2018年08月11日

お盆

■■ 2018年8月11日 土曜日 午前8時37分
 
 昨日は曇っていたが、今朝は晴れている。しかし、蒸し暑い。気温は大したことはないのだが、湿気が高いのだろうか。
 昨日の夜は久しぶりに扇風機をつけて寝ないといけないほど。しかし途中で寒くなってきたので、消す。
 多少凌ぎやすくなっているのだが、この時期体がだるい。そろそろお盆なのか、帰省ラッシュのニュースが見える。毎年お盆は何日なのかと考えることがある。これだけ大きな行事のようなものなのに、日にちがはっきりとしない。カレンダーにもないだろう。盆と正月。この二つは大きい。正月は分かりやすい。年の初め。1月1日。お盆は15日あたりが目安。迎え火とか送り火とかがあるので、一日ではない。先祖は二泊三日ほどではないかと思える。
 そしてお盆休みというのも曖昧。当然お盆は祭日でも祝日でもないはず。しかし頑固にお盆というのはなくならない。これは精神的なものが大きいのだろう。先祖崇拝的な。まあ、精神的というより、より具体的だが、先祖がいないと自分もいないのだから。そして何らかのものを受け継いでいる。これも具体的だ。物理的に。
 先祖というのは辿りすぎると、アフリカの一人の女性に行き当たってしまいそうだが、それは猿ではないし、類人猿でもない。
 今も何処かの森で人間になりつつある猿がいるわけではない。猿の枝を選んだ時点で、猿は猿らしい。
 もし人の先祖が猿なら、お盆の時、猿をお迎えしないといけなくなる。しかし猿は自然現象だが、お盆は文化。人が人自らが作ったもの。猿が作ったものではない。猿は猿の文化があるが、猿自身が語る文化ではなく、人の文化を猿に当てはめているだけ。
 猿の文化というか、猿の社会では猿は猿を殺さないというのが有名だが、これは映画猿の惑星の話。仲間を殺す猿が現れる。
 さて先祖崇拝だが、それがお盆の根元にあるようだが、そんなアフリカの一人の女性の話ではなく、少しは記憶にある先祖のこと。お爺さんのお父さん、お婆さんのお母さんレベルの近さだろうか。
 孫か、曾孫に当たる人なら、何となく覚えている。孫なら、確実に覚えているだろう。曾孫になると、幼い頃の記憶にあるかどうかさえ曖昧になる。だから、知らない上の代。さらに上にいくと、写真さえないだろう。また、もう誰も覚えていない先祖もいるはず。
 ただ盆踊りの先祖というのは、個人的な家族ではなく、村単位だったのかもしれない。まあ、村人が殆どが親戚なら、そんなものだろう。
 盆踊りは村人の先祖を相手にするが、小学校の校庭でやる盆踊りは、村単位ではなく、学区単位。これは血縁はないが、地縁がある。
 盆踊りの原型は何かよく分からない。仏事でも神事でもないのかもしれない。何故が原始人が踊っているように見えてしまう。
 当然それらが続くのは、楽しいからだ。盆と正月が一緒に来たような楽しさ、というほどなので、普段食べないような御馳走が出たり、普段は飲まない酒を飲むのだろうか。要するに娯楽だ。
 そういう日が年に何度かあり、それを楽しみにしていた時代もあるのだろう。
 お盆の里帰り、藪入りだ。出身地の村へ帰る。だから奉公で出ていたのだろう。その名残か、帰省ラッシュとなる。村には先祖の墓があり、これは具体性が高い。土葬なら物理的に全身の骨がそこにまだ埋まっているだろう。
 弥生時代の住居跡から骨が出たというニュースなどがあるので、結構残るものだ。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 10:01| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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