2017年12月31日

都はるみNHKホール復活コンサートフルバージョン

■■ 2017年12月31日 日曜 午前10時10分
 
 今朝は寝る前の夜よりも、朝の一番寒いときの方が気温が少し高い。しかしその後、上がらない。
 寝起きに行く喫茶店だが、31日大晦日になっているため、いつもの伊丹モスは年末年始モードに入り、一時間遅く開く。明日の元旦はさらに一時間遅い。今日はいいが、明日はいつもより二時間遅いので、これは遅すぎる。その時間まで寝ていれば別だが、夜更かしでもしない限り、手前で起きるだろう。
 しかし元旦の朝。大晦日、つまり今日だが、一年で一番夜更かしをしそうな日だ。ものすごく遅い時間まで起きててもいい。そうなると、いつもよりも二時間遅く開いても、そのあたりまで、寝ているかもしれない。元旦だけが深く、翌日は一時間遅い開店時間に戻り、それが五日まで続き、平常通りに戻るのは六日から。これはこの伊丹モスでは例年のこと。
 しかし、いつの間にか大晦日になっていた。年越しの山場に達するのだが、その影響が出るのは、年末年始のお取り扱いのようなことだろうか。ここで少しだけぎくしゃくする。土日でも営業しているところでも、そこは開いていても関連するところが年末年始はやっていないことがあるため、少しだけ様子が違ったりする。
 
 さて、昨日の続きの東芝の17インチはどうなったか。結果を先にいうと、買いに行ったのだが、近付いたとき、紙を見た。柔らかい。置いてあった棚にパンフレットが置かれていた。スペースが空いたので、そういうのを置いていたのだろう。だから遠くからでもそれが見える。さらに近付くと、ない。他の機種は残っている。集団でお通夜をやっていた中の一台だけが火葬場へ送られたのだろうか。
 i7で16メモリ。東芝の15インチタイプではハイスペック機だ。だから15インチを17インチにしていたほど。だから、これを狙うだろう。なくなって当然。前日の夕方はあった。昨日は行くのが遅れたので、昼をかなりすぎていた。いつもの時間の昼頃に行っておれば、あったかもしれない。しかし、その前日と同じように、躊躇し、買えたかどうかは分からないが。
 しかし、半ばほっとした。最後まで23インチ一体型と競り合っていたためだ。今使っているのは21インチ。これは一体型ではない。それを17インチに変えるのは寂しい。画面が小さくなるためだ。それだけではなく、横へも縦へも見える範囲が狭くなる。これはやはり寂しいのではないかと、思っていた。
 23インチ一体型パソコン。ネットなら好きなのを選べるし、カスタマイズできる。既にできあがっているものは翌日には届いたりする。アマゾン経由ならそうだ。ただし年末年始にかかるため、それは無理だが。
 また23インチモニター一体型商品は結構多い。どのメーカーも作っているためだ。
 それでいろいろと探していたのだが、形から入ると、モニターはスタンドで立っている。三脚タイプや、衝立タイプと様々。これはテーブルと接するところが狭いほどいい。23インチになると横幅は50センチを超える。本体の横幅と同じ長さのパイプ式スタンドでは本体の下にものが置けない。テーブルの専用率が小さい方がいい。
 それとモニターの高さ。これは低いほど目は楽。首が楽。できれば高さ調整ができるタイプがいいが、それは非常に少ない。要するに首が長いタイプではなく、短いタイプ。
 そしてスピーカー。これが正面の下に帯のように付いているタイプが多いが、ノートパソコンでもそうだが、音が悪いのがある。結局はヘッドフォンを使うことになるのだが、これは音を大きくできないためだろう。日本の映画など、台詞の声が小さすぎて、聞こえない。
 比較的思っているのに近いのはHP社。カスタマイズもできるが、既に組んであるものが安くて早い。早いのは配送だが。
 もう今日中には手に入らないので、今年中は無理なので、ゆっくり考えることにする。
 
 さて、久しぶりに都はるみの話。
 中国のサイトで都はるみのまだ見ていない動画を見つけたので、それを見るが、何度か見た動画だった。
 その動画は一時引退後の復活コンサートで、NHKホール。
 この動画はよく見ていた。ただし一曲一曲分けてあり、繋がりもよく分からない。歌い終わったあと、マイクで何か喋り出しているのだが、そこで切れる。歌だけを聞きたい人向けで、余計なものは聞きたくない場合もあるのだろう。
 その動画はコンサートのフル動画。最初から最後までコンサートの一部始終が映っている。だから、歌と歌の間に何を喋ったのかがよく分かる。これは良い物を見つけたと、早速見ていたのだが、どうやら本当のライブ放送のようで、コンサートの生放送だった。NHK総合で。コンサートなので1時間以内には終わらない。ニュースも入る。それで、そこで切れるのだが、衛星放送で途切れないように見える仕掛け。それを録画した人がいたのだろう。
 ニュースで切れたとき、ゴルバチョフとかソ連軍とかいっている。時代が分かる。
 復活コンサート。このとき、都はるみ42才。一時引退は36才。そのときと同じような髪型で、パーマのかかっった髪を垂らした娘風。このコンサート後の動画の中に、その娘スタイルの髪型は見当たらない。一時引退前と違うのは眉が濃くなっている。元々薄くて少し下がっているのだが、復活ではものすごく濃い。ここが違うことと、少しぽっちゃりとしている。都はるみは猫や狐タイプではなく、犬や狸タイプではないかと思える。緊張したときの目がそんな感じだ。
 この復活コンサート、音源だけがアップされたものもある。中身は同じだが、途中で切れている。それと「またNHKホールに戻ってきました」で始まるが、その後の喋りはカットされている。実はこれがスタートではなく、暗闇から登場した都はるみの一曲目は「北の宿から」で。それがカットされていた。
 喋り付きで復活コンサートの一部が残っているのはNHKの「私の歌の道」にもあるが、繋がりが分かりにくい。これもアップされている。これは以前書いたので、ここでは省略。余談だが、引退直前の紅白までの、これまで歌った都はるみのシーンを集めたものがある。これもNHKのドキュメント。白黒だと思っていたら、カラーも残っていた。映像がないものはラジオから取ったのだうか。スチール写真で何とかしている曲もある。残っていないのだろう、全部は。
 
 さて、復活コンサートで何を喋っていたのか。
 まずは緊張して落ち着きがないことを言っている。震えているとも。最後にアンコールで歌う前は泣きそうになるので、それを我慢すると、ものすごく苦しいとか。そして「泣いたら歌われへん」と、京都訛り。歌う前にこういう喋りが入っているのでフルバージョンは盛り上がる。これはコンサートの最後の喋りだが。
 
 その前年の紅白に特別出演した動画もある。対戦相手はいない。このときも松平アナとのやりとりで、震えていると言っていた。感情が表に出る人なので、震えたり声がうわずったりするのだが、歌い出すと変わる。ここはやはり凄い。さっと歌の世界に入っていくのだろう。見ている側もそれで安心する。話すより、歌っている方が楽なのかもしれない。さよならコンサートでは話すのが本当は苦手で、歌ばかり歌っていたといっている。話したいことが話せなくて、別のことを喋っていたとか。
 
 引退後二年ほど立ったとき、プロデューサーとして歌の仕事に関わる話をしていた。そのときの二人の歌手の曲を披露する。これは休んでいる間のお土産のようなもの。一人は韓国の実力派歌手キム・ユンジャ。一人は大和さくら。特に大和さくらは都はるみが見いだし、しっかりと仕込んだようだ。大和さくらの名も、都はるみが付けた。
 プロデュース時代のドキュメント番組を昔テレビで見たことがある。こぶしを使わないで指導していたりする。しかし、教えるより、自分で歌った方が早かったのかもしれないが、それは語っていない。その三曲を歌う。この三曲が細切れの動画で別のところに入っていたので、繋がりが悪かった。
「王将一代小春時雨」。これはかなりいい。この歌に関しては以前にも書いたので、繰り返さないが。これは大和さくら。作曲は市川昭介。都はるみの恩師。この盛り上がる曲を歌ったためか、落ち着いてきた。
 その前に歌ったのがユンジャの十三湖の云々の歌で、すぐに題名が出てこないが、ねぶたなどが出てくる。不思議な歌で、いつもの歌ではないのは、自分の歌ではなかったためだ。少し長い曲だが、血も凍るような寒い季節を歌ったあと、夏のねぶたの頃を切り返すように歌う。この切り返しが凄い。そして時代は分からないが競馬トニック髪の毛に塗りつけたあの人は何処へ行ってしまったのかというような歌詞。ねぶたの夜のことだろうか。競馬トニックが効いている。この歌は聴き応えがある。これはユンジャがコンサートで歌っている動画がある。ヘビー級の強打者で、流石にユンジャらしい歌い方。こぶしのようにマイクをぐるぐると振り回す独自のスタイル。都はるみは横にずらして持ち、若い頃はあまり近づけない。声量のすごさが分かるというもの。
 余談だが十代の頃のレコードをそのままアップしているものがあるが、パソコンのスピーカーでは振り切ったり割れてしまう。故障したのかと思うほど。これは音域の広いヘッドフォンで聴くべきだろう。
 そしてもう一作が「暗夜行路」。これもユンジャ。都はるみのカバーだと思っていたが、この人のためにプロデュースした歌だったようだ。「暗夜行路」はいつものはるみ節に近いので、一連の港もの。船もの、海峡ものだと思っていたが、そうではなかった。「連れて行ってと言えないで」という下りが泣かせる。ここは涙の連絡船などと同じパターンで、うつむいての泣き顔。
 こういう泣き歌。悲しい歌。暗い歌。都はるみが歌うと明るくなるらしい。これは本人が武道館コンサートで言っている。毎年年末にやっていたようで、中国のサイトに二つある。「都はるみ1」とか「都はるみ2」とかで引っかかる。8か9まである。繋がっているが、サムネイルではばらばら。サイト名はYOUKだったと思う。
 この三曲の前に都はるみの説明が入る。自分でプロデュースし、指導しながら、よくこんな難しい曲を二人とも歌っていたものだと。「王将一代小春しぐれ」は大和さくらの持ち歌。大和さくらは都はるみの秘蔵っ子と言われていたらしい。眉が下がり、何処か都はるみに似ていたりする。そよっとした美人ではなく可愛いタイプ。ネット上では彗星のように現れ、彗星のように去って行ったとなっている。都はるみが一時引退した時期、もう既に演歌の時代ではなかったのだろう。ウィンクなどが寂しいか熱帯魚? を歌っていた時期だ。
 
 大和さくらの動画は何曲か残っており、さとうの切り餅のコマーシャル映像までアップされている。せめて森昌子時代にデビューしておれば、早く辞めることはなかっただろう。遅すぎた。しかし、何処かに都はるみが残っており、重ね合わせて聞いてしまう。しかし歌手に復帰したので、もう都はるみの手からは離れてしまうことになる。
 今は、大和さくらのその後は分からない。それで、「王将一代小春しぐれ」を引き継ぐ感じで、その後のコンサートでもよく歌っている。
 作曲の市川昭介が特別ゲストだった武道館コンサートで、今では先生が私に作ってくれた曲のように思えてしまうほどだと語っていた。
 
 そして次は、この復活コンサートのために作った「小樽運河」の説明。このときの都はるみの年齢はみんな知っているのだが、自分から40を過ぎたなどと、あまり他の女性歌手は言わないだろう。40過ぎ、過去の思いは若い頃より多く詰まっており、充実感もあると語る。「北の宿」で賞を総なめし、一人勝ちしたのだから、実績がある。そして「四十路」を過ぎ、将来などを考えると気持ちがふらふらと揺れ動く。と語っていると、「大丈夫だ」とか客席から声。
 また、別のシーンでは、声がうわずり、しっかりと話し出せない。「もう何にも言うな」と合いの手が入る。北島三郎の兄弟仁義の「俺の目を見ろ何にも言うな」を連想してしまった。喋るなと怒っているのではない。言いたいことは分かっているといっている。「お帰りはるみちゃん」と珍しく女性客からの声も聞こえる。
 このコンサートが終われば海外に出て世界の音楽状況を見に行くとかも言っている。将来どんな方向へ向かうのか。小樽運河では「これで終わるの始まるの」とか「やっぱり明日もさまよって」などと不安げな歌詞だが、その後の展開は既に分かっている。何十年も前の動画のため、それがどうなったのは分かっている。予言者ではないが。
 
 また別の歌だが、一連の歌を、まとめて歌うのだが、そのときの説明が正直すぎる。
 それは「かっこ悪くて、嫌だった」というのである。どんな歌かと思うと、それは「あら見てなのねえ」とか「惚れちゃったのよ」とか。本人はかっこう悪いと認識していたようだ。若い娘だったので恥ずかしくて、歌うとき嫌だったのだろうか。こんなことをNHKのゴールデンタイムの総合チャンネルで生中継されるのが分かっていて話しているのだ。生だからカットできない。恩師も聞いているのに。
 これらの曲。しっかりと作られており、良い曲だ。まだ若い都はるみは、自分なりの歌いたい方向があったに違いない。しかし、しっかりと正統派の「さよなら列車」や「涙の連絡線」も恩師は作ってくれたのだが、それらの歌に比べると、若い娘が歌うには「あら見てのね」と高い声で御陽気な演奏ではやし立てられながら歌うのは気恥ずかしかったはず。この曲、陽気で好きなのだが。その後のコンサートでは、頭から「あら見てたのねー」から入る。曲の最初だ。最初に一番恥ずかしいのをやってしまう感じ。
「惚れちゃったのよ」は第一声から「ほーおう」と唸っている。それも長い。この真似を石川さゆりがやっている動画ある。少し誇張しすぎているが。これも明るい中にも情感があり、良い曲だ。このストレートさが都はるみらしさなのだ。
 ここで否定的な言い方をしているのだが、歌うとき、嫌いだったそのタイプの曲を、その後どうしたかと言うところに、都はるみの企画力のようなものを感じる。
 
 ではこのとき、都はるみはどんな歌を歌いたかったのだろうか。歌いたくても与えられた曲しか歌えないのだが、何かあったはず。
 都はるみがスターへの道へ導いたのは「アンコ椿は恋の花」。この歌は嫌いではないようだが、その意味ではなく、うなりだ。あのうなり声で人気が出たのだが、これは太平夢路のうなりを母親から真似させられたと言われているが、うなるのは浪曲だけではない。
 
 さて、将来どんな歌を歌っていくのかだ、嫌だった初期の元気な歌から北の宿を経て、トップに立ち、他のジャンルの音楽も歌い出している。一番綺麗で満開のとき、一時引退。歌手を辞めてしまう。
 NHKのドキュメンタリーでは「もう来年からテープも紙吹雪もスポットライトも当たらない暮らしに」と、ナレーションが入っていた。
 そして復活コンサートで語るこれから向かう歌だが、ここは真面目に話しており、客席は静まりかえっている。ふるさととは何だろう。日本とは何だろう。アジアとは何だろう。世界とは、宇宙とは、などと言い出しているのだが、これは根本的なことだ。私が私でいる基盤なので、宇宙まで行くと永遠の謎。そして私なりの答えを歌で出せれば良いと言っている。その通りになっているのはその後の都はるみを知っているだけに、色々な答えを知っている。
 ふるさととは何だろは個人。宇宙とは何だろうとなると、もう個人の話ではなくなる広がりがある。そしてふるさとも忘れない。
 小樽運河の「誰のせいでもないけれど」とか「別の生き方もあったよね」とかの歌詞が、そのあたりの不安感や浮遊感が言っているように聞こえてしまう。この曲は都はるみ自身がプロデュースしている。だからそういうことをちりばめているのだろうか。まあそこまで考えると読み過ぎだが。歌詞もそうだが、そう聞こえるのは歌唱力だ。抑えた声で、優しく歌っている。とてもではないが、ものすごい声で唸る人と、同じ人とは思えない。
 さてかっこ悪くて歌うのが嫌と言っていた初期の曲はその後どうなったのか。これは閻魔堂と組むことで、ロックバンドのような振りで大胆なリニューアルというか、アレンジを加えている。そのままでは恥ずかしくて嫌なので、余計に恥ずかしいことをしているのだろうか。これなら機嫌良く歌えて、嫌いな曲ではなくなったようだ。恥ずかしいときはより恥ずかしいことをすれば恥ずかしくなくなるという話もある。かっこ悪い歌なので、かっこよく歌えるようにしたのだろう。
 この焔魔堂を調べてみると、都はるみ専属バンドのようだ。若い頃の動画で、かしまし娘をゲストに迎えたNHKのワンマンショーで、自分自信で演奏してかしまし娘のように歌いたいといっていた。歌謡漫才をやるという意味ではない。フォークソング系や、バンド系を差しているのだろう。だから、その夢は果たしたのかもしれない。その後のコンサートで、その違いがはっきりする。ただ、都はるみ自身が楽器で演奏しているのは見たことがない。あの豊かな声が楽器なのだから、必要はない。
 焔魔堂と一緒に暴れ出し、紅白で言えば「好きになった人ニューバージョン」として動き回って歌っている。あのおしとやかで背筋をしっかり伸ばし、そよそよと歩きながら上半身を一切動かさないで舞台を横切っていく姿を動画で見ていた目からすると、驚きだろう。腰を振り、両手を広げ、客席に向かいアピールしている。これは盛り上がる。その後も、NHKホールでの普通の歌番組でも、何度もこれをやっている。これも答の一つなのだ。
 ただし、好きになった人は都はるみ自身、一番好きな歌だと言っているシーンもあるので、かっこうわるい曲ではないはず。そうでないとコンサートの最後に持ってこないだろう。これは前回も書いたが、こういう曲を作ってくれとリクエストした曲なので、与えられた曲ではないためかもしれない。「さようなら、さようなら」「好きで、好きで」「きっと、きっと」と、同じ言葉を繰り返すように頼んだらしい。ザ・ピーナツの歌から来ているらしい。「追いかけて、追いかけて」のような。
 好きになった人は本当は悲しい別れの歌。もう戻ってこないだろう。しかし、この歌詞と復活コンサートを重ね合わすと、待っているのはお客さん。そして笑顔で戻ってきてねと願うのもファン達。それを復活コンサートで果たしたように見えてしまう。だから都はるみの笑顔を見たいのだ。
 さて、その後の展開で他に大きなアクションが加わるのは「女の海峡」。あの年で頭が逆になるほど後ろにそらせる。そのままスケートで滑れば金メダルだろう。この年齢なら前へ曲げるのは簡単だが、後ろにそるブリッジはきつい。ただし、そういうアクションが解答ではなく、これはまた別のものだろう。ただ「女の海峡」をずっと歌い続けているところに何かある。
 そして演奏が変わった。合間に入る音が、海鳴りのように超低音で響く大きな音になっている。専属バンドの良さだろう。
 42才で復活し、この先どうなるのだろうという将来。その将来は既に動画で見ることができる。
 60才頃のNHKドキュメンタリー「私の歌の道 都はるみ編」が、そのあたりの移り変わりを説明している。そして本人も出てくる。42歳の時は、かっこ悪くて歌うのが嫌だった曲に関しては、それもまた私の側面と語っていたが、60才頃には一番私らしいとなる。そして50才頃の武道館コンサートでは焔魔堂と一緒なので、アレンジ版で、それらの曲をメロディーで一気にやるのだが、笑いながら最初の曲を紹介する。「ばかっちゃ出船」と。確かにかっこ悪くて恥ずかしいタイトル。60才あたりでのコンサートではNHKのカメラも入り、それらの歌に関して変なタイトルだと前置きして「あらみてたのね」とタイトルを言う。
 だから昔は歌もしっかり歌い継いでいるが、何せヒット曲や名曲は半端な数ではない。ヒットしなかったが良い曲が多い。なぜヒットしなかったのかは時期にもよるのだろう。テレビなどでも、曲は自分で決められないので、好きな歌は歌えなかったはず。
 
 さて、復活コンサートフルバージョンに戻ろう。
 ラストはお馴染みの好きになった人なのだが、このときは走り回っていないので、じっくりと聞ける。そして舞台の袖へと去る。
 そしてアンコール。そこで再び登場するのだが、ここで先ほど書いた泣きそうになるので、我慢すると苦しいと言っている。泣かないように、間を置く意味か、本当に疲れたのか、舞台の真ん中で「疲れた」といって座り込んでしまう仕草をする。しかし、アンコールなので、歌わなければいけない。それよりも、疲れ切っているとき着物が……と言っている。都はるみは歌っているときよく帯の上の方に手を入れている。締め付けられて苦しいのだろうか。汗を拭いたり、鼻を拭いたりと忙しい。
 また「王将一代小春しぐれ」の時、草履を脱ぎ、そのあと邪魔なので蹴飛ばしている。好きになった人の横蹴りを思い起こさせる。このあと草履を履くのだが、草履を履いて歌は歌いにくいとぼやいていると客席から笑い声がする。
 恩師市川昭介が練習中。自分を出してしまう子で、出して見せてくれる子だと武道館コンサートで、そういう意味のことを言ってる。隠し事ができない子とも。練習待ちのときは部屋の片隅で恥ずかしそうに小さくなって座っていたとかも。そして歌い出すと人が変わったようにものすごい唸り声で歌い出すので、びっくりするが、それが市川昭介の胸にじんわりときたらしい。
 
 話を戻す。
 アンコールで現れたとき、これも前回も書いたが、「歌、ふん、歌」と、引退前までは、そんな態度だったと、言わなくてもいいことを言う。しかし笑いが起こる。
 一時引退で休憩中、歌に対する態度が変わったらしく、歌を主人公に、云々と言っている。「歌、ふん、歌」という態度であれだけの活躍をし、その時点で歌謡界の最高峰に立ったのだから、ものすごい実力派なのだ。「歌、ふん、歌」という態度で果たせるものではない。
 歌うことそのものも嫌だったと言うことも、さよならコンサートで言っている。歌そのものが好きになるのはそれほど前ではないので、驚いてしまう。本人がそう言っているのだが、真意は分からない。
 これは想像だが、歌への取り組み方が変わりだしたのは「北の宿から」の大ヒット後、そのあと出す曲出す曲がヒットしなかったらしい。いい曲がこの時期あるのに不思議な話だ。そして盛り返したのが「大阪しぐれ」。このあたりから歌い方が変わってきたようだ。
 レコード大賞では泣かなかったが、最優秀歌唱賞では泣いて歌が途切れている。
 
 そしてアンコール曲は「小樽運河」。これはまだ完成品ではなく、まだ手探り状態だと語り、練習の場としてもう一度歌うとか何とか言っている。このあたり、余計なことを一杯言っているのだが、関西弁になる。しかもべたべたの子供が使っている幼い京訛りだろうか。
 都はるみは喋るのが苦手だとその前の新宿コマでのさよならコンサートで言っている。台本があれば別だろうが、気持ちを伝えるとき、歌と違い、ぎこちない。すっと喋れない、詰まったり、語尾が飛んだりする。見ている側としては、この正直さがいい。フリーで話し出すとき、まるでミーティングのように客席から声がかかるのも、お人柄のためだろうが、何処か心配してしまう人なのだ。だから「大丈夫だ!とか、自信を失ったような言い方していると「日本の宝」と客が励ましの合いの手を入れる。
 かけ声は「都っこ」「はるみちゃん」が多く。連呼する場合もある。紅白などでその声が大きく、他の歌手がうらやむほどだろう。
 若い頃の紅白では、歌い終わったあとうつむいて、はにかみ笑いをして、さっと去る。
 そしてもう一度「小樽運河」を歌うのだが、疲れ果てて歌ったためか、別の動画では、これは採用していない。最初に歌ったときの方が表情が良く、少しは、してやったりというような顔をしていたためだろう。つまりこれをアップした人は、楽しそうに、嬉しそうに歌っている都はるみを残したかったのだ。自信満々で得意げに歌う姿の方が都はるみらしい。
 そして、曲ごとを一ファイとした動画では、同じ着物、同じ髪型、同じステージだと思うのに「千年の古都」が二曲ある。その意味が分からなかったのは、先ほどの「小樽運河」の逆パターン。アンコールで歌った「千年の古都」の方がその前よりよかったからだろう。
 よく分からないが、アンコール曲が二曲あるのを知らなかったのか、マイクスタンドを自分で運ぶのを忘れたのか、にやっとしている。そして指を一本指揮者に示しているので、あと一本あるの、と確認しているのかもしれないが、緊張がほぐれたのか、そして最後の最後のためか、表情が柔らかくなってきた。
 このラストで歌った「千年の古都」がものすごく初々しい。そしてうまく歌えたのか、二番に入る前、腕を軽くぶらぶらさせ、足首まで来る大振り袖をハタハタさせている。感情が表に出る。動作に出る。だから分かりやすい。
 そして歌い終えたとき、スポットライトが消えかけるが、もう一度最後のフレーズを繰り返す。この動画以外では、その繰り返しは見たことがない。歌い終える寸前、目も口も全て今までの中で最高の笑顔を見せる。もう一つの動画では、そこをスロー再生させている。これを見たかったのだろう。元気で復活した姿。そして笑顔を。
 早く早く、早く戻って笑顔を見せてという「好きになった人」そのままだ。
 さて、復活コンサートで語っていた今までの音。今の音。そしてこれからの音はどうなったのか。このときの今とは「小樽運河」と「千年の古都」。どちらも今までの正統派の演歌とは違う。落ち着いた大人の歌だ。それが一番新しい音。
 そして、その後のコンサートや、新曲などを聞いていると、昔の都はるみの音も残しつつ、常に新しい今を繰り返す。だから16か17で歌ったアンコ椿の頃の歌い方ではなく、歌い方を変えてきている。だから復活コンサートで言っていたこれからの自分の音というのを実践し続けている。当然若い頃のような声も出ない。パンチ力があり、張りがあり、切れがよかった。まあ、どんな人でも年を取ると、若い頃の声は出せなくなるのだが。今、昔の声で歌ったとすれば、ギンギンで耳が痛い。年を取ってからの歌い方の方が、聞きやすかったりする。それがある意味で今の音なのだ。
 これは歌の話ではない。実はどのジャンルであっても、また普通の生活でも、そうだろう。都はるみは年を取ったことを、このコンサートでも言っている。テレビ番組を見ていても涙ぐんでしまい、もう年ですと。
 
 さて、このフルバージョンの動画で、繋がりがやっと分かった。いつもコメカミノの上に汗をため、白い顔ではなくなりつつあるのだが、急に真っ白な顔になっていたのは、順番が違うためだろう。
 またステージの背景が違うので、コンサートが二回あったのかと思ったのだが、「さよなら列車」のあと、何もなかった舞台の後ろに楽団が台車に乗って移動してきた。同じ場所だったのだ。
 この復活コンサートと、さよならコンサートは、普通のお仕事のコンサートではなく、特別な場で、どちらも緊迫感が伝わってくる。どちらもフルバージョンで残っているのは、テレビ放映されたため、その録画だろう。ニュースが入ったり、CMが入ったりする。
 そしてどちらもリアルタイムでは見ていない。またそんな番組があったことも知らないままだった。
 この日誌を書いているとき、都はるみは休憩中。三つ上の姉さんに当たる。だから都はるみが走り去る時代背景をよく知っている。そして当時は都はるみがテレビに出ていると、楽しかった。決してチェックして見ていたわけではなく、テレビをあまり見なくなってからは、歌番組もたまにしか見ていない。紅白もそうだ。しかし、引退の時は見ていたし、年を取ってから「むかし」という曲を歌っていたのは覚えていた。そう出るか、と思って見ていた。
 この「むかし」という曲は、若い頃はよかったというような内容だが、それはお化けですよと皮肉っている。
 花だった頃の君ではなく、同じようにお互いに年を取った今の君に会いたいというのが、別の曲である。古都逍遙だ。今の自分を肯定し、後ろを振り返らない。昔ばかりを褒められると、今は駄目なのかと思ってしまう。しかし人は常にこの今を生きている。
 この復活コンサート、辞めると言っておきながら、また歌い出すことの不安さが出ており、神妙だ。しかし、後ろを振り返らないからこそできたのだろう。復活しなければ、その後の曲は存在しないのだから。
 復活後、しばらくしてテレサ・テンとNHKの二人のビッグショーに出ていた。テレサが「こうと決めたらやり抜く人」というようなことをいっていた。司会の玉置が、絶対に降りない都はるみの麻雀に最後まで勝てなかったといっている。その性格が何となく分かる。
 復活の理由は分からない。しかし美空ひばりが死んでしまったことがきっかけだと思いたい。このとき都はるみ40代。美空ひばり50代。意外と離れていないのだ。そして見渡せば、女性歌手のなかで、美空ひばりに匹敵する人を探した場合、歌唱の多彩多様さ。レパートリーの広さ、ヒット曲の多さ、人気の高さから都はるみしかいない。時代劇映画全盛時代の美空ひばり時代とは背景が違う。
 これは美空ひばりの跡を継ぐと言うことではない。並ぶと言うことだ。都はるみには都はるみの道がある。はるみ節という誰にも真似できないものを持っている。それを封印してでもしっかりとした歌も歌えるのは三十前後のとき、証明済みだ。
 余談になったので、戻る。
 復帰後の武道館コンサートなどを見ていると、美空ひばりよりも、年を取ってからの曲が多いだけに、美空ひばりが歌えなかった、その後の時代の歌や、その後の年齢の歌を、都はるみが歌っているように思えてしまう。年を取ってからの歌は結構難しい歌が多いが。
 だから、この復活コンサートは、その後の都はるみの文字通り再出発点。ここで昔からの都はるみと、その先の都はるみがクロスするターニングポイント。
 美空ひばりにとっては未知の年齢。そこを都はるみは走り続けることになる。
 
 復活後、四十過ぎから五十過ぎにかけて、結構やりたいことをやり倒していたように思う。六十を過ぎてからは流石に枯れてきたが、それもまた魅力。もう年を取ったので、一年一年しっかりと歌うというようなことを水前寺清子との渋谷ライフのときに語っていた。
 昔の音と、今の音、それらを織りまぜながら、歌で答えが出せればいいといっていたことを出し続けているのかもしれない。
 
 ここで書いたことは、リアルタイムの思い出は少ない。最近、ネットで上がっている動画を見ての感想のようなもの。
 これはある日、ふと都はるみの動画のリンクがあったので、押してみたところ、そこから聞こえてくる音を聞き、懐かしいと同時に、ただならぬものを感じた。そうだ、都はるみがいたんだと興味が走り、もう一本、もう一本と聞いているうちに、一気にネット上の動画を見て回るようになった。
 今回は長い感想文になったが、付け足しているうちに、最近見た武道館コンサートなども入れているため。
 都はるみを知らない人や興味のない人には何を言っているのか、分からないような内容になったが、これは感想文。思い付いたことを日誌に書き加えているだけ。
 都はるみとは一体何だろう。
「あの星は、あの星は、あなたにとって何ですか」と問いかける「千年の古都」。分からないからいい。
 

posted by 川崎ゆきお at 11:54| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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