2019年01月02日

都はるみ50年の歩み2

■■ 2019年1月2日 水曜日 午前11時27分
 
 今朝は寒いが、気温は大したことはない。夜中も零下にはならなかったのだが、妙に寒い。温度とは何かと疑いたくなる。それとは関係なく、寒さがある。風邪を引いて悪寒がするわけではない。曇っており、この状態は寒さはましなはず。だから寒暖計では低くない。しかし、寒い。
 寒さにもいろいろとあるのだろう。あとは体調もあるのかもしれない。身体の中のヒーターが故障しているとか。しかし、そんなヒーターがあると熱があることになり、寒さは緩和されるが、熱のある状態はしんどいはず。
 今朝は正月二日目。まだ朝の喫茶店の開店時間が遅いので、遅い目に起きてくる。そのため、安心して夜更かしができる。目は自然にいつもの時間に起きるのだが、そこからさらに寝ないと、喫茶店が開かないので、贅沢な二度寝三度寝ができる。しかし、あまり眠くないとき、寝るのは苦痛だが。
 喫茶店以外の日常立ち回り先は平常と変わらない。昼や夕方の喫茶店もしっかりと開いている。いずれもチェーン店で、ファスト系のためだろう。基本年中無休。ただ開店閉店時間が正月だけ違う。お盆はそんなことはない。だから正月の方がお盆より強いことになる。お盆というのはいつからいつまでかは分からない。
 この時期、スーパーでおせち料理の売れ残りが安くなっているのではないかと思うのだが、見ていない。また大きな鯛を焼いたのも、賞味期限が切れる手前だろう。タイヤキではなく、焼き鯛。
 こういうのは年末に大量に焼いて置いたもので、冷凍していたかもしれない。焼き魚の冷凍。それが可能かどうかは知らないが。解凍のとき、ふやけそうだ。そして香ばしさが消えていたり。焼き魚を放置していると、干物になるのだろうか。食べられないわけではない。
 おせちセットを買うより、単品で買って集めて入れ直した方が安いと思われる。レイアウトし直す。それとおせちには入っていないような安くて量の多いものを混ぜる。
 ただ、おせちは室温で長持ちしないといけない。これは正月三が日間は、もう料理をしなくても済むように。
 お吸い物とかは作らないといけないし、ご飯も炊く必要があるが。このあたり、餅でもいいが。三食とも餅では飽きるだろう。白いご飯が食べたくなる。
 元旦の朝は雑煮を食べたのだが、やはり白いご飯が必要。腹持ちは餅は優れているのだが、おかずと合わない。餅は餅だけ食べる方がいい。餅ではおかずが合わない。
 正月三日か四日ほどは喫茶店に合わせて堂々と遅起きができるのだが、これが癖になって、遅起きが標準になりそうだ。しかし、今年は喫茶店を探さなくても済む。
 しかし夕方の喫茶店が夜になり、昼寝が夕寝になり、寒い夜に喫茶店まで行くのが大層になる。昨日はそれで中止。遅すぎるためだ。だが、雨が降り出し、もし出ていれば、この雨でもっと寒い思いをしたはず。
 まあ正月だけは普段と違う状態でも許されるような感じがする。それはいつもの日々ではなく、特別な日なので。それで頭も正月になっていい。
 昨日は防寒ズボンを900円で買う。いつものスパーに吊されている見飽きたもので、無視し続けているのだが、防水性があるタイプがあった。これだ。これが欲しかったのだ。しかし、安すぎる。防水性と表示されていないタイプと値段は同じ。薄い表生地の下にボアが仕込まれており、裏地ではなく、二重に重ねているだけ。
 機能的には改善されており、前ファスナーがある。ベルト通しはなく、ゴムパン。しかし中に紐が入っているので、少しは調整できるので、紐パンだろう。ゴムだけで充分止まる。これで水を弾く程度の防水性があるのなら、助かる。完全防水とまではいかないので、染みこむタイプ。ちょっとした雨程度では短時間ならカッパになる。これと同じ防水加工のダウンコートを着れば、雨具だ。しかし、カッパには見えないので、店に入ったときなど、脱がなくてもいい。
 ただ、後ろポケットがない。
 
都はるみ
 都はるみ五十年の歩みというタイトルでネットに動画が六本ほど上がっている。音声だけだが、その当時のシングルや、アルバムのようだ。
 一本は1時間を越える。順番は少し違うのもあるが、ほぼ古い順に並べてある。
 初期から引退前までの曲が少ない。
 初期の甘ったれたような、声は次第に消え、徐々に年齢にあった男女関係の歌へと移る。それが進むと夫婦者になる。まあ、そういった歌の中身、何を歌ったものなのかではない。
 そういうのはただの物語で、何でもいいのだ。出し物のようなもの。
 そして歌詞の内容は、置き換えられる。悲しいとか、辛いとか、この感情は共通している。聞き所はその演じ方。一種の語り部の世界で、語り方がいい。何を語っているのかも大事だが、歌い方の中に感じるものがあるのだ。
 三好英治? という男性歌手がいる。名前が違うかもしれないが「雨」などを十代で歌っていたが、歌詞の中身など分からないまま歌っていたと、最近語っている。しかし、そんな大人の男女のことなど分からず、実感もなかっても、聞く人は気持ちを込めて聞いていたのだろう。または聞く側も意味は分からないし、経験したことがなくても、情感としては分かるのだろう。悲しいとか、切ないとか。だから、これは置き換えて聞いているのかもしれない。
 さて、引退手前までの曲の中でよかったのは「さよなら海峡」「九十九里浜……」など。
 復帰後の演歌ではない歌だと、誰が歌っているのか分からない。50年の歩みとか、昭和と平成に分けるとすれば、やはり昭和時代の歌謡曲の方が聞きやすい。これは大衆の歌。流行歌の世界のためだろう。聞きやすいようにできている。受けるように。そしてヒットするように。
 復帰後はそういったレコードの売上げとかを考えないで、演歌から外れていく。声も普通になり、絶唱したり、唸ったり金切り声を上げたりはしなくなる。静かな出だしで始まる曲が多くなり、そして後半に盛り上がるのだが、じっくりと聞かせる歌が多い。演奏も大層なものになり、大作が多い。
 そういう歌に混ざって「つくしんぼ」などがぽつんと入っていると、前奏から演歌であることが分かるので、ほっとしたりする。
 片思いの歌から、恋愛の歌になり、同棲の歌になり、夫婦の歌や不倫の歌へと変わっていく。また、子供達のための歌も。
 作られた時代順に一気に聞くと、そのバリエーションの広さに驚く。歌なら何でも売っている八百屋のような歌屋。
 このあたり、何でも歌える幅の広さでは美空ひばりを越えていると思うが、それはひばりが死んだ年を越えて、都はるみが歌い続けているためだろう。
 しかし、最後のCDは「冬の海峡」だったと思う。涙の連絡船からの系譜の海峡もの。どまんなの演歌だ。
 あまり売れなかったが「北の宿」から「大阪しぐれ」あたりにかけて歌っていた曲の中にいい曲がかなりある。先ほどの「さよなら海峡」がそうだ。「みちのく風の宿」などは、極めている。
 また「高松夜曲」や雨の思案橋の歌や、博多を舞台にしたご当地ソングも、いいのがある。今聞くと、その中に「大阪しぐれ」や「道頓堀川」なども吸収されてしまう。ネオンものとして。
 演歌っぽくない引退後の歌の中でも「古都逍遙」などは聞かせる曲で、非常にいい。
 明るく都はるみらしい曲としてバブルが弾けた頃の歌で「気の向くままに」がある。もう何処の国のリズムか分からないほど異国っぽい。これは楽しめる。
 後年、珍しく唸りを入れているのが「ムカシ」という曲。過去のいい時代、いい頃の思い出に浸るのは「昔」というオバケの仕業だと言っている。それであなたを駄目にするとも。このあたりメッセージソングだ。
 この曲を聴くと、昔の都はるみの方がよかったとは言えなくなる。
 車のCMソングだろうか。復帰後間もない頃の曲だが、誰が歌っているのか、もう分からない。無理のない地声で歌っているのだろう。やはり綺麗で、優しい声だ。粘っこさがあるのだが切れがある。
 ということは今まで作った声だったということになる。だから演じ続けていたのだ。それが演歌だと思える。
 嫁いだ娘が戻ってくるとき、駅で出迎える夫婦の歌もある。
 それらを聴いていると、もう十分いろいろな歌に挑戦し、さらに第一線でやり続けたのだから、凄い話だ。昔の歌だけではなく、その挑戦は凄いと思う。
 また若い頃からのカバー曲は半端ではないほど多いようだ。都はるみが好きそうな西田佐知子の「エリカの花……」を調子を変えて歌っていたが「裏町人生」も歌っている。これは西田幸子の気怠い声でないと成立しないような歌だ。
 都はるみが歌うとどうなる。とたんに明るくなる。まだ若い頃に歌っていたので、そんなものだが、すねた感じが可愛い。
 何処かで都はるみが語っていたと思うのだが年取ってから休養に入る手前、いい歌に恵まれなかったと言っている。
 まあ、都はるみを支えてきた作詞家作曲家、そしてプロデューサーも故人になってしまったので、仕方がない。
 50過ぎの都はるみ、大御所中の大御所に渡す作詞家や作曲家も、大変だろう。
 問題は「羅生門」。男性視線からではなく女性視線からの不倫。しかし、それを超えた生々しさがある。作詞は女性歌人。これは聞くものに対しての踏み絵的歌だ。バリエーションの一つ、ある挑戦として、こういう曲があってもいいのだが、年をとるに従い、歌う歌が難しくなり、歌詞もよく聞き取れない。これは小さな声で始まることが多いためだろう。それと伴奏が大層すぎたりする。重い曲なので、個人的にはしんどいが、曲も歌詞も良い。
 50年の歩みの、ダイジェストだが、後年の曲はほぼ網羅されているのかもしれない。初期や全盛時代と違い、聞かせる曲が多くなり、それらは海外でも通じるだろう。
 そういうのを聞いたあと「あんこ椿は恋の花」などを聞くと、懐かしさがぐっとこみ上げてくる。これは古い曲だから懐かしいのだが、歌そのものが郷愁を誘うのだろう。
 一度目の引退。全盛時代。満開のときに散りたいといって散った。だから復帰後は、もう好きなことをしていいのだ。大きな財産は全盛時代までに充分残したのだから。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 13:30| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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