2019年02月12日

コンビニビビンバ

■■ 2019年2月12日 火曜日 午前10時09分
 
 今朝は久しぶりに晴れた感じだ。この感じとは晴れの感じではなく、間隔。その間隔と晴れが混ざった感覚だが、計算も入っているが、数えていない。大体の感じ、で久しぶり。
 雪が降っていたとかがあったが、その寒波は去ったのだろうか。しかし、まだ冬なので、去って普通になっても、その普通が結構寒い。また寒波が来ていない普通の日の方が寒かったりする。それは妙な期待をしているためだ。本当は期待などしていないのだが、どんな凄い寒さが来るのかは、興味がある。これは日常の変化。
 夜中の気温は2度あたりで、これは寒波が来ていたときとそれほど変わらない。ただ、今朝は青空が見え、しかも風もないので、いい感じだ。風があると寝起き行く喫茶店までの道が向かい風なのでペダルが重い。そのかわり帰りは軽い。どうも風は山の方から来るようだ。
 昨日はご飯もおかずも切らしたので、仕方なくコンビニで弁当を買う。ビビンバ弁当。野菜が多いが、多いのは種類。かなりの数の野菜が入っているようだが、ビビンバなので、かき混ぜてしまうため、何が何か分からない。これは本人が作れば、何を入れたのかをしっかりと覚えているはず。いずれも身体に良い物を入れたという感じがするはず。この草がこれに効くとかの知識がないはずなので、数を入れることだろう。どれかが当たる。
 辛いものが入っているが、赤いので分かる。トマトケチャップのようなもの。だから、これは野菜カレーのようなものだろうか。コンビニではその横に八宝菜丼がある。中華丼だ。こちらは煮物をぶっ掛けている感じがするが、作っているところを見ると、フライパンで野菜炒めをしているようなものだろうか。ただ出汁が多い。そして片栗粉で粘りを出す。
 ビビンバは山菜も入っており、かき混ぜてご飯とごちゃ混ぜにしてスプーンで食べる。コンビニでスプーンか箸かと聞かれたとき、箸といってしまったので、スプーンがない。それで、カレーを食べるときの金属製のを使う。ここは蓮華よりもいいかもしれない。瀬戸物のスプーンよりも、金属の方が切れが良い。
 ビビンバに相当するものは、日本では何だろう。ばら寿司かもしれない。ちらし寿司のことだ。しかし中の具は乾物が多い。ただ、錦糸卵がいい。ピリッとする辛いものとしては紅ショウガ。それを細かく切ったのが入っている。これは箸で食べる。
 さて、そのビビンバ、目玉は肉だろう。少ないが、肉も入っていた。これは買うとき見えている。肉が入っている方が売れるだろう。野菜だけよりも。
 
 今朝のお供のカメラは趣向を変えてニコン1という1インチタイプの超小型レンズ交換式ミラーレス。どう見ても女性向け。既に製造中止で後継機はない。ニコン1インチタイプは全滅ということだろう。
 このカメラは店頭ではミラーレスと張り合っていた。同じ棚に並ぶと、一番小さい。狙いはこれだろう。そして明るい標準単体レンズ付きのキットが目玉。1インチなのでそれほどボケないのだが、受光素子よりもレンズが明るい方がボケやすい。さらに50ミリなので、広角レンズの明るいものよりもボケる。
 ニコン1J5という機種で、このシリーズでは普及機。操作体系などは普通のコンパクトデジカメ以下。だから、コンパクトデジカメよりも簡単。それなのに受光素子が大きく、レンズも交換できるという変わり種コンパクトのようなものだろうか。ペンタックスQのような感じだろう。
 今朝はこのカメラで50ミリフナ釣り撮影を試みる。これは以前発起したのだが、途中で欲求不満になり、やめている。猫も鳥も写せないためだ。しかし、50ミリという距離感で肉眼で見たものに近い奥行きで切り取れるので、遠くの鳥は遠いまま。しかし撮した人と鳥との距離が分かる。当然鳥などなど豆物のように小さいので、何を写した写真なのかが分からなくなる。
 しかし、室内やテーブルものを写すときは、この50ミリの距離感、フォルム、そしてボケは効果的で、これはコンパクト系ではできない絵になる。ボケるから絵が柔らかくなるだけだが。画質は分からないが、ボケは分かる。
 この50ミリフナ釣り撮影は、隠居さん向け。もうカメラなどどうでもいいというようなとき、適当に写すカメラ。これは極意とも言える50ミリ撮影とは逆。できるだけ、リアルに近い距離感で切り取りたいということだろう。誇張が少ない。だから50ミリ以下は広角、以上は望遠となるが、比率にもよる。35ミリフィルムサイズ、ライカ版だが、映画の35ミリフィイルムを使っていた。そしてライカ判の比率はやや横長。だからそこを割り引けば42ミリあたりが標準でないかといわれている。だから50ミリはやや望遠気味だろうか。よりふっくらとしている。
 ただ、昔のカメラに付いていた標準レンズは55ミリとかがあったりする。50ミリを超えているのだ。そちらの方が作りやすかったのかもしれない。
 さて、今朝はその50ミリだけで数枚写したのだが、趣向を変えたためか、写せるものが多くなる。そのため、ゴミが多くなる。これは諦めだ。作画意図よりも、目の前にあるものを適当に写したという感じになる。単焦点という縛りは窮屈だが、より広角、より望遠となると、きりがない。
 しかし、猫や鳥と遭遇したとき、もしものときのために同じニコンの旅カメラを鞄に忍ばせている。こちらは800ミリまでの望遠と24ミリの広角が使える。ポケットに入る旅カメラだ。こちらの方が撮しやすいのだが。
 だが、50ミリ標準だけで写す境地というのもいい。なかなか隠居撮影は難しいが。
 
 
 
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2019年02月11日

一太郎2019の買い方

■■ 2019年2月11日 月曜日 午前10時38分
 
 今朝は雪。真冬らしいが、雪からみぞれに変わったようで、雪なら傘はいらないと思い、差さなかったのだが、みぞれに変わり、そして雨に変わったので、濡れてしまった。今朝は長い目のダウンジャケット。その長い部分が自転車に乗ると太ももに被るのか、上を向いているので、モロに雨を受けたのだろう。テントではないが。まあ、それでズボンはまし。
 暖房の効いたカラカラの喫茶店に入れば、すぐに乾燥するはず。水は染み込まないで、浮いている。防水性、少し水を弾く程度だが、このタイプは触れるとモロに水。水が浮いているのだ。
 ズボンは防水タイプのゴムパンではなく、ペラッとした綿パン。少しだけ分厚い。今朝のような雨なら染みこむが、すぐに乾燥する。だから別に防水性がなくても大丈夫だったような気がする。上着もそうだ。
 まあ、余程大雨で、土砂降りなら別だが。逆にそんなときは弾く程度の防水性では役に立たないだろう。
 昨日の昼過ぎから気温が下がりだした。本来この時間からまだ上がる。だから夕方や夜は明け方の寒さと変わらない。といっても氷点下にはならないが。そのまま夜中も寒かった。2度ほどだが、底冷えする。ここが違う。寒暖計ではこの底冷えを感知できない。
 冷たい寒気の質が違うのだろうか。ストーブにも芯まで暖かい遠赤外線とか、もう一つタイプがある。波長が違うのかもしれない。
 今朝は久しぶりに手が悴んだ。雨の降る日は暖かい目なのだが、雪なので、そのパターンからは外れる。それと雨で手も濡れるので、さらに悴んだ。
 その悴み度合いは、少し。これにもレベルがある。指温度計だ。
 
 一太郎2019が出ているはずなので、近所の上新へ寄る。ここは毎日来ているところにある。まあ、エスカレーターで五階まで上がらないといけないので、毎日立ち寄るわけではない。用がなければ行かない。さらにその上に百均がある。コップを割ってしまい、予備はあるが、二つないと不便。これは、コーヒー牛乳の紙パックが1リットルタイプなので、コップで受けないと、パックのままだと無理。ストローはあるが、机に置きっぱなしなので、これも無理。1リットルパックの雪印のコーヒー牛乳。これが安くて美味しい。以前は怖いような甘さだったが、改善されている。ベストセラーだろう。普通のコーヒーと違い、最初から砂糖と牛乳が入っている。砂糖入り珈琲もパックで売っているが、フレッシュを別に買わないといけない。小さなあれだ。それが冷蔵庫内で、ばらけてよく転がっていたりする。
 百均の話だ。7階か8階にあるので、コーヒー牛乳専用ガラスコップ一つのために上までいかない。
 さて、本題の一太郎19。前回と同じでパッケージはあるが空箱で、しかも裏表でタイプが違う。どちらも表。一つの箱で二つの箱となっている。一方はベーシック一太郎。一方は一太郎プレミア。これを持ってレジへ行けば、中身入りの箱を出してくれるというもの。もう一つはスーパープレミア一太郎。これは独立した箱となっている。一太郎には三つのタイプがあり、一太郎プラス何かで、タイプが分かれる。
 買いたいのは一太郎プレミア。図形ソフトやメーラーやPDFソフトが付いているタイプだが、実際に使うのは、今回のおまけの類語辞典。それが欲しいばかりに今は使わないような花子とかも買うことになる。
 その兼用箱はさらに枝分かれし、バージョンアップ版とノーマル版と乗り換え版。一番安いのは学生版のバージョンアップ版だろうか。それがあったかどうかは見ていない。箱にタイプ別のバーコードが付いている。だからそこで、バージョンアップ版と店員に言わないといけない。箱をレジへ持っていっただけでは、出してくるソフトが違うためだ。同じものだが、値段が違うだけ。
 だからもの凄い数のパッケージになるので、全部並べるわけにはいかないのだろう。マイクロソフトのオフィスなどはただのカードだけを並べていることを思えば、空箱があるだけ、ましかもしれない。
 これが一太郎の年貢。バージョンアップされているのだが、ほとんど分からないだろう。具体的に、今までなかったものが手に入るわけではない。しかし、プレミア版を買うのは、先ほど言った類語辞典。これは新規で、見たことがない。一つぐらいそういう別物のおまけが加わらないと、バージョンアップする意味が薄い。餌が必要。
 今回の一太郎、パッケージを開けると開け口にPINコード云々の紙がある。その紙が底に沈まないように引っかけている。お前は信長の野望かというような仕掛けだ。つまりシリアル番号などが書かれた紙やハガキなどがない。
 インストールするとき、DVDが立ち上がるのだが、最初に出る画面はこのPINコードの案内。つまりその状態でネットに繋げて、ジャストのサイト上で紙に書かれたPINコードの呪文を打ち込む。当然その前にジャストのユーザーIDやパスワードを入れないと、その画面へは入れない。その画面に入った瞬間、承認されたとなる。シリアル番号ともう一つ暗証キーのようなものがブラウザに表示される。これを印刷せよということだ。ただ、また、それを見ながら、インストールのときに要求されるシリアル番号などをタイプすればいいのだが、あとでメールで同じものが届く。こちらはコピペできる。打ち間違いはない。
 要するに信長の野望と同じように、オンラインゲームなのに、ネットに繋がっていないと、インストールできない。ネットでインストールするのではなく、認証というやつだ。またはシリアル番号がネットがなければ知ることができない。
 ああ、それなら最初からネットがなければできないダウンロード版にした方がよかったと思った。パッケージ版の良さはシリアル番号などが紙に書かれているので、保存しやすいことと、箱が欲しいというのもある。それと導入マニュアル程度は付いている。以前なら簡単な一太郎の基本的な使い方のマニュアル書が入っていた。新機能がどうのとかの。
 今回は全くなし。さらにPINコード形式になったので、パッケージ版のありがたさはほとんどないが、店売りなので現金が使える。上新のセール中だったので、その割引が受けられ、ジャストで買うよりやすかったりする。
 また、ダウンロード版の待ち時間がない程度。発売直前なので混むだろう。
 どうせ、DVD版で買っても、ハードディスクなどに保存している。だからダウンロード版と同じことなのだが、DVDをなくしても、ダウンロード版なら何回かは再ダウンロードできる違いはある。
 まあ、パッケージ版の良さよりは、最近はダウンロード版のほうが便利になっている。ただ、箱が欲しいというのなら別だが。この空箱を本棚に並べたいとか。また空箱なので、そこに別のものを隠して入れるとかも。これはワープロソフトとはもう別の世界だが。
 さて、それでカチャカチャいっているDVDドライブに繋ぎ、インストールする。途中で止まってしまいそうだ。それと遅い。これはやはりダウンロード版の方が早い。既にパソコン内に入っているためだ。
 そして一太郎を起動する。
 何も変わっていない。同じ画面。試しにタイプすると、学習が引き継がれている。登録辞書も。そして環境設定も引き継がれているとすれば、何も変わっていないことになる。
 だから、今朝はバージョンが上がったのに、同じ画面でタイプをしている。類語辞典が増えているのは分かる。辞書引きするとき、広辞苑が立つことが多いが、タブで類語辞典に切り替えればそこで見ることができる。まあ、用語事典のようなものだ。その言葉がどんな使われ方をする性格のものなのかが分かる。似たような言葉を知ることで、その言葉の意味が分かったりする。ああ、この言葉の親戚かと、ジャンルが分かったりする。
 で、結局、それだけのことだったが、ATOKは知らないところで、賢くなっているのだろう。一番助かるのはミスタイプの自動修正。誤変換になる確率の多くはユーザーのミスタイプなので。
 
 今朝のお供のカメラはイオスM3。キヤノンのミラーレスだ。その現役機はM6だろうか。M5はファインダー内蔵だったと思える。どちらがどちらだったのかは忘れたが、いずれにしれもイオスキッスMが出たので、古くさくなっている。
 いずれも同じレンズが使える。小さく軽いが、種類が少ない。だから、上位レンズがない。それがいい。
 イオスキッスMやキッスの一眼レフタイプの背面液晶は全て横開き。これは自撮りのとき、横開きの方が角度が自在なので、横からの自撮りモニターを見ながらできる。ユーチューバー向け。つまり動画での自撮りではそちらの方が良いらしいが、スチールの場合、上下だけの方が素早い。少し持ち上げればウエストレベルになる。街中でカメラを向けにくいときとか、ファイダーを覗いている場合か、となるようなところでは、これが多少緩和する。写す枚数も多くなるのは、そのためだ。
 M3の背面液晶は軽く。力がいらない。真上が写せるし。また真下もある程度回転するので、テーブルものを真上から写すこともできる。
 まあ、一番いいのは、さっと液晶を起こせることだろう。これが滑らかでいい。
 M1からM2。そして次がこのM3だった。ここで一応他社のミラーレス並みに使えるようになったとされている。ピントが遅かったのだ。
 
 
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2019年02月10日

イオスx9とX9iの違い

■■ 2019年2月10日 日曜日 午前9時51分
 
 今朝は寒い。まるで真冬並。しかし、陽射しがある。だが風もある。風はダウンジャケットなので、通さない。これはよくできている。スースーしない。さらに強い風になると、隙間から入ってくるが、それは台風並みだろう。吹雪ではなく、猛吹雪。
 しかし夜中の気温が三度ほどなので、まだまだ余裕がある。この寒波が来る前は十度近くあった日もある。そういう日の方が寒波よりも異常かもしれない。低温は気にするが、高温は気にしない。この季節なら快適で、誰も文句はいわない。過ごしやすいときは気にならない。過ごしにくい寒さの方は気にする。ただ暖かすぎると、これはこれで気にする。暖かいから暑いになる。夏などはこれだろう。暑い方ばかり気にする。結構単純にできている。
 今朝はまずまずの時間帯に起きてきた。二度寝はなかった。昨夜は比較的早寝をした方なのだが、蒲団に入ってから不思議と寝付けなかった。いつもならそこそこの早さで寝入るのだが。寝入る前は呼吸が変わる。その呼吸になかなかならなかった。本来なら起きている時間なので、まだ頭が寝ようとしないのだろう。
 しかし、いつの間にか寝ていたようだ。さあ、今から眠りに落ちるぞ、という境目など分からないまま。普通は分からないだろう。ただ眠りに落ち始めるときのまどろみは気持ちがいい。それも気付かず寝てしまうこともある。まあ、まどろんでいるので、意識が薄いのだろう。
 ワープロソフト一太郎2019のダウンロード版が発売になっていたようだ。昨日メールが来ていた。ジャストシステムからのメールは頻繁に来る。毎日来ているようなもので、しかも複数来ていることもあるので、ほとんど見ないで削除している。
 しかし、ここ数日は発売日が近いはずなので、そこだけを気にしている。メールはタイトルも見ないで削除している。昨日は少しだけ見出しを見ていると、ダウンロード版が出ていることのお知らせだった。
 まあ、そちらの方が安いのだが、こういうのでクレジットカードは使いたくない。去年はどうだったかというと、上新のリアル店でパッケージ版を買っている。それが本棚に本のように飾ってある。これはカメラを買ったときの試写でよく写している。中は空だが、DVDが入っているかもしれない。本当はいらない。同じものを保存しているので。それと部屋のパソコンはDVDドライブがない。だから外付け。それを突き刺してセットするのが面倒。そして回っているので、これはいつ止まったり引っかかったり、妙な音になったりと、一寸危ない。DVDドライブは結構故障する。ハードディスクのほうが長持ちする。まだ生きているのかと思うほど。
 さて、今回の一太郎。カタログが郵送されていたのを少し見ただけ。変換率が上がるのは有り難いが、これはワープロ機能ではなく、ATOK。ワープロ機能としては類語辞典の大きいのが付く。ただ、これもワープロ機能というより、辞書機能なので、やはりATOKがらみ。そしてワープロ機能としてふさわしい校正ソフトが上がっているようだ。
 校正機能は最初は珍しいので、使っていたが、どうも機械的になる。順番に最初から読み返した方が早いし、文脈も分かる。文頭での言葉遣いと分の中程と終わりがけでは文体が変わっていたりする。ここは揃えないといけない。それには全部通して読まないと、言葉の間違いの指摘では、機械的。
 それと言い回しを変えるとかもそうだが、これも全体の流れからの影響だろう。校正ソフトはそこまで見えていない。見晴らしが悪いのだ。だから、使っていないが、今回はどうだろう。類語辞典などと連係プレイができればいいが、きっちりとした提出用の儀式的文章には必要だろう。そういう文章は書く機会がない。
 まあ、それよりもATOKの変換率や学習やAI系に期待したい。一太郎を使っているといってもテキストのベタ打ちなので、実際に使うのは日本語変換。ただ、そのATOKを走らせるには一太郎上が一番軽快というだけ。
 その一番の理由は、最下行で打っているとき、スクロールしてくれる。未変換状態でも。ワードはそれができない。他のエディターもそうだ。ベタ打ちするとき、下の方が切れてしまうのは、何ともならない。これはベタ打ちなので自動変換のため、未変換状態が長いために起こる。一太郎には自動変換がある。ディフォルトは文節変換だが、自動変換があることで、一太郎側もそれが可能な未確定状態での最下行でのスクロール機能というのを入れたのだろう。だから、ステージとして自動変換でタイプするのなら、一太郎が一番いい。そして確定した文字を、後でいつでも再変換できる。このときの変換もAIが効いており、文脈に合った言葉になる。逆に前後の言葉からの文脈にふさわしくない言葉は候補に挙がらなかったりするが。
 カメラのフルオートが好きなので、日本語変換も自動変換やAIの振る舞いが好きだ。そちらの方が逆に意外性がある。
 
 キャノンの一眼レフのキッスは二種類ある。その上の機種はキッスではないが、大きさ重さはキッス並みで、ここまでが安いタイプ。この安いというのを初心者向けとか入門機と言い方にしている。キャノンの一番安物のカメラでは言い方が悪いためだろう。しかし、初心者、入門機というのは当たっていないし、ふさわしいとは思えないが、最近はスマホから一眼へ来る人の受け皿として、敷居の低いカメラとしてキッスシリーズがある。スマホだけで、カメラのことを知らない人でも使えるということだろう。それと乗り換え組みのほとんどはスマホの画質では不満ということ。これは受光素子が大きいほど画質がいいということではなく、ボケ方が違うことの方が目立つため。これが一番視覚的に分かりやすい。人物を写したとき、背景がフワッとボケる。これが写真ぽく見える。
 さてイオスキッスは二タイプあり、x9とX9i。後者の方が上位機だが、ほぼ同じ。
 その違いを上新の実機で確認すると、X9iのファインダーはまるでミラーレス。そんなはずはないのだが、AF測距点が多いのだ。それで、合ったとき、ポーズ、これは合ったところがピカッと光るのだが、瞬間だ。まあ、数点しかなければそれで分かるし、一点だと、合ったことが分かる程度。それが多いと、何処で灯ったのか分かりにくいし、ゾーンとして認識した場合、ネオンのようになる。それで、グリーンの小さな枠が複数出るようになった。これを見て、ああ、ミラーレスのファインダーと思ったのだろう。ただ、安いだけあってファインダーは小さい。
 ただし、測距点の密度が高いのは、中央部だけ。しかしほぼ画面の腹を占めている。画面の端に勝手にピントが来れば迷惑だろう。そこに来るように指定するときはいいが、それはミラーレスに任せればいい。
 こういう隙間がないほどの密度の高い測距点を持つカメラは上位機から下りてきたのだろう。ただ、中央部一点が結局分かりやすかったりするし、確実。
 x9は昔のX7レベルのAF測距点。左右に少し拡がっている程度。そして早さと正確さは中央部一点だけ。これで充分だが、X9iの方は、前測距点が優秀。中央一点だけではなく、それが全部となったところが違うようだ。さらに暗いところで強くなった。マイナス3EVかEBかは忘れたが、かなり暗い。これは薄暗い夜道では役立つだろう。
 スナップなどではピントを合わすために合いやすいものをまずは中央に来るように構図をとる。そしてシャッター半押しでロックさせて、本来の構図にしてシャッターを切る。
 ただ、コンパクト系などでは、構図が先。さっさと写したいためだ。多点AFだと中央部に被写体がなくても引っかけてくれるので、カメラを振る必要がない。というより、振る時間がないのだ。さっと取り出して、さっと撮し、さっと去るため。
 構図的には主要被写体が中央にある構図ばかりになってしまいやすい。まあ、多点で、思わぬところにピントがくるのが面倒なので、一点を使う場合が多いが、半押し後、ずらして写す暇がないときがある。
 街頭の風景などは、広角で、さっと撮すことが多い。適当にカメラを向けた瞬間に写している。多点AFのおかげでそれができる。おそらく手前側にあるものにピントが来るだろうと。しかし、画面の端にあるものに来てもらうと困る。まあ、コンパクト系で広角ならピントが深いので、何とかなるが。
 その意味で、X9iの端は感知しない中央部近くだけの多点はいいかもしれない。そして、多点での表示は、まるでミラーレスのファインダー。
 まあ、このカメラ、背面液晶でも普通に写せるので、そのときはミラーレス状態。ミラーを上げてしまうためだろう。
 だから、光学ファインダー式の一眼レフと言ってもミラーレス的に使える。手かざしになるが。
 背面液晶が横開きで回転し、自撮りもできるということだ。このあたりが一眼レフの最新機の特徴だろう。ニコンは少し遅れている。まあ、昔からのオーソドックスな写し方のまま写せるので、問題はないが、新味がない。それとニコンの新しい一眼レフがなかなか出ない。もう数年経つ。似たようなことをやって来るかもしれない。
 ベースが一眼レフの光学ファインダーで、ミラーレス的にもなるというのがいい。富士はベースは透視ファインダーでミラーレスにもなるというのがある。
 スマホからイオスキッスへの乗り換え組は、ファインダーではなく、背面液晶で手かざしで写していたりしそうだ。それでもいいのだ。
 ただ、AF精度や早さは、ファインダー撮影の本来の一眼レフで写す方がいいようだ。まあ、背景駅処す撮影はおまけなのだが、このおまけが良くなっているらしい。
 
 
 
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2019年02月09日

一眼画質並P900

■■ 2019年2月9日 土曜日 午前9時58分
 
 今朝は寒い。そして曇っている。夜中の気温は2度か3度なので、それほど低くはない。氷点下になっていないので。
 しかし北ではもの凄い寒気になっているようだ。確かにガクンと気温が下がり、真冬であることを思い出させてくれたのだが、まだ今日などは真冬本来の寒さとまでは行かない。大阪方面での話だが、手がそれほど悴まない。年末の寒気のときの方が手が悴んだし、その前の冬の初め頃の方が寒かったのではないかと思えるほど。
 しかし、気温差があるので、風邪をひきそうだ。昨夜は早い目に寝たので、今朝は早い目に起きてくることができた。何か空気が変わっているのが分かるが、これは体調と関係しているのかもしれない。曇っているが風はない。しかし灰色の雲が覆っており、いかにも冬の暗い空。まあ、冬らしくていいのだが。
 二月も半ばに差し掛かっている。冬としては後半。冬の前半の方が寒かったという妙な冬だが、この先、まだ分からない。もの凄く寒くなるかもしれないので。または春になっていても、寒さが長引くとかもある。
 
 梅の花が咲いているので、カメラ比べの試写にはちょうどなので、それを続ける。昨日はAFが合わなかったニコンP900の再挑戦。まだ画像を得ていないので、このカメラによる梅の写真はない。
 今回はマニュアルフォーカスで写すつもりで行く。これは結構使いやすそうなところにボタンやダイヤルがある。全部十字キー周辺にある。その十字キーにマクロマークがある。ここがAFの切り替えボタン。それを押すとマクロとノーマルと、MFと無限とが切り替えられる。フルオートのときはマクロに切り替える必要はない。
 MFボタンは十字キー。その十字キーの周辺に丸いリングがある。囲むように。このリングが回る。だから電子ダイヤル。これが回る機種が好きだ。それを回せばピントが動く。目安として距離がバーで出る。そしてピーピングか何かは忘れたが、ピントが合っていると被写体の輪郭にギザッとした色目のエッジがかかる。だからそれが出るまで回せばいい。親指で、軽く回るので、小手先でピント合わせができる。このカメラはピントリングは鏡胴にはない。しかし、これなら片手でもマニュアルフォーカスができそう。指の移動も少ない。
 それと無限が出せるのがいい。無限モードがあり、それで無限にピントが固定される。遠方だけを写したいときや、月などは、これでいけるのではないかと思える。AFよりも確実だが、露出は反映されない。
 一眼レフのピントリングの無限は、無限を越えてしまう。AFなので遊びが必要なため、無限で止まらない。
 ただ、ニコンのその無限、山のマークだが、本当の無限ではなく、無限に近いところではないかと思える。深度内に入れば、それでいいという程度の。
 2000ミリの望遠では、100メートル先と200メートル先ではピントが違う。
 さて、それで梅。そこへ行くまでに猫がいたので、それを撮すが、モードはフルオート。だからAFも自動認識。
 ピントは適当に猫にピント枠が当たったので、そのまま写す。手前に邪魔なものがないときは、これでいける。後で見ると、SX70と比べると、やはり濃い。そしてシャープでリアル。ポートレート向きではないだろう。
 さて、梅。モードはそのままで梅に向けると、今回は合った。SX70などのAFでは被写体を囲むのだが、P900は囲まないので、梅を捉えたのか、後ろの何かを捉えたのかは分からないが、ファインダーで見る限り、梅に合っている。前回どうして合わなかったのかは分からないが、そのときはAF自動認識ではなく、プログラムモードにして中央部一点だった。それで合いやすい背景に合ってしまったのだろうか。
 1点AFのほうが正確で確実だと思われるが、意外とそうではなく、SX70は一点よりも、自動の方が合う。違うものを囲むことも多いが、少しだけカメラを振ると、合わせ直してくれる。つまり別のものを探し出してくれる。
 また、前回合わなかったのは近すぎるためだったのかもしれない。SX70だと望遠端にしても2メートル以内。しかし2000ミリあるP900は数メートル離さないといけない。まあ、その中間はもっと寄れるが。
 それで、やっと梅が撮れたので、それを見ると、やはり凄い。これが見たかったのだろう。ニコンの一眼レフで写したものと変わらない。また、その前日写したキヤノンイオスMとも。当然望遠率が高いので、大きい目に撮れるし。
 SX70では、ふんわりとしてしまい、受光素子の小ささで、その差が出てしまうが、寛容範囲内。まあ、キヤノンのレンズは柔らかい仕様になっているものがあるらしいので、ポートレート向きなのだ。
 P900を初めて使ったときの解像力とシャープさの驚きは、やはり本物。受光素子が数倍の一眼画質よりも綺麗に写っているというのはやはり錯覚ではなかった。最も一眼に付けているのはキットレンズだが。
 それでも、あからさまに受光素子の違いが出ないというのはどういうことか。まあ、暗いところでは感度がそれほど上がらないが。
 
 最近気になっているカメラは、キヤノンの一眼レフ。フルサイズミラーレスや、普通のミラーレスで影が薄くなった一眼レフ。店屋でファインダーを覗くとすぐに分かるのだが、初心者向けのキッスシリーズのファインダーは小さく見える。ミラーレスのファインダーが大きいためだろう。ネオ一眼のSX70もそれ並みに大きいので、そういうのを見慣れてしまうと、イオスキッスのファインダーが小さく見える。
 それにミラーレス版イオスキッスMは、一番安くて軽いX9よりも軽い。
 X9とX9iとがあり、ミラーレスほどではないが、画面上でのピントを捉える守備範囲が広い。端は無理だが。それと、動いているものには、強いのではないかと思えたりする。その上位機はキッスシリーズではなく、Dが付く。9000D。この桁数の多い機種はまだ入門機で、初心者向け。だから小さく軽い。軍艦部にサロンパスが貼れており、背面ではなく、上から基本情報が見えるという上級機仕様。まあ、背面でも見ることができるのだが。
 安いのはキッスX7。これが現役機では世界最小最軽量になるだろう。実際にはニコンの3400の方が僅かに軽いのだが。
 まあ、一眼でも、普通のコンパクト系でも、ほとんどカメラ操作はしないで写しているので、カメラを向けてシャッターを押すだけのカメラで充分。
 ミラーレス時代と言っても、オリンパスとパナソニックとソニーと富士はずっとミラーレスだ。ニコンはフルサイズミラーレスはあるが、論外だろう。キヤノンのイオスMがその隙間を埋めているが、当然フルサイズミラーレスも出している。ただ、そういうのがぐっと安くなるのは、まだまだ先だろう。
 SONYのα6000系も、固まってしまったのか、そのあとの展開が静か。毎回同じ形のカメラでは、新味がない。購買意欲の問題だ。それでまだかなり前のα6000が店頭にあるのだから、もの凄い寿命だ。それで値段が下がらないのだから、不思議なカメラだ。
 それで穴なのがイオスキッスのような小型で軽い一眼レフタイプ。未だに一眼レフという言葉の響きは生きている。
 といいながらも、今朝のお供のカメラはオリンパスのミラーレス。中級機で、結構高かった。これはかなり安定している。
 
 
 
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2019年02月08日

都はるみあれこれ

■■ 2019年2月8日 金曜日 午前9時25分
 
 今朝は曇っており寒い。雨が降りそうだが、もしかすると雪になるかもしれない。夜中は気温は高い目だが、朝は少し寒い。雨が降りそうな日は暖かいのだが、今朝は違うかもしれない。風もあり、肌寒い。ただ、手が悴むほどではない。真冬になってから手は問題なしなので、余程暖かい日が続いていたのだろう。
 昨夜は遅い目に寝たのだが、今朝は早い目に起きてきた。しかも一発で、二度寝なしで。これはパターンが違う。遅く寝たので、早い目に起きるのを嫌がるはずなのだが、すぐに起きている。また、遅く寝た日は遅く目覚めるのだが、早い目になっている。これはいつものパターンとは違う。ということは習慣は当てにならないのだろうか。習慣と言うよりも癖のようなもの、傾向のようなもの。まあ、この寝起きパターンというのは結構曖昧で、寝入った時間帯が原因の全てではないのだろう。色々な要素が加わっているはず。それでも、まずまず似たパターンになるのは確か。しかし百パーセントではない。
 しかし、習慣はある日、パタッと妙な出方をして、その日を境に変わることもあるはず。だから習慣化というのも当てにならない。逆に習慣は何も工夫しなくても、治っていたり、違う展開になっていたりするのかもしれない。
 今朝は寒々としていそうなので、中に着込むのを一番ヘビーなインナーにする。これは春なら上着として着られるはずだろう。上着とは一番上に着る服。冬ならコート類。それを内側に着るインナーとして着ているので、着太りするが、セーター類よりも暖かい。これはバーゲンで買ったものだが、この季節では薄すぎるので、部屋着にしている。汚してもいい値段だし、そういうフワッとした軟弱な服なので。まあ、ヒナのようなものだ。フワフワしている。裏地に毛が生えている。この毛が細い。そしてそこそこ毛が長い。このタイプが一番暖かいようだ。
 これが分厚いので、長い目のダウンジャケットというか、コートのようなものを羽織っている。アンコはそれほどボリュームはなく、防寒性は少し薄い。しかし、中に着込んでいるときは、これぐらいがちょうど。これは元の値段が高いタイプで、一万円半ばのいいやつだが、意外と暖かくない。それが半額以下に落ちていたので買っている。この一着しか展示されていなかった。何処から流れてきた売れ残り品かは分からないが、値段のわりには今一つなので、売れ残ったのだろう。しかし、値段相当の加工が施され、ポケットも多い。ただ見た目は黒のダウンジャケット。セミロング程度。
 梅や桜が咲く頃は、カメラテストには丁度いい。カメラ比べだ。いつも行くところに梅と桜がある。毎年同じ木を写していることになる。しかし、一年経過すると、写し方も違ってくる。いずれも咲き始めがいい。
 前回はニコンP900ではピントが来なかったので同じニコンの一眼レフで写すと、簡単にピントが来る。AFはフワッとしたものが苦手で、しかも単色で手前にあると、無視される。スポットにしても合わない。細い枝などもそうだ。後ろにもっと合いやすいのがあるのだろう。だからそちらに持って行かれる。スポットでも合わないとなると、これはカメラのAF精度のようなものや、癖のようなものがモロに出る。カメラを換えると合ったりする。
 ミラーレス系よりも一眼レフ系の方がピントが合いやすいという印象だが、次の日はキヤノンのネオ一眼で写すと、スポットにしなくても、普通のフルオートの自動認識AFでピタリと花びらを囲ってくれた。揺れているので、追尾モードにもなった。これはAF枠が合っていれば緑なのだが、青い線で囲む。これはまだ決定していないが、今のところ合っているが、合わせ続けているというもの。それに自動切り替えになる。さらに動いているものに対しては感度も変わってくる。自動感度上げで、動きを止めたがるのだろう。まあ、細かいことをカメラ側がやってくれるので、そのカメラの持つ機能を総動員するような感じだ。それを勝手にやってくれる。チマチマと合わせ直したり、設定を変えたりを、自動でやってくれる。これは美味しい。だからコンパクト系はフルオートで撮すのがいい。カメラの潜在力を引き出してくれるから。
 そして画質の見所は、花弁。突飛だ。これをどれだけしっかりと解像しているか。ニコンの一眼の方がやや上で艶があるが、キヤノンのSX70というコンパクト系でも何とかいける。実はP900の解像力が凄く、一眼よりもシャープだったりするのだが、ピントが合わないのでは仕方がない。これはマニュアルフォーカスに切り替えれば済むことだが、次の日は挑戦していない。
 次はキヤノンのミラーレスでイオスM3に望遠を付けたもので写すが、ピント自動認識では合わない。SX70では合うのに。それでスポットの一点にすると合った。ただ望遠が300ミリまでなので、自転車を降りて、近付いて写す。これをすると、最初見たときの背景との絡みが変わってしまう。SX70なら1400ミリ近くまであるので、調整できる。
イオスM3の画質はまあまあ。問題はない。ただ、古いカメラなので、映像エンジンが新しいSX70の方がピント精度はいいようだ。ただ、ファインダーは少し暗い。このファインダーは外付け。
 まあ、こういういう梅。柵があるので、中に入れない。だから標準ズームだけのカメラでは無理。街中の施設の梅なので、梅園ではないので、中に入って見学はできない。街中の撮影はそう言う場所が多いので、望遠が必要。
 このイオスM3は型落ちでエディオンで買ったのだが、ネット最安値よりも安かった。店員が値段の付け方を間違えたのだろうか。買うとき、そのことをいったのだが、よく分かっていない人だった。カメラやパソコンの主任のようだったが、こういう人がいると助かる。下手な中古屋よりも安くなっていることがある。型落ち品は展示品特価。実質的には中古ということだ。その中古最安値の新品同より安いのだから、これは持ってけドロボーだ。
 ダブルズームキットなので、レンズが二本付いている。イオスキッスMに付けることができる。実際に使うのは300ミリまでの望遠だ。カメラの大きさから見て、300ミリあたりまでが妥当だろう。イオスキッスMは非常に小さいし、軽いので。それ以上長くて重いレンズではバランスが悪くなる。
 イオスMはキヤノンのミラーレス。レンズが非常に少ない。今のところ、高級タイプと普及タイプで悩む必要はない。それ以上、上がないのだから。
 しかし、今のところ去年の暮れの発売日に買ったキヤノンSX70が一番使いやすい。やはり最新の映像エンジンが効いているのだろう。一台のカメラでどのジャンルでも写せるというのが日常使いでは丁度いい。
 
都はるみ
 今回の都はるみの動画は、テレビ番組で、それほど古い動画ではない。都はるみは今、休養中だが、最後に見た年齢に近い。少し痩せている。
 そして、椅子があり、そこに都はるみがいる。そこへ色々な歌手が出てきて、都はるみの歌を歌う。この動画は結構ある。それを三つか四つ纏めてアップされていた。初めて見るのもあった。
 まずは水前寺清子。歌は「惚れちゃったんだよ」。わざわざこの曲を選んだことが凄いが、水前寺清子も老いた。都はるみも老いた。若い頃からライバル関係で、今となれば戦友。引退のときはいつも水前寺清子が支えている映像がある。戦場で戦った仲だけに、より親しみがあるのかもしれない。年は水前寺清子の方が上。
「惚れちゃったんだよ」は、最初から唸りが入り、しかも恥ずかしいほど伸ばす。都はるみも歌うのが嫌で嫌で仕方がなかったとか、復帰コンサートで言っていたが、そのときは、こういう歌も私の側面の一つと、納得し、さらに年を取ってからのコンサートでは、一番私らしい曲だとレベルを上げている。
ただ昔のような歌い方ではない。専属バンド閻魔堂と一緒に、まるでロックのようにアレンジしている。
「あら見てたのね」とかもそうだ。司会者が紹介するとき、それを聞いてタイトルが恥ずかしいというか、かっこ悪かったとか。これは以前にも触れたので、あとは省略。
 その曲を水前寺清子が都はるみのすぐ横で歌うのだが、軽く歌っている。何かもうお互いに年を取ったなあ、という感じだろうか。最後は抱き合う。歌謡界、演歌系で張り合った仲なのだが、演歌ジャンル、歌謡曲ジャンルは往年とはもう違うので、もう張り合うことはない。
 水前寺清子は司会やドラマなどで活躍した。紅白の司会もしている。テレビで見ている限り、いつも都はるみを盛り立てているように見える。そっけない接し方なのだが。
 紅白での現役最後の曲を歌ったあと、泣いてしまった都はるみ。背中をずっと支えていたのは水前寺清子。紅白初のアンコールか、リクエストで「好きになった人」の演奏が勝手に始まるのだが都はるみはやはり歌えない。「夫婦坂」を歌って終わりにしたかったのだろう。だから、演奏が始まっても歌えないので、水前寺清子やほぼ同世代で、ほぼ同期の五木ひろしが歌う。この三人、やはり戦友でもある。
 次は坂本冬美。彼女も年を取った。都はるみの年取った映像は動画で見慣れているが、坂本冬美は泣き顔になると、年を感じる。曲は「女の海峡」で名曲だ。コンサートでもずっと歌い続けている。
 それを見事歌い上げるのかと思いきや、感極まって泣いてしまう。声が出ない。なぜ泣いているのかは分からない。しかし、この番組で、泣く人が多い。他の番組でも都はるみの横で歌う後輩の女性歌手はよく泣いている。それらの歌手にとって、素人時代から聞いていた都はるみ。振り袖姿で演歌を唸るその華やかなステージに憧れていたのだろうか。
「女の海峡」の雪が降るから泣けるのか、ではないがお互いの身の上を考えると泣けるのか、または単に、都はるみの横で歌うから泣けるのか、それは分からない。
 松原のぶえも、別の古い番組で、泣いている。これは確実に憧れの人だったためだろう。江利チエミ司会の番組では森昌子も泣いている。ずっと「涙の連絡船」だけでコロムビアのコンクールを勝ち抜き、デビューしたためだろうか。その本人と一緒に歌うのだから、感じるところがあるのだろう。
 また岩本公水のような抜群に上手いベテランでもかなり緊張して歌っている。この人が歌う「さよなら海峡」がいい。そういったベテラン歌手のさらに上にいるのが都はるみだったのだ。
 抜群の上手さでは中村美律子が歌う「大阪しぐれ」は安心して聴いてられる。ただ都はるみのか細さや繊細さは、やはり真似ができない。これはキャラの違いだろう。
 あとからデビューした、人気女性歌手達にとって、都はるみはどんな存在だったのだろう。美空ひばりのような雲の上の人ではない。
 年を取った都はるみ。歌謡番組なので、歌謡曲しか取り上げないが、一度目の引退前から復帰してからも、色々なジャンルの歌を歌っている。演歌だけの歌手ではないことを、他の歌手達も十分知っているのだろう。
 坂本冬美も演歌から少し離れた曲があるのだが、やはり演歌からは飛び出せない。後輩達が越えられないのは、都はるみの持つ冒険心。前へ前へと突っ込む気の強さのようなものだろうか。そして後輩がやるようなことは全部もうやってしまっている。
 都はるみ、それは流行歌手であり、俗っぽい歌を俗っぽい唸り声で、節回しで歌うのだが、加山雄三も言っていたように、演歌のあの調べを聴くと何故か泣けてくる。習わなくても琴線を震わせるのだろう。だから大阪しぐれでの、あの声の震わし方、そして毎回歌い方が違う。そのときの気持ちが調べになるのだ。
 美空ひばりは若い頃の曲は、その当時の声で歌うことに努めたらしいが、都はるみは16で歌ったあんこ椿を、年取った声で歌う。
 40過ぎでの復帰コンサートで、自分の音とは何かと客席に話しかけている。それを探し、自分らしい答えを見付けていきたいと。これ、もうミュージシャンそのものの立ち位置ではないか。
 言われるがまま歌わされてきた商業歌手、その試練を二十年間耐え、トップに立ち、務めは果たした。だから復帰後の都はるみは未知数の人だった。
 
 
 
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2019年02月07日

LX100頑張る

■■ 2019年2月7日 木曜日 午前11時00分
 
 今朝は曇っている。また雨が降りそうな気配だが、気温は高い目。真冬は何処へ行ったのだろうか。風もなく穏やか。これはいいことだが、このあとドンと寒くなるような気がするが、前回もいっていたが、気温がそれほど落ちない。
 今朝は少し遅起きになってしまったが、二度寝はしていない。目が覚めたとき、遅い時間になっていたので、さっと起きた。起きられるのだ。それは遅いと感じたためだろう。これが早い目に目が覚めると、その気合いはなく、二度寝へ向かう。
 昨夜寝たのはそれほど遅くはないが、それでも早寝ではなかった。だから睡眠時間としては、まずまずで、遅起きになっていて当然だろう。
 風邪の方は収まったようだ。結構長引いたというより、治りかけからが長い。その状態を風邪というのかどうかは分からないが。
 あまり長いと、すぐに次のをひきそうだ。インフルエンザが流行っているようだが、そこまできつくはなかった。
 風邪でダウンとか、学校が休みとか、閉鎖とかもあるのかもしれないが、学級閉鎖程度では分からない。学年閉鎖とか、学校閉鎖となると、登下校風景がなくなり、今度は昼間なのに小学生が外で遊んでいたりするはず。まあ、風邪ではない子供はただの休みだ。
 隣のクラスが学級閉鎖になっていたことがある。昔の話だが、羨ましかった。それで、嘘風邪をやって、風邪っぽい人、いますかの問いに対し、手を上げる子が多かった。嘘なのだ。これで学級閉鎖に持ち込むため。子供は嘘つきだ。だが、子供なので、許される。
 昔の子供は全員神童。天からの授かり物なので、人間とは少し違う。大人になると、普通の人間になるが。
 
 パナソニックLX100と富士のX100Sの対決で、夜景などでは富士はピントが来るのに、パナソニックはピントが合わないので、負けたのだが、少し工夫した。
 条件が違う。X100SのAFは中央スポット。LX100は顔認識で写していたため。顔がないと、適当なものにピントを合わせる。画面の何処に合うのかは分からない。半押しにすれば、ここで合いますよと言うところが分かる。まあ、その方が合いやすいところに合うだろうと思っていたのだが、暗いところでは合いやすいものが見付からないままだったようだ。
 それで、X100Sと同じようにスポットにする。中央部のさらにスポット。一番小さなスポットだ。するとピントが来た。これで富士には負けなくて済んだ。
 それで夜景などを写す。昼間の明るいところだと、被写体自動認識でいけるので、さっと取り出し、さっと撮すには、そちらの方がいい。ピントの確認をしなくても、何処かに合っているだろう。
 まあ、富士と比べていいのはズームが効くので、ちょとアップ気味に撮りたいときは75ミリまでいける。そのままイケイケで150ミリまでデジタルズームで延長できる。だから実質24から150ミリまでカバー。135ミリを超えると、立派な望遠。
 このデジタルズーム。劣化がないとされている。補完されて滑らかになるのだろう。
 まあ、LX100のズームはモタッとして遅いが、24ミリから28ミリや35ミリあたりまで、一寸だけのズームなら比較的早い。
 75ミリがあるので、テーブルものを写すとき、肉眼で見たフォルムになる。ここも有利な点だ。富士はマクロに切り替えないといけないが、パナソニックはマクロAFというのがあり、マクロから遠景までいける。マクロモードもあるが、これは遠景までは合わない。分けることで、AFのスピードが多少とも早くなるのだろう。
 普段はフルオートモードで充分。普通のパナソニックのコンパクト系と同じ取り回しになるので、シャッターを押せばいいだけ。街頭では、最短時間で写すのが最優先。
 
 
 
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2019年02月06日

久しぶりの本屋

■■ 2019年2月6日 水曜日 午前10時31分
 
 今朝は雨。最近続いている。そして暖かい。夜も前回の雨の日ほどではないが、この時期としては高い。北は大雪かもしれないが、大阪方面はしとしと降りの穏やかな雨。風がないためだろう。
 900円の防寒ズボンが防水性があるので、それを履く。同じ900円でその前に買ったのが裾に絞りがある。それでMサイズだが足首が見える。そこからスースー風が入って来る。ズボンと靴の間の靴下が見える。風は中まで入らないように絞られているのだが、足首はどうしてくれるのだ。これはLにすべきだった。または絞りのないタイプに。それで次の日もバーゲンだったので900円で絞りのないタイプにする。そこだけを見て。しかし、よく見ると、ゴキブリのような光沢のある黒。しかも前ファスナーはないし、後ろポケットもない。ただ何とか足首は隠れた。ただ自転車に乗ると、裾が短くなる。ギリギリ。防水性があっても足首が弱いと、靴も防水性で、しかも数センチの深さまでなら水溜まりも平気なタイプで2000円でも入口が弱い。完全武装になるはずだが、足首に弱点がある。
 今朝はそのテカテカの黒光りするズボンで寝起き行く喫茶店へ行く。ただ防寒性は裏毛のない普通の分厚い目の綿のズボンとそれほど変わらない。意外と普通のざっくりとした綿パンでもいける。
 この900円の防寒ズボン。裏毛が出ているのは、表生地がビニール袋ほどしか厚みがないため、これを付けないと、薄すぎるためだろうか。だから、安い。
 
 昨日はいつも行くショッピングモールの本屋を探す。移転というか、移動していたことは知っているが、潰れたのだと思っていた。本屋が入っている場所が封鎖されれば、この時期なら、そう思うだろう。ああ、また本屋が潰れたと。
 しかし、ネットで調べると、モール内に確かに本屋がある。だから移転というか場所移動だろう。ところが場所が分からない。このモールは西町と東町に分かれ、さらに増築された新館がある。その新館のスーパーがセゾンに代わって運営している。
 ネットではモールの地図は出るが、そのモール内の何処かは分からない。西町となっているが、どちらが西でどちらが東なのかが分からない。いつも行っている喫茶店やスーパーなどは東町になるらしいが、そんなもの意識して把握していない。
 要するにモールの真ん中を川が流れている。伊丹川となっているが、モールが勝手に付けた名前だ。工場街を流れるドブ川だった。
 それで、その川が南北に流れ、敷地を分けている。それで東西に分かれる。しかし、西と東の言葉が把握しにくい。左右なら分かるが、いきなり西と言われても大把握が必要。西日本の西だから地図では左になる。西部劇の西なので、これも太平洋側だ。
 ここでの把握では、神戸方面が西ということになるが、南かもしれない。斜めなのだ。
 まあ、それで手掛かりは西町と二階ということまではネットで分かった。しかし、西町の二階とは廃墟ではないか。テナントが居着かず、スポーツセンターや文化教室になっていたりする。この西町の通り、筋が二本ある。そちらの二階となると飲食街だ。そんなところに本屋があったのだろうか。まあ、最近移転したばかりなので、記憶にないのだろう。また、そちらへ行く機会はほとんどない。ペットショップがあり、金魚を見に行く程度だった。飲食街は飲み屋が多く、また一人では入れるような店は少ない。ファスト系ではないためだ。
 それで、やっと二階を見付ける。すぐには分からなかったが奥まったところに本屋を発見。結構広い。ここは昔、何が入っていたところだろうかと、思い出そうとしたが出てこない。
 さてこの本屋、入口付近は実用書。地図とか、健康法とか、グルメとか、旅行。そして週刊誌ではなく、ファンション系雑誌。
 中を巡回すると、奥まったところにコミック。平積みはあまりない。それよりも一般書の単行本がない。一般書は文庫と新書だけ。以前、この本屋には普通の単行本もあったはずなのだが、移転後なくしたのだろうか。ただ単行本が消えたわけではない。実用書ばかりだが。だから、文芸が消えた。文庫本と新書があるし、個人的にはどうせそのタイプしか買わないので、問題はないが。
 新書コーナーを見ると幻冬舎があるが、これは無視。ろくな内容ではない。新書というより雑誌だ。軽すぎる。
 それで、これは重いだろうという講談社学術文庫と。岩波文庫。つまり新書ではなく、文庫本の硬いのに行く。ネットで調べれば分かるようなものをわざわざ紙の本で買うことはない。
 だから、うんと難しそうなのがいい。岩波文庫なら西洋哲学のオールスターが揃っていたりするが、そこまで並んでいなかった。
 しかしいい感じの哲学書があった。これは読みたかったジャンル。先日まで読んでいた現代哲学講義は西洋のもの。何か足りないというのがあり、それが東洋思想だろう。それが抜けていたと言うより、語りにくいのだろう。
 それで、見付けたのが「意識と本質」。少し後書きや前書きを見ると、著者は70近くなったのか、自分の根は結局は東洋ではないかと思うようになり、そちらについて考えることにしたとなっている。しかし膨大な東洋思想。だから、これはその年では資料を当たるだけで終わってしまうらしい。だから、この本は序章の序章程度の内容だと謙遜している。
 サルトルが解けなかった解をとっくの昔にその心境を解いている。解を出しているのだ。そう言うことを知らないのは、抹香臭い話だと思われてしまうためだろうが、意外と日常の中に根を張っている。
 この本は2000年手前に出ている。既に20年近くなっている。そのとき70才云々と言っていたので、もう90を過ぎ、なくなっているかもしれない。しかし重版を重ね。去年の春に出ている。だから、狭い本棚の中にまだ並んでいたのだろう。
 大乗仏教、禅や老荘。これは手強い。さらにインド仏教、さらに中近東まで行くとイスラム圏。東洋と言うより、インドがユーラシアの臍。そこから西と東に分かれる。
 日本から見ると唐天竺の、天竺にあたり、西域へと至る。シルクロードでローマまで行ってしまえる。
 だからもの凄く古い時代、聖徳太子時代にはキリスト教も中国経由で入ってきたりしている。
 禅や密教になると、もう仏教という宗教ではなく、インド哲学になるのだろう。そして神道もある。そういうものが列島の地に染みこんでいるのかもしれない。
 
 
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2019年02月05日

SX70健闘

■■ 2019年2月5日 火曜日 午前10時22分
 
 今朝はやっと晴れている。晴れている日は寒い。雨が降っていた数日前に比べると確かに寒いが、ぐっと冷え込むようなことはない。この時期としては少し暖かい程度の妥当な気温。本当はもっと寒いのが普通だが、暖かい方がいいので、妥当となる。
 暖かい目の冬だが、服装は真冬の一番ハードなスタイルでないと、薄着するとまずい。着ているものにも範囲があり、寒さの程度を同じ服装でこなすことになる。そうでないと折角の暖かい目の冬なのに、着るものを減らすとその恩恵がない。逆に寒い冬になる。気温はそれとは関係ないのだが。
 真冬の陽射しというのは有り難い。これで元気が出る。お前は草花かというほど。まあ、日照りが続きでは草花も萎れるだろう。だから、雨も必要。そのときの雨は潤い。カラカラの乾燥した冬には、そういったお湿りも必要。
 二月も五日になったが、二月は短いイメージがある。節分、豆まき、巻き寿司などの日が過ぎてしまったのか、まだなのかは調べていないが、巻き寿司の太巻きを囓るのを忘れていた。コンビニに寄ったとき、太巻きが並んでいたが、高いので買わなかった。こういうのは見ないと分からない。その前から豆まきの豆や鬼の面がコンビニにあったので、節分が近いことは分かっていたが、それがいつなのかは計算に入れていなかった。
 節分との関係は太巻き。夕食を考えなくてもいい。しかし、スーパーなどに寄ったとき、値段が下がっていれば買う程度。また、たまに買い物で寄るところがあり、そこに寿司屋があり、人が大勢並んでいるのを節分のときは見る。それを見て、ああ、巻き寿司かと思い、買うことがある。これも毎日通っているわけではないので、毎年確実に巻き寿司の太くて高いのを買うわけではない。
 以前ならスーパーの閉店間際に行けば、半額で売られていた。半額になるまで、待機している人もいた。それで食べきれないほど買った覚えがあり、二日ほどは太巻きだけを食べて過ごしたことがある。閉店前にはかなり売れており、狙いすました人達がほぼ買い尽くしていたのか、細いキュウリ巻き程度しか残っていなかった。誰も手を出さない。カッパぐらいしか買わないだろう。二十年ほど前の話だろう。
 この太巻き、たまに通る寿司屋で普段でも売られていることがある。しかし、節分のときはさらに太く、具も多くなるし、種類も多くなっていた。
 節分のとき、巻き寿司を買うのは、夕食、それ一本ですむため。楽なため。今年は楽ができなかったようだ。
 
 夜の街頭などを写すとき、ネオ一眼ではどうなるのかを試してみた。これはオリンパスのミラーレスで写すと確実で、感度上限も高く、手ぶれ補正も効いているので、望遠側でも充分写せる。それをコンパクト系のネオ一眼だとどうだろう。
 まずは基本的にはレンズが暗く、感度は3200あたりで止まる。
 それをオートで写すと、800までしか上がらず、低速シャッターもあるところから下りない仕掛けになっているタイプは、アンダー気味に写る。だから水銀灯に丁度合っていていいのだが、夜道の路面とかは無理。真っ黒。
 それをプログラムモードにして感度自動で3200まで上がるタイプなら、そこそこ写る。フルオートでも手持ち夜景と認識されれば、感度は一番高くなるが。ならない場合もある。
 P900などは感度を手動であわせる必要がある。これは結構危険で、写りが危険なのではなく、感度の戻し忘れがあり、翌日の明るい朝に3200で写していたりする。
 このあたり、オートで何とか写せるのはキヤノンのsx70。総合点が高いだけに、大概のことはこなしてくれる。
 小さな受光素子で、感度を上げると、画質が少し怪しくなるが、ノイズだらけになってしまうのは昔の話で、今はノイズが分からない程度。それよりも、鮮明さが少し落ちる程度。
 写りはP900の方がいいが、取り回しや操作性や万能性はSX70の方がいい。あと一押しの望遠、あと一押しの解像力がP900に比べ足りないが、家族や人を撮ることを考慮してか、キヤノンの絵はニコンに比べどぎつくない。つまりソフトに写る。それでシャープさが少しだけ損なわれるのだが。まあ、よく見ないと分からない程度の差。
 先日咲きかけの梅の花をp900で写そうとしたのだが、ピントが最初から合わないので、翌日一眼レフで覗くと、何の問題もなくピントが合った。次の日、キヤノンのSX70で覗くと、これが合う。しかも花をフレームで囲んでくれる。SX70系はAF自動選択にしていた方が合う。スポットでは合わなかったりするので、不思議だ。
 ただ夜道などはフルオートでは800ぐらいしか感度が上がらないので、プログラムモードに切り替える必要がある。余程暗い場合だ。そのときは3200まで勝手に上がる。レンズが暗いので、そこが限界で昼間のようには写らないが。
 だから受光素子が大きく、レンズも明るく、感度上げも万を超えるカメラの方が強いはずなのに、その条件を満たしているパナソニックのLX100が意外とお粗末だったりする。それ以前にピントが合わなかったりする。
 まあ、そういう条件が悪い暗いところはオリンパスのミラーレスでに任せておけば、問題なく写るのだが、それでは面白味がない。写って当然なので。
 それよりも、何でもこなすSX70を使い込む方が楽しかったりする。21ミリから1400ミリ近いズーム。ミラーレスや一眼では無理。そしてミラーレス波の電子ファインダー。これは一昔前の解像力の高いLX100のファインダーよりも鮮明で大きく見えるので、被写体を捉えやすいし、ピントも分かる。
 流石、発売日に、高い新製品を買っただけのことはある。
 
 
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2019年02月04日

現代思想講義 船木亨 2

■■ 2019年2月4日 月曜日 午前9時34分
 
 今朝は暖かい。暦通りの立春。春は名ばかり暦の上だけではなく、今朝は本当に暖かい。夜も気温が10あったのではないかと思う。昼間でも10度に達しないのが、この時期だ。雨が降っていたのだが、低気圧のタイプが違うのかもしれない。南からの風が入り込んだとしか言いようがない。天気予報は見ていないので分からないが。
 北は雪、南は雨。両方雪でないと、真冬らしくない。
 今朝はまだ曇っており、そのため、まだ暖かいのかもしれない。これがカラッと晴れると、また寒くなるだろう。本当の寒さは立春を過ぎてから。
 この暖かさのせいではないが、スーパー二階の衣料品売り場恒例の冬物バーゲン、今、付いている価格でレジにて半額セール。既に三割引になっているところから、さらに半額。これは効く。さらにタイムサービスで30分だけ。店員が何人か周囲におり、シールを手にしている。ここで値札箇所に半額シールを貼ってもらうのだ。直接レジへ持っていっても駄目。タイムセールなので。
 それで、防寒ズボンを買う。スポーツ用だがシンプル。普通のズボンだ。だから少し高い目。いつもの900円ものとは違うが3000円もしていないだろう。その値段が落ちていたところをさらに半額が来たので、1000円を切っている。だから900円ズボンと同じような価格だが、少し上等。ポケットにファスナーが付いたり、当然前はファスナー付きだし、後ろポケットも一つだけある。ここは鍵などを入れるのが癖になっている。自転車のカギなど。座るとき、痛くはない。Mサイズだが裾はちょうど、自転車の乗ることを思えば、もう少し長くてもいいが。腰はゴムパンなので、ピタリ。緩くないし、きつくない。
 これが恒例の半額セールだが、規模は小さい。まだまだこのあとある。それは冬物のダウンジャケットなどの大物がずらりと吊される最終冬物バーゲン。冬物は今からまだ寒いので、丁度いいが、それを過ぎたあたりで春めいてきた手前でやる最終バーゲンで、大物が吊される。これはもう着る時期は僅か。既に春物がちらほらしている頃。狙いは梅雨時まで着られるような薄手の真冬もの。
 最終バーゲンでは、この冬、店内で吊されていた高い目のもので、定価で売っていたものの売れ残りを集めている。最初から特価品のような売り方をしていなかった商品だ。
 家電店なら在庫一斉処分だが、毎月やっていたりする。また赤札市とかも。毎日赤札だったりするが、標準価格だったりする。
 立春前日の昨日、梅の花が咲き出した。これはいつも行く商業施設の入口の梅。ピンクと濃い赤がある。
 日影でコントラストが低い。それに赤一色というのはボワッとしている。望遠でのピントが厳しい被写体。後ろに持って行かれる。P900ではその通りになってしまい、AFが効かない。
 ところが同じニコンの一眼レフでは、ピタッと小さな梅の花に合う。ここがミラーレス系との違いだろう。一眼レフのピントの方が確実だ。これでニコンの3400という一番安い一眼レフを見直した。まあ、以前にもその傾向があったので、ピントが厳しいときは一眼レフを持ち出している。ただ、望遠はキットレンズの400ミリ少しなので、2000ミリのP900に比べると頼りない。
 これは中級機のオリンパスミラーレスでも同じ。ピントが来ない。しかし、一眼レでは来る。
 ピントが合わないときは、マニュアルフォーカスに切り替えればいいのだが、切り替え方を忘れている。レンズ側のレバーだったのか、ファンクションキーに仕込まれていたのか、または十字キーのマクロボタンのようなものの階層に入っていたのかと、探さないといけない。3400ならレンズ鏡胴を回せばいい。フォーカスリングがある。AFに入っていても、回せばそのときだけマニュアルになる。まあ、それを使うことはほとんどないが。
 あれっ、一眼レフの方がミラーレスより良いではないかと、思うのはそんなときだ。まずはファインダーが光学式なので、覗きやすい。今、受けている陽射しのその光を見ている。ミラーレスは電気の明かりを見ているのだ。この差が大きい。肉眼で見ていた被写体のままを見ることができるため、被写体を探しやすい。特に望遠のとき。
 要するに立体感があるのだろう。ただ、一眼なので、片目で見るときの立体感だが。これは両目で見ないと、立体感というか距離感はしっかりしないが、それをさらに強調したのがステレオ写真、3Dだが、裸眼では分からなかったりする。装置がいる。ただ、二枚の写真を同時に見て浮かび上がる見方というのがある。目の焦点をぼんやりさせるとか。
 ミラーレス時代に入りつつあるのは、去年揃い踏みしたフルサイズミラーレスのためだろうか。レンズマウントを変えてまでやり始めた。
 それで、ニコンの3400などの一眼レフは暴落した。価格はレンズ二本付きで5万円台に落ちている。これは最近出ているミラーレスの半額だ。コンパクトデジカメの新製品よりも安かったりする。
 それで、上新で少しだけ見たのだが、キヤノンイオスの安いタイプ。まあキッスは安いのだが、さらに安いキッスが新製品として出ている。X9だ。X9iのあとに出た。ミラーレス版キッスMの影に隠れて目立たなかったが、これが一番軽くて安い。一番初心者向け。
 要するに、このあたりの一眼レフが狙い目ではないかと思ったりする。コンパクト系に比べると、大きく重いが、グリップが効いており、安定感が違うし、写しているときの疲れ方が違う。まあ、このあたり、カメラも小さく、軽いためだろう。
 下手をするとネオ一眼よりも、普通の光学ファインダーという立派なものを乗せているのに、安かったりする。
 時代の流れはミラーレス。しかし、ここ一番でのピント精度は一眼の方がいいのではないか。多点AFなどは遊び。瞳AFも。中央一点のピント精度がいい方が、有り難い。
 昨日は雨の中、移動中、濡れた路面などを写していたのだが、前回はパナソニックのLX100だったが、ピントが来ない。暗いためだ。レンズは明るいし、高感度も使えるので、露出は問題ない。しかし、暗い目に写ってしまうが。
 それで昨日の雨では富士のX100Sを持ち出した。すると、簡単にピントが合うではないか。条件は同じ。そして富士の露出は、夜空が僅かに出るようになっているのか、空が真っ暗にならないのがいい。それでいて昼間のように明るい夜景にはならないのも。
 X100Sは、中央部一点がメイン。しかも箱形のAFフレームではなく、十字。ど真ん中に当てやすい。実際には空間認識のLX100のピントの方が瞬時に合うのだが、合っていなかったりする。富士は合うのが遅いが、ジワーと合い始めた。暗いとピントが遅いのだが、合わないよりも合う方がいい。
 感度上限を6400にしていたのだが、きっちりとそこまで上げていた。当然開放。これはプログラムモード。だからできるだけシャッタースピードを上げるような味付けなのだ。何故なら手ぶれ補正がないので。
 こういう確実性の高いカメラの方が、多機能なモードを持つものよりも、道具的に使えるカメラということになる。
 
現代思想講義 船木亨 筑摩新書を読み終えて。
 前回は三分の二ほど読んだところでの感想だったが、残り三分の一を一気に読み終える。前半から中判までは説明で、下拵え、そのあと一気に活気づき、パンチ数が多くなり、重いパンチを繰り出していた。つまり、自分の意見のようなものを、ここで言いだしている。
「人間の終焉と未来社会の行方」というサブタイトルに答える必要がある。人間の終焉の終焉は神は死んだとか、フーコーあたりのきつい目の話と絡めている。これは群れが社会をつくり、それが国になり、さらに国の運営方法などが変化し、今に至る様を語っている。それがデーター。つまり統計。
 哲学というか、思想的な真理問題も、この統計の数値が答えのようになるとか。
 それは平均域。標準域の腹の箇所。これはグラフの左端が悪いとし、右端がいいとすれば、その腹の箇所、真ん中当たりのよくある平均的なところを指している。
 その例として、単純な統計だが、学校で測る身長。一番左は低く、右へ行くほど高い。ほとんどの人は中程にいる。中肉中背のように。そして左端と右端を切ってしまう。例外のように。その手口らしい。いや、実際に一番低い人と高い人を斬り殺すわけではないが。人それぞれ、違っていてもいいよりも、一緒の方がいいだろう。個性云々個性的な生き方、それは負け犬の遠吠えのように感じるともいっている。これはきついが、当たっている。
 そして標準の人は、そのグラフの少しでも右側へ出ようとする。これは身長だけの話ではなく、他のことでも。だからただの数値で、中身ではないのだ。こちらの方が真理よりもはっきりしており、分かりやすい。価値というのも、そういう抽象的というか、ただの表示のさせ方で、決まるようなもの。
 それらは人々の社会を群れと見て、群れという漠然としたものに対し、漠然とした意味の詰まっていない方針でやっていく時代。まあ、だから標準的な人は良いが、そうではない人はどうするのかというところの解説にフーコーなどを引用する。隠してしまえとか。隔離させるとか。
 逆に左側ではなく、とびっきり右側の人も、似たような運命になることがあるらしい。
 群れ、それを大衆とは呼びにくい。大衆食堂や大衆演劇。いずれももう古い言葉になっている。
 文化生活もそうだし、文化住宅、文化包丁などもそうだ。
 しかし、人々の多くは夢を見ることができた近代人のままが多いらしい。現代人ではなく。ここがポストモダン。近代の次はどうなっていくのかという世界。
 先ほどの統計や、データー。今ならビッグデータ。それらを使ったAIなどの方が平等な答えを出すのではないかというのもある。誰かが鼻薬を使ったり、贔屓をしたりとかではなく。
 これだけならただの解説。哲学的な話ではない。そして最後の最後に船木流のこなし方が出てくるのだが、長い間そういった哲学書を読みあさってきた人なので、何らかの答えのようなものを出さないといけない。
 この人、実は同世代。しかも一つ下。そういえば一つ下の人で、そういう人がいたなあと言うのを思い出す。だから大したことはない。
 そのキーワードが例外の人とか異例の人。これはニーチェの超人ではないか。
 超能力者ではない。そういう人がいるかどうか、周囲を見渡せばいい。いるだろうか。確かに変わった人はいる。一寸常識から外れている人もいるが、逆に相手にされなかったりする。だからそういうビジュアル的に浮かび上がるような人ではなく、発想ではないか。つまり、この本は哲学書。ある考え方を示しただけ。実用書ではない。だから、この本を読んで「よし分かった」と粉薬を吹きながら犯人に向かうのではない。
 最後の最後に、猿の惑星が出てくる。虐げられた猿の中に言葉を喋る猿が現れる。シーザーだ。そこに人間よりも人間らしい猿を見出す。要するに猿を応援したくなる気分になる。
 熊と出合ったときの心境。熊にとっても人にとってもとんでもない遭遇だろう。だからここでは熊一般の代表と、人一般の代表がぶつかることになる。群れの中の一つと一つの関係になる。固有の誰かではなく、種と種が対峙する。群れと群れとの代表のような異種との遭遇。
 これは何のために、この話を著者がしたのか、忘れてしまったが、感性の話だったと思う。感覚の話。
 このあたり、純粋経験のようなものかもしれない。
 直感とは少し違うが、カンのようなもの。これには訓練が必要だと、著者は言う。周囲をよく見る観察眼とかだろうか。ここで、ドゥルーズとガタリの差違と反復のようなものが出て来るのだろう。
 僅かな違いから何かを嗅ぎ取る。そして良い悪いを含んだ矛盾したままの展開。このあたりフッサールに近いが、この著者、あまりフッサールを買っていないようだ。まあ、何を言っているのか分からないので、現象というような曖昧な言い方になる。
 逆に引き立てているのはヒューム。
 ただ、西洋ばかりで、東洋はあまり出てこない。東洋の思想というのは宗教だと思っているのだろう。西洋式な論理より、何故か矛盾した言い方が含まれている東洋の思想の方が、言外の意味を嗅ぎ取ると言うことで、いけそうな気がするが。
 最後の最後、後書きで、この本は哲学書だったことを白状し、それぞれの考えの参考になれば幸いとある。哲学的思考には解はない。だからこの本にも解はない。解があるとすれば、何故解があるのかを考えるのが哲学的思考なのだろう。
 解とは何かを考えるという意味で。
 
 
posted by 川崎ゆきお at 11:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月03日

パナソニックLX100その後

■■ 2019年2月3日 日曜日 午前10時41分
 
 今朝は曇っている。まだ雨が降っていないだけ、ましかもしれない。気温はまずまず。風はなく、穏やか。
 早い目に目が覚めたのだが、まだ早すぎると思い、また寝た。二度寝だ。しかし、時計を見ていない。それなのに何故早すぎると感じたのだろうか。これは確信犯。見ても見なくても二度寝するつもりだったに違いない。
 そして目が覚め、時計を見るとかなり遅い時間になっている。すると、もの凄く長く寝たことになる。あまりにも長すぎる睡眠時間。何か疲れているのだろうかと思ったのだが、そうではなく、昨夜は早寝をしたつもりだったが、そこが違う。遅い目に寝ていたのを思い出した。だから、平均的な睡眠時間だった。
 ここ数日早寝を心がけており、実際早い目に寝ていた。しかし、昨日はたまたま遅かった。だから決して寝過ぎていなかったことになる。
 まあ、夜更かしをして、早い目に起きた日は眠い。昼寝時間も長いし、また夕食後、また眠くなったりするもの。だから下手に睡眠時間を削って早く起きる必要はない。
 今朝は先日バーゲンで買った長袖のチョッキ、これは矛盾するかもしれないが、まあ薄いアクリルのセーターなのだが、前はボタン。それを中に着て寝起きの喫茶店へ行った。今年の冬は暖かいので、ついこの間まで、中に何も着込んでいなかった。しかし、先日のバーゲンで首まで隠れるホカホカの裏毛付きを中に着込んでいた。それに比べると、首まで来ないチョッキのようなのでは寒いはず。また生地も薄い。しかし、特に寒くはなかった。首元が頼りないが、ダウンジャケットの襟だけで何とかなった。それに裏毛付きのを着込んでいたときは、ゴロゴロで、窮屈だったが、今朝は生地が薄いので、すっきりした。
 また、喫茶店の暖房がきついので、ムアンとして、暖かすぎることもあった。このチョッキのようなセーター、珍しくアクリル。毛糸のセーターではない。もっと薄くペラッとしているが、畝があるので、よく伸びるし、伸縮性が高い。こういうのを一度着ると、絶対に脱がない。そしてそのうち毛玉ができるだろう。要するに着たおす感じ。まあ千円しないので、着崩してもいいだろう。こういうのはスーツの下になら似合いそうだが毛玉はまずい。
 
パナソニックLX100その後
 いつも持ち歩けるほどの大きさなので、冬場ならポケットに入るが、夏場は上着の胸ポケットには流石に入らないので、ズボンのポケットになるが、流石にボディーも分厚くレンズも飛び出しているし、そこそこ重いので、これは無理。ここがコンパクト系の旅カメラと違うところ。そちらならズボンのポケットに入る。トランプを入れるような感じ。四角い箱なので。
 意外と富士のX100Sなら入りそうな感じがある。単焦点なので、レンズの飛び出しがほとんどないので、四角い箱のようになる。LX100より薄い。飛び出しが少ないためだろう。コートのポケットに入れたときも、薄いので引っかからないで、すっと取り出せるし、すっと仕舞える。LX100だと飛び出し箇所が多いので、引っかかる。大きさはLX100の方が小さい。しかし出っ張りが前後にある。レンズとファインダーの接眼部だ。だが、片手で持ったときの安定感はLX100の方が勝っている。グリップの飛び出しで、引っかかりがいいし、後ろの親指当ても、返しが付いているし、親指を置くスペースもしっかりあり、ボタン類に掛かることはない。
 富士X100Sはクラシックカメラデザイン優先で、ライカを模している。だから手をカメラにあわせる必要があるが、LX100はすんなりと持て、すんなりと構えられる。非常に安定感がいい。そのため、デザインがライカ風から少し離れ、ミラーレス風になる。イメージ的には家電カメラ。門真ライカ。
 プログラムモードで昼間写すとき、シャッタースピードを見ると、平気で1000分の一秒を超えている。何かの間違いではないかと確認したが、そうなっている。最低感度は200なので、昼間だと感度上げはない。絞りを見ると、あまり絞られていない。結構開放よりでハイシャッター気味のプログラムラインのようだ。これはブレにくい。昼間の明るいところなら、プログラムモードでも、完全に人の動きは止められるだろう。手ぶれではなく、被写体ブレの緩和。また明るい場所なら風で揺れている花でも写せる。
 普通に街角を写した写真などを見ていると、受光素子の大きさやレンズの良さなどが出るわけではない。まあ、条件がいいときは、どのカメラで写しても見からの差という差は出ない。ただ、白つぶれや黒つぶれが多少はいいかもしれない。ただ、それが明快に出ない。受光素子がコンパクト系の数倍というのは、数倍綺麗に写るわけではなく、一割か二割程度だろう。見た目は分からない。
 ただ、ぼけ具合だけははっきりと確認できる。ボケが綺麗だとかではなく、よくボケてくれる。ここだけは明快な差としてある。
 要するにカメラなどは何でもいいのだというような話で、その選択基準は気に入ったデザインや、好みの形や、持ちやすさや、その他諸々の個人的な好みで選んでいいような気がする。まあ、見てくれで選んでもいいということだろう。
 その幅は受光素子の小さなコンパクト系から一眼まで。大した差はないので。
 このカメラが一番機動力を発揮するのは、フルオートモードで、24ミリで、背面液晶で街頭を写すときだろうか。適当なところにピントを勝手に合わせてくれる。原理的には手前にあるコントラストの高いもの合うが、ゴチャゴチャしている街頭を24ミリで写す場合、ほとんどカメラ任せでいい。ただ動いているものを優先的に選び、枠で囲み、離さないという機能はないようだ。だから風景向き。
 しかし人物は別で、この時代としては早い時期に瞳検出まである。
 フルオートでは立ち上がりが早く、さっと撮せる。ということは、このカメラ、普通のパナソニックのコンパクト系と同じ写し方でかまわないということだろう。シャッターダイヤルを回したり、絞り輪を回したりするような機会はなかったりする。露出補正ダイヤルもそうだ。回す機会もあるが、それはポケットから出すとき、擦れて位置がずれてしまったとき、戻すとき程度。
 このカメラの位置づけは、パナソニックミラーレスデジカメのレンズ交換ができないタイプということだろう。その見返りで、明るいレンズと、最短撮影距離の短さが得られる。それと低価格のミラーレスに比べ、ファインダーが付いてくるというおまけもある。また、ミラーレス用の交換レンズはキットレンズはパナソニック製だが、高いのはライカブランド名が入る。それが最初から付いてくるので、パナソニックミラーレスの安いのを買うよりも、うんとお得ということだろう。
 そして、このカメラ、レンズも明るいが、雰囲気が明るい。流石家電カメラだけのことはある。
 
 
posted by 川崎ゆきお at 12:38| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする