2018年04月08日

都はるみ2

■■ 2018年4月8日 日曜日 午前10時34分
 
 今朝は晴れているが、少し寒い。花見が過ぎた頃の方が寒いというのは何か妙だ。昨日から冬物を羽織っている。中綿は入っていないが、胴体部分だけ裏は毛羽立っているジャンパー。ナイロン生地で高かったのだが半額で冬物最終バーゲンで買った記憶がある。既に冬は終わりがけていたので少しでも着られるように薄いのを選んだ。春でも着られるように。これが結構ヒットして、冬場、これを着ることが多かったが、真冬ものとしては頼りないので、中にもの凄く着込む必要があった。
 これをこの時期は着やすい。ペラッとしたジャンパーに見えるからだ。仕込み杖ではないが、毛が仕込まれている。
 今朝は遅く起きてきたので、日はもう高いのだが寒い。風も強い。こういうときはナイロン地は風を通さないのでいい。それと襟が最初から立っているタイプで、首元も何とかなる。寒いのは首だ。
 急に寒くなったので、冬が来るのではないかと思うほどだが、この気温差は厳しい。
 寝起き行く喫茶店は意外とすいていた。日曜で、しかも少し遅い時間帯のためだろうか。昨日は土曜だったが、満席近かった。見たことのない客が座っており、これが土曜らしい。土日は休みの人が多いので、常連客に欠けが出てすくのだが、逆に休みの日に来る客がおり、これが予想できない。来なければがら空き、来れば満席になる。見た感じはそれだけの頭数しか風景としてはないが、一人一人に事情があり、生活の一コマ。その人のドラマの中の一コマ。見た目はただの客。しかし、店を出てからも客ではなく、家に戻ったり仕事場に出るとただの客ではない。見る側にとってはずっと客のままのキャラなのだが。
 昨日は久しぶりにコンビニカレーを食べる。カツカレーだ。300円台だった記憶があるが500円近い。しかし、以前食べた頃に比べ、良くなっている。コンビニの弁当は500円近い。それが相場になってしまった。それら弁当類に匹敵するものを食堂で食べると600円ほどだろうか。しかし、食堂が減り、カレーならカレー専門のチェーン店のようなところへ行かないとなかったりする。この場合、一番安いカレーでも500円ほどするだろう。ただ、そういったものは牛丼屋にあったりする。ここがやはり安い。
 大衆食堂は牛丼屋に取って代わられた感じだ。牛丼屋も牛丼は安いが、それ以外のものは結構高かったりする。
 
 都はるみ
 都はるみの歌をネット上で見ているのだが、その数は半端ではない。もの凄く多い。しかし、他の歌手を検索で探してまで見ていないので、別のジャンルの歌手ならもっと多いかもしれない。
 これはユーチューブで見ていると、都はるみばかり見ていると、都はるみが表示されやすい。また、あなたへのおすすめで、ずらりとそれが並ぶことがあるので、多いように見えるのかもしれないが、他の歌手をそれなりに追いかけても、それほど数はなかったりする。これは歌謡曲の話で、他のジャンルのことは知らない。
 ただ、歌謡曲はよくテレビでやっていたので、それを録画したものがアップされている関係上、映像としては多く残っているのかもしれない。
 都ははるみの動画、これは音だけのもあるが、16才あたりから65才あたり、正確に調べたわけではないが、50年分ほどの映像や音源がある。この年齢幅は凄い。白黒ブラウン管時代からハイビジョンまで、その画質の変化も凄いものがある。
 十代半ばで歌っていた曲を六十中頃でも歌っており、その変化がよく分かる。「アンコ椿は恋の花」などがそうだろう。ただ、それはユーチューブとか、中国系のサイトにある分だけで、誰かがアップしたものなので、全ての映像記録というわけではない。そのため若い頃の映像はそれほど残っていない。また画質も悪い。
 こういうのを見ていると、どのように変化していったのかが、何となく歌い方の違いで分かったりする。
 当然若い頃のような抜けるような高い声は出せないだろうし、例の唸りも、控え目になっている。
 はるみ節というのがどういうものなのかは知らないが、いきなり浪曲、浪花節のような気張ったような声を出す。これで人気が出たのだが、言うほど唸りっぱなしというわけではなく、普通に歌っていたりする。しかし、普通に綺麗な声で歌っていても、いつ唸り出すのかと思うと、ヒヤヒヤしたものだ。これは何度も聞いていると、唸る曲と、唸らない曲があるので、もう予測できるが。
「憧れのハワイ航路」に唸りを入れて歌っていたのを見て、痛快だった。またラバウル小唄なども軽快。
 音頭ものを歌えば賑々しい。高揚感が凄い。
 
 都はるみのイメージは演歌。演歌が流行っていた時代背景もあるのだろう。
 最近、気になったのは一時引退後から復帰しての紅白の曲。既に四十を超えている。
 復帰後、紅白で歌ったのが「千年の古都」。引退のときに歌った最後の曲が「夫婦坂」。その前は「浪花恋しぐれ」だったように記憶しているが、演歌一筋とか司会者がよく口にしていた。
 若い頃はそうではなく、「好きになった人」を司会の水前寺清子がパンチ力うんうんと言っているし、ペギー葉山が司会で「さよなら列車」を歌うときは全身で歌うとか、ダイナマイト娘とか言っている。歌だけではなく、こういった司会者の言葉は非常に参考になる。どう思われていたかだ。
 
 ところ復帰後の「千年の古都」や「古都逍遙」は、所謂演歌とは違う方向だが、流行歌そのものがフォークやニューミュージックと融合してしまい、歌謡曲や流行歌という言い方でも括りにくくなった。
 初めて千年の古都を披露するとき、自分の音って何だろうと言っている。固定したものではないのだ。
 漫画で言えば、演歌は劇画だ。辰巳ヨシヒロやさいとうたかをが劇画と言い出した時代と重なっている。そしていつの間にか劇画とは言わなくなった。
 
 さていつもの紅白でなら、都はるみは演歌を歌っていた記憶がある。演歌一筋の演歌歌手のように。それが変化したのは、一時引退を挟んだため。これで紅白で「千年の古都」という、いつもの演歌から離れた。演歌の呪縛から抜け出た。
 これが一時引退の成果だったのかもしれない。もし一時引退をしていなければ、演歌を背負わないといけないし、その期待もあったはず。後から考えると、紅白での演歌は後輩の石川さゆりに任せたのかもしれない。
 演歌からの脱出。それは他の演歌系歌手も何処かで希望しながらも、果たせなかった夢なのかもしれない。
 しかし、都はるみの初期の曲は、今の演歌イメージとは違い、新しいものだった。年寄り相手の歌ではなかったのだ。「アンコ椿は恋の花」の、あの唸り声の痛快さ、都はるみはかっこ悪くて、嫌だと言っていた「あら見てたのね」や「惚れちゃったんだよー」などは今聞いても新しい。
 だから一次引退後、紅白のトリか大トリかは忘れたが「千年の古都」や「古都逍遙」を歌ったとき、上手く抜け出せたのかなと思った。演歌のノリを期待した人は物足りたいかもしれない。ここは「王将一代小春しぐれ」という大作が聞きたかったのだが、紅白では歌っていない。
 紅白で大トリで歌う都はるみ、ど演歌ではない曲。そこにいた他の歌手はどう感じただろう。
 
 一時引退中の数年。これは結構長い。三十半ばから四十過ぎまで。この間、歌っていない。もし一時引退がなければ、この間の歌もネット上で見ることができたはず。その間の映像はない。
 美空ひばりの亡くなった頃だろうか、引退中だが、紅白に出ている。このときの司会は紅白とは別枠の大物アナウンサー。その松平アナが「都はるみさん、アンコ椿は恋の花」と紹介する。これ以上のお膳立てはない。これが実質的には復帰だった。
 本当は戦後史とからめて何か話してくれ、というNHK側からの要望だったらしいが、話すのは苦手らしく、歌ってみようかなと言ったらしい。
「アンコ椿は恋の花」は紅白では歌ったことがない。唸りが変だということで、紅白以前にNHKのオーディションに受からなかった曲。デビュー曲の「困るのことよ」の歌詞が正しい日本語ではなかった云々の説もあるらしい。
 しかしレコード大賞新人賞を取り、町ではパチンコ屋からその曲が流れていた。このときの男性の新人賞は西郷輝彦。西郷は紅白に出たが、都はるみは出られなかった。
 NHKが認めなかった「アンコ椿は恋の花」を紅白でやっと歌えたのだろう。そのお詫びではないだろうが、最高の司会者が曲を紹介する。この松平アナが、まるで演歌専門の司会者風語りで紹介する。これは気持ちよかったはず。松平アナも。
 これは余談。
 その翌年復帰コンサートを同じNHKホールでやっている。
 
 その後の都はるみが出た紅白でとんでもないことをしている。「好きになった人」で踊りながら紅白の舞台を走り回っている。このあたりの奔放さは、あの一時引退があったためだろう。もしなければ、演歌の大御所として演歌の灯を守るだけの懐メロ歌手で終わったかもしれない。
 紅白を最後に引退する最後の曲「夫婦坂」を歌い終えたあと、リクエストされて、泣いて歌えなかった「好きになった人」を、暴れながら歌っている姿も痛快。
 当然その後も海峡ものや、夫婦ものの濃い演歌を歌っているが、それに並行して、ほんわりとした優しい歌も歌っている。「小さな春」や「タンポポ」など。そして、厳しい歌として「羅生門」。
 また海外の歌手が歌うような高らかに詠い上げるような曲もある。
 二十八で「北の宿」からでレコード大賞を取り、トップに上り詰めたのだが、そのあたりから、いつもの演歌ではない歌を結構歌っている。自分の曲ではないが。
 要するに一時引退からの数年間のブランクが残念だが、そのことにより、紅白ではいつもの演歌ではなく、またこれまでのヒット曲でもない何とも言えない曲「千年の古都」を歌うことができたたような気がする。演歌の呪縛から解放されたように。この曲、都はるみも加わっていると言うより、プロディーサーなのだ。
 このあたり、歌屋という言葉が気になる。歌というジャンルはもの凄く広い。ジャンルに拘らず、歌。そして八百屋のような屋号。何々屋さんの屋。職業であり、屋号。演歌や歌謡欲のさらに上での括り方が歌。
 
 その後、武道館コンサートを毎年やっていたようで、その動画が二本ほどフルバージョンでネット上にある。中華サイトだが。
 この40後半から50少しまでの元気さは凄いものがあり、第二の黄金時代だったように思う。50代の都はるみ。
 野外コンサートも多くこなしている。最近になって伊豆大島でのコンサートがDVD化された。アンコ椿の故郷だ。波浮港に歌碑が建ったらしい。
 そしてファイナルコンサート、最後のコンサートだ。これは今から数年前。その後、今も沈黙しているのだが、コンサート後、楽屋に戻るときだろうか。インタビューを受けている。
 歌手にはなれたが、歌屋にはまだなれていないと。歌屋なので、色々商品を並べなくては、というような意味のことを語っている。
 この歌屋とは何なのかは分からない。ただ、一時引退後、自分の音を探していたことは確かだ。
 またNHKではない歌番組での司会者が、歌屋一筋と紹介している。これはそのままだと、歌手一筋とも取れてしまうのだが、なぜ歌屋と言ったのだろう。
 ちなみに渋谷ライフというのが昔あり、水前寺清子が司会。ライバルだ。
 そのときの会話では、歌うよりもプロデュース業の方が好きだといっている。
 引退前年の紅白で歌ったのが「浪花恋しぐれ」春団治とおはまの極めつきの演歌デュエット曲。これは都はるみが見出した作曲家で、歌手でもある岡千秋。だからこの当時からそんなことをやっていたのだ。
 ファイナル後の楽屋までの通路でのインタビューでは、夢はあるが、残された時間では無理っぽいとも語っている。しかし、今後は一歩でも近付ければ、それでいいというようなことも。

 こういうのを年代を追って見ていると、都はるみはやるだけのこと、やれることはやったように思える。誰でもそんなことができるわけがない。その意味で、一時引退後は自分の希望に近い線で歩もうとしていたことは確かだ。
 
 ネットで見る都はるみ。色々と動画はあるが、その中でも「さよなら都はるみ」「都はるみラストコンサート」この二つは新宿コマでの引退直前のもの。そして「都はるみ復活コンサート」。これはユーチューブではなく、中華系サイトはフルバージョンで、切れないで続いている。「都はるみコンサート」となっていると思う。そして二つ同じタイトルのがあり、高画質、となっている方がいい。
 引退コンサートと、復帰コンサート。この二つは緊張感が凄い。
 中華系サイトでは「都はるみ2」とか「都はるみ3」とかで、武道館コンサートが繋がって出てくる。
 中華系サイトはSOKU
 ユーチューブと重なるものもあるが、紅白で歌ったものは網羅されている。
 
 
posted by 川崎ゆきお at 12:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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