2017年08月04日

駄菓子屋の夏

■■ 2017年8月4日(金) 午前8時24分
 
 今朝は晴れている。結構爽やかだ。いやに影が長く伸びているように思える。いつもの通りの影面積が多いような。これはお盆の頃の光景だ。湿気がましなのか、蒸し暑さがないので、爽やかに感じるのだろうか。
 昨日の夕方もそれほど暑くならない。寝る前は扇風機を付けなくてもよかった。真夏の勢いが落ちてきている。下り坂になっているのだろう。真夏の峠を越えた感じだ。これからさらに暑くなるという気配がない。暦の上でもそうなので、気のせいではない。
 寝起き行く喫茶店までの道は陽射しがあるので、暑いことは暑い。北風なのか、逆風。それにその方角はやや坂になっている。何処にも坂らしいものは見えないが、緩く上りになっているのだ。逆風で坂、だからペダルが重い。逆に戻りはグライダーのように軽い。ペダルを踏む必要はあるが。
 坂道を登ったはずなのに、帰り、下り坂がないと、詐欺のような場所になる。約束が違う。往路も同じ道ならそれはないが、道を変えると、下り坂がない。これは損をした気持ちになる。坂を登ったのだから、貯金があるはずなのだ。
 いつも長袖のミリタリージャンパーの軽いのを着ている人が、半袖になっていた。一番暑い頃にそうすべきだったはずなのだが、妙だ。その理由は本人に聞くしかない。本人もそれほど意識していないかもしれない。洗濯中だろうか。
 こうして夏の後半になると、今年の夏はそれほど暑くなかったと感じる。もの凄く暑い思いをした記憶がない。暑いことは暑いのだが、もの凄く暑かったわけではない。これは日常範囲内で、暑い炎天下に、長くいたりすれば別だろうが。
 しかし、炎天下の方が部屋の中よりも過ごしやすかったりする。日陰に入る機会があればの話だが。
 だから今年もクーラーはいらなかった。クーラーを付けないと部屋の中にいられないような暑い日がなかったためだろう。去年もそうだった。
 当然同じ条件でも体調により、体感温度が異なる。体調が悪いときはさらに暑く感じ、冬はさらに寒く感じるのだろうか。
 昨日は夕方の自転車散歩には出なかったが、スーパーへは行った。そこで焼き魚を買う。しかも鯛だ。これは珍しい。かなり値引きされているが、店員がまた貼りに来た。今度は半額シール。既に籠に入れてしまったのだが、そこにも貼ってくれた。
 三切れほどある。丁度焼き鮭の一つ分ぐらいが三つ。これで百円台なのだ。腐っても鯛だ。腐ってはいないが、鯛は結構持つ。正月の焼き鯛など一週間ほど持つだろう。やがて干し魚になるわけではないが。
 鯛は高級魚だろう。いつもはサバとかアジとか赤魚程度しか置いていないので、売れ残った鮮魚を焼いたのだろう。滅多に鯛は出ない。これはペロペロの最高のアタリが鯛だったことを思い出す。ペロペロとはゼリーのようなものにきな粉がかかっているもの。昔の駄菓子屋にあり、特賞の鯛など絶対に当たらなかった。当たると、鯛が消える。だからもうクジを引く子がいなくなる。あとで、その特賞の鯛だけを売っていたりする。
 当然真夏でも冷やしていない。三角のビニールに入ったジュースも生温かい。あれはアトムジュースだった。缶ではなく、ビニールの袋に入っていた。ただの色の付いた甘い水だったが。
 ストローに入ったチューチューもゼリーだったような気がする。寒天だろうか。
 そのよく行った駄菓子屋は今はないが、その場所は残っている。新伊丹という大きな屋敷町だった頃の大きき家の門の中だった。つまり門から母屋までの通路。そこに小屋を建てて、駄菓子屋にしていた。何か曰くがあったのだろう。家が火の車で内職としては効率が悪い。それにどう見ても汚らしい小屋がけの店。だからこの家での何かがそうさせたのだろう。世間体もあるはず。だから家庭内の何かで、そうさせたのかもしれない。そのお婆さんはかなり長生きし、こちらが高校になっても、まだあった。有害玩具などは吊り物の裏に隠して売っていた。そして、いつの間にか駄菓子屋は消えており、屋敷だけが残った。今もその屋敷は残っている。その通路も。
 また、この駄菓子屋には硬いベッタンがあり、少し高いが、普通の駄菓子屋のベッタンよりも硬いため、これは強かった。切り取るタイプではなく、硬いので、最初からトランプのようにして売られていた。これは秘密兵器だ。これはベッタン戦争のとき、戦国時代の堺へ行き、鉄砲を買い付けに行くようなものだった。
 夏になると思い出すのは、この駄菓子屋があった新伊丹駅近くまで蝉捕りに行ったことだ。近所の子と一緒だったが、まだ幼稚園だろう。喉が乾き、何ともならなかったが、お金など持っていない。それにベッタンを買いに行った頃よりも小さいので駄菓子屋も発見していない時代。そこで駅の水道で、水を補給した。あの水道は今も改札の中にあるはずだが、その後意識して見ていないので、駅の水道などすっかり忘れている。駅員に言わないとは入れない。
 新伊丹は屋敷が多いので、木も多い。だからセミも多くいた。よその家の庭木だが。
 そう言う場所を今も毎日のように通過しているのだが、そんなことを思い出すことは殆どない。


 
posted by 川崎ゆきお at 10:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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