2017年11月10日

都はるみ 私のうたの道NHK

■■ 2017年11月10日(金) 午前8時28分
 
 今朝は冷え込み、少し寒い。5度を切ったことがあるので、それに比べればましだが。そのかわり晴れている。晴れている日の朝は寒いのはよくある。そして温度差がある。朝は寒いが昼はそこそこ暖かかったりする。
 今朝の晴れ具合を見ると、天気は回復したようだ。回復なのだから、雨の日は普通の日ではないのだろう。健康な日ではなく。そして元々が晴れているいうことになる。
 晴れているので、文句はないが、少し風邪っぽい。
 
 昨日は都はるみを特集したNHKのテレビ番組がネット上にあったので、それを見る。これが見たかったのだ。ユーチューブではなく、中国か台湾サイトのYOUKU。
 三宅アナがいる。だからそれほど古くはない。都はるみが60歳の時だろうか。「私のうたの道」だったと思う。同じように石川さゆりの番組がある。だからシリーズものだろう。
 この中国サイトに、引退したあたりの特集番組もある。紅白歌合戦に十年云々というタイトルで、都はるみが出た20回分を全部纏めてある。これは投稿者ではなく、NHKの番組。ただ、映像が無いのもあるようだ。それらはユーチューブと重なるところがあるが、曲で切り取るのではなく、まるごとアップされているが、途中で切れていることもある。
 また引退後、復帰していない状態で、紅白に特別に出ている。戦後の歌謡史を振り返るコーナーだろうか。そのラスト、この人を語らないで終わるわけには行かないと、都はるみを呼んでいる。その時歴史が動いたと同じ盛り上げ方で松平アナが紹介する。この盛り上げ方は結構効く。
 さて、私の歌の道だが、四つのコーナーからなり、都はるみの軌跡を追っている。まさに歴史番組だが、松平アナではなく、三宅アナの語り。そしてインタビューもある。
 唸り節でスターになるまでのエピソードが星野哲朗のインタビュー映像もある。星野の前で三曲ほど全部唸って歌えということで、歌ったらしい。最初から最後まで唸ると言うことなのだから、これは喉が続かないだろう。しかし、そういう声の出し方では喉がやられるらしいので、喉を潰さないで良いような唸り方を子供の頃からやっていたようだ。だから鍛え方が違うし、また綺麗な声も出せるのは、その発声法にあるらしい。これは同期らしい小林幸子も、最初聞いたとき、驚いたらしい。何処からそんな声が出ているのか、そして唸ったあとに綺麗な声に戻っている。これもインタビュー映像なので、本人が言っている。
 さて、何かの曲を三曲続けて全部唸ったのを聞いた星野哲朗は、煙草を持つ手が震えいていたらしい。これはものすごいものと遭遇した、作詞家としてもすごい場に立ったように感じたようだ。星野にとってもチャンスというより、何とかしないと済まされないような素材だったのだろう。こういうエピソードは好きだ。秀でた能力を誰かが見出すシーン。
 これが第一期の明るく元気な世界。当然そんな歌ばかりではなく、恩師でありプロデューサでもある市川昭介は唸りが入らない「涙の連絡船」を歌わせている。これは解説があり、唸りだけではなく、歌唱力を見たのだろう。そちらへの可能性を。これは涙歌。泣き節のようなものだが、涙の連絡船のサビの箇所でものすごい泣き顔になるのが印象的だ。顔をここまで崩して歌う気っぷの良さ、思い切りのようさが、その時からある。感情をストレートに。この活きの良さが第二期の明るく元気な路線「好きになった人」などにも続く。時代が右肩上がりの高度成長時代なので、これがいいと思ったらしい。それはそのまま紅白での映像で示される。映像はまだ白黒だ。この頃の曲に関して、コンサートのときに都はるみが語る映像がある。次に歌う曲を歌う前に、一番私らしい曲と言っているのが「あらみてたのね」という曲名。表記は曖昧だが、そういう曲で、これは音頭のような曲。これを真似る人いなかったりするのは、最後に「あら見てたのねー」というのが恥ずかしいのだろう。
 そして歌も多様化し、歌謡曲以外にも色々な歌が流行りだしてきた頃、第三期に入る。南こうせつが歌う神田川とかの世代だ。つまり売るためにあらゆることを考えて作り出す商業ペースでなくても、一人で勝手に作詞作曲して作った歌でも行けることがある時代になっていたのだろうか。
 それで路線を変えたのが北の宿。阿久悠作詞、小林亜星作曲。このコンビが作った水前寺清子の一曲が都はるみは気に入っていたようだ。しかし、フォーク系の語るような歌い方の南こうせつもいい。
 番組では、それを編曲した人の映像がある。最初の曲を、フォーク風に変えるシーンだ。凄いアレンジだ。これで歌謡曲風が、フォーク風になった。
 そしてこの北の宿がヒットする。紅白では二年連続同じ歌を歌うことになり、北の宿で明け、北の宿で終わると、紅白での司会者がいうほど流行ったのだろう。十以上の賞を総なめ。このとき28歳だろうか。頂点を極めたとなっている。
 北の宿後の紅白の曲は、あまりヒットしていない。「なんで女に……」とか「さよなら海峡」とかだが、紅白で勇ましく出てきて、本筋の演歌を歌う都はるみが、意外とよかったりする。大ヒット曲を出してからが勝負だが、第三期はカラオケブームと重なり、歌手の個性を引き出すのではない路線へと行く。そしてあまりくどい歌い方をしない「大阪しぐれ」がヒットする。
 そして引退のときに、星野哲朗に書いてもらった「夫婦坂」までが三期目らしい。
 そして復帰してからの二十年は等身大の路線らしい。
 番組が作られたのは都はるみ60歳あたりの頃。
 等身大の今の自分の気分のようなものを復帰コンサートで歌ったのが「小樽運河」らしい。そして京都での母の思い出のようなものを歌ったのが「千年の古都」らしい。レコード会社が作った歌の中の人ではなく、自分が主人公になっているという解説がある。
 この二作、作詞作曲者と同時に原案都はるみの名が出ることもあった。千年の古都の中に、衣笠山が出てくる。これを作詞した人のインタビュー映像がある。一つだけ聞いたことがあるらしく、それが子供の頃、何処で遊んでいたのか、という質問らしい。それが京都の北にある衣笠山で、バケツを持って雑魚捕りか何かは忘れたが、要するに子供の頃遊んでいた場所らしい。
「母が歌った星の歌」というフレーズも、本当なのだろう。そして「あの星はあなたにとってなんですか」というのを、最初聞いたとき、そのあなたとは母ではなく、聞いている人のことだと勘違いしたのだが、個人の話でも、もの凄く拡がりがある。置き換えるのだ。これは別れを悲しむ女性の歌でも、別のことに置き換えて聞いているのだ。涙暖簾レク線は、船だけを指していないのだ。
 この千年の古都は、復帰コンサートでNHKホールでやったものだが、2パターンある。昨日見たのは、最初からスタンドマイクが立っており、非常に硬い歌い方で、直立不動。もう一つ映像は、スタンドマイクを自分でとりに行き、ギリギリ間に合ってから歌い出すパターン。こちらの方が凄い。歌い終わったあとの笑顔が凄い。そこをスローで再生していた。
 番組の終わりかけ、第四期の今の都はるみが舞台化粧なしで出てくる。といっても60歳なので、これを書いているときは69歳なので、十年ほど前の映像だが、千年の古都が故郷を歌った曲とであることに引っかけるわけではないが、故郷のような原点となった曲として、最後に60才で歌う16才頃の「アンコ椿は恋の歌」。これは手強いらしい。いつでも、ここに戻れる場所、原点があるということで番組は終わる。
 しかし、復帰コンサートのとき、都はるみが喋っているのだが、今までは、歌、ふんっ、歌か。とかいっている。こんなことを平気で言える人も珍しい。しかし引退後の数年の間に歌への気持ちが変わったらしい。だから言えるのだろう。歌に対しての接し方を得たのだろう。だからこの復帰コンサートでの歌い方は非常に丁寧で、今まで適当に歌っていたわけではないだろうが、かなりいい。
 NHKの番組は纏めるのが上手い。実はそうではなかったということもあるだろうが、真実を知りたいのではない。
 
 
posted by 川崎ゆきお at 11:36| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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