2017年11月04日

アックスつげ義春特集

■■ 2017年11月4日(土) 午前8時05分
 
 今朝も晴れている。気温もそれほど低くはないことからか、真冬の服装をしている人は少なめ。薄い目の上着を着ている人が目立つ。しかし、同じ服装のままも多いようで、よく見かける人は、気温の変化に関係なく、いつも同じのを着ている。薄い目を寒くても引っ張っている人や、寒くなったときの分厚い目を引っ張っている人。だから小まめに変える人とそうでない人とがいる。長く引っ張っている人も当然何処かで切り替える。切り替えるとその期間が長い。長期政権で、春になってもまだ引っ張っていたりする。
 そう言えば冬の初め頃は、冬服を意識しているが、それに飽きてくると、適当なものを引っかけるようになる。この適当とは、偶然が多い。その偶然羽織ったものをまた羽織る。気が付けばずっとそればかり。まあ、冬に羽織るものは一着あれば十分で、多いと仕舞うところがなくなるだろう。嵩張るので。
 着物を着ている人が昔は見かけたが、最近は少ないし、日常的には着ていないが、あまり着込めない。上に羽織るのは文字通り羽織で、寒いときはそれがドテラになる。浴衣が出る旅館で冬は褞袍も出るはず。温泉街を褞袍で散策している人もいる。草履ではなく下駄。これは足が寒いだろう。足袋までは用意されていないはず。当然靴下をはく。ここは洋式だが、鼻緒は入る。
 当然日常的には綿入りを着ている。これは子供を背負ったとき。ねんねこもそれに近い。
 つまり、伝統的というか、昔からある防寒着は綿入りなのかもしれない。まあ、蒲団を被っているようなものだ。それと毛皮。どちらが暖かいのかは、今もそこで競り合っている。詰め物のアンコが綿が羽毛になった程度の違いはある。これは鶏の羽根でもよかったのではないかと思える。また羽根ではなく、端切れをを詰め込んでいたりしそうだ。
 また貧乏継ぎというのも、一種の手だ。破れたところに布を縫い付けるのだが、破れていないのに、貼り付ける。しかも広い目に。これは重ね着に近くなる。ものを背負ったりする人は肩が擦れて破れたりするので、そこだけ補強したりする。肩当てのように。これは貧乏侍の絵として、時代劇などでよく見る。貼り付けてある縫い糸まで書くのがコツだろう。
 昨日は暖かかったので、冬物上着などには興味はなかったが、スーパー二階の衣料品売り場は寄り道のときの通り道なので、少し寄って見ると、新作が吊されていた。カジュアルものだが、新製品だと分かるのは、今までなかったタイプのため。これがまた長く吊され続け、いずれはレジにて半額まで落ちるのだろう。これはシーズンが終わる頃になるので、もう遅いのだが、その時期は意外と真冬で、まだ着られたりする。
 今、新製品で吊されているのはまだ軽い目のタイプ。
 表地がフワッとし、少し毛羽立ったタイプで、裏地がボア。スタイル的にはジャンパーだが、首だけはもの凄く凝ってあり、エリマキトカゲ状態。襟にファスナーがあるので、フードでも入っているのかと思い、開けてみるが何も入っていないが、そこにもボアが仕込まれていた。だから首は暖かいだろう。頑丈なマフラーのようなものだが、むち打ちの人のような感じになる。
 似たようなタイプが二種類ほど新製品で出ており、エリマキトカゲ状態のそれが一番高いが5000円はしない。安いのは2000円台。その変わり薄い。
 そのエリマキトカゲ状のものが気に入ったのだが、これの軽いタイプを特価で去年買っている。裏地に何も仕込まれておらず、生地は伸びるが、賺すと向こうが見える。だから風がスースー入り込む。
 新製品は冬物なので、ポリエステだが向こうが透けないタイプ。
 安いタイプは表地は似たようなポリの厚紙のようなものだが、裏地にペラッとしたものが仕込まれている。これは着るとき滑りがいいので、着やすいだろう。
 まあ、値段にふさわしい暖かさと、真冬の何処まで通じるかの違いだろう。襟だけは、一番ハードな真冬物の鎧のようなタイプよりも暖かそうだ。ただ、ウール風なので、雨風に関しては、曖昧だ。こういうのは濃い色だと、生地など分からない。ただ、このタイプ、禿げてくる。
 毛糸のパーカー風のものによく裏にボアが仕込まれているものがあるが、その新製品は表地が風を通しにくく、雨にも多少は耐えれそうなので、いい感じだ。そして襟の堅牢さは得点が高い。
 
 今月号の漫画雑誌アックスでつげ義春の特集をしていたので、それを読む。つげ義春という文字があると、引っ張られるものがある。80才になっているのも驚きだが、それを記念しての展覧会も東京のギャラアリーでやっている。ねじ式の人形なども展示されていたり、他の漫画家や画家や、造形作家などの作品も展示されている。絵だけではなく。
 アックスにもつげファンの漫画家が、それにちなんだ自分なりのつげ漫画を書いている。表現の領域において、これだけ影響を与えた作家は類を見ないだろう。そのため、ジャンルを超えたところでも、影響を与えている。実際には影響を受けた作家の一人だろうが、割り切れないような不思議な謎がまだ残る漫画で、そこから受けるインパクトは何処かに刺さるのだろう。この刺さり方が大きい。
 要するに何かに触れるのだ。それは自分の中の何かに。だから読者の数だけつげ義春がいる。
 今回の特集は人海戦術で、もう細かいことを抜きにして、それぞれのつげ義春を語るようなもので、これは自分自身を語るのに近いのかもしれない。つげ義春論は多数出ており、また評論家にとり、これは美味しいので、文章も多く残っているはず。
 ガロやアックスの作家だけではなく、つげ義春風のものを画く人は結構いた。これはそう言うジャンルの漫画雑誌や同人誌を見ているためかもしれないが。
 しかし、それは真似ができないことがすぐに分かる。何がどう違うのかだが、個性と言ってしまえばそれまでだが、真似ができない個性なのだ。この個性は誰にでもあるので、自分の個性とは別のものを真似ても、その人になれないのと同じ。
 だからつげ義春は読み手や書き手の数だけいる。
 この特集のメインは座談会で、林静一さん、池上遼一さん、南伸坊さん。それとアックスの編集長の手塚さん。
 つげ義春よりも林さんや池上さん自身の話の方が興味がいく。特に林さんの漫画の書き方は凄いものがあった。もっと林さんや池上さん御自身の話を聞きたかった。南さんは別にして、この二人の会話がいい。少し意見や方向が違うのはどの作家も同じことなのだが、二人のやり取りがいい。ややこしくなると、南さんが、まあまあと中に入る。
 この座談会、評論家が入っていないのでいい。また同じ話を聞くことになるのでガロ的には新人の評論家、若手の人に今の感覚でのつげ義春論を聞きたかったが、その若手も結構な年になっているので、似たようなものかもしれないが。
 この特集で一番よかったのは菅野修さんの実録漫画だ。つげ義春とついこの間喫茶店で会ったときのことを漫画にしている。これはページ的にも特集の最後のページ。だから紅白ならトリだ。知りたかったのは今のつげ義春なのかもしれない。
 
  
posted by 川崎ゆきお at 10:18| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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