2017年10月30日

博士の愛した数式

■■ 2017年10月30日(月) 午前8時43分
 
 今朝は寒い。そして風も強いが晴れている。昨夜は暖かく、そして明け方の最低気温も高い目なのだが、そこから気温が上がるどころか下がりだしている。これは空気が変わったのだろう。台風が残していった南からの暖かく湿った空気から。
 その台風、前回と同じコースだが、近付いて来たとき、喫茶店に行ったのだが、前回と同じように傘を持つ手が痛いほど。戻りも同じ。同じことを繰り返している。ところが、さらに近付き、そしてもう外には出られないはずの時間になってきたのだが、風も雨も静まりだしている。
 天気図を見ると、接近しつつある。本来、一番きつい時間帯なのに。これはおかしい。それで、外に出ることができた。もう日は沈みかけているが、西日が少し差し、青空が少しだけ見えている。大阪方面に最も近付いているときに。これは何だろう。
 通過中なのに、去ったのと同じ景色。もうそれで天気は気にならなくなり、今、台風はどこに行っているのか興味は消えた。これは近付いて来るときだけ興味を示す。少しでも逸れてくれると、それだけ風雨がきつくないと思えるため。出掛けられるか、られないかの判断が必要なためだ。しかし、天気図では大阪に一番近いところにいるのに、何ともないこともある。これは去年もあった。これは大阪と台風との位置関係だろうか。遠くから近付いて来るときは大阪の南。台風の真上に大阪がある。台風から見れば北だ。だから台風との位置が変わったので、より近付いても、何ともかったのかもしれない。
 そして台風が去った朝。想像していたように寒い。ぐんと秋が深まっている。木枯らしが吹いているのか、台風並に風が強い。台風の風は息をするが、木枯らしは吹きっぱなし。そのため向かい風でのペダルの重さが違う。
 起きたとき、寒かったので、もう一段厚着をしようかと思ったほど。結局軽い目のダウンジャケットだけで何とかなった。陽射しがあるため、それで助かっている。そしてダウンジャケットは風に滅法強い。
 これで秋の長雨後、それが終わるはずのときに台風が来て、また雨。そして晴れた翌日からまた台風の接近で、晴れは続かず。ここ数日は秋の長雨ではなく、台風なのだ。台風による雨だが、雨は雨。だからもの凄く雨が多い秋となり、葉物野菜がついに300円台。そんなホウレン草など買えない。これが長雨の証拠。実際には日照時間の問題だろう。ビニールハウス栽培でも日が差さないと、何ともならないはず。
 
 昨日は「雨上がる」と似たような「博士の愛した数式」を見る。これもユーチューブに上がっていた。寺尾聡主演シリーズだろうか。「阿弥陀堂便り」もある。監督も同じはず。だからその意味では似ている。
 これは本屋大賞か何か賞を受けて話題になっていた小説が原作。8時間しか記憶が続かない学者の話で、この8時間だけの記憶というのも、聞いたことがある。だから結構最近の映画だ。
 交通事故の後遺症らしいが、それまでの記憶はしっかりとあり、その後は8時間だけ記憶はあるが、溜まらない。蓄積しない。だがら事故後の記憶は消えてしまうので、ない。
 そういう主人公の話であることは、以前から知っていたので、これは面倒で暗い話になると思い、見る気はなかったのだが、「雨上がる」がよかったので、ついでに見た。途中でやめるだろうと思いながら見ていたのだが、数学の話、数の話をやり出したところで、それに引っ張られて、ついつい見てしまった。結果的にはほのぼのとした映画になっている。きつい映画ではなかった。しかし、中身は恋愛ものだろう。それが女性に対する恋愛か、数式に対しての恋愛が重なり合う。
 寺尾聡が主人公で、そういう状態の人なのだが、すんなりといる。当たり前のようにいる。
 小説が原作だけあって、キャラクタの繋がり具合がよくできており、その境遇もドラマになるように設定されている。たとえばヒロインの家政婦と博士の義理の姉の浅丘ルリ子。二人の過去と博士の過去とが繋がっていたりする。実はこれが数式なのだ。
 博士が、そんな記憶力の頭になってしまったのは交通事故。義理の姉も足に後遺症をが残っている。二人で車に乗っていたのだ。これは夜、屋外でやる薪能を浅丘ルリ子が義理の弟である寺尾聡を誘って見に行ったことがあとで分かる。
 さて、ヒロインの家政婦も私生児との二人暮らし。これも訳あり。その説明はひと言だけ。小説ではどうなっているのかは分からないが、映画ではひと言説明が入る程度。
 この映画、寅さんの甥で、倍賞美津子のさくらの息子が大きくなったときの俳優。「雨上がる」では主人公に好意的な殿様の小姓か、側近をやっていた。この人が数学の先生として、高校で最初の授業のとき、挨拶代わりに話し出した内容がそのまま映画になっている。僕がどうして数学の先生になったのかと。この青年、家政婦の息子だというのは、すぐに分かる。そして過去を思い出すように語りながら、数学、ここでは神秘的な数式について語り出す。この授業の続きを見たいので、途中でやめないで、見ていたようなものだ。
 既に過去の話、昔、母が家政婦で通っていた博士との思い出のようなものだろうか。10才ぐらいだった青年は家で留守番、それは可愛そうだということで、学校の帰り、博士宅で過ごすことになる。
 青年視線の思い出話だけではなく、普通のエピソードも当然入る。だから、青年視線だけの話ではない。
 博士が家政婦や、子供だった数学の先生と語っていた数字の話などを、高校の教室で、もう一度分かりやすく解説している。黒板を使って。
 だから、数学が苦手、数式がまったく分からない人でも何となく分かる。
 その中で、円周率とか、ややこしい記号が出てくるのだが、神秘的なタイプが三つ登場する。それらに繋がりは何もない。しかし、観察者が加わるとプラス1となり、その答えは0になるらしい。これが博士の愛した数式の一つだろうか。そしてドラマもそれに近い構造になっている。当然8時間しか記憶が続かず、事故後の記憶は8時間で消えることも。
 まあ、映画なので、そんなことを考えなくてもいい。
 博士が少年野球の応援で盛り上がった日の夜、熱を出し、寝込んでしまう。家政婦は二日か三日ほど泊まり掛けで解放する。これにクレームが付き、担当から外される。まあ、規則違反。その家政婦事務所の人が井川何とかという四角い人。「雨上がる」では石頭の主席家老。子供同伴での博士宅勤務をぎりぎり許した良い人だが、今回はだめらしい。クレーム入れたのは義理の姉の浅丘ルリ子。このありから博士とこの義理の姉との関係が、それとなく分かる。
 しかし、子供が勝手に遊びに来る。それで、どういうつもりなのかと、義理の姉に家政婦は問い詰める。何が目的なのかと。
 博士は義理の姉との記憶は残っている。おそらく一生忘れられないような。何かがあったのだ。
 そのシーンが、薪能をまた二人で見に行くことで分かる。博士は客席で義理の姉の手を握る。博士が女性の手を握るシーンはもう一つある。寝込んだ朝、家政婦の手を偶然に近い感じで握るというより触ってしまう。女の手は冷たいものだと思っていたのが、暖かいと呟く。この暖かさだけでいいと。きっと浅丘ルリ子の手は冷たかったのだろう。
 薪能を見に行った帰り道の事故だが、また見に行っているのだ。そこでの数式はよく分からないが、能の怖さ。女の怖さ。面を付けた古式の着物を着た不気味さは義理の姉そのもの。
 博士は野球好きで、その部屋に埃の被った小箱があるので、掃除中、家政婦はそれを開ける。阪神タイガースの昔の選手のブロマイドなどが入っており、その底に手紙のようなもの。抽象的な言葉や記号が書かれているが、折りたたまれた紙の中に写真が一枚。浅丘ルリ子と一緒に写っている寺尾聡。ここで家政婦は見た。となるが、特にアクションはない。しかし、想像はできたはず。
 子供の誕生日の日、誕生祝いを博士宅でする。子供が遊びに来るのはいいのだろう。そこに家政婦も来る。
 何がきっかけになったのか、細かい点は忘れたが、浅丘ルリ子が誕生祝いをしているところに現れる。そして博士からいわれていたのだろう。プレゼントの野球のグローブを子供に渡す。
 そしてラスト近く、もう話はほぼ終わっている。高校の授業中でのその話も、もう終わる。そして、博士の愛した数式の解説も終える。
 家政婦は博士宅の担当に復帰。クレームを入れた浅丘ルリ子が何とかしたのだろう。
 そしてラストシーン。新任数学教師としての授業を終え、生徒も帰ったあと、そっと窓を見る。窓の外は海。子供時代の話は聞いたが、今はどうなっているのか、その後どうなったのを知りたいところだろう。
 その海辺に青年がいる。青年は人に近付く。そしてキャッチボールを始める。もう少年野球の子供ではなく、数学教師。当然キャッチボールの相手は、あの人だろうと思える。浜辺の砂山からその二人を見ている二人の女性。これも誰だか分かるだろう。それ以上の説明はない。
「雨上がる」は剣豪物だが、それらしくない。この映画も実際には恋愛ものだが、それらしくない。だから博士の愛した数式で、その数式の証明は美しいほどいい。その証明を写す映画となってイメージ化されていた。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 11:20| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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