股引か、パッチのようなものだ。これが見事なばかりのゴムパンで、部屋ではくようなくにゃくにゃで、毛玉だらけになるあれに近いが。
 しかし、形はズボンで、ポケットもしっかりとある。そこに並んでいるズボンコーナーは2千円台。しかし、そのズボンは3千円台。少し上等なのだ。まあ、昔はGパンが1万円近くしていたりしたのだが、最近は2千円ほど。
 冬の暖パンは1900円あたりからある。
 ただ、スポーツ用品メーカーのはかなり高いが。
 裏に暖素材の生地が貼り付けられている。スポンジのように。これが分離して止めているだけのがある。それが1900円台。
 どちらにしても樹脂製なので、劣化するらしい。毛玉の手入れ方法も書かれている。爪で引っ張って剥がすより、丁寧に摘む方が傷めないと。
 そして毛玉ができるのを覚悟の上買って下さいというような感じだった。避けられないと。
 これが三割引になっていたので、まあ、ずっと履き続けるようなタイプではないのだろう。このタイプ。ずっと水の中に入れておくと溶け出す。
 綿のしっかりとしたものでも劣化することにはかわりはない。色あせしたり、禿げたり、汗をかいて濡れたとき、ビリッと裂けたりする。それにほつれてくる。一度穴が空くと、拡がっていく。
 このモンペのようなパッチのような股引のようなのが、結構履きやすく、履き心地がいい。パッチとの違いはダブッとしていることだろう。そしてかなり伸びる。これで、窮屈さがなくなる。
 雨には弱いが、風は通さないようだ。
 
 
posted by 川崎ゆきお at 10:49| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月21日

年末カメラ

■■ 2019年12月21日 土曜日 午前9時15分
 
 今朝も晴れているが寒い。晴れている日の朝は寒いようだ。
 昨日もそうだったが、昼間はそれほど暖かくならなかった。陽射しが途中から中途半端になったためだろうか。今日は昼間も寒そうな気がする。服装は最近変わっていない。ずっと同じ組み合わせだったりする。この時期ほぼ真冬と同じ服装なので、それ以上はない。以下はいくらでもあるが、さらに寒くなってくるので、今以下にはしないだろう。暖かい日があっても。
 12月も下旬。十日もしないうちに年が明けるだろう。次の区切りは一週間。これはすぐにやってくる。クリスマスまであと数日。すぐだ。そこから一週間で年が明ける。
 クリスマス明けから押し迫る。だからクリスマスまでは年末らしくなかったりする。
 だから年内のことはクリスマスまでにやっておくのがいいだろう。
 カメラ方面は新製品は出尽くしたのか、ほぼ発売されているようだ。つまり発売日が11月とかで、12月の際際の発売はなかったりするが、去年は押し迫ったときにキヤノンのネオ一眼の新製品が出たので、クリスマスカメラらとして買っている。これは上新リアル店で、出たその日だ。偶然立ち寄ったときに買った。いいタイミングだ。それから一年経つが、その新製品はまだ出ていないようだ。これは二年か三年おきなので、そんなものだが、以前は毎年出ていたような気がする。
 去年は、その前に同じようなカメラを買っていた。同じクラスのパナソニック版だ。こちらは結構安かった。スペック的に少し下がるためだろう。
 流石キヤノンという感じなのだが、薄暗いところではパナソニックの方がピントが合いやすく、早い。スペックはほぼ同じなのに。このネオ一眼の上位機はさらに早いのはレンズが明るいためかもしれない。
 薄暗いところではニコンの一眼レフでは合わなかったりするので、これは不思議だ。ペンタックスの一眼レフでも、少しもたつく。しかし、ただのコントラスト式のAFなのに、その上を行くのだから、これは何だろうかと考えたりした。一眼レフの方がしんどいのだから。
 寒いので、部屋で、そういう試写をやっているのだが、意外な結果によくなる。
 コンパクト系ネオ一眼で一番安定しているのは2000ミリまであるP900だろうか。鳥や猫なら、このカメラがあれば何とかなる。その上位機のP1000は3000ミリまであり、ファインダーもいいのを付けているのだが、何せ重いし大きい。日常的に持ち歩いて振り回せるカメラではない。p900なら、少し重い目のネオ一眼程度なので、それほど差はない。
 今年はニコンからもミラーレスが出たのだが、キットレンズの望遠は400ミリまで行っていないので、2000ミリのP900と比べると、物足りないだろう。ファインダーが綺麗なようだし、AFも良さそうで、操作性もいいようだが。まあ、こういうミラーレスや一眼レフのキットレンズは、写りよりも、レンズ交換しないといけないダブルズームキットは結構面倒。だから高倍率標準ズームになるのだが、望遠がさらに弱くなる。
 最近はパナソニックの安っぽいネオ一眼をよく使っている。FZ85だが、高画質ハイスペックではないカメラで挑む方が楽しいようだ。
 低いスペックだが、そこから良いものを引き出すような感じがいい。
 
 
 
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2019年12月20日

ジャズと演歌と都はるみ 中上健次

■■ 2019年12月20日 金曜日 午前10時18分
 
 今朝はやっと晴れた感じ。青空が拡がっており陽射しがある。気温は低い目かもしれないが、陽射しがあるので暖かく感じる。日陰に入れば別だが。
 そして今朝はまずまずの時間に起きてきた。それほど早くはないが、遅くもない。しかも一発起き。時計を見たとき、納得できたためだ。これがもう少し早いと、もう一度寝るだろう。その二度寝を楽しみにしていたりする。
 晴れたので、空気が乾燥しているようだ。そうなると本格的な冬。
 晴れていい感じだが、張り切って何かをやるようなこともない。日常移動が楽になる程度か。だか、晴れていると、気持ちがいい。これだけでもいいだろう。
 そして、まずまずの時間に起きてきたので、朝の喫茶店からの戻り道散歩ができそうだが、これをすると、戻りが遅くなり、遅起きした時間と変わらなくなる。
 この時期、椿が咲き出すのだが、既に咲いているが、さらに満開になり出す。それが椿か、椿に似た花かは分からないが。また椿にも種類があるようだ。椿だと思っていたら山茶花だったりする。椿系なので、見分けにくく、また山茶花の種類も多いようだ。形が違う。
 まあ、普通の樹木でも、幹は同じで、枝振りも葉も同じようなのがある。一見しただけでは分からない。妙な名が付いているが、覚えられるだけの繋がりがない。印象として残りにくい特徴のためだ。松なら分かる。これぐらいの違いが無いと無理。
 まあ、世の中には色々なものが生えているもので、初めて見るものもあれば、存在さえ知らないものもある。目に触れているはずのものでも、見ていなかったりする。ああ、木が生えている程度で。
 それが何の木であるかなどとなると、これは一歩踏み込むことになる。だから踏み込まないと見えてこない世界だ。その必要があるのかないのかで、世界が違ってくる。
 鳥などを撮していると、鳥を見るようになる。雀と鳩とカラスしかいないと思っていると、そうではなく、他の種類も混ざっている。ただ日常的にいつも見かけるわけではない。鳩は常にいる。雀もカラスも。目撃頻度が問題かもしれない。だから、珍しい、となる。
 それと渡り鳥。これは年中いない。その間目撃しない。
 まあ、そういう鳥を見ていると、常に餌を探している。じっとしている鳥もいるが、待機型だろうか。
 鳥を一眼レフで撮すとなると大砲がいる。300ミリや400ミリや600ミリあたりは小さいが、800ミリを超えると三脚がいるだろう。
 昨日はパナソニックのFZ85を持って出たので、これだけで1200ミリだ。それでも遠くにいるサギは遠い。大きい鳥なので、楽なのだが、この白いサギすぐに逃げる。近寄れない。1200ミリでは遠いので、デジタルズーム域で写す。2400ミリだ。小さな受光素子のデジタルズーム。しかも曇っており、さらに暗い。だが、結構写っていた。これは目撃例の証拠写真としてはいいだろう。画質に拘らなければ、大きく写せる。画面一杯に。
 しかし、写真として見た場合、甘い目に写っているのが雰囲気としてふさわしかったりする。画質よりも、鳥そのものの雰囲気が勝つことがある。こんな姿をしているのかと。
 まあ、鳥だけを撮すわけではないので、超広角から超望遠まで行けるFZ85などのネオ一眼系は強い。
 こういうコンパクト系で挑むところがいいのだが、ただ単に無精しているだけかもしれない。
 
ジャズと演歌と都はるみ 中上健次
 これは小学館電子書籍で「中上健次電子全書14」となっている。何冊あるのか知らないが、その中の一冊はほぼ都はるみとなっている。この比重は大きい。全集の一冊が都はるみとは。
 その中に「天の歌 小説 都はるみ」が入っている。これはこれで紙の単行本としてあるはずだが、電書の方が安いし、全集の一冊なので、ボリュームがあるので、都はるみとの対談が二つほどあり、またかなりの数の都はるみがらみのエッセイがある。
 また、ドキュメント的な、コンサートの様子なども含まれる。
 その中のメインでもある「天の歌 小説 都はるみ」についての感想を書いてみる。
 子供時代から一時引退で紅白で最後を飾るところまで。
 ただ、これはフィクションらしく、ドキュメントではないので、事実関係は違うだろうし、あくまでもフィクション、実名の都はるみやその周辺の人が出てくるが、それらの人が、実際にそう言ったとかではない。
 要するに小説なのだ。ただ、大きく踏み外したり、とんでもないことが書かれているわけではない。フィクションとして書いた方がよりリアルにあぶり出せるのではないかということだろう。つまり、都はるみとは何だったのか。
 そのため、タイトルは「都はるみ」なのだ。だが、北村晴美と都はるみが行き来し、その関係などが興味深い。
 そして生身の北村晴美と歌手都はるみ。生身の北村晴美そのものも小説なので、フィクション。そして、そこに出てくる都はるみは果たして実在か、それともフィクションか。
 この小説は北村晴美を主人公にしている。その中に都はるみが出てくる。ややこしい。
 まあ、あらましは似た本が二冊あり、いずれも紹介した。一冊は「小説都はるみ」でこれは小説風に書いた方が分かりやすいということで、そうなった。中身はドキュメンタリーだ。その語りが小説風。
 それら二冊の本は似たようなシーンを書いている。まあ、違っている方がおかしいが、細かいところでは、違うところが多いが、大筋は同じで、良い本だ。
 今回読むのは三冊目となる。それが中上健次が書いた、今回のもの。これは最後に残しておこうと思った。中上健次なので重そうなので。それに都はるみよりも、中上健次が気になったりする。何故か重そうな印象とだが、だがそうでもなかった。
 読み終えると、やはり爆発しており、筆の勢いが凄まじい。なかなか言いたいこと、感じたことが言えないことの苛立ちなども見える。まあ、言いにくいのだ。全集の一冊を占めるほど、熱く語れるほどなのだから、生きておれば、もっと書いていただろう。
 
 さて、子供の頃、男の子たちとメンコをして遊んでいたあたりが微笑ましい。かなり強かったようだ。大阪ではメンコではなく、ベッタンと言っていたように思う。丸いタイプを丸ベッタン、これがメンコだ。
 まあ、賭けなのだ。勝負して負けるとメンコを取られる。ベッタンとビー玉。これは、この世代の子供にとり、財宝なのだ。そして貨幣だ。おはじきは屋内でやる。これは女の子の貝遊びのようなものだろうか。
 町内の地蔵盆で、のど自慢に出るのだが、この小説では家の裏側にある庭に地蔵がある。北村家専用だ。お守り袋に線香の灰を入れていたというのは事実らしいが、それは路地の角の地蔵だろう。このお守り袋の話は紅白で黒柳徹子がやっていた。浮き草暮らしの頃だろうか。「千年の古都」でもその地蔵が出てくる。
 そして、そのフィクションの地蔵の裏に銀の簪を隠している。これは父親から貰ったものだ。だが、実際には女にやるためのものだった。小説では困った父親となっているが、本人が聞けば怒り出すかもしれない。ただ、北村晴美は両親の血を半分半分受け継いでいる。髪の毛が柔らかく、ボリュームがある。これは父親の血だと、母親は言う。実際はどうだったのかは知らないが。
 この銀の簪に何か縁起の悪そうな、何かが籠もっているような感じがする。女郎さんがしそうな素人はしない簪。それは後の歌という魔物とも絡んでくる。人の怖い情のようなものだろうか。この比喩は流石小説家。他の二冊のライターとの違いがそう言うところに出る。まあ、小説として書いているので、かなり想像が入っているのだが。そんな簪はフィクションかもしれない。
 この銀の簪、弟が持ち出し、それと交換でメンコを買おうとしたのだろうか。仲間から。
 簪が消えているのを知った北村晴美は遊び場の寺の境内でやりあう。そのとき、風を吹き雨を降らす。まるで龍だ。
 そして、その先は非常に大味に、さっさと進み、途中を省略して、レコード会社のコンクールへ行く。大阪での地方大会。このあたり、細かい描写はない。この大会へ行く前に、色々な公開の場でも都はるみは歌っているし、別のレコード会社まで行き、歌を聴いてもらったりしている。そういうのは省略。
 そしてすぐに東京での全国大会。夜行寝台の一等で行く。新幹線は線路ぐらいはできていたはず。しかし、まだ走っていない。だから、車中一泊で上京。朝に着く。
 大会では本番で順番が前後する東北から来た丸坊主の青年と会話する。この青年、落ちるが、落ちてもクラブ歌手になると言っている。のちに登場するが、それは都はるみラストステージのとき。大島から運ばれてきた椿の花を晴海埠頭あたりからトラックで会場まで運んできた運転手となっている。再会はない。この椿を間に合わせるため、大島でビニールで温室のようなものを作り、早く咲かせたとか。
 歌手になりたくても、レイコード会社は無理、そしてクラブ歌手でも駄目だったのだろう。あれから20年は経つので。そういう歌手になりたい人は一杯いる。二十年間ずっと陽の当たるところで歌っていた都はるみ。誰でもできることではない。
 
 さて、それは最後の話だが、デビュー曲などは省略。いきなりあんこ椿へと行く。そして作詞家の星野哲朗の前で歌ったとき、犬が吠えだしたというエピソードは当然入れている。ただ、犬は最初から同室にいた。そして都はるみが歌い出し、唸り出すと吠えだし、しばらくして、お漏らしをしていることを奥さんが見付ける。今まで室内でお漏らしなどしたことがなかったとか。犬の位置が問題ではない。吠えたことだ。野生の何かと通じる都はるみの唸り声に畏れ入り、怯えたのだ。犬はセパード。
 このシーンに関しては何度も語ったので、ここでは省略。
 
 こうしてもの凄いテンポで進むので、当然小説としては短い。
 クライマックスというか、結局書きたかったのは引退シーン。ここに集まってくる。
 生身の北村晴美と歌手都はるみ。北村晴美が都はるみを殺すシーン。それは肉面となった都はるみを剥がす痛さ。
 この引退とは何だったのか、それが、この小説の全てのように思われる。
 歌に魅入られたわけではない。歌が好きで、歌の鬼になったわけではない。しかし、天性のものがあり、それを「徹」だったか「激」かは忘れたが、そういう言葉で言っている。それがあるのは二人しかいない。一人は美空ひばり。
 まあ、大事な言葉だが、ピンとこなかったので、忘れたのだろう。
 歌の持つ魔性と戦う北村晴美。そして殺してしまう。引退し、もう二度と歌わないと。
 しかし、もう一人だけの都はるみではない。その葛藤が当然あるが、女としての北村晴美。普通のおばさんになると言うことがどれだけ難しいことか。しかし、それさえできない歌の魔。北村晴美は、しかし決行したのだ。これは挑んだと言うべきか。
 この小説が書かれたのは引退宣言のあとだろうか。その前から着想はあったらしいが、このとき、復活することは分かっていない。
 復活後に書かれた二冊の都はるみ本とは一寸違う。
 引退宣言あたりで中上健次は都はるみと会っている。角川での対談だろうか。
 もし、復帰が分かっていた状態で書いた場合、また違った結末になっていたかもしれない。
 しかし、無念さ、残念さをどうしようもなく感じていた時期だからこそ、書けた小説かもしれない。
 小説以外にも、引退コンサートや、紅白での大トリでのお別れなどについては複数のエッセイを残している。それらを合わせて読めるのは、全集の一冊のためだろう。都はるみメインの一冊で、ページ数が余るのか、村上龍との対談を入れている。これはおまけだ。
 ジャズの本流はブルースで、その先にあるのは都はるみとなる。
 音楽のことはよく知らないので、どういう意味なのかは分からない。ブルースと言えば「盛り場ブルース」「港町ブルース」が真っ先に浮かぶので。
 市川昭介以前から、色々なジャンルの音楽が歌謡曲として、流行歌として、取り込まれていき、合体したという説は有名だ。
 だからジャンルでは括れないのだろう。
 この本では、中上健次と都はるみがツーショットで写った写真が載っている。都はるみはかなり若い。
 さて、小説の中では、都はるみを殺す北村晴美の紅白がクライマックス。やめてしまうことをどう解釈すればいいのかと作者は戸惑ったのだろうか。それで、何らかの神話のような形に持って行きたかったのかもしれない。そうでないと納得できない。
 別のエッセイでは、8千万人が見ている前での自殺。都はるみを殺す瞬間を見ている。
 また、別のエッセイでは、その前日のコマ劇場での最終コンサートで、客が全員で都はるみを殺すとなる。これはもう宗教的儀式のようなものだ。
 エッセイも含めて読んだので、小説とエッセイがごっちゃになった。同じようなことを繰り返し語っているのだが、それを読んでいて、余程無念、残念だったことだけが伝わる。何故やめるのかと。
 だから大袈裟なことを中上健次は言っている。引退が発表されたとき、文壇の奥が荒れたと。
 安岡章太郎は演歌の終焉を言ったようだ。以前にも都はるみ論を書いていたらしい。
 水上勉も都はるみのファンだ。都はるみとの対談で中上健次が初めて会ったとき、水上も安岡も嫉妬の炎を燃やしたとか。
 さらに都はるみの自殺。これは歌をやめると言うことだが、その数年前の三島由紀夫の割腹自殺も持ち出している。もう総動員だ。
 要するに痛いだろうということかもしれない。
 
 果たして都はるみは歌手になりたかったのだろうか。そして歌手を志したのだろうか。全て母親が決めたことで、小さな頃から、そこへしか行けなかったのではないか。目標を与えられ、声を唸らせて歌うと10円もらえた。
 歌の学校をよくサボった。ここから既に、歌と対峙する何かがあったのだろう。子供なので、深い意味はない。小説では近所のガキ大将たちと遊んでいるとき、途中で抜け出し損ねたことがあったため。このまま普通の子供として遊んでいたかったのではないか。ここから対峙が始まっているのだろうか。
 家に帰ると、路地を通る。西陣なので、機の音がする。そして硝子窓か何かは忘れたが、もう一人の北村晴美が写っていたような気がしたとか。そのもう一人の北村晴美こそ、歌だけの北村晴美で、のちに都はるみとなる。このへんの描写が上手い。
 子供の頃から目標を与えられていた。自分で考えたものではない。だから迷うことはない。
 別の本にもあるように、都はるみは負けん気が強い。勝負となると、勝ちたい。勝たないと気が済まないだろう。だからコンクールに出ても勝ちたかったはず。歌そのもの云々ではなく。
 ところが、偶然か何か分からないのだが、天分があったのだろう。またピタリとその時代にはまったのだ。次はどんな歌が来るのか、専門家でも分からなかったらしい。次の時代の歌。都はるみはそれを持っていたのだ。
 まあ、簡単に言えば美空ひばりや島倉千代子ではない、違うものを時代が探していたのだろう。それは高度経済成長と同時期に登場し、その時代の勢いのある歌手。
 だからヒットしたあんこ椿の音である作曲家市川昭介もかなり若いのだ。これからの時代に人だった。
 
 小説ではないが、同じ電書の中のエッセイで、安岡章太郎が言っているのだが、歌がびっくりするほど上手い歌手はいくらでもいる。しかし、情として伝わってくるものがあるのは都はるみらしい。それは「柄がいい」とか言っている。体格を指しているのではない。「あの人ガラが悪い」とか、下品とか荒っぽいとかをさすが「ガラがいい」という言い方もあるのだ。
 まあ、安岡章太郎が偶然都はるみの歌い方に波長があっただけのことかもしれないが。
 このあたりにことが結構この全集の中の都はるみ編のような一冊には、他にも色々な文書が入っている。雑誌で書き殴ったようなものなども含めて。
 世界の著名人を多数登場させ、都はると絡めている。
 
 別の本では、都はるみは中上健次の小説を一応読んだらしい。「岬」あたりだろうか。三ページか四ページでダウンしたらしい。同時代の小説家の本なら読めるのだが、中上健次だけは読めなかったと。しかし、実際に会って話すと、もの凄く分かりやすい人だった。この落差は何だろう。
 この小説は、難しくない。スラスラと読める。ただ、句読点が少なく、改行がなかったりする。だから同じ段落の中でシーンがごろりと急に変わったりするので、そのあたりは読みにくいかもしれないが、文章はかなりはしょっている。
 まあ、知っている話、つまり都はるみの話なので、事実関係は既に分かっているので、楽に読める。
 意外と短く感じたのは、一気に引退のところまで駆け抜けたためだろう。クライマックスへ至る引退シーンで一気に詳細になり、纏めてパンチを連打し、一気に倒してしまうようなラスト。
 都はるみはそのとき死んだ。しかし、その死の瞬間、紅白で八千万の人が見ていたのだが誰も見えていなかった。それを見た者はただ一人、都はるみだけが、それを見ていた。これは別のエッセイだが、まあ、この小説、そこに集約されている。
 数いる歌い手の中で、なぜ都はるみの小説にしたのか。そこには色々なものが詰まっていたためだろう。そして流行歌を超えた何かが見えたのだ。それを発していたのだ。それを中上健次は見逃さなかった。まあ、多くのファンもそうだろう。
 それを具体的に何であるかを書いたのが、この小説かもしれない。
 ここで書かれているラストコンサート、これは新宿コマ。そして紅白でのラスト、いずれもYouTubeで見ることができる。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 12:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月19日

カメラのキタムラ中古カメラ受け取り

■■ 2019年12月19日 木曜日 午前9時40分
 
 今朝は雨ではないが、かなり曇っている。当然雨が降ってもおかしくない。気温は昨日に比べると低い目となっている。肌寒い。夜も前夜よりも寒かった。その前夜が暖かすぎたのだろう。だから平年並に戻った感じだが、この平年は、この時期ならこれぐらいだろうという程度のもの。
 本格的に曇っているので、空が暗く、街も暗い。こういうのは冬の暗さには合っているのだろう。太平洋側の冬はそれほど暗くはないのだが。まあ、天気が悪ければ空も暗くなる。
 雲の形はなく、ガス状だろうか。
 今朝はまずまずの時間に目が覚めた。自然な目覚めで一発起き。二度寝はない。時計を見て合点がいったのだろう。早すぎないし、遅すぎない。まずまずの立ち合い。
 これで晴れていればいい感じなのだが、そうはいかない。
 暖かい日があると聞いていたのだが、それは過ぎ去った。その日、自転車で散歩に出たかったのだが、雨。雨で暖かかったと言うことになる。気温が高い目なのはいいが、雨では何ともならない。
 やはり多少寒くても晴れていて陽射しがしっかりとある日に散歩に出た方がいいだろう。まだ真冬でもないので、言うほどの寒さではない。
 その暖かくなる前に少しだけ遠出しているが、そこは散歩コースのようなところで、見慣れた風景なので、日常と変わらなかったが。やはり、もっと沖に出ないといけない。
 夕食後の徒歩散歩もしていない。これはもろに寒くて出る気がしないため。それで足腰が、という問題もあるが、歩けばいいというものではない。だから階段などを上るとき、足が重くなるのは普段歩いていないからではなく、歩いていなくても、足が軽いときがある。まあ、僅かな距離を歩く程度の徒歩散歩なので、それぐらいは日常的な用事で、移動しているとき、足を使っているはず。また、室内でも、結構移動するので、わざわざ歩くためだけに歩くという時間を作らなくてもいいような気がする。
 冬眠から覚めた熊が歩けなくなったというのは聞かない。冬の間、寝ているのだから、運動不足のはず、というより、まったく歩いていないのだから。
 自転車は始終乗っているのだが、これは歩くときに使う筋肉とか筋とかとは別。
 しかし、たまに長い距離を歩くようなときは、厳しかったりするが、滅多にない。
 それと、夕食後の徒歩散歩での夜景撮影も、同じ物ばかりになるので、飽きたのだろう。この夜景撮影を楽しみに歩いていたのだが。やはり、寒さには勝てない。足よりも、別のところをやられそうなので。
 
 カメラのキタムラの中古販売がいい。近所にキタムラがあったのだが、潰れた。そこで中古を見るのを楽しみにしていたのだが。
 そこは潰れたが、全国的に展開しているので、中古を置いている店が結構あり、それらをネットで一覧できる。まあ、アマゾンに出品している中古の数も多いのだが、宅配になる。
 ところがキタムラは近くの店で勘定をする。近くの店まで品を運んでくれるのだ。送料はいらない。しかし、まだ買っていない。現物を見て決める感じで、気に入らなければ買わなくてもいいとか。
 取り寄せておいて買わないというのは少ないだろうが、このとき、普通のカメラ屋で普通に買うのと同じ。「このカメラ、一寸見せてもらえますか」という感じと同じ。買うとは言っていない。
 近くのキタムラが潰れたので、近くではなくなったのだが、もう一店もっと近いところにあり、毎日行っているショッピングモール内にもあることを思いだした。カメラは売っていないカウンターと、セルフプリント程度のコーナーだ。ここが中古受け渡し場所にもなっていることを知る。
 ただ、遅いだろう。一週間ほどかかるかもしれない。送料なしで、代引手数料もいらない。保証もあり、自然故障なら受け取った店へ持ち込めばいい。初期不良とかがあるので。
 まあ、これまでキタムラで買った中古カメラ、故障はない。
 それで、価格を見ると、まあ、相場通りで、安いわけではないし、高いわけでもない。
 キタムラでは委託販売をしていたような記憶がある。キタムラが買い取るのではなく。
 キタムラリアル店にあるものに限られるが。
 新製品に近い物は、中古でもそれほど値段の差がなかったりするので、そこは考えものだが。
 リアル店で展示品特価が、中古よりも安かったりすることもある。
 そういう展示品特価品の売れ残りを集めた上新アウトレットもある。近所にはないが、西宮と池田にある。どちらも自転車で行けるが、少し遠い。
 だが、そういう目標があると、寒くても、遠出する気になる。
 ただ、中古はカメラ屋へ行かなくても、色々なものを売っている中古屋が結構ある。そこは定期的に行っているが、品の流れが止まっていたりする。
 
 
 
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2019年12月18日

クリスマスカメラ

■■ 2019年12月18日 水曜日 午前10時44分
 
 今朝も雨。しかし、出るときはやんでいた。傘マークが昼からなくなるので、曇りだけになる。晴れ間も出るかもしれない。まあ、一日中雨よりもいいだろう。
 朝方寝ているとき、雨音がしていたので、起きるのをやめた。そのあと二度か三度、目が覚めたが、いずれも無視。それで、遅起きになったのだが、昨日はまずまずの時間に起きてきたので、残念だ。
 しかし、目は一応覚めていたのだから、そのとき起きれば残念がらずに済んだ。だが、寝ている方がいい。そのときは、それが一番。
 それで寝過ごしたためか、出るときはやんでいたので、こちらの方がいいので、遅起きした甲斐があったというもの。
 しばらく晴れの日が続いていたので、たまには降らないと、野菜がまた値上がりしそうだ。
 12月も中旬から下旬になろうとしている。押し迫っているが、まだ年末の気配はない。年末らしさはクリスマスの飾り付け程度だろうか。これはそのまま正月まで持つ。物はだめだが、光り物は新年を祝う飾り付けとして流用されたりする。
 だからクリスマスにだけに特化した飾り付けではないということだ。玄関先の、ただの明かりもの、飾り照明のような。
 クリスマスといえば、カメラだ。
 年末にカメラを買う行事だが、普通の月でも買っているので、年末に限らないが。
 だが、大して高いカメラを買うわけではない。一台のカメラを使い続けるよりも、複数のカメラを使う方が、その一台一台のカメラの良さなどが分かったりする。逆もあるが。
 自分に合ったこの一台、というのは存在しない。これは自分でカメラを作ってもできないだろう。
 今朝は最後に中古で買ったパナソニックの1インチタイプの高い目のカメラだが、中古なので、普通のコンパクトデジカメ新製品より安いが。
 夜でも安心して写せるので、重宝している。雨の日などはポケットに入るので、このタイプは持ち出す頻度が高くなる。出番が多い。
 パナソニックのミラーレスも視野に入れているのだが、このタイプになると、途端に不便になる。標準ズームだけを付けて写すのなら問題はないが。
 最新のミラーレスはG99となっているはず。G7を狙っていたのだが、G8時代になり、今はG9。しかし、このG9というのはG9プロのことで、馬鹿でかい電子ファインダーが付いている。そしてボディーも大きい。そして高いので、G99が出た。こちらもG8に比べれば、大きい目だが。しかし、G8が狙い目だったのはG9が出たためで、型落ちで安くなっていただけ。
 だがG99は新しいだけに、中古価格では上位機のG9との差は1万円。その程度の違いなら、G9にした方がいいのではないかという話になる。これはボディーだけの価格。
 レンズは1万円台で中古で買った電動望遠ズームがある程度。それとかなり前に買ったG5に付いていた電動標準パンケーキズーム。だからキットレンズだ。大したレンズは持っていないし、また、レンズ方面を伸ばす気はあまりない。
 G8時代は24から120ミリ相当の標準ズームが付いていたはず。28ミリ始まりだったかもしれない。これは忘れた。あまり見ていないので。これがキットレンズ。それ付きで買えば安い。G7時代は28から280ミリ相当の高倍率標準ズームキットで売られていた。だからG8になってズーム比が落ちた。
 G99になると復活し、高倍率に戻ったが、レンズのバージョンも上がり、防水性が加わったのだろうか。
 短い目の標準ズームはG9に付いているが、これはライカになる。だから、パナソニック版よりも高い。このレンズが高いので、キットレンズ付きG9はもの凄く高くなる。
 最新ミラーレスカメラの最高機種で一番安く買えるのはパナソニックで、中古価格がガクンと落ちているので、これは狙い目。しかし、ハーフサイズのわりには大きく重いので、オリンパスと同じことになっている。小振りな一眼とはもう言えないので。
 それなら今年出た25から400の明るい目のレンズの付いたFZ1000マーク2の方がよかったりする。ハーフサイズと1インチとの差はあまりないのだ。
 だからパナソニックミラーレスを見ていくと、結局はネオ一眼に落ち着くことになる。それが落ちだ。
 
 昨日はおかずだけが切れていたので、餃子の持ち帰りをしたのだが、しばらく待ったあと、受け取ったとき、少し重い。いつもより重い。
 おかしいなあと思いながら、雨の中、自転車で戻ったのだが、四人前だった。
 いつもは二人前を買っている。その箱が昨日は二つになった。そしておかずなので、一人前でいい。残りは朝に回す。ところが四人前だと余るので、二人前をおかずで食べきり、夜食で、一人前を食べきった。そのかわりご飯は残した。
 もう餃子はしばらく食べたくない。
 
 
 
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2019年12月17日

気楽なネオ一眼パナソニックFZ85の実力

■■ 2019年12月17日 火曜日 午前9時32分
 
 今朝は雨のようだ。今週暖かい日があるといっていたのは、このことか。雨で気温が上がっていたりする。これだろう。
 蒸し寒いというのはないが、蒸し暑いというには寒い。しかし、それに似ている。湿っているためだろう。
 朝の喫茶店までの道中は幸い降られなかったが、既に降っていたのか、濡れている。そして、今も、降りかかっているが、まだ、降っていない。時間の問題で、今日も明日も一日中雨と予報では出ていた。
 朝、寝起きに天気予報を見たのだが、解説は読んでいないし、動画も見ていない。さっと一日の時間帯別の気温のグラフを見るだけ。それとお天気マーク。お日様とか傘とかを。
 そしてちらっと明日の予報や十日間の予報も。
 いずれも表。そのマスの中にマークが入っていることと、数値があるだけ。だから、一目で分かる。それ以上の解説はいらないわけではないが、これで分かってしまう。結局晴れるのか、雨なのか、気温は寒いのか、ましなのか、それが分かれば良いのだろう。
 解説や動画では、おそらく低気圧がどうの、高気圧がどうのと、その流れの話になるはずだが、最近そこまで見ていないので、これは連続してみておかないと、気圧の流れは分からない。まあ、それも天気図を見れば、分かる話だが。図だけなので、解説はないが。
 昔の人はどうか。高気圧や低気圧などとはいわなかったはずだが、土地土地に季節風の呼び方があったり、その土地独特の地形に即した合図のようなものが山や野や雲にあったのではないか。当然川の水の冷たさとか、小動物の動きとか。
 まあ、カエルが鳴くと雨が降るとか、その類いだが。だから雨蛙といったりする。まあ、カエルは始終鳴いていたとしても、泣き声が大きいとか。
 情報を身近なところから読み取っているのだ。それらがセンサーになる。さらに腰が痛いとかも。これで天気が分かったりする人もいる。
 今朝はいつもの喫茶店が定休日なので、週に一度だけ行く個人喫茶へ行く。ここにも常連さんがいるし、定休日で行き場を失った顔なじみが来ていたりする。いずれも、定休日なので、流れてきた人だが、これまで見かけた限り、一組しかいないので、他の常連客は何処へ行ったのだろう。別の店かもしれないし、最初から立ち寄らなかったりするかもしれない。ただ、朝メニュー目当ての人は腹がすくだろう。毎朝トーストと卵とコーヒーを、この店で食べている人は、同じことをしたいはず。昨日と同じことをできるかぎりしたい。ただ、その店、ハンバーガー屋なのだが、朝から食べる気がしなかったりするので、やはりカリッとしたトーストが良いのだろう。
 今朝は早い目に目が覚めた。珍しい。しかし、まだ余裕のある早さなので、二度寝した。それでも、まだ早い方だ。二度寝の満足を得たうえ早い目に起きてこられたのだから、いい感じだ。
 今日は暖かくなるということだったので、自転車散歩を予定していたのだが、雨では何ともならない。昨日は晴れていたが、散歩が二日続くことになるので避けたのだ。
 
 今朝のお供のカメラはパナソニックのネオ一眼のFZ85。このFZという型番は幾種類もある。1インチタイプもあれば、ポケットに入る旅カメラも。いずれも高倍率ズームということでは共通している。
 このFZ85は、20から1200ミリのズーム機で、かなり安っぽいカメラ。だから写りはそこそこ。このそこそこが良いのだろう。写りの良さが特徴のカメラではないので、逆に写しやすい。
 先日中古で買ったTX1は1インチタイプなので、画質はいい。暗いところでも強い。しかし、そういうカメラは画質を気にしながら写すことが多い。これが逆に欠点なのだ。
 このFZ85は新しい。スカスカのネオ一眼なので、結構軽い。
 カメラの紹介ページを見ると、日常を切り取るとなっている。これが気に入ったので、同調した。
 20ミリから1200ミリ。これでほぼほとんどの日常を切り取れるだろう。だが、切り取るだけで、立派な写真が写るわけではない。あくまでも家庭用、個人の日常をアート風に写す程度だろう。ただの記録ならスマホでも良いのだから。
 機能的には最新の機能をほぼ網羅している。どんな写し方でも、どんな撮影方法でも可能。
 ただ、液晶は回転しないし、液晶と電子ファインダーの切り替えも自動ではない。
 ただ、意外性がある。それは性能で。
 この自動切り替えがないので、電子ファインダーに切り替えた状態で使っているとき、自動切り替えセンサー経由ではないので、電源を入れた瞬間に覗くと既に営業中。この早さが凄い。またファインダーの解像力も低く、小さなファインダー。それで早いのかもしれない。準備が。1インチタイプの高級機よりも速いので、スナップ性の高さでは勝っている。ワンテンポ置くと、もう被写体は消えていたりする。
 液晶撮影では液晶が回転しないので、不便かと思ったのだが、カメラが大きいので、液晶を上げると大層な感じになる。それと大きなグリップが付いているので、安定感があり、結構ラフに構えられる。手かざしスタイルで写すときも、いい感じだ。
 そして液晶は回転しないが、タッチ液晶なのでタッチAFとかタッチシャッターとかができる。このあたりはスマホになる。
 少し嵩の高いカメラだが、日常の中でも取り出しやすい。メカメカしたカメラではないためだろう。そして高精細な描写を誇るカメラでもないので、気楽なのだ。樹脂製の安っぽさも、一役買っている。
 ズームカメラなので、ズームしなければ立ち上がりは20ミリの超広角。とりあえず前方をバッサリと写しておこうというときには良い。この20ミリが付いているのはパナソニックコンパクト系では、この一機種だけ。
 20ミリで1センチ接写ができるので、背景まで取り込んだ超広角マクロができる。
 だからテーブルものや、小物の撮影を得意としている。中望遠でも結構寄れるので、花とかも大写ししやすい。1メートルほど離せば500ミリ少しで写せる。望遠端1200ミリで1メートル半。このクラスとしてはもの凄く寄れる望遠だろう。
 色々できるが、写りは普段着画質という感じなのが、愛嬌だろう。
 
 
 
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2019年12月16日

新書太閤記 長久手の戦い 吉川英治

■■ 2019年12月16日 月曜日 午前10時44分
 
 今朝は晴れているが、少し寒い。昨夜も寒い。昼間は暖かい日が続くと予報ではなっているが、まあ、冬は冬なので、それほどでもないせよ、寒波で寒いよりはましだろう。
 暖かい日の朝夕は寒い。温度差がかなりある。暖かくない昼のほうが朝夕はましだったりする。昼間暖かいツケが朝夕、これは夜だが、そこに来る。だから朝、寒いと思い、寒い一日だと思っていると、逆に暖かい日になっていたりするので、朝の気温は一日の天気ではない。よく晴れた朝、気分よく、さあ一日が始まるといっても、朝だけで、決して気分よく晴れた一日ではなかったりすることもある。
 昨日の続きで今朝も早起きではなく、遅起きで、しかも少し遅い目の遅起き。遅さにも程度がある。
 昨日も遅起きだったので、昼の喫茶店へ行くと、結構遅い。そして戻り道、このまま戻るより、少し外した方がいいと思い、散歩に出ることにした。それほど暖かい日ではなかったが、もの凄く寒い日でもないので、出掛けることにした。時間的にも遅いので、短い目にする。すぐに日が落ちるためだ。
 それで一応尼崎の中古屋へ向かう。これはあくまでも方角程度のもので、そこへ行くまでの道筋が目的。道が目的。
 行き方は様々あり、古い農家や村の面影が残っているところや、旧街道や、小さな商店通りなどが混ざっている場所。それなりに散歩コースとしては良い。これを幹線道路で行くと、工場地帯や、殺風景な場所が多いので、路地伝いに行くのがいい。
 カメラは偶然その日持ち出していたペンタックスの一眼レフK70。自転車長距離散歩では、これをよく持ち出していたが、昨日はその気はなかった。
 ポケットにはパナソニックのFZ95で、これは組み合わせだ。ペンタックスは200ミリまでのズームなので、望遠が足りない。それで700ミリまである旅カメラを予備でポケットに入れた。この予備のカメラだけでも十分目的を果たせるのだが。
 ペンタックスのK70はやはりファインダーがいい。その直接的な見え方が、電子ファインダーにはない自然さがある。夜は暗くて見えにくいが、昼間は鮮明。レンズをそのまま見ているようなものなので、付けているレンズにより違いが出るが。
 それでも自然物などを、これで覗くと、自然。肉眼で見ていたのと同じ質感のものがファインダーからも見える。違和感がない。
 しかし、このカメラ、重い。それほど大きなカメラではないのだが重いのだ。100パーセントの視野率のガラスのプリズムが入っているためだ。これで、一眼レフは重い。そのかわり、光学ファインダーの良さを味わえる。この重さはそのためだ。
 しかし、室内で手にしているときは重く感じるが、外では軽い。重さを感じない。
 シャッター音ミラー音は大きく響き、目立ってしまうが、快い音がする。がっちりとしたグリップ。滑らかに回る高倍率標準ズーム。これだけでもう写真が決まるようなものだ。
 そしてこのカメラを持ち出すと落ち着く。ミラーレスのような尖った機能はない。カメラは四角く角張っているが、カメラそのものが昔ながらの一眼レフのためだろう。
 散歩撮影の風景は200ミリまでの望遠でも何とかなるし、200ミリでは無理なようなものは最初から見ないようにしていたりする。もっと望遠があった方がいいと思うこともあるが、引いた感じも悪くはない。
 中古屋に着き、中古カメラなどを見るが、ニコンの古い一眼レフがまだ売れていない。それとペンタックスのK1000だろうか。これも古い。SDカード以前のものかもしれない。よく見かけたカメラだ。最近はペンタックスの一眼レフなど家電店に置いていなかったりする。
 富士の標準レンズとなる35ミリF1.4と広角の単焦点レンズが並んで置いてあった。50ミリ相当になる明るい定番レンズで、これは高い。中古でも高い。広角の方が安い。
 戻ってきてネットで見ると、中古価格とほぼ同じなので、相場通りだった。
 ポケットに入っていたパナソニックは戻り道、一枚写しただけ。それなりの望遠が必要だったのは、この一枚だけだった。
 帰りは日はまだあったが、寒い。冬はそんなものだが、自転車でウロウロするには適していない。
 それで、夕方前に行く喫茶店に、ちょうど夕方前に入ることができた。帰り道にあるのだ。
 結局遅起きだったが、昼寝の時間に散歩に出ていたようなものだ。
 戻ってくるといつもは暗いのだが、昨日はまだ明るかった。早起きした日のようなペースになっていた。
 遅起きを逆転させたようなものだった。
 
新書太閤記 長久手の戦い 吉川英治
 これを読んでからしばらく立つので、記憶が曖昧になったし、細かいことは忘れてしまったので、覚えていることだけを書くことにする。
 長久手の戦いとは美濃での戦い。今の岐阜県や愛知県、また三重県にもまたがる戦いと言ってもいい。その中で本格的な戦闘があったのが美濃から三河へ抜ける裏道のような場所にある長久手あたりの小山や岡が続いているような場所。これは何をしていたのか。
 新書太閤記なので、当然秀吉を中心とした話なのだが、家康との戦いなのだ。豊臣と徳川の戦いとなっている。
 なぜ戦ったのか。それは秀吉が織田家を乗っ取ったような感じになり、本来の主家であり、主君であるべき織田家をないがしろにし、自分が天下人となろうとしたためだ。そんなことは家康も分かっていたが、何ともならない。それに織田家というのは一体何処にあるのか。このときの織田家当主は子供だろう。そして本能寺後は岐阜織田家、尾張織田家に分かれていた。次男と三男。信勝、信雄だが、どちらが上か下か分からない。兄より、弟の方が本当は年が上だったとされている。母の身分で、そういうことがあるらしい。
 その岐阜織田家は潰れている。残る葉三男だけ。しかし、信長の子供はこれだけではない。四男は秀吉の養子になっていたはず。まだ織田と名乗る織田一門の親戚筋が多くいる。
 旧織田軍団をほぼ手中に収め、秀吉陣営は日本最大。徳川軍はそれに継ぐ大国だが、やはり小さい。まともに戦えば脂の乗りきっている秀吉に負ける。その手腕は家康もよく知っている。
 戦いのきっかけになったのは信長の三男と秀吉との仲が悪いと言うことで、それは誤解だとして秀吉は琵琶湖近くで会見する。
 この三男の上に次男がいる。これは先ほど言ったが。年齢的には、この人が継ぐはずだったが、実際には秀吉の企みでまだ幼い三法師君が織田家当主となっている。まあ、信長が死に、後継者の長男信忠が死んだので、その直系の信忠の子が継ぐのが正しのだろう。しかし、傀儡だ。前回書いた清洲会議が、それだ。そして、次男は不満なので、同じ不満を懐く柴田勝家、滝川などと秀吉と戦う。これも前回書いた賎が岳の戦い。その後、信長の次男は結局殺されたようなものだ。秀吉が直接手を下したわけではないが、三男に命じたのだろう。兄の領地を結構もらえたのではないだろうか。
 だからこれで三男だけが力がまだ残り、尾張伊勢に領土を持つ大大名。今度はこの三男が問題になる。織田家で残っている力のある人物は、この三男を残すだけ。
 それで秀吉がこの三男も滅ぼしてしまうのではないかという噂が立つ。
 そこで秀吉はそんなことはないということを示すためか、また誤解があるようなので、ということで、琵琶湖、これは三井寺あたりだったと記憶している。そこで会見する。
 ところが本殿のいいところに先に秀吉が入っている。三男は客殿のようなところだろうか。
 そして明日会見という前日、秀吉は三男、信勝か信雄か忘れたが、その家老、四人か五人呼び出し、何とかせいと詰め寄る。つまり、始末せいと。
 家老の中の一人だけ、それに反対し、三男に報告する。聞いた瞬間、三男は逃げ帰る。
 そして家康に泣きつく。
 それでやっと家康は名分を得て豊臣との戦いを起こす。しかし、実際には秀吉と三男の戦いで、主将は三男。家康は助っ人。単独では秀吉軍には勝てないので、これで家康は良いものを手にした。
 ここは第一次関ヶ原のようなもので、東軍が来るのなら、おそらく西軍は大垣あたり、近江と美濃、尾張の境あたりで激突することになる。
 吉川英治は、このとき秀吉は出遅れたと言っている。かなり前から準備をし、勝てる状態になってから戦うのだが、今回は世帯が大きくなりすぎたらしい。家康の脅威は北条と上杉。だが北条に娘を嫁がしたのか、そこは忘れたが姻戚関係になり、不戦条約になっているので、脅威はない。北の上杉は日本海側ではないかと思うが、真田がいるあたりまで徳川は支配している。川中島は近い。
 後年、徳川が真田を攻めたとき、真田は秀吉に泣きつき、秀吉は助けるために上杉に援軍を送るように頼んでいる。このとき上杉は五千か七千ほど出したようだ。川中衆というのだろうか。国境に近いので、その警備という名目で。しかし、家康は上杉とは戦いたくなかっただろう。
 それに無理攻めすると、今度は上杉景勝本人が出てくる。まさに謙信そのものだ。
 上杉はこのとき、きっぱり秀吉につき、家康を敵と見なした。中途半端な日和見はしない。これは謙信公から続く家風のようなものらしい。
 話は逸れたが、まあ、上杉は北で遠いので、東海道まで来るようなことはないので、ほぼ全軍を連れて尾張に来ている。
 ところが秀吉は、毛利の動きがまだ怪しいので中国筋の浮田軍を使えない。ここの兵は多い。関ヶ原での主力だったのだから。
 それと四国の長宗我部、これも遠いのだが、紀州あたりには、まだややこしい勢力が残っている。高野山や熊野、雑賀など、本願寺の残党などだ。前足利の将軍の残党とかも。その前将軍は毛利にいるが。
 だからこのあたりにも睨みをきかせないといけない。だから黒田官兵衛はそちらを受け持っている。
 北陸はどうか。いつも世話になる丹羽の領地が広い。その先に前田がいる。秀吉にとっては友人だ。しかし丹羽も前田も動けない。佐々成政が家康と通じているためだ。これの抑えで残さないといけない。だから世帯が大きいので、家康のような全部連れてくるわけにはいかない。
 しかし、逆にここが実は徳川軍の弱点で、本国はカラ。尾張に近い岡崎を攻撃されるなら計算に入れていない。もしそんなことがあるとすれば、奇計だ。
 それを言い出したのは岐阜の池田。この人は前田利家などと同クラス。秀吉や前田と同じように、若い頃からの遊び仲間。
 その前に、池田は家康軍を攻撃しているが、大失敗。勝手にやったことで、秀吉の命ではない。小牧あたりだろうか。ここに東軍の本陣がある。
 大変な黒星を最初から付けてしまったことを恥、挽回するには思い切ったことをするしかない。。それで所謂中入りに走った。奇策、奇計だ。つまり密かに岡崎方面を突くと言うことで、敵地に割って入るのだ。そこへ行くまでも小城はいくつかある。
 これは賎が岳の戦いと同じだ。その岡崎への抜け道が長久手だったと思う。ここで激戦となる。密かに、そっと岡崎を付くというのがバレたのだ。
 池田軍の背後を家康に取られ、大敗北、壊滅した。 秀吉にとっても黒星。徳川に負けたのだから。しかし、勝った徳川は、そのまま調子に乗らず、さっと引き返した。それを狙っていた秀吉が駆けつけたときは、もう徳川軍はいなかった。まあ、池田軍を犠牲にしての罠ではないかと、家康が見抜いたのかどうかは分からないが。
 駆けつける秀吉本隊。これは主力だ。そこを横から邪魔する少数の兵。鉄砲を撃ちかけてくる。無謀な攻撃だ。誰かと聞くとその名は本多平八郎。数十人で秀吉本軍に襲いかかってきたのだ。家康が、もしすぐに引かず深追いしていた場合、秀吉の到着を少しでも遅らせるための自殺行為だ。
 しかし秀吉は、相手にするなと、無視した。
 秀吉軍は本田に手出ししなかったのは、欲しかったのかもしれない。
 吉川英治は、この戦いは将棋の名人戦に讃えている。下手に動いた方が負け。この作戦、秀吉が命じたわけではない。
 では秀吉はどんな感じで勝とうとしていたのだろうか。睨み合ったまま互いに陣から出てこない。軽い小競り合い程度で、本気で戦っていない。もし、全軍で互いに戦ったとすればどうなるか。
 こういう平地部での野戦は家康は得意としているようだ。ここでの睨み合いの兵はほぼ互角。信長の三男の領地なので、動員兵は多い。それに家康はほぼ全軍連れてきている。
 この戦いに長引けば、毛利や長宗我部や紀州あたりから大阪を目指すかもしれない。既にこのとき大阪城があり、京よりも、落とすなら大阪なのだ。秀吉の本拠地を叩く必要がある。
 長久手で敗北したのだが、ほんの一部の兵が動いただけで、秀吉軍に支障はない。
 小牧だったと思うが家康は本陣を置き、その周辺に防御策を何段も構えていた。それに合わすように、秀吉軍も向かい合っていた。それらの柵を突破するのはお互いに難しい。
 長久手の敗北後、徳川勢が攻めてきた。それを聞いた秀吉は、そこに家康がいるのかと聞く。いないと伝令が伝えると、相手にしなかった。
 家康は本陣にいて、秀吉が出てきたかと聞く。出てきていないというと、そのまま動かなかった。雑魚の武将を取っても仕方がないためだ。互いに欲しいのは鯛なのだ。鯛を釣らなければ、話にならないのだろう。
 膠着状態が続いている最中、秀吉は引き上げてしまう。敵に後ろを見せることになる。信長の三男は、これはチャンスと追い打ちをかけるが、家康は動かない。そのかわり、本多平八郎だけを向かわせる。
 秀吉軍の殿、しんがりと読む。これは最後尾の部隊。ここに精鋭部隊の蒲生などを入れている。信長の三男では敵う相手ではない。いくら逃げていく敵は討ちやすいと言っても。
 それで、追撃している方が危なくなり、本田兵が助ける。
 この戦い東軍の主将は信長の三男。家康は客将。助っ人。主将の三男が家康に頼むのだが、一緒に追撃戦をしてくれなかった。
 家康はそれほど無謀ではない。全軍で勝負し、家康が勝ち、ロボロになって逃げていく秀吉軍なら追える。そして大阪まで突っ込むだろう。しかし、そうではない。これが最後の秀吉の罠だったのかもしれないが、家康は乗ってこない。
 もし追撃したとしても、近江に出ないといけない。琵琶だ。そうなると、秀吉軍は増軍できる。先ず丹羽が出てくるだろう。
 丹波や丹後の細川も駆けつけてくるかもしれない。その中に突っ込むには勢いがないといけない。
 この戦い、名分は家康側にある。織田家に代わって天下を取ろうとしているためだ。そして主筋の織田家を無視していると。
 しかし、これは、のちに家康がそれをやっているのだが。
 
 大阪城に戻った秀吉は遊んでいる。
 家康は尾張にいるが、秀吉軍がいないので、岡崎あたりまで引いたのだろうか。敵がいないので、頑張る必要がない。
 ところが秀吉側は、その後、信長の三男の大きな領地を、一寸ずつ攻めている。小城を奪ったりしている。
 さらに尾張と岡崎を分断させるため、その中間の城を攻める。これには流石に、家康も動くしかない。
 織田家の水軍、これは鳥羽と九鬼水軍だろうか。秀吉側に付いている。そこから大型船を何艘も連ねて攻めてくる。海兵隊だ。馬も乗っている。
 さらに織田軍団時代の老将滝川一益が中間の城を奪う。これは柴田と組んで秀吉と戦ったのだが、破れて、小さな領地をもらい、ひっそりと暮らしていた。それを秀吉は起用した。伊勢方面が地元なので、地の利を知っている。
 これは流石に失敗したが、家康もたまったものではない。なぜならどんなに勝利しても、一円にもならない。逆に秀吉は城を取り、領地を広げた。
 家康はボランテアで、家来が手柄を立てても褒美でやる土地がない。増えていないのだから。
 ここから秀吉の詰めが始まる。詰め将棋だ。
 徳川方とされている勢力を摘むことにする。その第一候補で最大勢力を持つのは毛利でも長宗我部でもない。信長の三男だ。今回の戦いの大将だ。これを家康から奪う。それだけでいい。
 つまり秀吉らしく戦わないで、和睦した。前回は一寸誤解があったと。しかし、その前回、三男を潰そうと家老に働きかけたのだから、大嘘だが。
 要するに三男の家老で三男を始末せよとの密議があったのだ。これは前にもいった。それで殺されると思い、家康に泣きついた。
 今回は活かすし、大事にするし、取った城や領土も返すと言った。
 このときの会見場は尾張、長島の近くだろうか。三男の本拠地近くだ。そこまで秀吉軍は迫ってきていたのだ。
 河原か何処かで二人は会うのだが、三男を見付けた秀吉は歩み寄り、その足元で土下座する。このあたりの臭い芝居は秀吉らしい。生まれ育ちから城の若様で、大名になった信長やその三男とは違うのだ。そんな芸当は朝飯前だっただろう。あまり武士らしくないのだが、元々武家ではないのだ。
 家康もそうだと吉川英治は言う。確かに人質時代の苦労は凄いかもしれないが、生まれながらにして家臣がいる。秀吉は家来など一人もいない。秀吉そのものが一番下の身分だったのだから。そして家来らしい家来をいきなりもらうのだが、自分が連れてきた蜂須賀小六。だが、正式には秀吉の家臣ではない。信長の家臣で、秀吉に付けただけ。与力だ。しかし、実質的には家来。そして竹中半兵衛も家来になる。これが大きい。信長の家来を嫌がり、直接秀吉の家来になったのだが、これも形式的にはやはり信長の家来の一人だったはず。黒田官兵衛もそうだ。彼らの本当の主人は信長だったはず。
 まあ、一度養子として迎え、それを出すのに近いかもしれない。
 さて、これは余談。
 土下座して、秀吉はたぶらかした。これをやらせれば当時日本一だろう。所謂人たらし。
 気難しい信長の逆鱗に対し、一番上手く立ち回ったのは秀吉で、信長の考えや思いを読んでいた。何をすれば、気に入ってもらえるかが分かるのだろう。
 家康に懐いていた三男をあっという間に秀吉は転ばせた。その後秀吉の言いなりになる。
 どちらにしても信長時代の織田家は、もう終わりなのだ。秀吉がやらなければ家康がやるだろう。三男を担ぎ、奸臣秀吉を成敗すると。これは信長が流浪の将軍を旗にして京へ向かったように。
 吉川英治はこのあたりの戦いを、少し嘆いている。それは二つの天下と言うことらしい。二つの天下はあり得ない。だから一つにする。だから天下が二つあってもいいではないか。豊臣政権と、徳川政権が両立しても。しかし、ここから先は周囲がそれを許さないらしい。何か落ち着かないのだ。
 ここから先は個人の思惑、どんな人物の思惑とは裏腹に、激突する。
 だが、秀吉の人たらしは戦わずして、一つの天下に持って行こうとした。つまり家康と戦う理由など本当はないのだ。家康もそうだ。
 それで、戦いを避けるため、家康に諦めてもらうため、まずは旗を奪った。これで家康は名分を失い。当然三男も、もう家康を頼らなくてもいい。人柄的にも家康よりも秀吉の方があやすのが上手い。だから満足を得て、戦いをやめたのだが、家康にはまったく相談さえしていない。
 戦闘では勝てると徳川側は見ていた。秀吉軍は烏合の衆。徳川軍は一枚岩。家臣団はほぼ家康の普通の家来なのだ。家康を子供頃から世話をしていた家老などが、まだ生きている。その前の父親から仕えていた家来衆がわんさといる。所謂三河武士団。それに武田の陣法などを聞きだし、戦闘方法も信玄のものを多く取り入れた。これは最強の甲州軍団から学ぶのだから、強いだろう。
 しかし、家康は武力でも負けると思っていた節があるらしい。それは数なのだ。秀吉側が圧倒的に多く、また大阪城まで攻め上れるほどではない。ただ、友軍がいれば別。それがまだ曖昧な毛利や、長宗我部、そして態度をはっきりさせ、徳川に付くと決めた北陸の虎佐々成政。
 しかし、もう一人の英雄がいる。真田昌幸だ。幸村のお父さん。これが秀吉に付くと宣言した。位置がややこしい。上杉も秀吉に付くことを二人だけの密談で決めたらしい。佐々を討ったあと越後へ立ち寄り、景勝と会ったのだ。そのとき付き人して石田三成、景勝側は直江兼続。小説では密談後、この二人は夜を徹して語り合う。友を得たと。二人は同じ年だった。
 これがのち、関ヶ原へと繋がる強い絆となる。このとき、豊臣家と上杉家が何が取り交わされたのかは分からない。
 これで、佐々の脅威はなくなった。家康系が一人減る。
 その前に紀州、雑賀、高野山などを始末している。信長でさえ手を焼き、何ともならなかった勢力だが、秀吉は簡単に大掃除した。
 これに長宗我部が船団を組んで合流し、大阪に迫る脅威が消えた。
 しかし、長宗我部は四国をほぼ手中にしている。それで、弟を司令官として、どっと四国へ上陸。
 その豊かな戦備。装備、最新の兵器。大きな馬を見て、流石に長宗我部の宿老も、これは駄目だと、諦める。今なら土佐一国は残るだろうと。
 これで、家康が大阪に向かうときの友軍がいなくなる。
 きらびやらかな大阪城。それに比べ徳川は地方の大きな勢力にすぎない。大きさでは毛利も負けていないが、家訓で、天下は望んでいない。
 
 毛利の三兄弟。秀吉の中国攻めのとき、一度だけ毛利にチャンスがあった。日本海側の城での攻防戦のとき、毛利は主力、本軍を連れて援軍に来た。流石に秀吉もたまげただろう。だが、睨み合ったまま秀吉は諦めた。毛利も来ただけで、それで終わっている。
 このときまだ三木城も、有岡城も、落ちていなかったはず。当然本願寺も頑張っている。
 吉川元治が、このまま日本海側から、三木へ向かい、兵を吸収しながら、都へ向かい、安土を撃つという計画を披露したらしい。
 小早川、これは弟で、賢い人だが、それでは兄上が天下人になるつもりかと泣きながら止める。
 武人としては一流だが、天下を治めるだけの器かどうかを問うた。
 当然家訓があるので、そんなことはできないが、毛利が動く最後のチャンスだった。ただ、信長に代わって天下を統一するのは器だけの問題ではなく、時流がある。毛利はそのときではないということだろう。これがのち、徳川幕府と戦うまで、長い長い待ち時間がある。
 さて、これで、徳川に味方し、その時流に乗る勢力がほぼ消えた。毛利は動かないだろう。毛利には秀吉寄りの安国寺恵瓊がいる。これは毛利家の外務大臣のようなもの。
 徳川は北条の動きも気になる。姻戚関係になったが、真田が取っている城は協定では北条のものではないか、真田を直ちに明け渡せと何度も催促する。そのとき、真田は徳川側に属していた。その前は上杉だ。しかし、真田は城から出ない。困った徳川は真田を攻める。脅せば出るだろと思ったのだろう。だが、真田は屈せず、ここで徳川傘下から出て、豊臣側に走る。そして秀吉の頼みで、上杉は援軍に来る。これは先に語った。これで上杉も豊臣側と言うことを宣言したことになる。
 さらに徳川領内でも豊臣側に走る家臣も出てくる。城を捨てて、大阪城へ。
 一番困ったのは、人質時代から、ずっと一緒に付き添ってくれた重臣が、岡崎城を抜け出し、大阪へ走った。重臣中の重臣だ。岡崎城代をやっていた。
 ここまで来ると、もう負けたも同然。勝つ目が、ほぼない。
 大阪城まで行って臣下の礼を取るしかない。
 あの織田の三男も、それを進めにやってくる。
 家康も本当はそれがいいと思っていたのかもしれないが、家臣を押さえきれない。
 吉川英治は二つの天下と言っていたと思う。つまり信玄も謙信も信長もいなくなった時代、次世代としてこの二人が並び立ち、それに該当する大名は他にいない。毛利は大きいが輝元だ。そして天下を掌握し、将軍になって幕府を開く器量があるのは、この二人といっている。そして、戦いとは、ここではもう個人を越えた法則のようなものになると。
 三河武士団は長久手の戦いで勝ったとはいえ結果を出していない。領土も増えていない。関東へ勢力を広げるには北条を討つしかないが、北条は秀吉と組むだろう。だから挟み撃ち。北の上杉を討てばいいのだが、それでは川中島の再現になるどころか、上杉は北条と秀吉とも組み、これで三方から徳川は挟まれ、戦う前から結果は分かっている。だから、家康は大阪城を攻めた方が早いのだ。
 大阪城を攻める。この時代無茶。家康が大阪城を攻めるのは死ぬ前。まだまだ先の話。
 尾張での戦いで、長久手だけの勝利で終わらず、秀吉軍を敗走させ、伊勢や尾張の三男の兵と一緒に大垣を超え、琵琶湖に出る方がまだましだったのかもしれない。それができなかったので、何ともならなくなった。
 ただ、吉川英治のいうように、家康自身、天下を取る気がこのときあったのかどうかは分からない。
 信長の三男を助けるために出兵しただけなのだ。まあ、そこで大きな名分を掲げたようだが、天下を取るのではなく、奸臣秀吉を倒すというだけの話だろう。まあ、家康も、秀吉亡き後、同じことをやっている。秀吉と同じことを。織田家ではなく、主家の豊臣家を滅ぼしている。
 
 長久手での戦いは、和解が成立し、三男は秀吉側に付いた。だから家康の対豊臣戦の名分がなくなり、今度は三男が間に入り、秀吉と家康は和解する。そして家康の娘か息子かは忘れたが、大阪城に人質として送られる。最終的には秀吉が勝ったことになる。
 もし家康の理想通りに行き、大阪城が陥落し、秀吉の首を取った場合、今度やられるのは織田家の三男だろう。
 家康は一応源氏を名乗っているので、将軍になれるし、幕府も開ける。
 秀吉はその間、関白になっている。平時を名乗っていたので、将軍にはなれなかった。しかし、征夷大将軍よりも偉い関白になった。人臣での最高位だろう。だから昔からある摂政として、政を一切を任された首相のようなものだ。日本国を朝廷に代わり、仕切ってもいい。
 まあ、それができるのは軍事力があるためなので、軍事政権だ。そうでないと、この時代、仕切れなかったのだろう。
 
 このあと家康は大阪城で君臣の礼だと思うが、違うかもしれないが、要するに秀吉の家来になるということだ。豊臣家の家臣に。
 このとき、その前夜秀吉は家康の部屋で、悪いが諸公の前で頭を下げてくれと頼んでいる。ただの儀式なので、よろしくと。
 だから三河武士団、家康の家臣団のような感じの家臣と、秀吉の家臣とは違うのだろう。寄親程度だったのかもしれない。これが信長なら、家康と同じように、織田の家臣団は、しっかりとした家臣団だったはず。秀吉も、光秀も、勝家も、主君信長を恐れ、その命令は絶対聞かないと、首が飛ぶ。主従関係の重さが違う。
 秀吉の家臣団は同僚だったり先輩だったりする。またライバルだったり、敵国の大名だったりする。これは足利幕府よりも弱いだろう。武家の本当の統領と、平民の子との違いだ。
 しかし、他の大名や元同僚から見ると、信長よりも秀吉の方が組みしやすかったはず。
 
 ここで吉川英治は、丹羽長秀にも触れている。自害している。切腹だ。病が重くなったためと言われているが、秀吉に従い、織田家相続問題では勝家を敵に回して、秀吉に味方した。織田家の正統な後継者が長男信忠の子、三法師。まだ子供だ。だから信長に仕えていたように、この三法師の元に秀吉も織田家臣団も集まるものと思っていたのだろう。
 安土城近くに屋敷を建て、そこで織田家当主をやっていたのだが、子供だ。それに付き添っているのは前田玄以。秀吉と仲がいい。だから傀儡だ。しかし、もう誰も織田家の当主は三法師君で、秀吉はその家臣。織田家の誰もがその家臣。しかし、子供では何も判断できない。
 幼君を助ける重臣役を丹羽長秀は願っていたのだろう。
 柴田亡き後は織田家臣団のナンバーワン。重鎮だ。それをことごとく秀吉に利用された。丹羽長秀が秀吉の従うことの意味の大きさ、丹羽様でさえ、となる。
 後ろめたいのか、秀吉はもの凄く広い領土を丹羽に与えている。要するにこのとき既に与える立場なのだ。戦いの最高司令官の権利のように。
 老いて病み、助からないと分かったとき、自分はこれまで何をしてきたのかと、憤りを感じたのかもしれない。秀吉の勢いによる大きな分け前を得て、豊かな老後になっていたはずなのだが、そうでもなかったらしい。北陸探題。そして近江の坂本あたりまで領地を持っている。
 長久手での和解の使者として丹羽が動いている。別に断らず、秀吉の言う通り、使い走りをしている。これで和議がなるわけがない。徳川軍を動揺させるためだ。もしかして、和解するのではないかと思うと、戦意が落ちる。だから秀吉の手だ。
 実際に和解したのは信長の三男を抜いてからだ。そして三男からの頼みで、和解に応じた。
 結果的に織田家臣団で生き残り、大国を得たまま明治まで行ったのは前田利家だろうか。黒田も細川もいるが、生え抜きの織田家の家臣ではない。
 太閤記、それは出世太閤記でもあり、平民から天下人になる話なので、痛快な話ではあるが、秀吉の晩年や、豊臣家のその後を知っているだけに、哀れを誘うが、少なくても英雄であったことに変わりない。
 
 
 
 
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2019年12月15日

松屋牛めし

■■ 2019年12月15日 日曜日 午前10時48分
 
 今朝は晴れているが、風が強い。しかしそれほど寒いとは思えないので、気温も高いのだろうか。風が強いとかなり寒いのだが。
 今朝も昨日と同じような遅起き。一度目が覚めたような気がしたのだが、無視して寝続ける。起きる気がないのだ。これが用事がある日なら、そのとき起きただろう。
 時計を見なかった。これが確信犯だ。目を開けないので、そのまま寝たが、まだ寝ている状態に近かったので、これは起きたとは言えないが。
 しかし、晴れているので、悪くはない。それに日曜なので、遅起きは当然だろう。だが、カレンダーの上だけの日曜で、平日とやっていることは変わらない。勝手なときだけ土日を利用したりする。
 昨日はご飯が切れていたので、夕食は外食か弁当にすることに決めたのだが、戻ってから米を洗い一時間ほど待つのが嫌なためだろう。ご飯を炊くのは朝がいい。
 それで、久しぶりに牛丼屋へ行く。これなら300円台で済む。味噌汁が付く松屋。吉野家も近くにあったが、帰路とは逆なので、流れが悪い。それに高い。
 吉野家は口頭でレジでいえばいいが、松屋は自販機で、階層が深い。一番単純な牛丼を探すが、ない。パネルには新メニューとか、そういうのがドンとあるためだ。以前と表示が変わっているので、分かりにくい。
 結局探しても見付からなかったのだが、一番上に小さなアイコンが帯状に並んでおり、そこに牛丼があった。それを押すと牛丼メニューが出るだけなので、さらに牛丼の並で、単品を選ばないといけない。手間なことだが、万札の両替を気兼ねなくできる。千円札も小銭もあるのだが、千円札が切れかかっている。普通の店で万札は出しにくい。コンビニでも五百円以下のものを買うことが多いので、これも出しにくい。特に馴染みの店では。少額の買い物ほど、千円札の釣りが多いので、都合が良いのだが。
 それで牛丼を食べたのだが、甘い。味を変えてきたのか、嫌な甘さだ。これは駄目だと思い、もう松屋で牛丼を食べないことにした。それと汁が少ない。そのかわり味噌汁が付いてくるので、汁は多いのだが、牛丼の中の汁が少なく、潤っていない。玉葱程度は入っているはずなのに、確認できなかった。この玉葱に含まれる水分、そして玉葱から出る甘味。これが大事なのだ。だから、この牛丼、砂糖のような物を入れているのだろう。
 戻ってから胸焼けした。これなら、コンビニの牛丼のほうがましだ。
 肉より、野菜の煮物に入れる厚揚げを囓っている方がおかずらしい。それとか、薄い切りハムとか。
 この時期、すき家の牛すきや牛鍋がよかったりする。豪華だ。すき家の「すき」はすき焼きのすきだろうか。牛丼はすき焼きをご飯にぶっ掛けて食べる感じが理想。豆腐や白ネギとか麩や糸こんとかも混ざっているのがいい。何せすき焼きはメインを取れる料理で、いいことがあった日か、特別な日の食べ物に属する。牛すきと牛鍋がある。うどんを入れて食べると、うどんが美味しい。豆腐もすき焼きに入れた豆腐が一番美味しい。
 すき焼きは決して肉を食べるための料理ではない。
 その添え物が美味しいのだ。
 
 
 
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2019年12月14日

1インチで十分TX1

■■ 2019年12月14日 土曜日 午前10時53分
 
 今朝は晴れている。いい感じだ。寒いが陽射しがあるので、何とかなる。室内はこういう日は逆に寒いだろう。凄い日影になるので。
 年はどんどん押し迫ってきて、今月もほぼ真ん中に来た。中旬だ。十日後にはクリスマスとなるのだから、これは押し迫っている感じがする。十日というのは一週間ではないが、一週間は早い。ゴミを出す日がすぐに来るように。そして、週末が早いように。え、もう一週間経ったのかと言うほど。十日間の感覚というのはないが、それに近いだろう。週や曜日単位での用事などがあるためだろうか。
 しかし週単位では曖昧なときがある。月初めの日曜とか、月の終わりの日曜とか。
 上旬中旬下旬が十日単位。この場合、上旬と中旬の境目は曖昧。
 また来月の下旬というのは、日にちに幅がある。16日から30日や31日までのことだが、早くて中旬、遅くてその次の月の上旬。
 四季のように月を四つに分けないのは、30日間ほどなので、割り切れないためだろう。3なら割り安い。割引はないが、30日と31日の月がある。
 まあ、こういうのは自然現象と使いやすさを見て、人が決めるのだが、決めなくても、決まっていたりし、誰もが知っていたりする。
 ただ、日にちとか、時間とかの単位がバラバラでは取引ができない。しかし月の満ち欠けで日にちを指定することができるが、かなりは幅がある。たとえば満月近くに、とか。これは雲が多いと見えないが。
 今朝は寒かったためか、かなりの遅起きになってしまったが、是非もない。寒いとき、早起きしても仕方がないわけではないが、寝ている方がいい。一日が忙しくなるが、何かを省略すればいい。
 それよりもよく寝て起きてきた方がいい。だから、遅起きは悪いことではない。身体がそう促しているのだから、それに素直に従った程度。しかし、遅いと困ることもあるが。
 
 昨日は喫茶店からの戻り道に大回り散歩で残っている紅葉などを撮りに行ったので、そこそこの時間に起きてきたが、戻ってくると大変遅い時間になってしまった。だから、今朝の大遅起きと昨日の帰宅時間が同じになるのではないかと思える。
 遅起きの話ではなく、撮影の話だが、1インチタイプのTX1を使っていると、普通の一眼レフはいらないのではないかと思えるほど、ボケてくれる。確かに差はあるのだが、大きな画面で見ないと分からない。写りは小さな受光素子でも大きな受光素子でもそれほど変わらないが、背景のぼけ具合だけが違う。1インチでも十分ボケるので、写真が柔らかくなり、ピントが来ている箇所が引き立つ。まあ、遠方だけを写したときはボケないので、同じだが、手前に何か入れると、手前ボケ、前ボケとなるので、これもまた奥行きを与える。何かフワッとしたものがあるなあ、程度だが。
 それで紅葉ではなく、椿が咲き出し、花びらを付け出したので、それを写す。もう少しすると、もの凄い数の花を付けるのだが、まだ、その手前。ポツポツ咲き程度。
 ミラーレスを一緒に持ち出していたのだが、400ミリ近くまである望遠だが、猫がいたのだが、届かない。TX1は250ミリで、こちらの方が短いのだが、1000ミリになる。それで猫の顔を抜けた。画質に問題はない。晴れていて日を受けているときは問題はない。これも写し取れたことが大事。
 背面液晶の明るさは自動調整。昼間の明るいところでも、見えにくくなったということは今のところない。明るいと自動的に上げてくれるのだが、それさえわからないほど。
 一眼レフ風、ミラーレス風な絵を求めるのなら、1インチで十分ではないかと思える。一緒に持って行ったミラーレスと大差が無いし、同じものを写したのだが、見分けられない。まあ、どちらも晴れて陽射したっぷり受けている順光ならどんなカメラで写しても、冴えた絵になるものだが。
 また、暗所に弱いわけではなく、よく写っている。
 
 
 
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2019年12月13日

TX1撮影編

■■ 2019年12月13日 金曜日 午前9時48分
 
 今朝は比較的すっきりと晴れている。青空率が高い。雲があまりない。晴天だろう。しかし、晴れている日の朝は寒いようだ。
 陽射しがあるので、それほど寒くはなさそうだが、夕方になると、冷え込むかもしれない。毎度のことなので分かりきったことだが。
 寒くても晴れていると気持ちがいい。暖かくても曇っている日よりも。晴れというのはやはりハレなのだ。
 しかし、晴れの日は結構多い。珍しいことではない。結構晴れて気持ちのいい日は多い。そのため、日常的になっており、珍しくはないが、流れというのがあり、曇り日が多かった後に晴れが来ると、これが値打ちで、新鮮だ。
 それと日々は、分かっているようでも、分からないので、踏んでみて初めて分かる。予想はできるが、実体験は別。これはいつも違い、真新しい。別に新年が来なくても。
 その新年も近付いて来るのだが、新年を意識しするか年末を意識するかがある。今は年末、年の瀬を意識するだろう。31日のことだ。越えてからではなく、超える直前。そして超える手前。
 だから今年も押し迫ったとか、年が終わるとか、そちらの話題が多い。その気持ちの方が多いためだろう。この時期、新年をあまり意識しないだろう。来年が来ると言うより、年が終わる方を気に掛ける。
 新年は新年になってからでいい。ここは慎重なのだ。越せるかどうかを迂闊に判断し、越せると思い込むのが、一寸楽天的過ぎるという感じになる。それは越してみないと分からないぞ、ということだろう。
 天は楽ばかりではなく、苦もある。晴れたり曇ったり雨になったりするので。
 
TX1撮影編
 パナソニックの1インチコンパクトデジカメで25から250で望遠に強いカメラ。既にその新製品が出ているが、あえて古い方を買っている。
 さて、撮影だが、実際に外に出て写してみると、カメラが小さく、構えにくかったりする。このサイズは手かざしが合っているのか。そちらの方が早かったりする。
 だから一般的な1インチ高級コンパクトデジカメと同等の使い方になりそうだ。
 要するに小さなカメラでチマチマしているので、あまりワイルドには使えない。
 小さなカメラでファインダーがあると、これはやはり覗くのが恥ずかしいような気になる。また、ファインダーを必要とするようなシーンはあまりなかったりする。
 ファインダーが小さいのでチマチマした写し方になってしまうのだろう。
 ファイダーの小ささと風景の小ささとは違うが。
 まあ、最初の印象は小さくて頼りないということだった。単純な話だ。
 その前に新品で買ったソニーのWX800はウェストレベルで液晶を真下に見ながら両手でしっかりと掴んで写すので、カメラは安定しているので、あまりチマチマ感はない。ところがTX1は液晶が動かないので、手かざしか、少し下げた程度になり、これが不安定なのだろう。
 よく考えると、この1インチの高級機の方が安かった。中古と、新製品のソニーとでは違うし、またソニーはどのカメラも高いので、そうなるのだが。
 しかし、実際に写したものをパソコンで見ると、安定している。まずは色目がほぼ同じなのだ。見た色と写っている色がほぼ同じ。これは見事だ。
 それとソニーは連写合成で写すことが多いが、TX1は素の力で写している。まあ1インチの優位性があるので、最初から有利なのだが。
 ライカデジカメの世界というのがあるようで、デジカメなのに液晶がなかったりする。フィルム時代の感覚で写せといわんばかりに。写っているかどうかは家に帰ってからでないと分からない。まあ、昔なら自分で現像でもしない限り、その日のうちに見ることはできなかったはず。
 これが撮影での緊張感を生むのだろうか。
 それで、撮影のときはそれほどでもないが、戻ってからパソコンで見るのが楽しみになる。外出でのお土産のようなもの。
 このカメラ、本当に小さい。まるで小刀で彫るような写し方になる。狙うのは急所だけ、という感じだが、実際には24ミリで大まかに写すのが適している。とりあえず写しておけという感じだ。
 液晶だけでは被写体の細かいところは見えないし、ファインダーも小さいので、構図程度しか分からない。望遠になるとピントは見え、背景がボケていること程度は分かるが。要するに大凡のところを、ざくっと写すのに適している。そしてよく見て写していないので、何が写っていたのかはあとのお楽しみとなる。だから作画意図とか、そういった臭いことは似合わない。それなりの作画機能は付いているし、操作はできるのだが、何せチマチマしているので、窮屈。幼児自転車に乗っているようなもの。
 ところが、この写し方、意図しない良さがある。狙い定めたものを詰めていくような写し方ではなく、このあたりが臭いと思うところにカメラを向けて切り取る程度。いわばカンだ。
 コンパクト系ほど写し方が難しいのかもしれない。だから素人はプロ機材で写し、プロはコンパクトカメラで写すわけではないが、それほど勘所が分かっていなければ素人が手にするカメラではないのかもしれない。しかし、コンパクト系は素人向けなのだが。またタイプのカメラ、特にパナソニック系は初心者向けが多いのだが。
 ソニーの回転式デジカメでウェストレベルで写していると上から覗くカメラを思い出す。しっかり絵作りをするアート用で、作画向けだ。レンズがツアイスだと、なおさらその趣がある。
 ところがTX1はライカレンズを付けているからというわけではないが、ドキュメント的。アート性よりも、その瞬間を写し取ることが大事な世界。ピントや構図などどうでもいいような世界だ。写したこと、そこに立ってカメラを向けたことが全てのような世界。しかし、普通の日常の中に、そんな緊迫したシーンはない。ただ、緊張する場所はあるが。
 当然街ゆく人を平気で写せない。そこを何とか写し取るというのが、値打ちになる。
 要するにこのカメラ、ライカの末裔で、それの一番小さなカメラかもしれない。このカメラのライカ版もある。
 猫を写したのだが、その日はニコンの一眼レフをメインで持ち出していた。シグマの400ミリ近くまである高倍率ズームを付けて。
 いつも寝ている猫がいるのだが、400ミリではそれほど寄れない。そこでTX1で写す。こちらの方が望遠は弱く250ミリしかないのだが、これが1000ミリになる。少し甘い画質になったが、それなりに写っていた。これが許せる画質と言えるのは、写したことが大事というだけのことで済ませられるため。画質は多少甘いが、アップで猫を捕らえることができたので、どういう猫なのかがよく分かるのだ。
 これは猫写真家なら駄目だが、ドキュメンタリーとしてならいける。
 まあ、そういう解釈をしてもいいのが、このカメラだろう。勝手な話だが、そういう風にして、自分のカメラにしていく。
 
 写しているものはいつものものだが、違いがあるとすれば画質とかタッチだろうか。新しいカメラを買ったとき、これを見るのが楽しみだ。ただ、部屋で気兼ねなく試写するのと違い、外では写すだけで一杯一杯なので実戦ではまた違う。
 このカメラを使っていると、すぐに意識してしまうのは700ミリ超えの旅カメラTZ95だろうか。ほぼ同じ操作感だが、多少は違っている。
 画質比べでは当然1インチの方が有利なのだが、それほど違いが見えるわけではない。ただ色目が濃いとか、その程度だろうか。TX1の方がこってりとしており色のりがいい。特に暗い場所では。
 それとエッジ立てというか、がさっとしたところが少ない。細かな葉や細い草草などが密生しているところでは、ガサガサした感じになるのだが、それがすっきり滑らかにとまではいかないが、エッジ立てが目立たない。どちらもフルオートなので、何も設定はしていない。
 だが、操作性や写しやすさはTZ95の方がよい。カメラも大きいし、分厚いので、しっかり握れる。カメラの背も高いので、窮屈さがない。これも僅かな差だが、重さもTZ95の方があるので、少しだけずっしりとしている。だから安定感があり、カメラがあまり動かないので、いい。
 軽く小さいのがコンパクトデジカメの命だが、望遠側があるので、小さいと苦しいときがある。
 しかし、写りは良く、手ぶれ補正がよく効いており望遠端ではピタリと止まり、動かなかったりするので、これは凄い。
 さらに250ミリを延長し1000ミリで写した場合も、一見して分からない。直射日光が当たっているところでは鮮明だ。光が味方となる。
 この1000ミリは使える。
 ズームレバーを引いているとき、逆に250ミリで止める方が難しい。ズーム表示を見ていないと止まらないのだ。だから満足のいくところまでズームすればいい。そういう風にできているのだろう。
 ここで1インチの差が出る。二倍になるのではなく、四倍になる。
 それで遠くにいる人を写したのだが、カメラが小さいので、手にしている物がカメラだとは分からないかもしれない。当然ファインダー撮影だと顔がカメラになるので、遠くからでも分かってしまう。
 要するに写りの安定感を買いたい。写す安定感はないが、写っている絵は安定している。申し分ない絵。
 TZ95に比べ、広角端が明るいこともあり、夜などでも写しやすい。どちらも3200より上がらないフルオートモードなので、超高感度を使わない状態でも、すんなりと写っているので、安心して夜景などが撮れる。そのときもほとんど液晶だ。暗いので液晶もよく見えるので。
 画質のいいカメラで写すより、いい画質に見える光線状態や被写体を探した方が早かったりする。
 実際にはどのカメラで写したかなどは本人に聞かなければ分からないだろう。特にいつも写すような日常風景では、どのカメラでも大差はない。
 その意味で、小さな受光素子なのに、TZ95は健闘している方だ。
 
 さて、撮影編と言っても移動しているとき、一寸写した程度だが、お供はニコンの一眼レフ。これはTX1にとって強敵だ。しかし、先ほども言ったように猫や鳥は400ミリ程度ではアップで抜けない。だからTX1の1000ミリが効く。デジタルズームなのだが、よく見ないと分からないだろう。これは先にも言った。
 その他、一寸したものを写していたのだが、下にあるようなものを覗き込んで写すとき、手かざしが楽。
 ニコンも液晶で写せば、ミラーレスのようになるのだが、使ったことがない。光学式ファインダーの一眼レフは、ファインダーを見て写すのが儀式なので。しかし、手を伸ばして、さっと液晶で写す方が楽なので、TX1を多用した。
 同じものを両機で写して、後で見たが、似たような絵だったが、ニコンの方が濃く、そしてアンダー気味に出るので、写真ぽかったが。
 まあ、どちらで写しても似たようなものだが、一眼レフファインダー撮影の方が充実する。写した気になる。写していて楽しいのは一眼レフだ。ミラーレスではなく。
 しかし、移動中の撮影とは言え、定点があり、いつも猫がいるような場所とか、鳥がいるような場所、花が咲いているような場所がある。望遠を持ってきていない日は、素通りする。
 また、偶然猫や鳥を見付けたとき、望遠を持ってこなかったときは、がっかりする。
 TX1は1000ミリまで使えるしポケットに入るし、ファインダーも付いているので、写しやすい。
 
 このカメラを買ったことで、同じ1インチのFZ100の良さも改めて見直した。ファインダーが大きく倍率も高く、鮮明なのだ。そういういいものを持っていたのに気付かせてくれたりする。ただ、ポケットに入らないが。
 
 1インチデジカメはそこそこボケる。1インチ高級カメラはもっとレンズは明るいので、さらにボケるだろうが、望遠が弱い。そして1インチ高級コンパクトは激戦区だ。1インチコンパクト系があれば一眼レフやミラーレスはいらないという程良く写る。しかも小さい。スマホよりも小さいだろう。重いが。
 それを250ミリまで伸ばしたのがTX1。その前にも同じようなカメラを出している。1インチタイプが出る前の高級デジカメは、少しだけ受光素子の大きいタイプ。それに200ミリを付けたのを出している。これはかなり小さいのだが、ファインダーまで付いていたのだ。これの1インチ版が今のTX1で、さらに300ミリ越えに伸ばしてきたのが最新のTX2となる。ソニーはそれに追従し200ミリまで伸ばしてきた。しかし中級機ミラーレス、ソニーで言えばα6400のダブルズームキット付きと値段は変わらないほど高い。何が言いたいのか、ミラーレスよりいいだろうと言うことだろう。小さいので持ち運べるので。だからミラーレスのかわりになるということかもしれない。
 ソニー系で言えば、28から200ミリ相当の高倍率標準ズームキットと同等。それがポケットに入ってしまうのだから。
 しかし、実際の撮影では小さく軽すぎるので、写しにくかったりする。
 だからTX1も同じなので、安定感に欠けるが、手の平に入ってしまうし、目立たないカメラなので、日常の中に入り込める。だから日常携帯カメラとしての用途がある。
 
 
 
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2019年12月12日

パナソニックTX1詳細

■■ 2019年12月12日 木曜日 午前10時03分
 
 今朝は晴れているようで曇っている。青空はあるのだが、雲が多いためか、陽射しが来ない。気温はそれほど低くはないようだが、暖かくはない。つまり中途半端な分かりにくい天気。リアルではこういうのが多い。把握しにくい。そして曖昧。
 まあ、雨が降っていないだけよしとするしかない。そして手が悴み耳が痛いような寒さではないので。
 12月も中頃になり、ここからは急坂を下る感じで、あっという間だろう。一月後、1月の中頃になる。正月が明け、少し立った頃。その間一ヶ月。そう考えると、もう来年が見えている。ただ、息をしていたらの話だが。先のことは誰にも分からない。
 雪不足でスキー場がどうのというニュースがある。すると暖冬なのか。あまり寒くないということだろう。しかし、雪はまだ早いと思うのだが、それは大阪方面の話で、スキー場の話は新潟。越後だろうか。雪が深そうだ。しかも日本海が寒そう。
 だが、実際にその地で暮らすと、そうでもなかったりしそうだ。印象だけで語り、またそういった情報だけで語るためだろう。その通りだった場合もあるし、そうでない場合もある。
 雪国といっても一年中雪が降っているわけではない。夏などは大阪よりも暑かったりする。
 大阪よりも暑く、そして豪雪地帯。これはどう解釈すればいいのだろう。だが、そこに住んでいると、普通のことで、あまり意識していないのかもしれない。そういうものだと。
 伝わってくるニュースなどが極端なためだろう。まあ、そうでないとニュースとして流れないが。
 同じことでも人により言い方が違うし、解釈も違うし、受け取り方も違う。だから世界は一人一人にあるようなもの。
 共通しているようなことでも、何処かで食い違う。
 悪い奴といわれている人も、別の人から見るとそうでもない。また差し障りがないので、罵倒でき、差し障りがあるので褒めもできなかったりする。
 誰に対して差し障りがあるのか。それは一人一人の世界に対してだろう。
 
 注文していたパナソニックの1インチコンパクトデジカメTX1が届いたので、早速開封。
 中古で元箱なしだが、元箱のあるタイプよりも安い。程度は良だがこすれ傷などや、印字が薄くなっている箇所もある。よく使い込んでいたのだろう。傷などのほとんどは鞄の中で擦れたりしたものだと思える。マニュアル書は入っていない。欠けているのがあるので、安かったのだろう。基本的に必要なものは入っているが、USB充電できるので、そのコードなどは複数持っているので、それはなくてもかまわないほど。
 しかし、おまけとして未開封のSDカードが入っていた。聞いたことのないメーカーだ。そしてマイクロSDカードなので、あれっと思った。TX1は普通のSDカードのはずなのだが。
 それでバッテリーを入れるとき、カードスロットルを見ると普通のタイプ。
 幸いマイクロSDと一緒に下駄も入っていたので、それに突っ込み、差し込む。問題はない。32ギガもある。いつも買うのは8ギガの一番安いタイプだ。量が多すぎる。分ければ何枚分にもなるので。まあ、動画などを考えれば、これぐらいは必要なのだろう。
 バッテリーは最初から結構残っている。時計も1分少し違うだけ。
 ここが消えていると、製造された年から始まる。それで年代が分かる。
 このカメラは古いが、まだ現役機で、新バージョンと共に並んでいる。タイプが少し違うためだろう。レンズが同じだし。
 一方FZ1000は消えている。FZ1000マーク2とレンズは同じなので、重なるためだろうか。
 まあ、F2.8スタートに意味があるのかどうかは分からないが、明るく感じるはず。
 宅配便で段ボールを受け取ったとき、スカスカ。軽すぎる。中に入っていないのではないかと思ったが、無駄なものがないので、軽いのだろう。マニュアルとか。
 
 それで早速試写。可も無く不可も無い。普通だ。
 ファインダーは小さく解像力も低いのだが、よく見える。結構鮮明だ。小さなファインダーなので、それほど解像力は必要ではないのかもしれない。暗いところでもざらつきが少ない。癖のない見え方だ。像倍率が低いのでアラが見えないのかもしれない。
 視度補正をしなくても合っている。前の人と同じ視力なのかもしれない。しかし、パナソニックのコンパクト系は、その視度補正ダイヤルがよく動く。これも動きそうだ。テープを貼る必要がある。
 この問題は最新のTZ95で改良された。奥まったところに入ったので、直接あたりにくくなったのだろう。だから動いたことがない。しかしその前のタイプのTX1なので、動きそうだ。
 薄暗いところでもピントは合うが、パナソニックのネオ一眼ほどではない。少し間がある。これはかなり暗い場合で、実際にはそんなところにピントを持っていくようなことはないのだが。一応ピント精度を見るための実験。
 どうやら中央部一点よりも、顔認識もやる自動被写体選択のフルオートタイプが一番合いやすいようだ。そちらにした方が早いし。
 まあ、暗いところではそうだが、中央部一点が必要なのは、背景に持って行かれそうな手前にある小さなものだろう。だが、パナソニックのAF自動認識は結構思ったところに来ることが多いし、背景に持って行かれる率が少ない。こういうところがよかったりする。空間認識AFというコントラスト式だが、独自なものだ。だから4Kフォトで、あとでピントを選べるモードなどもある。使っていないが。
 
 起動は速く、ファインダーの待ち時間は少ない。また、背面液晶を見ていて、ファインダーを見たとき、その切り替えは瞬時。これが待たされるミラーレスがあるのだから、どういうことだろう。
 また、電源を入れた瞬間、さっとズームレバーを引いても動いてくれる。これが動かないと、指が痛い。
 最新のTZ95よりかない古いのだが、それ並のスピードがあり、キビキビ動く。スナップ向け、ちょい写し向けだ。待たされないのが一番いい。ここが駄目だと、さっと取り出しさっと写せないので。
 高級タイプに属するが、1インチなので、それなりに重いのだろう。受光素子の小さなカメラのほうが動きが速いようだ。
 高いカメラの方が動きが遅く、安いカメラのほうが動きが速いとなると、これは何だろうと思う。
 
 感度は1万を超えるところまで、オートで上げてくれるが、シーン自動認識のフルオートモードでは3200で止まるようだ。それでは露出不足になるので、シャッタースピードが落ちるのだが、8分の1秒以下には落ちない仕組みのようだ。これはプログラムモードなら設定できるのだが、フルオートではリミッターがかかる。8分の1秒という安全圏を越えないように。そのため暗い目に写るが、夜景や薄暗い部屋なら、そういう暗さで、ちょうどになる。
 プログラムモードに入れると感度は1万を超えるので、暗い室内が昼間のようになる。
 それで、3200でもいけそうなので、夜も、これで行くことにする。要するにフルオートのままで十分と言うことだろう。
 
 露出補正はフルオートでもできる。プラスマイナス五段までいけるし、そのスケールが表示されるのだが、大きな目盛なので、裸眼でも見える。これは露出補正しやすい。
 ホワイトバランスはフルオートにはないが、色目を変更できる。だから同じことだ。
 暗いところで、補助光が光るのだが、これがもの凄く夜道では目立つ。プログラムモードでは消せるが、フルオートでは消せない。そのときはサイレントモードに入れれば消える。静かな場所で写すのだから、赤い火を発射させてはいけないだろうという配慮だろう。これで機械シャッターから電子シャッターに切り替わるのかもしれない。
 これで、電子音や、シャッター音など全て消える。
 
 デジタルズームは劣化しない領域があり、デジタルズーム系を使わない設定にしていても、その領域のおまけが使える。劣化がないとされるが、これはよく使っているが、綺麗に写っている。だから使わないと損だ。
 別に使い方はなく、ズームレバーでイケイケになるので、もう合体している。
 デジタルズーム率は保存画素数で決まる。サイズがLMSとあり、Sでも結構大きい。これで、最大ズーム比が変わる。
 Sにすると250ミリが1000ミリになる。
 最短撮影距離が望遠端で70センチなので、その距離で1000ミリが使えるということだ。試してみたが、びくともしない。これは強力な望遠マクロの世界になる。
 マクロとは別に虫眼鏡モードがあり、こちらは至近距離からの撮影で、広角側で寄れるだけより、そこからズームで三倍まで拡大できるのだが、これはただのデジタルズーム拡大なので、劣化するとなっている。まあ、小さな文字などを写し取って読むときには、この虫眼鏡の役割はいいのだが、写真としては少し粗くなる。
 
 電源はレバー式で、パナソニックミラーレスやネオ一眼と同じ手前側を親指で向こう側へ押すタイプ。指が痛くないのでいい。
 大きさは旅カメラのTZ95よりも小さく、薄い。1インチでしかもファインダーまで入れ、ストロボまで入れているのだから、詰め込んでいる感じ。これで液晶が回転すればいうことはないのだが、それでは分厚くなるし、ファインダー接眼部と被る。FZ95は上手くそれを交わしているが。
 グリップの飛び出しはあまりないが、軽くて小さいので、この程度でもいいだろう。片手で握ったときのバランスもいい。
 小さなボディーなのにファンクションボタンが四つもある。凝った写し方をする人なら、切り替えが楽だろう。それらは全て入れ替えられる。
 ファインダー内に、ズームしたときのミリ数や、何センチまで寄れますよという表示が分かりやすい。中間でもかなり寄れるようだ。これはパナソニックコンパクト系一般に言えることだが。
 カメラそのものの実力は差し置いて、そういったインターフェースの良さがある。パナソニックのカメラは優しい。
 
 虫眼鏡モードだがTZ95ではもろにデジタルズームになるので、無理があったが、TX1は1インチなので、その余裕でか、それなりに写っているので、これは使えることが分かった。
 そうなると1000ミリで70センチからの望遠マクロと、接近してのマクロもいけるということだ。ただ、画角は広角端ではなく、少し望遠側へ寄っているので、広角マクロというわけではないが。まあ24ミリでギリギリ寄ってもそれほど大きく写らないが、背景は広く映るので、その組み合わせの妙がいい。
 1インチのメリットは確かにある。
 
 AFはフルオートのシーン自動認識と顔認識または被写体自動選択でほぼいけるが、ピンポイントのものは合いにくいことがある。このときはプログラムモードで、中央一点で合わすとすっと合う。
 逆にフラットで、コントラストのない被写体では一点AFよりも自動選択の方が合いやすい。これは合いやすいものを探し出してくれるためだろう。
 被写体自動選択で、とんでもないところにピントが来ることはパナソニックの場合、あまりないが、そのとき一点にすることはできない。切り替えられるのは追尾。このときは一点になる。指で被写体をタッチすればいいのだが、望遠などではぐらぐらするし、小さなものに指を当てられない。
 AFフレームは追尾だけに切り替えられるので、それに変えれば中央部一点になるので、ピンポイントの被写体を捕まえることができる。ピントが合うと掴んで離さない。十字キーのボタンを押すと解除される。
 ボタンひとつで、中央一点に切り替えられると有り難いのだが、それができるのはFZ300だろう。レンズ側にそのボタンがある。そしてすぐに戻せる。そしてモードはフルオートモードのままなので、切り替える必要はない。
 プログラムモードにすれば中央一点になるようにしておけばいいのだが、カスタマイズした画質に変わってしまうので、タッチが違うかもしれない。
 まあ、パナソニックやニコンのカメラは、あまり無茶なところに勝手にピントは来ないので、バタバタしなくていい。
 
 しかし、こういうカメラを見ていると、1インチでもない小さな受光素子のFZ300がいとも簡単に暗いところでもピントがさっと合い、写りも悪くないのだから、これは脅威だ。感度も上がらないのに、3200だけで結構暗いところでも写っている。やはり全域F2.8のレンズが効いているのかもしれない。それとよく分からないが、望遠側でF2.8の明るさのためか、ピントがさっと合うし、正確。
 これは兄貴分のFZ1000の1インチものよりも凄かったりするし、渡り合っている。FZ1000もレンズはかなり明るいのだが。
 FZ300は名機の系譜だったのが、これで分かる。FZ200の後継機なので。
 まあ、TX1はポケットに入るが、ネオ一眼はポケットに入らないので、持ち出す機会は多くはない。その差が結構大きいのだが。
 だが、改めてFZ300の恐ろしさを見た思いだ。
 ただ、1インチとの差はやはり色で出る。TX1は暗くても色が濃く出る。FZ300は少し薄くなる程度。
 このFZ300の凄さや、ニコンのP900の解像感の高さには驚かされる。
 高いミラーレスや一眼なら綺麗に写ってあたりまえ。それでは面白くない。
 TX1は最初から1インチという高い下駄を履いているので、写りは悪いわけがない。だから、写っているのを見て、ああ、普通だという程度で、あまり驚きはないのはそのためだろう。
 
 使い慣れたパナソニックのカメラなので、まあ、そこもまた新鮮味がなく、今まで見たこともないような機能とかもないが、新機能よりも、従来ある機能をより使いやすくすることの方が大事。なぜなら一番多く使うところなので。
 その最初は電源だろう。このカメラはレバー式で、狭苦しいが、親指でぐっと前へ押せばいい。だが、もっと以前のコンパクト系は小さなレバー式だったのだが、いつの間にか一般的なボタン式になった。まあ、そちらの方が力がいらないが、場所が問題。
 TX1の電源レバーは、この小さなカメラには不似合いだが、ボタン式よりも明快。押せばオンオフではなく、物理的なため。そのため、プレビューボタンを押しても反応はない。電源が入っていないと、液晶は付かない。オンオフ式のボタン式なら、プレビューボタンを押せば電源が入るのだが。
 まあ、このレバー式は本格的なカメラだと言うことをいいたいのだろう。確かに曖昧さがないので、明快だ。
 十字キー周辺がダイヤル式になっているタイプもあるがこのカメラは、そうなっていない。あればダブル電子ダイヤルになったのだが。それと液晶で写すとき、十字キーのところが回る方が使いやすい。しかし、逆に十字キーを押しにくくなる。何処がダイヤルで、何処がボタンなのかが分かりにくいため。
 このカメラは小さいが、十字キーは親指の腹で楽に押せる。明快な落ち方をして、好感が持てる。
 撮影モードダイヤルは硬い目なので、不本意に回ることがない。どうせフルオートモードしか使わないので、軽く回ると困る。だから撮影するとき確認する必要はない。
 シャッターボタンも、ズームレバーも小さいが、固くはなく滑らか。
 ストロボはレバーで飛び出る。角度を指で調整できるので、天井に向けることもできる。使わないが、日影の花などでは有効だろう。
 鏡胴部にリングがあり、滑らかに回る。少し重みを持たせているのは、マニュアルフォーカスのとき用だろう。通常はズームになる。当然、別の機能に入れ替えられる。滑なので、気持ちがいい。初期設置はステップアップズームで、24ミリ、28ミリ、35ミリとか、段階的に回る。明快だ。何ミリで写したいのかが分かっているときは、重宝するだろう。
 さらにパナソニックらしいサービスで、デジタルズーム域に入っても倍率を出すのではなく、ミリ数を表示してくれる。250ミリまでだが、それを超えると500ミリとか1000ミリなどの表示がある。そして最高望遠ミリ数も最初から書かれているので、幅が分かる。このあたりのユーザーインターフェイスが結構いいのだ。新設だ。
 カメラメーカーではなかったので、こういうところに力を入れているのかもしれない。誰にでも分かるような表示だ。
 
 1インチサイズというのはパナソニックのハーフサイズのミラーレスとそれほど大きさは変わらない。だからパナソニックの一番安いミラーレスはコンパクトデジカメよりも小さかったりする。
 それよりも、普通のミラーレスよりもファインダーの表示が速く、切り替えも早いというのは、どういうことだろうか。本格的なミラーレスの方が遅いのだ。パナソニックのミラーレスはそんなことはないが。まあ、古いミラーレスしか持っていないが。古くて切り替えが早い。
 TX1は意外と早いが数年前のコンパクトデジカメなので今のFZ95はさらに早く瞬時になっている。スナップカメラとして、このタイプのカメラ方が速写性がある。
 ミラーレスは受光素子が大きいので、重いのだろうか。レンズも大きくなるし。
 そして機械式のズームはいいのだが、急激に回すと液晶が波打ち、見えなかったりする。
 TX1などの電動ズームの方が望遠端までのスピードが早い。回すときガタガタしないし波打たない。
 ファインダーは小さく、解像力も低いが、低いなりにもよく見える。
 それと手ぶれ補正も小さい目の受光素子の方がよく効く。フルサイズから見れば、超広角レンズを使っているようなものなのだから。
 広角ほどブレにくいというより、小さく写るので、よく見えないだけなのかもしれないが。
 
 
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2019年12月11日

パナソニックTX1購入へ

■■ 2019年12月11日 水曜日 午前9時34分
 
 今朝はまずまず晴れており、まずまずの時間に目が覚めた。起きるとき、まだ夢の中で2という数字が出た。二番手のような、二次のような。第一ではなく第二。これは意味らしきものがあって、二度寝の2で、今起きると、二度寝したので、遅いぞ、というような感じ。しかし、起きてみると、二度寝などしていない。そして時間的にはこの時期としてはまずまずの時間だったので、安心する。
 朝は夢の続きから始まるようで、起きてからが朝ではなく、起きつつあるまどろみから既に朝で、一日が始まっているのだろう。まあ、夢からさっと覚めたときで、覚えているときに限られるが。
 今朝は寒いので、中に着込むのを分厚い目のにしたのだが、それを着たとき、これはその上に、ダウンジャケットを羽織る必要はないような気がして、そのまま出た。薄着ではないか。
 しかし、マフラーというか首輪だけはした。カッターシャツの裏に毛が仕込まれているようなタイプなので、首元が寒いのだ。第一ボタンを留めると何とかなるが、喉を締め付けすぎになる。
 それで、昨日よりは寒いはずの道を自転車でいつものように走ったのだが、最初はいいが、スースーする。表地が綿生地のネルシャツなので、そんなものだろう。しかし裏毛のようなボアが胴体箇所だけに入っているので、そこはスースー具合はまし。スースーするのは腕だ。裏毛が入っていないためだろう。このボアボアの繊毛のようなもの、アクリルなので、多少は防風性があるのかもしれない。風を通しにくい。腕はツルッとした裏地が入っている。これだけでも普通のネルシャツより暖かいだろう。それでもやはり腕が寒かった。
 喫茶店に入ると、暖房が効いているので、丁度よい。
 街ゆく人を見ると、重武装。完全に真冬スタイルのロングダウンジャケットで、ぶかぶか状態で歩いていたり、自転車に乗っていたりする。そしてダウンジャケット率が意外にまだ高い。つまり、ほとんどの人は化繊を着ていることになる。結局軽さと効率を取るのだろう。それと安い。
 今朝こそ南極越冬隊のような重武装で出てもいいのに、シャツで出ているような感じになった。要するに防寒着がユニホーム。この時期の制服だ。
 昨日の昼間、結構暖かかったので、それを予想していたのだが、朝は寒い。昨日の夜の最低気温は1度。これは瞬間最低温なので、ずっとではない。
 しかし、昨日の昼間は暖かかった。晴れていい天気だった。だから、昼間暖かい日の朝は寒いと言うことだ。平均してしまえば、昼の暖かさが帳消しになるが、平均気温というのは現実には誰も体験できない。
 夜は寝ているので、寒くても分からないことが多い。
 
 昨日、言っていたパナソニックのコンパクトデジカメを注文したので、今日届くはず。
 TX1という初代機。コンパクト系の普及機は暗いところが厳しいが、1インチ受光素子の高級コンパクト系なら何とかなる。単に感度が高くなるためだろう。
 TX1は高級機路線だが、ズーム比の高い初代機だ。1インチ高級機のほとんどはもっとレンズが明るい。その分、望遠はスン止まりで、一眼レフの標準ズーム程度。ソニーが200ミリまでのを出したが、これだけが例外だろう。
 TX1に似ているのは、やはりパナソニックの定番旅カメラだろう。今はTZ95まで行っている。長く続いているシリーズで、花形商品だ。今朝もそれをポケットに入れている。
 最高感度が3200で止まってしまうので、暗いところが厳しいが、TX1なら1万台まで上がるので、何とかなる。その上の2万台はオート感度では上がらない。拡張のためだろう。
 パナソニックのカメラはフルオートのお任せモードにしていても感度は上限まで上がる。これが結構ありがたい。800とかで止まってしまうコンパクト系もあるためだ。だからプログラムモードに切り替えないといけない。これが面倒。
 パナソニックのカメラはフルオートのお任せモードでも結構弄れる。ここがメインのためだろう。
 ただ700ミリ超えの望遠が250ミリになる。しかし、夜に700ミリは使わないと思うので、夜景写しには250で十分かもしれない。昼間も鳥とか猫は厳しくなるが、鞄にネオ一眼を入れておけば問題はない。
 このカメラ、数年前に、非常に欲しかったのだが、高いので手が届かなかった。
 その後、新型が出たので、そちらを狙っていたのだが、やはり値段が高い。それからしばらくしてから、高かったTX1も中古ではガクンと落ち。コンパクト系普及機の新製品よりも安くなっていた。もう値段は高級機レベルではなくなり、熟れたので、買うことにした。
 新製品のTX2の望遠側の写りが甘いというのが一つのきっかけ。300ミリ半ばまである望遠が200ミリ半ばになってしまうが、望遠は1000ミリを超えないと鳥などは難しい。だから300ミリ超えでも、また700ミリ超えでも、今一つ寄れないので、同じこと。ここはネオ一眼に任せた方がいい。
 それよりも街頭スナップなどでは、このコピーライカ系コンパクトが写しやすい。気楽にさっと出してさっと撮せ。目立たない。
 ただTZ95は液晶が回転するが、TX1は固定。まあ、とっさの場合は液晶を上げる時間もないので、それでいいのかもしれない。ウェストレベルで写せないこともない。斜め上から何とか液晶は見えるので、ターゲット程度は分かるし、構図もある程度見える。斜めなので、圧縮されているが。ここはライカ式で、ファインダーも付いているので、液晶だけで写さなくても済む。
 この液晶の解像力や大きさはTZ95の前の機種とほぼ同じだろう。
 写りはソニーのWX800がかなり良く、非常に鮮明。パナソニックはそれに比べるとやんわりしている。だから画質の凄さで写すカメラではないので、逆に気楽に写せる。
 
 
 
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2019年12月10日

パナソニックTZ95その後

■■ 2019年12月10日 火曜日 午前10時48分
 
 今朝は晴れている。昨日も晴れていたような気がする。すると、続けて晴れていることになる。その前はどうだったのだろう。二日前だ。これは曖昧になっているが、しっかりとは晴れていなかったように思える。自転車のサドルの記憶。これが二三日前だ。濡れているので、拭いた覚えがある。夜露ではない。それ以上になると、日までは覚えていないが、何となくどんな天気だったのかは覚えている。
 いずれも印象記憶というやつで、印象に残ったものしか覚えていないようだ。ただ、小さな印象だと、これはもう忘れる。忘れてもいいものなので、忘れてしまうわけでもなさそうで、つまらないものでも未だに覚えているのがある。こういうのを覚えていても役に立たないのだが、記憶というのは役立つためにあるわけではないようだ。
 今朝は晴れており、陽射しもあり、そして気温も少し高い目。寒さが厳しくない程度だが、少し寒さが緩んだ感じ。このあたりが平年並ではないかと思える。12月はそれほど寒くはないので。
 今日は火曜なので、いつもの喫茶店は休み。そのため、週に一度だけ行く高い個人喫茶へ行く。ただ、サービスはいい。それと朝一番ではない限り、すいており、いつもの席が空いている。
 そして今朝は結構遅起きだったので、また夕方が早くなり、暗くなってしまう。夕方の時間に変化はないが、冬至前なので日が短い。だから暮れるのが早い。
 夕方の喫茶店へ出るとき、夕日があるかどうかが微妙なところ。数分違いで、沈んでいる。さらに遅れると、その残照もなくなり、ただの夜になっている。これでは夕方に行く喫茶店という感じではなく、夜に行く喫茶店になる。だから夜道を行く感じになる。
 ただ時間的にはそれほど遅くはない。時計の上ではそうだ。
 今朝、遅起きなのは夜更かししたためだろう。昨日と同じ時間に目が覚めたのだが、それを拒否し、二度寝した。まあ、その時間に起きても、それほど早い目ではなく、遅い目だが。
 こういうとき、風邪でも引けば、しんどいので、早寝するだろう。しかし、風邪は引きたくない。まあ、好んで引きたいと思う人もいないだろうが。
 
 今朝のお供のカメラはパナソニックのポケットに入る旅カメラのTZ95で型番が記憶できない。24から700ミリ少しある高倍率ズーム機。ファインダーが付き、この解像力や像倍率が、結構高く。非常によく見える。普通の撮影なら普通に写せる。ファインダーで被写体の細かなところまで見える。
 300グラム少しあり、少し大きい目なので、ポケットに入る限界に近いが、レンズさえ飛び出していないカメラなら、もっと大きく重いカメラでもポケットに入る。冬の服装に限られるが。
 TZ95はズボンのポケットにも入る限界カメラ。だから夏でも身に付けられるが、トランプを入れているようで、窮屈になるが、尻のポケットにも入る。このカメラの大きさ分厚さが限界だろう。
 一寸撮影に行くときは、ネオ一眼やミラーレスや一眼レフを持ち出すので、サブカメラ的なのだが、ペンタックスの一眼レフより、写りが良かったりする。だから、どちらがメインか分からなくなるが。
 パナソニックのカメラは操作性がいい。フルオートでも結構弄れるのだ。露出補正もホワイトバランスも弄れる。
 まあ、ほとんどフルオートで写しているのだが、AFも自動認識になり、思わぬものにピントが来たりして、困ることもあるが。まあ、そんなときは液晶をタッチして、一点AFに一時だけ変えてやればいい。
 このTZ95は最新機なので、今のパナソニックの機能や操作性などの最先端にあるカメラ。色々と改良され、使いやすくなっている。新しいカメラの恩恵だが、副作用もあるが。
 まあ、ほとんどはシャッターを押すだけ。ズームさえ使わないで、24ミリだけで写してもいい。
 電源を入れ、ファインダーを覗いたときはすぐに写せる。この待ち時間がないので、スナップ向け。ミラーレスでも待ち時間があるカメラがあり、ワンテンポ以上遅かったりするので、カメラを構えても真っ黒で何も見えなかったりする。街中でカメラを構えるのは一瞬。何もできないで、構えているだけでは間が悪い。この早さだけでも、このカメラの良さがある。ただ写りは関係しないが。
 今朝、このカメラを持ち出したのは、これの1インチタイプを物色しているため。
 そのタイプはTZではなく、TXシリーズで、その初代。古いので、中古でかなり落ちている。TX2をずっと狙っていたのだが、遠方での描写が甘いと言う情報が複数あるので、それでは選択からはずしかない。レンズも暗くなる。しかし望遠は300ミリ半ばまで伸びるのでいいのだが。
 TX1は広角でのレンズが明るい。TX2よりも。
 25から250ミリまでのズーム機。これはこれで独立した世界を持っている。望遠付きのコピーライカのような。
 これを今、狙っている。
 
 
 
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2019年12月09日

ヒロウス

■■ 2019年12月9日 月曜日 午前10時05分
 
 今朝はやっとすっきりと晴れた感じ。気温もそれほど低く感じないのは陽射しがあるためだろうか。しかし夜は寒いのか電気毛布を強のまましていた。寝るときは弱にするようにマニュアルにはある。だから毛布を触るとアツアツという昔のとは違うのだろう。まあ、自分の体温で蒲団を温めて寝るというのが基本かもしれない。
 今朝はまずまずの時間に起きてきたが、もっと寝たかった感じ。これは冬の朝よくあることだ。
 自転車の空気が減っているのか弾まないので、ペダルが重い。しかし、いい運動になる。これが軽快なスポーツ車なら逆にスポーツにはなっても運動にはならない。まあ、競輪の選手も練習で、重いのを付けて負荷をかけて走っているのかもしれないが。
 山登りでも、鍛えるため、重いものを身に付けて町で鍛えるとかもあるらしい。山などに登らなくても、その練習が十分運動になっていいのだが、これは楽しいことではないだろう。
 山登りと山歩きは違うはず。登る用がないのに、登る必要はない。どうしても超えなければいけない山なら別だが、余程の状況だろう。バスや車に乗ればいい。
 ただ、徒歩でしか行けない場所がある。それが僅かな距離でも、坂はやはり厳しいだろう。坂が多い町、起伏が多い場所に住んでいると、足腰が丈夫になるような気がする。練習でもスポーツでもなく、日常移動。
 今朝は月曜のためか、何故かいつもよりも朝の喫茶店が混んでいる。この時間すいているはずなのだが。
 特に町にイベントはない。個々人の事情が偶然そういう風に重なったのだろう。よく見ると、常連客ではなく一見さんが多い。この動きは読めないだろう。特にセールとかもしていないし。まあ、喫茶店でのセールはあまり聞かない。ポイントが多くたまるとか、特定のものが安いとかはないはず。
 寒いのか、暖房が強い。これは眠くなる。
 昨日は朝の喫茶店の戻り道に珍しくスーパーへ寄った。阪急のスーパーで、小綺麗し、休憩所もある。小さな喫茶店程度で、ファストフード店並み。無料だ。ただ自販機があり、珈琲ぐらいは飲める。これは自動だろう。水はただかもしれない。満席だ。
 ホウレン草が切れていたので、それを買うのと、あとは豆腐だ。これは帰り道のコンビニで買うことが多いが、ホウレン草は売っていないので、スーパーへ寄ることにした。ついでに一寸した惣菜も買う。これは作れないようなものを選んだ。
 ところが戻ってから米がないのに気付く。炊く米がない。それで近くのコンビニでレトルトのご飯と米袋の米を買う。結局コンビニへ行くことになってしまった。スーパーで気付いていれば、銘柄の違う米を買えたのだが。
 ホウレン草も、いつものスーパーでは見かけない宮崎産などが出ていた。形が違う。いつもは飛騨産。これはスーパーに多いためだ。常に置いてある。兵庫県産がたまに出るが、根が付いており、生々しい。植えれば、もっと大きくなるかもしれないが。
 玉葱が切れていたのを忘れていた。野菜が全部切れても玉葱程度は残っていたりするのだが。
 スーパーではヒロウスを買う。揚げの分厚いようなもので、楕円形。何か少しだけ詰め物が入っている。青い豆とか。これは出汁で食べるもので、甘辛く煮ないと、スカスカのスポンジをかじっているような感じになる。高野豆腐も同じだ。あのスポンジの中に染み込んでいる出汁を味わうもの。豆腐自体に味はなかったりするが、ほのかに豆臭かったりする。
 ヒロウスはやはり別鍋で煮こむのがいいようだ。
 12月も中頃に差し掛かっている。あとは一気だ。月の終わりではなく、年の終わりが近付いている。
 
 
 
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2019年12月08日

遅起き

■■ 2019年12月8日 日曜日 午前10時08分
 
 今朝は半曇か。雲の方が多い感じで、下手をすると陽射しがないかもしれないが、このまま雨になるような感じはないと思われるが、こればかりは分からない。気温は昨日よりも高いような気がするが、風がないため、そう思うのだろう。風がないので、穏やか。それほど強くないという程度だが。
 ここしばらくはもうすっかり冬の中にいるという感じ。まだ紅葉は続いており、色づいた葉が残っているので、そこだけ見ていると秋が残っていたりする。
 今朝はそれほど遅起きではなかったので、何とかなる。昨日は遅すぎた。遅さにも程度があり、やや遅い程度なら問題はない。少し急いだり、省略すれば取り戻せる。時間に追いつけるのだが、場所に追いつけるような感じ。いつも通る時間の場所へ何とか追いつける感じ。それが十五分ほどの差なら問題はない。三十分では、少し遅い早いを感じてしまう。要するに気になる。待ち合わせで人を待っているときの時間に近い。三十分で厳しくなるだろう。五分はいいし、十分はいい。十五分だと、遅れているのか程度。そこから先は、場所を間違えたのではないかと思うほど。そして三十分で、我慢できなくなる。また三十分待ったのだから、立ち去ってもいい。
 まあ、最近はそんなことをしなくても電話すればすぐに分かることだが。
 初対面の人と待ち合わせをした場合、人が多い場所だと、現実の中のひとつを取り出す感じ。現実に人と会うのだから、現実の人だろう。だから、目の前を通りすぎる人と大差が無い。こういう人の中の一人だということ。あとは性別は年齢などから近い人を見ると、これかな、とか思うだろう。いずれも現実のひとつと遭遇することになる。これはリアルなものだ。決してモンスターが出てくるわけではない。現実には色々なものがあるが、その中の一つだ。特に人間の場合、一人しかいない。これが現実の怖さだ。生々しい。
 今日は日曜だが、そんな感じが何処にもない。カレンダーを見ないと日曜だとは分からない。変化する箇所が見えないためだろう。カレンダーは変化する。だから見える。
 朝から子供連れとかを見ると、何となく分かる。学校へ行っているはずの小学生が歩いていると、休みだと気付いたりするが、気付かないときもある。子供が歩いている。何の不思議もない。そこに時間を絡めると、おやっと感じるだろう。それを絡めるかどうかだ。
 街ゆく人はもうすっかり真冬の服装なので、南極越冬隊のようなのを着て歩いていても大丈夫なようだ。そういうのを着ると、下に着込まなくてもいい。中に着込んでいた分を上着込みで一枚で済む。
 秋の終わり近くから自転車で遠くまで出る事がなくなった。寒いし日も短いためだろ。しかし、小春日和があり、そういう日があれば出やすい。寒くても風がなければ何とかなる。当然陽射しがあることが条件だが。
 それと時間的に余裕があること。これは起きた時間が遅すぎると、無理だ。
 まあ、冬場は籠もりがちになるのは、動物的に仕方のないことだろう。
 
 
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2019年12月07日

ソニーのネオ一眼その後

■■ 2019年12月7日 土曜日 午前11時09分
 
 今朝は曇っており、天気が悪いという感じ。そして寒い。冬によくある日だ。暗い。
 少し晴れが続いていたので、そんなものだろうが、結構天気が変わりやすい。一日の中でもよく変わるので、把握しにくい。まあ、そんなものを把握しても、あまり役立たないが、こういう日誌を書くとき、役立ったりする。だが、うろ覚えなので、正確ではない。ただの印象ではないが。
 今朝はかなり遅い目に起きてしまった。途中で起きなかったので、よく寝ていたのだろう。しかし、起きたような気もする。おそらく朝の起きる時間帯だったように思う。一瞬目が覚めた程度だが、この記憶も曖昧。だから半分まだ寝ていたのだろう。だが、しっかりと起きているときでないと記憶に残らないのかというとそうではない。夢を覚えているではないか。寝ているのに記憶がある。
 朝の喫茶店が昼前になってしまったが、土曜のためか、人が結構出ている。食べ物屋などが賑わう時間帯だろうか。昼時だろう。しかし、行楽地ではないし、観光地でもない。また買い物客で賑わうような場所ではない。しかし、近場で済ませるようとする人もいるのだろう。あまり遠くへは出かけられないような人とか。
 冬の日々が続き、クリスマスが近いのか、そういう飾り付けになっている。年末の風景だろう。このクリスマス飾りが取れれば、いよいよ押し迫った感じがする。正月向けの飾り付けにさっと代わるからだ。それまではクリスマス飾りで、これは長い。
 
 今朝のお供のカメラはソニーのネオ一眼だが、柔らかいカメラだ。操作が柔らかい。五年前のカメラだが結構早い。立ち上がりが早いので、電源を入れるとすぐにファインダーを覗くことができる。あたりまえのような話だが、ワンテンポ遅いミラーレスなどがある。光学式一眼レフなら、そんなことはあり得ないが。
 ファインダーは粗い。ここは五年前とはいえ、もう少し解像力のあるネオ一眼は既に出ていたのだから、当時としては他社に後れを取っていたのだだろう。しかし、早い。これは解像力が低いためだろうか。まあ、ワンテンポないほうが快適だが。
 AFも早い。多点式だが、中央部に固まっているので、端っこに合うことはないので、ましだ。
 夜の街頭を写すときなども、AF補助光を切ることができる。他のコンパクト系では切れなかったりする。切る機能はあるが、フルオートモードでは点いてしまう。夜なので、結構この赤い光は強い。ストロボを焚いているようなものだ。しかもまだ写していないのに。
 これは久しぶりのヒットカメラで、二万円台からある中古カメラだが、かなり使える。その後継機はない。
 これのもっといい物をとなると、1インチタイプのネオ一眼があるが、ミラーレスの中級機よりも高かったりする。そして1キロ超えをしているので、重さで無理だ。
 ソニーのα6000系がいい感じで、ファインダーも大きく綺麗だろうし、AFはさらに凄いはずだが、24から1200の画角をカバーするというわけにはいかない。キットレンズの望遠でも400ミリに達していない。そしてレンズも大きくなり、α6000系のボディーでは、グリップが小さいので、望遠をズーム中、カメラがガタガタ動くはず。ここは電動ズームの方が構図はそのままですーと寄れる。力はいらない。電動なので。
 ただ、28から200ミリあたりの大人しい標準ズームなら、ズームリングも回しやすいだろう。しかし1200ミリで写していたのが200ミリになると、物足りなくなるだろう。
 ミラーレスや一眼れを持っていても、望遠が弱いので、何か損をした感じになる。
 そしてこのカメラの軽さと滑らかさ、結構軽いスカスカのネオ一眼なので、持ち運びも楽だ。
 この後継機が出れば即買いだが、五年もそのままの現役機のまま。ソニーのカメラは古いのも並行して売っているので、そんなものかもしれない。
 
 
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2019年12月06日

水菜

■■ 2019年12月6日 金曜日 午前10時08分
 
 今朝も晴れているが、風が強く、それで寒い。気温はそれほど下がっていないと思われるが、どうだろう。出るとき、部屋の寒暖計を見ただけだが、これはアナログ時計のように針を見る。数値ではないので、何度かは分からないが、傾きで分かる。それは寝る前に比べてとか、昨日に比べてとかだが、そんなことを記録しているわけではないし、記憶も曖昧。しかし、何となく、傾向が分かる。まさに傾き加減。どちらの方向へ傾いているのかが分かる。傾く限りは基準となる位置が必要だが、それが季節により移動する。ズレだ。そこが時計と違う。真上が零時、12時ではないのだ。その寒暖計では真上が20度。ただ、針は二本あり、もう一本は湿気を見る針。湿度計だ。これは45分の位置が100パーセント。昔でいう不快指数100パーセントだろうか。冬場乾燥しているときでも時計の半、真下た程度か。雨が降ったりするときは、45分まで一気に上がっていたりするが、上がりきることは先ずない。その近くまでだ。
 あとは気圧計が欲しいところだが、これはデジカメの水中カメラの中に入っていたりする。気圧計があると天気が分かる。大気を読むわけなので。
 景気は読めないが。
 今朝はそれほど早くは起きて来れなかったが、もの凄く遅いわけではないので、まずまずの目覚め。しかも一発。二度寝なしのはずだが、目が覚めたあとじっとしていたようだ。これが二度寝のことなのだが。
 水菜が安かったので買うが、一株だった。これは多すぎる。枯らしてしまいやすいので、早く食べないといけないので、大量に煮るが、まだまだ残る。水菜だけを大きな鍋で煮ればいいのだが、他の具と一緒なので、葉物は最後に上に乗せるような感じとなり、それほど積めない。これは徐々に沈んでいき、嵩が低くなり、思ったより量はないことが分かるのだが、水菜は結構存在感があり、頭が高い。ハリハリ鍋と言うほど、歯触りがパリパリしている。茎がストローのようになっているためだろう。
 煮ればとろとろになるタイプもあるが、先日買ったのは硬い目。まあ、水菜は張りを楽しむものなので、煮こまない方がいいのだが。
 寒いので、夕食後の徒歩散歩はしていない。寒いと出足が鈍るが、用事があれば出る。散歩は用事ではないので、出なくてもいい。
 用事のついでに散歩すればいい。こちらの方が頻度が高い。用事は作らなくても、できてしまう。まあ、水菜を買いに行くのが用事というわけではない。これはおかず買いの用事。決して水菜を目的に買いに行くわけではない。菊菜でもいいし青梗菜でもいいし白菜でもいい。ホウレン草は味噌汁に入れるので、これは欠かさず買っているが、一パック買うとそこそこ持つので、毎日買いに行くようなことはない。切れれば買えばいいが、多すぎると枯らすので、少量でいい。
 
 
 
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2019年12月05日

富士のカメラ物色

■■ 2019年12月5日 木曜日 午前8時59分
 
 今朝は寒い。雨はやんでいるようだ。昨日も降っていたのか降っていなかったのかよく分からない小雨。しかし、傘が必要だった。山は雪ではないかと思える。
 天気の移り変わりが早い。朝、晴れていてもすぐに曇り、雨になっていたりするし、朝、どんより曇っていたのに、昼頃から晴れていたりする。つまり朝の天気が一日の天気ではない。朝夕昼と独自の変化はあるが、主に温度だろう。
 流石に昨夜から寒いので、外に出るとき、中に一枚着込んでいる。これは真冬の格好だ。中に着込んでいるのは秋の少し寒くなり出したときに羽織っていたもので、その薄いタイプ。裏地に暖かいのが仕込まれている。インナーではない。それなりの上着だ。その上着はこの時期なら中に着込むセーター代わりになる。前は開くので、着やすいし。
 寒くなったとき買った安物のダウンジャケット風の綿入りだが、これが薄いので、寒いのだ。綿、アンコの補給のように、中に一枚詰め物を敷いた感じだ。
 昨日は偶然衣料品売り場へもう少し暖かそうなのを見に行った。今のでも中に着込めば間に合うが、一着で済まないかという話。先日買ったのはフワッとしており、ゆったりしているので、中に着込んでも大丈夫なのだが。
 もう少ししまりのいいジャンパー系がないものかと探す。ダブッとしているとスカスカした感じになる。それならコート系ではなく、ジャンパー系だろう。
 しかし、それは持っていた。だが、あまり暖かくなかったのを思い出す。
 だが、物色していると、モコモコがあった。これは裏地に使われているのと同じタイプだが、それが表に出ている。上着を脱いだとき、裏返ったような感じだ。これはどういう効果があるのかと考えた。
 裏地のモコモコが表に来ているのだから、誰が暖かいのだろう。外側ではないか。見た人が暖かい。
 このモコモコは羊だ。これが入口にドンと並んでいる。見た感じ暖かそうだが、本人はどうなのか。それに雨に降られると、全部染みこんで吸収しそうだ。そういう掃除用品がある。雑巾は汚れるが、このタイプはあまり汚れない。しかし、水の吸収力がかなりあり、全部吸い込んでしまう。だからそれを洗うとき、絞れば、綺麗になる。雑巾は汚れの色が残る。綿の雑巾だが。
 このモコモコ上着、果たしてただの冗談なのか、それとも本当に暖かいのか、試したいところだ。
 これはアンチダウンジャケット系だろう。
 雨に降られると、体重が増えそうだが。絞ればいいのだ。
 展示されているものに、既に毛玉のようなのがくっついている。そのモコモコからの毛玉ではなく、他のものがくっついたのだろう。やはりこれはダスキンだ。ダスキンを着ているようなもので、全身で掃除をするようなものかもしれない。
 しかし、すっかり寒くなった。例年この時期は真冬のように寒い日があり、驚かせるが、初っぱなだけで、それほど続かない。
 昨夜は夜更かしだったが、今朝は早い目に目が覚めた。もの凄く早くはないので、そのまま起きた。きっと昼間は眠いはずなので、たっぷり昼寝をすればいい。最近遅起きなので、たまには一日ゆっくり過ごせる早起きがいい。だが、昼寝が長引くと同じことになるが。
 睡眠不足気味で一日眠かった場合、早寝になるはず。
 
 カメラ方面は富士のファインダーのある一番安いT100が気に入っているのだが、その上位機のT30にも目がいく。しかし、デザイン的にはT100の方がすっきりとしており、往年のフィルムカメラ時代の雰囲気がある。ニコンFMやFEやペンタックスMXやLXなど。LXは別だが、所謂中級機で、プロ用ではない。比較的小振りで軽い。板状の本体にレンズだけが飛び出ているタイプ。グリップはない。
 だが、それだけで、結局実用性はどうなのかとなると、キットもので買うと、標準ズームと望遠ズームに分かれてしまい、道端でレンズ交換もしないので、結構不便なのだ。富士にも高倍率標準ズームがあるが、大きく重く、そして高い。下位クラスのT100にはそのキットはない。まあ、富士のカメラで写す人は単焦点で使う人が多いのだろう。
 だから広角から望遠までいけるネオ一眼の方が実際には使いやすい。
 しかし、このT100が醸し出す世界というのがあり、もの凄く一眼レフを象徴している。しかも全盛時代のメタル一眼時代を。
 しかし、レンズ交換式カメラの轍があり、この轍をまた踏んでしまいそうになる。
 それならファインダーのないタイプのA7でもいいのではないかと思ったりする。なぜならキットレンズは標準ズームだけなので。そこから動かなければいい。
 最近富士に目がいったのは、このA7だった。最近出たものなので、ニュース性があったのだろう。ネット上で見かけた。
 実はこちらの方が高い。レンズ一本だけなのに。中身はT100とそれほど変わらない。レベル的にはA5にファイダーを付けたのがT100のような感じで、スペック的にはほぼ同じタイプ。
 だからデザインも似ている。ただ、液晶が横開きになってしまったのが残念だが、T100よりもシンプル。このレンズ一本だけというのがいい。それで世界ができてしまう。24から70ぐらいのレンズだ。望遠ズームが付いているキットものは望遠しか使わないで、標準ズームは眠っていたりする。
 ただ、ミラーレスの望遠ズームはあまり実用性がない。結局望遠不足で、猫や鳥は難しい。
 
 
 
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2019年12月04日

富士のデジカメなど

■■ 2019年12月4日 水曜日 午前10時29分
 
 今朝は晴れており、青空率が高い。雲が少なく、見る角度により、青味ばかり。地平線の彼方に雲が見える程度。かなり遠いところだろう。しかし、平地から見る地平線なので、建物や山があるので、本当は見えないし、平地からだとやはり電車でちょっと行ったところまでだろう。ちなみに海の彼方は水平線と言うらしい。緑の地平線という歌があったが、陸地だろう。面が線に見える。
 線というのは存在しないのだが、区切ったり、縁取り、輪郭付けすることで、把握しやすくなる。
 いい天気だが、そこそこ寒い。もの凄く寒くはないが。
 先日買った高い目の防寒ズボンが窮屈なので、ゴムパンに変える。こちらも内側に暖素材が仕込まれているが、薄い。そして表面が柔らかくてくにゃっとしている。風でなびくほど。意外と防水性がある。こちらの方が腰の閉まりがよかったりする。ゴムなので。腰はこちらの方が安定し、暖かいのはどういうことだろう。いかにも暖かそうな暖ズボンではないのに。こういうさりげないものが本格的なものより機能が上だったりする。好みの問題も加わるので、ここで評価が大きく変わるところだが。
 その人にとっていいものというのは諸事情のためだろう。都合というのがある。そして、生理的なものも。これは感覚的なものに変化する。感覚を左右しているのは生理的なことかもしれない。
 天気はいいのだが、遅起きになっている。一度目が覚めかかったのだが、ここで目を開ければいつもの時間だろう。と思いながらも、目を開けないので、無視して、寝てしまった。これは確信犯的に二度寝だ。しかし目を開けていないのだから、これは起きたことにならない。だから二度寝ではない。
 昨夜は寒いので、徒歩散歩へは行っていない。その前日は行った。その夜はそれほど寒くなかったのだろう。しかし、夜になると流石に冷える。部屋の暖房で暑くなりすぎて、少し冷やしに行こうという感じではない。部屋そのものも寒いので。ただ、外との気温差は結構ある。電気ストーブは室内の気温を上げるほどの力はないが、少しは暖かい。当然外よりも。
 紅葉も、平地では終わりに近い。桜の木は二回見所を作ってくれる。葉は落ちたが、つぼみのような膨らみを残している。春になると、そこが赤くなり出す。それまではただの枯れ木状態だ。枝だけ。
 12月も既に四日目。最初から加速が付いているのか、飛ばしているようだ。しかし、押し迫ってからが長かったりしそうだが。
 年末らしさはやはりクリスマスあたりからだろう。残り一週間ほどになってから。
 
 富士のデジカメを調べているのだが、そのきっかけは一番安いファインダーのないタイプ。しかし、これは新製品なので、ファイダーがあるタイプよりも高い。しかし、よく考えると、同タイプのカメラを持っていた。エディオンの展示品特価で、かなり安く手に入れたキヤノンイオスM3ダブルズームキットだ。富士の下位機は、ほぼこれと同じなのだ。ただ富士は大きいがイオスM3は非常に小さい。レンズも小さく細い。ファインダーはないが、外付けがある。だから、これで済む話なのだ。
 ただ、古いので暗いところなどでのAFが苦しい。写りはキットレンズしかないが、そのズームレンズ以外の上のレンズはない。上位レンズだ。レンズが少ないのだ。これがキヤノンのミラーレス路線だが、メインはフルサイズミラーレス側のほうに置かれている。
 この前、上新で、そのM3の次の世代が展示品特価になっていた。お前もか、という感じだ。それはファインダーが最初から付いている内蔵タイプ。高倍率標準ズームキット。一番高いM系機種。店員がもう少し安くできますよと言っていたが、中古価格としてはかなり高い。そして、後日行くと、消えていた。買った人がいるのだ。高い安いを考えないで、さっと買ったのだろう。正しい買い方だ。
 そのとき、既にイオスMの次の世代が出ていた。こちらが持っているイオスM3の二つほど次の世代になる。しかし、大きく重くなっているはず。実機が展示されていたのだが、一寸本格的すぎる。
 イオスMにもファインダーそのものが取り付けられないタイプがあり、これが一番安い。そして小さく軽い。コンパクトデジカメと思うほど小さい。しかしレンズは交換できる。ファインダーを使わないのなら、これでいいのかもしれないが。
 といいながら今朝は富士のコピーライカX100Sをポケットに入れている。大変なお爺さんカメラだ。35ミリだけなので、写すものが限られるが。
 色々なものを撮影し、その結果35ミリ画角を一番多く使うタイプの人なら、このカメラの効率が一番いいのかもしれない。標準画角50ミリよりも35ミリの方が確かに風景などは写しやすい。そして35ミリは広角というほどでもなくなっている。そのかわり、24ミリなどに比べ、無駄な空白が開かないし、何を写したのかが分かりやすい。
 そして35ミリでF2だと結構ボケる。
 しかし、この爺さんカメラそのものがボケているようなものだ。時代的に。
 マクロは10センチまで寄れるが、開放で撮すとソフトレンズになる。周辺に靄がかかる。あえて補正しなかったらしい。ソフト的な処理でぼかしているのではない。
 今朝はそれをポケットに入れ、鞄の前ポケットに先日買ったソニーの旅カメラを入れている。こちらは望遠の保険。一応700ミリ超えできるし、広角も35ミリでは入らないときでも24ミリなら何とかなる。
 
 
  
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2019年12月03日

富士デジカメ一覧

■■ 2019年12月3日 火曜日 午前9時47分
 
 今朝は何とか晴れているようだ。寒さもほどほどだが、まあ、この時期としてはそんなものだろう。特に寒いというわけではない。これは真冬に比べて。
 正月あたりまではまだ本格的な寒さではないので、12月は序の口。ただ、年末寒波とか、クリスマス寒波とかが来る年は別。
 しかし、昨夜は毛布を掛けないで寝たためか、寒さで起きてしまった。朝方がやはり寒いのだろう。目を覚ますと明け方近くだった。これはまだまだ寝る時間が残っているので、悪くない。すぐに毛布を掛けて寝た。そして昨日に近い時間帯に起きてこられた。一発起きはできなかったが、二度寝は数分で済んだので、これは成功。この二度寝が一時間も二時間にもなるときは失敗。
 昨夜は少し夜更かし気味だったので、少し眠いが、昼寝で取り戻せるだろう。少し早い目だと一日にゆとりが出る。それで、ペースが遅くなるが、まあ、のんびりと過ごせると言うことだろう。
 昨日はご飯が切れていたので、コンビニ弁当。何か適当なものでよかったのだが、夕方、今すぐ食べるという時間帯は物がなくなっていたりする。だからコンビニ弁当の種類がいくら多くても、売り切れていてない。
 その中で、目新しいものがあったので、それを買う。いわば合わせ技のようなタイプで、焼きめしと麻婆豆腐半々の中華系。焼きめしは鉄板炒めとか。麻婆丼などもあるので、その使い回しだろう。当然焼きめし単体でも売られているが、焼きめしだけというのも、何か喉が乾きそうだ。麻婆豆腐はスープものとも言える。汁がある。だからスプーンで食べる。このコンビニの品、肉が多い。豆腐と肉、そしてネギ。それだけだが。
 まあ、そういうのばかりだと野菜がない。ネギが少し入っているので、救われるが。
 作り置きの野菜の煮物はあるが、こういうときは、弁当だけでいい。
 紅葉は近所の桜並木の葉もほぼ落ちてしまいそうになっている。そのため落ち葉が歩道を覆っていたりする。地形や風で、落ち葉溜まりができている。森ならそのまま。これが虫とかの住処になったり、当然自然の肥やしだ。腐葉土。まあ、虫がいると糞をするし。ミミズは地面を耕したりする。ここは微生物が豊富にいるだろう。
 ただ、街中の落ち葉はゴミとして出している。もったいない話だ。まあ、アスファルトの地面なので、何ともならないが。
 
 富士のミラーレス、T100を見ていると、その上位機も気になるが、これは最近出て評判の高いT30になる。T100はT20時代のもの。だから、少し古い。それより古いタイプはない。T100が初代。
 T30の上位機はT3。このあたり、ペンタ部のようなものが飛び出た一眼レフスタイルのもの。しかも非常に小さい。
 従来のライカスタイルではないが、T30に対してE3があり、こちらがライカスタイル。まあ、ソニーのα6000系と同じタイプ。このスタイルはパナソニックにもあるが、キヤノン、ニコンにはない。ただ、ニコンの1インチタイプにはあるが、既に終わっているシリーズ。もうない。まあ、ミラーレスでないと作れない形のためだろう。
 T100は一眼レフスタイル。その下位機はA7となるが、このシリーズは長い。ファインダーのないタイプで、一番安い富士のミラーレスだった。こちらはライカスタイルで、軍艦部はフラット。だからその上位機がE3だろうか。E3の上はプロ機だ。透視ファインダにもなるタイプで、これがいかにも富士らしい。それのコンパクトタイプがX100で、レンズは交換できない。最新機はZ100Fだろうか。あまり後継機は出ないので、サイクルが長い。このカメラはポケットに入る。35ミリ単焦点でF2の明るさがあるのだが、レンズの飛び出しはほとんどない。パンケーキレンズに近いが沈胴式ではない。電源を入れてもレンズは伸びない。最上位プロ機と同じようなファインダーを持っている。透視ファインダーにもなれば電子ファインダーにもなる。液晶は回転しない。これはE系がそれを引き継いでおり、カメラはファインダーで覗くいて撮すものだというような感じだろう。
 だから、富士中級機の中でもE系は渋い。ただ、電子ファインダーだけで、透視ファインダーにはならない。それなら、普通の一眼レフスタイでもいいのではないかというのでT10とかが出たのだろうか。今はT30まで行っている。ソニーα6000系と競り合うような感じ。
 最下位機A7は最近のもので、ファインダーがないので、T100よりもすっきりしている。系譜がE系のライカスタイルのためだろう。しかし、上に瘤がないだけで、大きなレンズを付けると、一眼レフで背面液晶だけで写すスタイルと変わらない。まあ、このスタイルが楽。
 T100から見ていけば、ざっとそんな感じで、富士のカメラでの位置が分かる。
 こういう大所帯のメーカーカメラの場合、中級機は中途半端なように感じられる。
 一番上か、一番下がよかったりする。分かりやすい。しかし一番上は値段的に無理なので、一番下になるだろう。
 しかし、富士のカメラの中で、特徴があるのはX100系。これはソニーにもパナソニックにもない。リコーのカメラがそれに近かったりするが。
 パナソニックにもそれに近いのはあるが、ズームになっている。
 T100に代わるカメラはいくらでもあるので、あまり特徴はない。あるとすればシンプルなデザインで、押し出しの低いカメラ。平凡凡々としているところが特徴だが、これは特徴の裏返しだろう。
 
 
 
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2019年12月02日

富士シンプルミラーレスM−T100

■■ 2019年12月2日 月曜日 午前9時05分
 
 今朝は雨。久しぶりかもしれない。最近傘を差していないので。外に出ていないとき、雨が降っていたかもしれない。夜とかに。
 しかし、この雨のおかげでか、それほど寒くはない。雲が綿となり掛け布団でもしているのだろうか。日を遮るので、寒いはずなのだが、湿気と関係しているのかもしれない。だが、それほど暖かくはないのは、流石に冬に入ったため。ここで暖かいとなると、暦の面子が立たない。
 雨は小雨で、微雨。傘を差すまでもないほど。それに時々やんでいたりする。傘を差しても音がしない。傘からの音だ。パンパンとか音がするはずだが、しない。小粒のためだろう。
 今朝は珍しく少し早い目に起きてきた。最近では一番早いだろう。いつも遅い目なので、今朝は珍しい。あと少し早く目が覚めていたならもう一度寝るだろう。まだ早いと思って。逆に早い時間帯は今では慣れない。だから不安定な時間帯となる。毎日踏んでいる時間帯ではないので。
 それほど寒くはないのだが、朝の喫茶店の暖房が意外と強い。いつもの暖房温度かもしれないが、暑く感じる。これが梅雨時なら、冷房で寒いだろう。雨の降る日の冷房は寒い。これは夏前だ。
 12月も二日目になっている。まだ初日だと思っていたのが、違っていた。きっと月曜のせいだろう。月曜が始まりなので、勘違い。
 あとひと月すれば、今頃は正月の二日目。これはすぐだろう。10月から11月までの一ヶ月を振り返れば分かる。あっという間だ。
 しかし、年を越せるかどうかは誰にも分からない。一ヶ月後はとんでもないことになっている可能性は誰にでもある。今月と同じように、来月も来るとは限らない。
 
M−T100
 富士のミラーレスM−T100を調べている。
 コンパクト系が水中カメラだけになったのだが、これは二万円台ほどで買っているが、ネオ一眼もなくなり、淋しくなっている。
 それで、富士のミラーレスの中で、一番安いのを見ていたのだが、A7というのが一番安い。これはオリンパスやパナソニック、そしてソニーからも出ている一番安いタイプのミラーレス。ファインダーはないが、A7というのは液晶が馬鹿でかい。ただ横開きのみなので、自撮り用。これで腹のところに構えると不細工になる。縦開きでないと、やはり難しい。
 次に安いのがM−T100で、これは二桁台では初代になるかもしれない。ファインダーが付いたタイプはいきなり高くなるためだ。いきなり中級機になる。T30とかe3とかだ。そうなると本格的になりすぎて、面倒。いずれも富士独特の操作系になるので、操作そのものをしないのなら、問題はないが、ダイヤル類がただのアクセサアリーになってしまう。プログラムオートではなく、シーン自動認識オートがいい。何も操作しないのなら。
 T100というのはT20あたりの頃に出たのだろうか。あまりチェックしていないが、そういう簡単な一眼レフスタイルのミラーレスの安いのが出たことは聞いたことはあるが、調べてはいなかった。
 一番安いA系のA5か6の時期だろうか。A7の前の機種だ。このA系のファインダーのないタイプは近所の上新にずっとあったのだが、今はない。結構大きく重かった。レンズも飛び出しており、大きいが、安定感があった。最短撮影距離が結構短い。
 だからT200というのが出てもおかしくない。T20の次にT30が出たように。ただ、後継機を作るのかどうかまでは分からないが。要するに下の方の話で、上の機種での話ではないので、あまり話題にもならないだろう。
 しかし、このカメラ、じっくり見ていくと、実にあっさりとしており、しかもカメラらしい形をしている。
 まあ、富士のカメラはクラシカルなデザインが多いのだが、昔あったような形だが、何処を探してもないのだが。だからボディーそのものがイメージなのだ。
 そのクラシカルさはメタルカメラ時代だろう。AF時代のグリップが飛び出たタイプではなく。
 だからニコンで言えばFMとかFE。オリンパスは一寸違う。操作系が違うからだ。シャッターダイヤルがマウト部にあったのだから。
 だから、デスイズカメラという感じなのがT100のデザイン。略画に出てくる車とかカメラの絵に近い。メーカーは分からない。そんなカメラは実在しないが、カメラの形として、その雛形がイメージとしてあるような。略画と言うより、カメラマークのようなものだろうか。それがT100のデザイン。
 これを見て、なんと清々しいカメラかと思った。あっさりさっぱりしており、ペンタ部などは飛び出ているものの頭が低く、ダイヤル類も背が低い。背面も正面も真っ平ら。
 グリップが付属するようだが、それを付けなければ、レバー張り平野が広い。そこにセルフタイマーのレバーでも付いておれば、もっとカメラっぽいが、そういったレバー類やボタン類は最小限。
 ただ、巻き上げレバーの基部のようなところに操作ダイヤルがある。これは大きい。所謂電子ダイヤル。そしてシャッター皿とボタンと同軸に電源レバー。この位置がいいので使いやすい。片手で電源が入る。速写性がいい。人差し指の腹が切れそうになるのが、このタイプの欠点だが。
 あとは撮影ダイヤル。富士ならここにシャッタースピードダイヤルが来るところなのだが、Aの位置から動かしたことがない人なら、いらないだろう。
 キットレンズには絞り輪がない。いつもの富士の操作とは違い、一般的。キットレンズは電動沈胴式なので、電源を入れれば飛び出す。これは他社にもある。
 後ろから見て左側は、モードダイヤルとか、富士の上位機なら感度ダイヤルになるのだが、ここは大きなファンクションダイヤルのようなもの。同じようなダイヤルが二つもある。左右に振り分けられている。
 富士のカメラなので、一方は露出補正ダイヤルだろうが、そんな目盛はないので、何かを割り当てるのだろう。
 フルオートモードがあり、それに合わせておけば、どのダイヤルもレバーも、ボタンも押さなくてもいい。だから、分からなくてもいい。
 凄いのは三方向へ回転する液晶。これは最上位機にしかないだろう。それを譲ってもらったのだろうか。中級機にもないおまけだ。しかし、上下回転式だけだと自撮りが苦しいので、横開きによる自撮りが必要と考えて入れたのだろう。縦構図ローアングルハイアングルとかではなく、自撮り。目的が自撮りなので、大きな意味はない。
 この三方向だけはこっている。
 中級機のE系は液晶は固定だったり、T系の古い方はタッチパネルではなかったりする。
 T100、シンプルで安い最下位機だが、いいものを上位機からもらっている。
 そんなことよりも、板状のカメラを久しぶりに見る思いだ。このデザイン、形、スタイルだけでも十分雰囲気を出している。オリンパスのように精密機械的な尖った感じではなく、千円ぐらいのトイカメラのようなデザインなのだ。
 しかし、まだ隠された電子ダイヤルが縦に埋められていた。オリンパスのXAのような巻き上げダイヤルのような歯車。横ではなく、縦だが。これが手前側にある。だから2ダイヤル式で、マニュアル露出のとき、どちらかがシャッターで、どちらかが絞りの調整だろう。レンズ側に絞りがないのだから。それとシャッタースピードダイヤルもないのだから。
 この歯車のようなタイプ。押し込めば、違う機能に変わったりするのもある。
 ファインダーのないA7は上位機からジョイステックをもらっている。AF枠をこれで移動させたりできる。顔認識、瞳検知など、余計なことを止めるとき、これで止められるかもしれないし、また最近のAFは多点なので、何処にピントが来るのか分からない。被写体自動認識だが、富士の場合、コントラストの高いものに合わせるとなっている。だから、違うところに合った場合、取り消せる。ここが大事で、AFの早さよりも、取り消しなどのフォロー系が大事になってくる。まあ、タッチAFで別のところを押さえれば、済む話だが。
 T100は十字ボタンでそれをやることができる。一度十字キーの上を押せば、その後十字キーの方向に動くようになるのだろうか。まあ、一時的に中央部一点に戻ってくれればいいのだ。十字キーの真ん中を押せば中央部に戻ったりしそうだ。
 顔認識でAFが離さなくなり、その解除が分からない場合もある。
 つまり、このカメラ、大人しく、地味で、あっさりしたカメラのようでいて、結構上位機の美味しいところを取り込んでいる。しかし、そうは見えないところがいい。いかにも私は素人ですという顔のカメラで、本格的なカメラではないようでいて、大事なところは省いていない。
 まあ、ファインダーのないミラーレスでもいいのだが、ファインダー付きで、一番安いのを探していると、これにぶつかる。しかしファインダーは中級機と同じらしい。T30などと。
 まあ、T30などはそれほど大きなファインダーではないので、そんなものだろう。大きすぎると逆に構図が取りにくい。だから、あえて小さくするオプションもあるほど。
 こういう気楽でカジュアルで、あっさりすっきりとしたカメラは、使いやすく、出しやすい。
 キヤノンで言えばイオスキッスMだろう。ボタン類が少ないだけで、憩えたりする。
 このT100はキットレンズが付いてくる。標準ズームと望遠ズーム。平凡なものだ。A7の方は標準ズームのキットしかない。カメラが小さいし、キットレンズの望遠など使わない人も多いためだろう。ダブルズームキットで割安なので、付いてくると得した気になる。単体で買ってもこの望遠ズームは2万円ほど。オリンパスやパナソニック並みに安い。いずれも樹脂製マウント部で、本体も樹脂なので安くて軽いのだろう。
 数年前に買ったオリンパスの中級機からこの富士に乗り換えてもいい。
 最近夜の散歩などで、富士のコンパクト系のX100Sをポケットに入れて写している。このカメラは強い。単焦点35ミリで、レンズも明るい。ファインダーは透視ファインダーが使える。手ぶれ補正はない。
 受光素子はミラーレスと同じタイプ。だから夜景などは綺麗なものだ。ピントはかなり暗くても合う。もう結構古いカメラだが、最初から古そうなデザインだし、あまりオート化に走っていないので、ベースの箇所だけで写すタイプ。
 これをポケットに入れ、T100に望遠を付けたのを持って行けば、いい感じだろう。
 しかし、今年富士のデジカメを買っていたのを忘れていた。水中カメラだ。これでよかったりしそうだが。
 
 
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2019年12月01日

冬へ

■■ 2019年12月1日 日曜日 午前10時04分
 
 晴れているが寒い。昨夜は1度ぐらいまで下がっていたようだ。これは氷点下に近い。真冬ではないか。流石に12月から冬なので、最初から飛ばしているようだ。
 前日までは5度ぐらいは夜中あったような気がするが、それが1度になってもよく分からなかったりする。だから氷点下になっても分からないままかもしれない。これは寝ているため。朝、起きたとき、部屋は寒いし、着込んでもいない。それでも平気で布団から出てくる。このときそれほど寒くないのだ。布団の中にいたので、暖まっているためだろうか。当然すぐに寒くなるが、その前に暖房を付けるし、服も着る。
 昨夜は寝るときから毛布を掛けたので、最初から暖かい。当然下には電気毛布を敷いているので、メインの夏布団でも問題はない。このまま真冬まで行ってもかまわないかもしれない。今朝の気温が1度なので、その寒さに対応できたので。しかし、電気毛布がとろいので、強にしたが。
 晴れていて雲が少ない。やはり晴れている日は朝夕が寒い。当然夜も。
 昨日は続けていた夜の徒歩散歩をサボる。寒いので、出る気がしない。晩ご飯を食べたあと、少し横になったので、もう出る気がしない。いつもは少し横になったあと、さっと出るのだが。
 そのほうが、気合いが入り、寝るまでの時間、だれないでいい。だが、風邪を引きそうな感じなので、中止。冬になると、運動で歩いている人も少なくなるし、いなかったりする。懸命だ。
 今朝はまずまずの遅起き。相変わらずその調子でいくと夕方前に行く喫茶店が暗くなってしまう。夕焼けも終わり、僅かに残っている程度で、少しだけ明るい。夜明け前に近い。夜から少しだけ変化があり、周囲はまだ暗いが、空の隅っこだけほのかな明かりがある程度。この暗い目のグラデーションがよかったりする。一番明るいところでも、まだまだ暗い。そういうのを写すとき、完全に夜景だ。
 寒いのだが、服装はそのまま、中に着込まなくてもまだいい。それとこの前バーゲンで買った安物の薄い綿入りのようなジャケットでも十分。これはダブッとしているので、中に着込める。まだ、それは早い。
 風邪など引くと悪寒気味になるので、寒く感じるが、これは何を着ても寒い。悪寒だと。
 それにいくら着込んでも、もの凄い防寒着を身につけていても、限界があるようで、寒いときはやはり寒い。まあ、中に電気毛布でも巻き付けない限り。カイロのような部分的なものではなく、昔のホームレスがやっていたように蒲団を被ったり巻いたりして歩いているような。昆布巻きだ。
 しかし、寒いからと言って蒲団を巻いて歩けない。禁止されているわけではないが、綿入りを着れば、それは蒲団を着ているのと同等なので、蒲団を引っ張り出すことはない。それに店に入ったとき、蒲団を何処に置くかだ。ここで行儀よく畳んでも駄目。それ以前の行儀が既になくなっているので。ただ、坂本龍馬が暗殺された寒い夜のように、蒲団を被っているのはいい。自分の家の中なら。
 それと寒い避難所なども。
 だから普通の寒いだけの日に、蒲団を被って町に出ることは御法度。所謂社会通念。何となくできない禁じ手がある。
 しかし毛布はいい。毛布を肩にかけている人がいる。ただ正方形だろう。蒲団ではなく、毛布。やはり綿が入るとまずいのだろう。それと蒲団の柄。あれがいけない。特に和柄は。
 
 
 
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