2017年10月27日

映画 雨上がる

■■ 2017年10月27日(金) 午前9時15分
 
 今朝はよく晴れている。昨日も晴れていたので、晴れが続いている。雨の日は続くと気になるが、晴れが続いていても気にならない。これで普通のように思えてしまうためだ。曇っている日も、それほど気にならない。気になるのは雨の日だけ。それは普通に外に出られないため。濡れるためだろう。ここが晴れや曇りの日との違い。アクションが一つ加わる。
 しかし、晴れの日でも晴天になると、少しだけ気分が違う。これは珍しいためだ。雲一つないような青空は。今朝がそんな感じだが、一日持たないだろう。
 まだ十月なので、これは秋晴れ。気温は陽射しがあるので、寒くはない。冬なら小春日和と言える程度の気温はある。ただ、ポカポカ天気で暖かいというほどではない。真冬、そう感じるとすれば厚着をしているためだろう。
 台風が来る前から長雨で、去ってからもすっきりとしなかったのだが、やっと秋晴れが来たようだ。行楽日和だ。まだ金曜なので、土日まで、この晴れが持てばいい感じだろう。
 こういう日は自転車でウロウロしたいところだが、毎年そう思いながら、なかなか行けない。出掛け癖が付いていないためだろう。それ以前に行きたい場所がそれほどない。是が非でも行きたいと思うような場所だ。これはすぐに行けそうな近場は殆ど行ってしまい、驚きがないためだろうか。小さな驚きなら見付かるが、知らない町に入り込まないと無理だろう。その知らない町も減り、行ったことのある町のおさらいのような散歩になってしまう。未踏地は結構残っていはずなのだが、一寸筋が違う程度で、知らない町ではない。
 それに平野部の町は区切りがない。いつの間にか隣の町に入ったり出たりしている。そして町としての特徴が少ない。
 まあ、散歩はそんな地理的なことではなく、気持ちの問題だろう。場所はあまり関係がないのかもしれない。青空も。
 
 昨日は雨が上がったわけではないが、「雨上がる」という映画を見た。これは以前から見ようと思っていた。有料だ。しかし、ユーチューブで偶然見付かった。時間を見ると1時間を越えている。だから予告編ではない。本編の時間分ある。
 これは有料とどう違うのかを確認しないまま、見てしまった。おそらく画質が違うのだろう。
「雨上がる」は寺尾聡主演。ルビーの歌で有名だ。味のある名優宇野重吉の息子。映画の初めに黒澤明に捧げるとなっている。黒澤明のスチール写真が出る。脚本は黒澤明。自分で監督しないで、そのままになっていたのだろうか。黒澤映画の脚本は複数の人が参加しているのが多いが、この映画は黒澤明だけ。
 原作は山本周五郎。このタイプの時代劇は寅さんの監督が何本か作っているが、その時期と重なるかもしれない。
「雨上がる」。タイトルと、ポスターのようなものを見れば、もうどんな話なのかが想像が付く。あまり強そうな感じのしない、軟らかめの浪人が、村か、宿場町で、活躍し、去って行く。全てのことが終わったとき、全ての問題が解決し、雨上がるとなる。
 これは寺尾聡の浪人スタイルからのイメージ。その予想と少し違ったのは、雨が上がってからの話だった。
 雨で足止めをされた旅人達が狭苦しい宿屋にぎっしりといる。雨が嫌なので、滞在しているわけではなく、雨で川を渡れないのだ。当然大勢の貧しそうな人々がいる。こういう群れが出てくるのは黒澤映画の一本であったような気がする。その群れの中に一人だけ武家がいる。しかも夫婦で。
 さて、これで、この浪人、どんな事件で、どんな人助けをするのだろう。敵が欲しい。強敵。最後はそれを倒す。というような。しかしそういう展開ではなかった。
 奥州のさる藩の勘定方だった人だが、毎日毎日帳面を見て暮らすのが嫌になり、脱藩。うーんという動機だ。
 その後、仕官するが、どこも長続きしない。「強い人はそれだけで人の恨みを買いやすい」と、大名の奥方役の檀ふみが殿様にいっているシーンがある。これは話が飛ぶが、その浪人、滅法強い。その現場を殿様が見ていたのだ。強いのだが、穏やかな人で、威張らず腰が低く、言葉遣いも丁寧。自分の奥方にも敬語だ。
 殿様、これは三船敏郎の息子だろうか。喋り方が三船と同じで、荒っぽい。だから時代劇風な言い回し方ではない。
 殿様は剣術指南役に来てくれと言うことで、ほぼ、ここで決まる。
 悪い奴がいない。とんでもない事件も起こらない。敵も味方も、この浪人の中にいるのだ。強いだけではなく、もの凄く優しい。
 宿屋で長逗留となり、旅人達が腐っている。それを助けようと城下の道場で掛け試合をし、その金で宴会をする。誰にも馴染まない夜鷹役の原田美枝子もそれなりに馴染み出す。この人、まだ若く、もの凄く綺麗。夜鷹胃ではなく、遊郭で太夫がになれるほどだろう。
 指南役になりたい道場主達が浪人を襲う。ここが由一の真剣でのチャンバラシーンだが。浪人は斬る気はない。それに御前試合で、殿様に無作法をし、指南役の話は、もうないかもしれないと思っているときなので、落ち込んでいた。それで多勢なので、刀を抜いてしまうのだが、これが強すぎる。
 雨が上がっても川はすぐには渡れない。増水したままなので。そして渡れるようになり、旅人達も出立する。残ったのは夜鷹だけ。浪人夫婦も旅立つ。夜鷹は、塗り薬のようなものを、奥方にプレゼント。
 そして、動画のバーは、もう僅かしか時間が残っていない。このまま終わってしまうのか。山また山の街道を二人は歩いている。このシーンがポスターになったのだろうか。
 そして、時間がない。結末が……。しかし、殿様とその近習の馬が川を渡り、街道を走っている。
 時間は戻るが仲代達矢が出てくるシーンがある。江戸の大きな道場主で、有名な剣客でもある。浪人は、彼に勝つ。しかし、剣術はその当時まったくだめで、すぐに「参りました」ということで、道場主に謝る。そういう旅を続けて江戸まできたらしい。道場主は結構喜ぶらしい。それで御馳走を頂いたり、路銀を頂いたりしたらしい。その手で、江戸でもやったのだが、勝ってしまう。仲代達矢が逆に「参りました」となる。
 これは何か。実は勝つ気がない。欲がない。だからいつもの道場破りとは違う。隙だらけなのだが、打ち込めない。それで、私は何をしていいのか分からなくなったと、あとで語る。この道場主の内弟子となり、腕を磨いたらしい。これは技術面だ。
 用心棒や、椿三十郎のような痛快感はないが、いい小品だ。
 その素晴らしい剣の力で誰かを助けたわけではない。あるとすれば掛け試合で、みんなに御馳走した程度だろう。ここ一番の活躍ではない。
 敵も味方も彼自身の中にあり、その戦いだったことになる。だから、本人の話であり、浪人自身のドラマだった。悪人を拵えたり、のっぴきならなぬ事件に巻き込まれたり、危険な仕事を頼まれたりしていない。本人の就職談のようなもの。
 浪人は奥方のためにも、仕官し、何とかしたいと思っているが、奥方は、今のままの方がこの人にとってはいいのかもしれないと思っているようだ。それは強すぎるのだ。それが災いになる。そして強いだけならまだしも、もの凄く優しい。その優しさが、負けたものには辛いのだろう。
 雨上がる。街道を行く二人。急に立ち止まる。海が見える絶景。仕官すれば、こんな絶景を見ることも希だろう。脱藩した理由はそこにある。
 さて、指南役になれなかったのは掛け試合をしたことが分かり、慣例に従い、指南役の資格なしとなったのだが、何をしたかよりも、何ためにしたのかということを筆頭家老に奥さんが言う。その言葉を又聞きした殿様は、連れ戻すように命じるが、家老は動かない。それで、自ら馬で駆け出したのだ。
 ラスト。その馬が近付いて来るだろうというところで、終わる。
 しかし、全部書いてしまったので、これは浜村淳になってしまった。もう古い映画なので、いいだろう。それにユーチューブでもやっているのだから。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 11:31| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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