2018年08月12日

夏の大根

■■ 2018年8月12日 日曜日 午前8時38分
 
 今日は晴れているが蒸し暑い。雲も多く、黒い雲も混ざっているので、雨が降るかもしれないが、太陽はギラギラしている。あまり良い晴れ方ではなく、湿気が高いのか、まといつくような暑さ。
 これは秋の感じではない。そうかといって真夏の無邪気な暑さではない。夏が崩れたような暑さだ。気温はそれほど高くないのだが、空気が湿っているのだろう。
 日曜でしかも盆休みに入っているはずなのか、町は静か。車がガタンと減り、人も減っている。その手前頃、車の列を見たことがあるが、今朝はすいている。意外と伊丹方面から里帰りする人が多い。伊丹生まれで伊丹育ちというのは意外と少なくなりつつある。多くの人が引っ越して来た人。住む場所として。近くから引っ越して来た人ではなく、中国や四国、九州方面から来る人が多い。その方面から見ると大阪だ。
 近所の人も出身地が鹿児島だったり但馬だったりする。さらにその上にある島だったりする。その子供になると、もう言葉は大阪弁。ただ、その親は鹿児島弁だったり広島や岡山の言葉。だから意外とそちらの喋り方に慣れていたりする。
 村があり、農家があるが、これが果たして地元の人、地の人かというと、そうでもなかったりする。まあ、何世代もそこに住めば、地の人になるのだが、本当の地の人は実際にはいない。このあたり、猪名野笹原と万葉集で歌われていた時代は原っぱで、田んぼも家もなかったのだから。ここを開墾した人達が初代。奈良方面の寺領から来た団体もいる。そういうのはその村の神社の縁起などに書かれていたりする。出身地が同じ村人同士の結束のため、寺ではなく、神社を建てる。神様は実際には先祖神で、氏神様。しかし、その先祖神、曖昧で、日本の神様ではなかったりする。それが先祖ということになっている。何かの言い伝えだろうか。聞いたことのない神様だ。まあ、村長とか、首長だけでは弱いので、人を超えた何かをでんと据えたのだろうか。
 ただそういう氏神様と呼ばれているものも、その後、コンビニのような神様になってしまう。よく聞くような神様で、官製の神様だろう。
 だから氏子と言っても、藤原氏とかの「氏」の神様ではない。氏族の神を氏神というのかどうかは知らないが、仏様だったりする。それら神々や仏様などの身元も、遡れば、何かよく分からなかったりし、ただの言葉や、語呂だったりしそうだが。
 ただ、これを神にすると決めた時代があったのだろう。
 神社ができたのは、神様を祭るためではなく、出身の違う村人が混ざりだし、結束が悪くなったためかもしれない。
 誰も住んでいない野っ原、最初に入り込んだのは異国人かもしれない。
 
 大根一本を買っていたのだが、これはこの季節あっという間にしなびる。大根など一口食べればそれでいい。おでんの大根程度の量だ。これでも多すぎるほど。だから一本ではなかなか減らないだろう。夏場は半分のを買い、大根下ろしで食べていた。あっさりとしていていい。
 しかし、一本では多い。そこで切って蒸かした。それを冷凍にした。ところが、まだ柔らかくない。大根はやはりじっくり煮こまないと無理なようだ。それとその大根、少しスが入っていた。白い筋ではなく、まだ点状だが、いい大根ではなかったようだ。だから最初から硬いのだろう。
 大根は当たり外れがある。一本丸ごとだと、外れたときは残念だ。捨てるわけにはいかないが、そういうときは細かく刻んで食べればいい。これをさらに進めると千切り大根。それを干して乾燥させた物が売られている。もう乾物になってしまうが、戻せる。野菜を乾燥させると、別の成分が発生するのだろうか。まあ薬草なども乾燥させるが、これは生では煎じられないためだろうか。当然粉にして丸薬のようにするのだろう。
 しかし、昔の人は、この草は、これに効くとかが分かるまで、ものすごい冒険者だったのかもしれない。普段食べないような草を食べるようなものなので。
 犬や猫がたまに長い目で平たい草などを食べている。それで泡を出している。しがんで、汁を口に含ませているのだろうか。それとも苦ければ何でもいいのかは分からない。
 調子の悪いとき、白なが聞く。菜っ葉だが、これをとろとろになるほど煮て食べる。この白な、地の野菜。物心がつく前から食べていたのではないかと思える。菜っ葉を煮ただけのものだが、吹き出物とかができているとき、これを食べると治った。
 まあ、それで治ると思い、食べると治るものだが。
 それとおかずをこの菜っ葉だけで済ませるので、胃の休憩になるのかもしれない。
 
 
 
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2018年08月11日

お盆

■■ 2018年8月11日 土曜日 午前8時37分
 
 昨日は曇っていたが、今朝は晴れている。しかし、蒸し暑い。気温は大したことはないのだが、湿気が高いのだろうか。
 昨日の夜は久しぶりに扇風機をつけて寝ないといけないほど。しかし途中で寒くなってきたので、消す。
 多少凌ぎやすくなっているのだが、この時期体がだるい。そろそろお盆なのか、帰省ラッシュのニュースが見える。毎年お盆は何日なのかと考えることがある。これだけ大きな行事のようなものなのに、日にちがはっきりとしない。カレンダーにもないだろう。盆と正月。この二つは大きい。正月は分かりやすい。年の初め。1月1日。お盆は15日あたりが目安。迎え火とか送り火とかがあるので、一日ではない。先祖は二泊三日ほどではないかと思える。
 そしてお盆休みというのも曖昧。当然お盆は祭日でも祝日でもないはず。しかし頑固にお盆というのはなくならない。これは精神的なものが大きいのだろう。先祖崇拝的な。まあ、精神的というより、より具体的だが、先祖がいないと自分もいないのだから。そして何らかのものを受け継いでいる。これも具体的だ。物理的に。
 先祖というのは辿りすぎると、アフリカの一人の女性に行き当たってしまいそうだが、それは猿ではないし、類人猿でもない。
 今も何処かの森で人間になりつつある猿がいるわけではない。猿の枝を選んだ時点で、猿は猿らしい。
 もし人の先祖が猿なら、お盆の時、猿をお迎えしないといけなくなる。しかし猿は自然現象だが、お盆は文化。人が人自らが作ったもの。猿が作ったものではない。猿は猿の文化があるが、猿自身が語る文化ではなく、人の文化を猿に当てはめているだけ。
 猿の文化というか、猿の社会では猿は猿を殺さないというのが有名だが、これは映画猿の惑星の話。仲間を殺す猿が現れる。
 さて先祖崇拝だが、それがお盆の根元にあるようだが、そんなアフリカの一人の女性の話ではなく、少しは記憶にある先祖のこと。お爺さんのお父さん、お婆さんのお母さんレベルの近さだろうか。
 孫か、曾孫に当たる人なら、何となく覚えている。孫なら、確実に覚えているだろう。曾孫になると、幼い頃の記憶にあるかどうかさえ曖昧になる。だから、知らない上の代。さらに上にいくと、写真さえないだろう。また、もう誰も覚えていない先祖もいるはず。
 ただ盆踊りの先祖というのは、個人的な家族ではなく、村単位だったのかもしれない。まあ、村人が殆どが親戚なら、そんなものだろう。
 盆踊りは村人の先祖を相手にするが、小学校の校庭でやる盆踊りは、村単位ではなく、学区単位。これは血縁はないが、地縁がある。
 盆踊りの原型は何かよく分からない。仏事でも神事でもないのかもしれない。何故が原始人が踊っているように見えてしまう。
 当然それらが続くのは、楽しいからだ。盆と正月が一緒に来たような楽しさ、というほどなので、普段食べないような御馳走が出たり、普段は飲まない酒を飲むのだろうか。要するに娯楽だ。
 そういう日が年に何度かあり、それを楽しみにしていた時代もあるのだろう。
 お盆の里帰り、藪入りだ。出身地の村へ帰る。だから奉公で出ていたのだろう。その名残か、帰省ラッシュとなる。村には先祖の墓があり、これは具体性が高い。土葬なら物理的に全身の骨がそこにまだ埋まっているだろう。
 弥生時代の住居跡から骨が出たというニュースなどがあるので、結構残るものだ。
 
 
 
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2018年08月10日

「信長の棺」テレビでドラマ

■■ 2018年8月10日 金曜日 午前9時35分
 
 今朝は久しぶりに雨。長雨があったがその後長く降らなかった。雨のことなど忘れていたのだが、前回降ったとき、合羽を買っていたのを覚えている。雨よりも風でやられて傘の骨が折れたときだ。あれは台風だったのかどうかも忘れた。
 朝、起きたときから部屋が暗い。いつもなら晴れているので、明るい。それに遅い目に起きてきたので、もっと明るいはず。
 今日は久しぶりに曇り日だと思っていたのだが、寝起き、喫茶店へ行く道中で雨が来た。誰かが「ぱらっときてる」との声。そういう声を町内で聞くときは、洗濯物云々が多い。喫茶店まであと僅かなので、傘を差さないで、そのまま突っ込むと、そこそこ濡れた。夏の雨。猛暑日の雨なら涼となるが、既に昨日などは35度に達せず、30度を少し越えたところが最高気温。最低気温は27度か6度ほどあるので、熱帯夜だが、もう扇風機は寝るときいらない。
 要するに暑さの勢いが衰え、しかもずっと晴れが続いていたのだが、それも途切れた。これで区切りができた。変化したのだ。
 来る日も来る日も晴れ、そして暑いというのが長い間続いたが、それが途切れたことになる。途中で台風が来たのだが、過ぎてから、また暑い夏に戻るが、そのあたりから夏が衰えだしていた。その後も晴れが続いたが、台風前と、あととでは違っていた。
 西回りの台風も珍しかったが、あれがこの夏最大の見せ場だったのかもしれない。
 昨日は夏バテか、夏風邪かは分からないが、少ししんどかった。これは季節の変わり目によくあることだろう。空気が少し違ってきており、涼しくなってきたためだろう。
 お盆になると涼しくなる。これは毎年言っているのだが、今年は早い目に落ちたようだ。しかし、このあとどうなるのかは分からないのが天気。八月目一杯までまた猛暑が来る可能性もある。天気予報は見ていないが、特に変化がないので、見ないだけ。
 晴れが続き、暑い日が続いているときは、見なくても、昨日と同じだと思うためだろう。

 昨日は「信長の棺」だったと思うが、それがネットの動画であったので、見る。映画だと思っていたのだが、テレビドラマだった。しかし中身は映画だ。テレビ時代劇でよく見かける俳優が出ており、これは馴染みがあっていい。
 この「信長の棺」。本で読んだことがあるが、忘れてしまった。これを出した出版社の人からもらった。読む気はなかったのだが、信長物なので、馴染みがある。
 原作よりも、テレビ時代劇の方がよかったりするかもしれない。脚本や俳優の影響が大きい。
 ドラマでは太田牛一だったと思うが、有名な「信長公記」を書いた人。この人が主人公で松本幸四郎。普段は信長に代わって手紙などを書く人だ。祐筆だろうか。側近中の側近かもしれない。だから事務方。
 明智光秀の子孫が書いた本能寺の変の謎を解いた本が最近出ていたりする。またテレビアニメでNHKでもやっていた「へうげもの」も、本能寺に迫っていた。
 このドラマでは、信長の死体がないという話。蘭丸の死体もない。焼け跡から見付かるはずなのだが、それらしいものが発見されない。そのため、亡くなってから一年後の葬式のようなものでは、棺の中に信長はいない。
 太田牛一は本能寺のとき、安土城にいた。安土城ができてから三年か四年後、本能寺となる。そして城があったのは僅かその期間だけ。
 太田牛一は信長から頼まれた品を持ち出し、安土城を出る。この安土城の内部、結構よくできている。
 土中に埋めて隠したのは金塊。先に京に発った信長から連絡があれば、これを持ってくるように頼まれた。これは話としては、大したことはない。御門との関係で使うものだったとなっている。信長は天子様を越えようとしていたのではないかという説も多いのだが、その逆だ。
 そして、土中に隠したあと、武者に襲われる。明智方か柴田方かは分からない。太田にしてみれば、すぐに乱を押さえに来るのは一番近い柴田だと思ったのだろう。
 滝川は関東近く、旧武田領あたりにいるので遠い。丹羽は四国、しかし、実際には大阪で兵が集まるまで待っているので、これが一番近い。当然もっと近いのは明智だが。
 襲われた太田を救った別の部隊が助け、隔離される。しかし、安土城から持ち出した織田家の古記録なども運び込まれている。助けたのは秀吉の命を受けた前田利家。このとき、もう柴田は終わっていたのだろう。利家は秀吉のことを大殿と呼んでいる。
 太田は秀吉を小賢しい男として、あまり好きではないようだ。それとその仕草や物の言い方が信長の猿真似だと。
 要するに嫌疑が掛かっていたので、ほとぼりが冷めるまで、守っていたという話。それは安土から財宝を持ちだしたのではないかということ。
 そのほとぼりが冷めたので、秀吉は三倍の禄で雇うと言ってきた。このとき、まだ信長公記の話はないし、そんな本もまだない。要するに有名な文筆家だったのだろう。文章が上手いと。
 浦島太郎状態だったので、本能寺の一報から先のことは何も知らない。その話を元同僚に聞く。蟹江敬三だ。懐かしい。その蟹江敬三とは同僚なので、友達のようなもの。独り身の太田を世話する女人を世話する。このとき、蟹江も知らなかったのだが、山の民の娘。これは本能寺の謎への伏線。要するに、死骸がないのは逃げたと言うこと。本能寺から抜け出す抜け穴があったと言うこと。これを掘ったのが山の民。秀吉の墨俣一夜城などでも活躍したのも山の民系、蜂須賀党などがそうだったと。こういう山の民系はよく出てくる。
 太田は山の民の娘を助手にして、探偵を始める。松本幸四郎なので、鬼平犯科帳か、むっつり右門捕物帖だ。まずは愛宕神社。「時は今、雨のしたたる五月かな」などの連歌を残しているのだが、その原文を見せてもらう。原文か、神社での記録かは分からないが、世間で言われている文句と少し違う。雨のしたたる、というところが違う。時とは土岐。明智は土岐源氏の流れを汲んでいる。それが天下を取るという句だが、そうでなく、下るが違う。そのため、この時点ではまだ謀反を起こす気にはなっていないと。
 まあ、ドラマはドラマ、しかし、ミステリー物、探偵物のように仕立てている。結局、誰かと愛宕山近くで会ったのではないかとなる。その近くでそれ風なものとして堺の商人の別宅がある。そこである公家と会ったのではないか。これは勅旨だろか。信長を賊にするための。将軍が出すのではなく、御門が出す。これがあれば、反逆でも謀反でもない。官軍だ。
 その口約束後、敵は本能寺にありとなる。しかし、そんな命を御門は出すことはなかった。
 その密談を聞いていた二人の忍者がいたのだろう。一人はさっと中国の秀吉へ走り、一人は堺にいる家康に知らせたというお話しになる。あくまでもお話し。
 では信長と蘭丸は何処に。抜け穴から抜け出していたのなら、その状態で、明智は終わるし、柴田と秀吉の戦いもない。
 ドラマでは確かに抜け穴から逃げ出しているのだが、出口近くが塞がれている。その抜け穴を知っている秀吉が埋めたのだ。だから信長の死体は穴の中。そこで自刃した。
 これには伏線があり燃えさかる本能寺にいた使用人の女性が最後の姿を見ている。防戦していた信長が奥へ向かう姿を見ている。その表情は暗くない。
 太田は抜け穴を地図でも調べている。南蛮寺と繋がっているのが分かる。それらしい建物は、それしかない。信長が保護していた教会のような寺なので。
 太田の助手をしていた山の民の娘、抜け穴を調べようとして、怪我をする。それで有馬へ湯治に行く。そこでも、秀吉のトリックを見破る。かれかかっていた湯を杖か何かで突くと盛んに湧き出す。奇跡だ。これは何かを詰めていた。その詰め物の土のような物が特殊な匂いがする。鉄のように硬くなる土で、山の民が使うもの。
 そしていよいよ、山の民の娘と、太田は、丹波へ向かう。彼女の故郷。そこに彼女のお爺さん(夏八木勲)がいる。長老だ。本能寺の抜け穴の秘密を聞くが、答えてくれない。秘密だ。身内以外には話せないと。
 しかし、山の民の娘は太田の子を宿していた。それで身内ということに強引になるのだが、抜け穴の秘密や、信長の死骸はどこへ行ったのかを知っている坊さん(内藤剛志)から教えてもらう。
 と、まあ、ドラマとしては見ていてわくわくするので、それでいいのだろう。
 細かい話は別にして、茶の間で楽しめるテレビで時代劇で、お馴染みの役者達、そしてお馴染みの登場人物達なので、それだけでも結構満足した。やはりベテラン俳優が揃えば、その演技だけでも充分見てられる。
 
 
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2018年08月09日

有田芳生「歌屋 都はるみ」と大下英治「都はるみ 炎の伝説」2

■■ 2018年8月9日 木曜日 午前8時31分
 
 今朝は珍しく曇っている。これも台風の影響だろうか。北へ抜けていくようなので、大阪方面は関係ないのだが、何らかの影響があるのかもしれないし、また曇っているのは別の理由かもしれない。しかし風が結構ある。このおかげで涼しさとなる。
 昨夜はその前日ほどには気温は下がらなかったが、扇風機を使わないで寝ることができた。これは大きい。それと夕方あたりからの凌ぎやすさも。
 流石に昼間はまだ30度少しあり、陽射しがあると、これは暑いが、焼けるような暑さはなくなっている。しかしきつい暑さよりも、このあたりの暑さの方が効いたりする。遠火の照り焼きのように。これはそれほど暑いとは思っていないので、油断があるのだろう。
 それと暑さが静まると、ぐっと体がしんどくなることもある。暑い最中よりも身体がえらかったりする。涼しくなると、疲れがどっと出るというやつだが、そんなに疲れるようなことはしていなかっても、暑さ疲れてというのがあり、暑いだけで、疲れるのだろう。
 今年はものすごい猛暑で、異常な暑さらしいが、五年ほど前の夏の方がきつかった。その当時は猛暑日が連続するのは珍しいとなっていた。今回の気温よりも、その当時の大阪方面での気温の方が高かった。だから、今年はそれに比べるとましな方。
 昼間部屋でいつものところで座っていられなかったほどで、何度か立たないと、耐えられなかったほど。夜も暑く、扇風機と体の距離をかなり近付けていた。それでも寝苦しく、汗ばんだ。今年はそういうことはない。扇風機は遠くに置かないと涼しすぎるし、また途中で、切ることも多かった。
 今年も暑いことは暑いが、炎天下でも、日影が少しあれば、凌げる。長く陽射しを受けると流石に厳しいが、日影を自転車で走っているときは、気持ちがいいほど。まあ、都合よく日影があっての話だが。
 昨日は暑さがましになっていたので、朝の喫茶店からの戻り道大回り散歩を果たす。今まで知らなかった通りを見付け、そこを探索する。通りと言うより生活道路。路地だ。細かく探せばまだ未踏地はあるようだ。ただ、昨日は偶然見付けただけで、これはコースを少し変えることで、見えないものが見えたりする。
 流石に炎天下はきついが、暑かった頃に比べればまし。
 昨日持って出たカメラはパナソニックのネオ一眼。安っぽいカメラだが、そこそこ写る。それよりも20ミリが使えるので、これが効く。当然ネオ一眼なので1200ミリまでいける。この振り幅は大きい。
 液晶は回転しないが、タッチパネルに対応している。滅多に使わないが。また回転しないので、手かざしになるが、それほどカメラを上げないで、斜め上から見れば、何とか分かる。当然ファインダーも付いている。解像力は大したことはなく、ファインダーも小さいのだが、液晶が見えにくいときなどは重宝する。その切り替えは手動。自動切り替えではないので、逆に安定していたりする。ズームも早く、ピントも早い。カメラレベルは低いが、取り扱いが楽。もの凄く頑張ったカメラではないので、逆に気楽に写せる。カメラが大きいので、振り回しやすい。
 画質はコンパクト系の並レベル。結構写っているので、問題はない。
 ミラーレスとかがあるのだが、結局は20ミリから1200ミリまで一台でやってしまえるので、画角の自在さが良い。受光素子が小さいので、できることだ。
 晴れて明るければ、感度は80まで下がる。かなり低感度になり、このときのタッチは結構上品。
 
都はるみ
 都はるみについて書かれた二冊の本。有田芳生の「歌屋 都はるみ」と大下英治の「都はるみ 炎の伝説」の続き。
 伝説のようなものだが、そのエピソードが興味深い。
 都はるみがまだ小学生の頃、歌の学校へ通っていたらしい。しかし、サボりがちで、バス代を浮かしてお菓子を食べていたとか。そして、お隣さんの家に隠れて、行った振りをしていたとか。歌が好きで好きでというエピソードとは合わないのがいい。
 歌の学校では小学生では歌謡曲は歌えないらしい。しかし老人ホームか何処かの慰問では歌謡曲を歌ったらしい。中学生にはなっていなかったが、上手かったのだろう。
 都はるみが歌い出すと年寄り達が下を向いてしまったとか。泣いているのだ。
 そして中学生などがそのあと歌うのだが、都はるみのあとで歌うのを嫌がった。
 そう言うのを聞きに来ていた大阪の音楽事務所のようなもの、これは興行師だろう。それが目をつけ、大阪の超一流のキャバレーかクラブだったと思うが、そこで歌わせた。年齢的にはまずいので、年を誤魔化したらしい。
 歌を聴き、感動した客の会社社長が食事に誘ったが、京都大阪間なので、終電の問題があるのだろう。断った。すると、祝儀袋を渡された。これで帰りに何か食べて、ということだが、半端な額ではなかったようだ。
 年寄り達を泣かせ、クラブでは見知らぬ人からご祝儀をもらう。それだけの歌の力が、この当時からあったのだろう。こういうのが自信になるはず。
 二冊の本とも、似たような話の展開になっているが、歌手へのきっかけとなったコロンビアの全国大会の前に、とあるレコード会社でオーディションを受けたのだが、落ちている。どんな感じだったのかは大下英治の「都はるみ 炎の伝説」側で書かれているので、いい補足になっている。
 京都で見出し、大阪の超一流クラブで歌わせた人のすすめで、一緒に売り出し中の橋幸夫のいる東京のレコード会社へ行った。その本では吉田正をメインとする会社なので、都はるみの歌い方は合わないというものだった。それが落ちた理由。
 このあたりで歌っていた歌は畠山みどりや、こまどり姉妹。母親の好みもあるが、都はるみも好きだったのだろう。
 そのために宮本武蔵の二刀流開眼ではないが、唸り節の開眼がある。唸れるようになったのは、小さい頃からではなかったようだ。
 実際には、浪曲のようには唸れなかったらしい。無理に唸ると、喉が壊れる。これはただのダミ声だろう。だから喉をつぶしてしまうと、今度は綺麗な声が出なくなるはず。だから浪曲や落語家のように、声を潰して、唸れるようになっても仕方がないのだろう。歌いたかったのは歌謡曲なので。
 大下英治の「都はるみ 炎の伝説」では浪曲漫才のタイヘイ夢路さんだったと思うが、それを真似るように、遊び盛りなのに、練習させれれたが、上手くいかない。それで逃げ回ったりしていたので、母親は練習すれば十円やるといわれ、その餌にまんまと乗ってしまったとか。単純明快な子供だ。しかし、唸れない。
 ある日、テレビでやっている弘田三枝子を聞いていると、唸っている。これは唸ると言うよりも、気張っているような声。演歌ではなく、ポップス系なので。そして一つか二つほど上だろう。ほぼ同世代。タイヘイ夢路よりも親しみがある。それで、会得したらしい。できたとき。すぐに母親に唸ってみせた。そのコツは下腹に力を入れることだったらしい。それだけのことなら、誰でも唸れる。その証拠に、その後、音楽学校の生徒にもそのことを教えてやったのだが、誰も唸れなかったとか。
 この唸りは必殺技で、オーディションなどでは畠山みどりの歌を歌う。そのとき、畠山みどりもよく聞くと唸っている。そこをもっと唸ればいい。
 この必殺技は母親が作ったもの。理由は個性。いくら歌がうまくても、個性がないと目立たないと考えたためだろう。
 普通の歌を歌っただけでも年寄りを泣かせ、見知らぬ人から祝儀がもらえる。だから普通に歌っても充分いけるのだが、もっと強い何かが必要だと思ったようだ。それが唸りだ。これは母親が考えたことで、都はるみはそれに従っただけ、歌の練習で外で遊べないので、嫌がることはあっても、結構素直に従っている。
 この二冊の本には出てこないが、昔の歌番組、二谷英明が出ている番組だが、その中で、初めて人の前で歌ったのは三歳のときと話している。これがデビューだ。地蔵盆関係で町内の人達とバスで遠足にでも行ったのだろう。その車内で歌ったようだ。だから歌うのが嫌いなら、三歳では歌わない。そしてこの頃から人前で堂々と歌えたのだ。本当なら恥ずかしいはずだが。
 
 さて、その唸りだが、一番好きなエピソードがある。二冊の本にも出てくるし、NHKの「私の歌の道」にも出てくる。「あんこ椿は恋の花」が出るときのエピソードでもある。これを作詞したのは星野哲朗。夜中、都はるみは市川昭介に連れられて市川宅へ行く。唸り声を聞かせたいためだ。実際には作詞を頼みたかったのだろう。だからコロンビアの人も連れて行った。しかし、それよりも、都はるみの歌を聴かせたかったのかもしれない。依頼するにしても、気に入ってもらわなければいけないし、このとき星野哲朗は別のレコード会社へ行っている。ただ、席はまだコロンビアにあったらしい。
 さて、その唸りの伝説だが、有田芳生の「歌屋 都はるみ」では市川昭介は三曲ほど歌わせたらしいが、最初から最後まですべて唸って歌えと指示したらしい。
 歌い出すと番犬のシェパードが吠えだした。それだけではなく、お漏らしをしてしまったらしい。飼い主を守るために威嚇で吠えたのだが、この犬自身も怖かったのだろう。怯えてしまった。
 煙草を挟んだ星野哲朗の指が小刻みに震え、こめかみの血管が浮いた。
 シェパードも驚いただろうが、飼い主も驚いた。このあたりの下りは二冊の本にもあり、一番好きなシーンだ。
 もし書いてくれるのなら「あんこもの」という注文だけを市川昭介はつけた。そのとき歌った曲の中に松山恵子の「あんこ悲しや」も入っていた。
 星野宅を引き上げてから戻ってしばらくすると、電話がかかってきた。あっというまに詞ができたらしい。その詞を電話で伝えた。ファックスがなかったのだろう、ネットも。B面は星野哲朗が美空ひばりに書いたものだが、お蔵入りになったのでそれを都はるみにやった。
 星野哲朗肉筆による「あんこ椿は恋の花」の原稿は現存し、NHKの「私の歌の道」で映像としてみることができる。
 レコード会社が企画し、作詞家と作曲家に頼み、というパターンではなく、作詞家が勝手に作曲家に頼み込み、会議も何もなく、レコードが美空ひばりもいる大手から出る。そう言ういい時代だったのだ。アーチストが先導できた。このときのコロンビアの人はただの立会人。まあ、新人都はるみをコロンビアは市川昭介に任せていたのだろう。
 実質的にこの当時の都はるみのプロデューサーは、まだ若い作詞家の市川昭介だったことになる。
 NHKの松平アナなら、ここで「そのとき歴史はは動いた」と言うだろう。その夜、動いたのだ。これが都はるみを決定づけたというより、世に出したといってもいい。
 ただ、そこへ至るまでにもいろいろな偶然が重なっている。
 それは、またの機会に。
 しかし、これを書いている今、都はるみは七十才。母親も市川昭介も星野哲朗はもうかなり前に亡くなっている。当然コロンビア大阪大会などで都はるみを押したコロンビアの人も、月刊平凡の人も。いずれも都はるみに道をつけた人達だ。
 この二冊の本で、裏方の人達が大勢いたことが分かる。その中の一人欠けても、「あんこ椿は恋の花」へは進まなかっただろう。いずれも都はるみの歌い方に心を動かした人達。
 そして星野宅のシェパードが唸りに怯え、お漏らしをした。その唸りの恐ろしさを予見するように。
 
 
 
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2018年08月08日

豚の生姜焼き弁当

■■ 2018年8月8日 水曜日 午前8時43分
 
 今朝は比較的涼しい。流石に立秋。暦通りに来た。昨夜は涼しく、過ごしやすかった。昼間は暑くても仕方がないが、夕方からはましになるのがいい。夜も涼しく、当然寝る前扇風機はいらなかった。途中で寒くなり、掛け布団の暖かみが効果的に決まった。この感触は久しぶり。当然熱帯夜からの解放。
 急に暑さが引いていったのは、また台風の影響かもしれない。きっかけはいつも台風だったりする。今回は西へは曲がり込まないで、平常通りの運行になるのだろうか。前回と似たような侵入方法で、これは風の流れと一致するのかどうかは分からない。
 台風は遠くにあるが、結構風がある。間接的、間接的な影響で空気が動くのかもしれない。台風の近くではなく、結構離れているところで雨が多かったりする。
 しかしお盆を待たずに、ガクッと涼しくなると、気抜けする。まああと一週間でお盆なので、八月の中頃というのはあと数日。早い目に涼しくなり始めてもおかしくはないが。だが、この涼しさ一過性のものかもしれない。
 今年の夏の様子から、これは八月いっぱいまで暑いだろうと思っていたのだが、意外と早い目に夏が終わりそうな気配もある。そうなると、逆に短い夏ということになる。どういうコースを辿るのかは誰も知らない。分からない。
 台風なども発生してからでないと分からない。そして何処で発生するのかも。それはデータ的に多い場所があるし、多い時期も分かっており、コースも分かっているのだが、最初の一歩が分かっていない。だから、これは分からないのだろう。
 そう言えばここ最近、朝、味噌汁など温かいものを食べると汗をかくのだが、その量が少なくなった。その量とは汗ばむか、流れるかの違いがある。この前までは流れるほど出ていた。だから熱いのは避けたかったのだが、ましになっている。こういうところで数値的ではない温度が分かる。寒暖計の数値だけでは体感温度との違いあるため、ただの目安にしかならない。カラッと晴れておれば、それほど暑くなかったりするものだ。当然気圧の影響も大きい。
 しかし、残暑というのが曲者で、これが結構効く。意外と猛暑よりもたちが悪かったりする。これは油断があるためだろう。もう暑くないと。
 昨日はご飯が切れていたので、確信犯的にスーパーで弁当を買う。そこは大きなスーパーで人がが多く、レジで待つのが嫌なので、滅多に入らないのだが、いつも行く夕方の喫茶店と同じ敷地にあるので、利便性はいい。
 そこで豚の生姜焼き弁当を買った。グリル弁当だろうか。洋食弁当。ハンバーグと乗せ替えているだけだが、量が多い。山積みだ。これは玉葱が多く混ざっていると思っていたのだが、それほどでもない。豚肉のかなり薄いのがびっしりと入っている。これはスーパー内の豚肉の売れ残りを使っているのではないかと思える。以前、ここでそれのハンバーグ版を買ったとき、戻り道の家電店エディオンに寄り、自転車に置いてきた弁当を鴉にやられたことがある。上手いことレジ袋から弁当の蓋を外し、ハンバーグだけを突いていた。ベテランだ。当然一人働きの鴉で、単独犯。畑で雀と一緒に何かを突いている老いた二軍のカラスとはレベルが違う。
 その豚の生姜焼き、焼き肉弁当よりも量が多いし、肉も柔らかくて、お得だ。さらにハンバーグよりも肉ケが多いような気がする。
 その豚肉、結構高いタイプではないかと思える。それが偶然売れ残ったのかもしれない。
 涼しくなってくると、煮物ができる。いろいろな野菜を入れたもので、今はそんな鍋物のようなものは食べる気しないが、できるようになれば、数日持つので、野菜類が多く取れる。今は蒸かしたものを冷凍にしている。
 豆腐を冷や奴で食べるのがこの時期。しかしそれを味噌汁の中に入れてもかまわない時期になりつつある。
 また朝の喫茶店からの戻り道大回り散歩も出やすくなる。最近は暑くて何ともならないが、たまに行っている。もう少し遠くまで行く遠征は夏場は無理。最初から行く気がしない。季候が良い時期でも出るきっかけがなく、最近は行く回数が減っている。行ってもまた同じ町なので、新鮮味がないのだろう。
 
 
 
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2018年08月07日

立秋

■■ 2018年8月7日 火曜 10時01分
 
 今日は少し暑さはましかもしれない。昨日の夜が涼しかった。その前日の蒸し暑くて気温が落ちない夜に比べると格段の差。風もあり、いい風が入ってきていた。
 朝もそれほど強い暑さではない。今日は立秋、それに合わせてきたのだろうか。
 またニュースでも「危険な暑さ」の文字が見当たらない。ずっとそういう文字が出ていたのだが、今朝はない。そろそろ八月の中旬に入る。お盆も近い。さすがに暑さの勢いが弱まったかのように見られるが、一日だけでは分からない。まあ、そろそろという時期なので、そんなものかもしれない。
 そのおかげで、昨夜は暑苦しくなく過ごせた。昼は仕方がないが、夜になると、やっと涼しくなり、というお約束が通じなくなっていたのだが、昨夜は通じた。
 それで寝過ごしてしまった。寝苦しくなかったので、よく寝たのだろう。一度も起きてこなかったが、布団を被っていた。これは覚えていない。
 どちらにしても暑さが和らぐと楽になる。決して楽しくはないが、苦しくはない。快も不快もない状態で、普通ということだろうか。そういうことに意識がいかないような。
 猛暑日というのは35度超えの日のことだが、30度あるうちはまだまだ暑い。普通に暑いということだ。真夏でなくても、日差しのあるところは暑い。これがそうではないと思えるようになるには十月あたりを待つしかないが、今度は寒さが入ってくる。
 今朝は一時間ほど寝過ごしたので、その一時間ずれが一日続くだろう。この範囲なら寛容範囲で、まだ繋がりが少し見える。
 喫茶店から出るときに、いつも来るような客が、既に先に来ているとか。この時間を超えると、知らない時間帯になる。知っているのだが、人が違うのだろう。
 今朝などは一時間遅いので、それだけ日は高く、気温も上昇しているはずだが、それほど暑くない。やはり立秋の威力か。暦通りに行くこともある。
 しかし、過ごしやすくなってきたとき夏の疲れがどっと出やすい。まあ、それを言い出すのはまだ早いかもしれないが、立春を過ぎれば残暑となる。暑さが去ったわけではなく、まだまだ残っている。気温的にはたいしたことはなくても、この残暑の方がきついかもしれない。
 
 
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2018年08月06日

夕涼めない

■■ 2018年8月6日 月曜 8時33分
 
 今朝も晴れているが、少し雲が多い。昨夜の夜は蒸し暑く、そして気温が下がらなかった。風がないため、熱が抜けなかったのだろうか。昼間の高温に比べ、夜の方が暑さがこもっているためか、暑く感じる。日差しがないので、日陰もない。それで夜は逃げ場所がない。どこにいてもむっとするような暑さ。こういう日は室内で熱中症になるのだろう。
 そういうとき、うとうとし始めるとまずい。眠くなってくると、これは意識が遠のく前兆。これはいけないと思う意識も小さいので、そのまま落ちるのだろう。そういうときはじっとしているより、動いている方がいいのかもしれない。
 前日はうな重を食べて元気だったが、昨日は夜にバテた。夕方涼しくなってから夕食を買いに行くが、ご飯があれば、お茶漬けで済ませただろう。しかし、それでは何なので、弁当を買いに行く。夕涼みというほどなので、部屋にいるよりも、外の方が涼しいはず。室内ほど熱がこもるので、夕方は外に出るというのが夕涼みかもしれない。出ないと部屋の中が暑いので。
 しかし、風がないのか、涼しくない。こういう日はあっさりとした寿司がいい。牛丼屋の近くまで来たので、牛丼でもいいかと思ったが、それでは芸がない。これが一番効率が高いのだが、肉とご飯だけではむさ苦しい。その牛丼屋は味噌汁が付かないので、割高になる。
 その手前に新しくできた弁当屋がある。モダンな店で、ファストフード店風。所謂弁当屋とは少し様子が違う。違うが売っているものは同じ。
 中に入ろうとすると駐車場が目に入る。満車。十台ぐらいか。店内を覗くと待っている人がいる。既に椅子はない。
 これは忘れていた。日曜だったことを。土日は混むので弁当屋は無視していたはず。
 それで仕方なく引き返すことにする。その先へ行ってもコンビニやお好み焼き屋、焼き肉屋、そしてファミレスがあるだけ。ラーメン屋もあるが、一人で入りやすい店ではない。それなりに華やいでおり、気合いの高い店ばかり。こういうときは牛丼屋が入りやすい。それ以前に一番安い。
 その戻り道、少し回り込めば遠い方のスーパーがある。近くのスーパーよりも広い。
 結局そこで寿司を買おうとしたが、にぎり寿司が高い。時間が早いためだ。値引きがない。
 それで普通の巻き寿司を手にするが、これでは寂しい。そこで盛り合わせものにする。穴子と稲荷と巻き寿司のセットもの。これなら変化がある。
 結局その巻き寿司はスカで、中に何も入っていないのと同じ。ただの酢飯のようなもの。それはそれでおいしいのだが、ご飯がよくない。百均の巻き寿司と似たようなカサカサタイプ。これは貧乏くさい。
 このセットもの、巻き寿司一本の値段より安かったので、得をした気分だったが、コンビニの巻き寿司の方がましだった。
 まあ、いつもの近所のスーパーで弁当を買えば、おかずは翌朝分まであるほど。それと200円台まで落ちているので、それを買った方がよかった。しかし、暑苦しいときに、あまり食べたくなかったのだろう。
 行きつけの大衆食堂風ファミレスがあるのだが、少し遠い。その方角へは一日二度行っている。三度も同じ道を往復したくない。
 部屋の中で暑いときは濡れタオルを首に巻くと効果的。水の威力は大きい。
 暑くてしかも風のない日は窓を開けていても風が来ない。
 今日は少し雲が多いようなので、何か変化があるかもしれない。北の方では大雨が降っているらしいので、そのおこぼれがほしいところ。ここで雨が来ると、潤うのだが。
 昨日も暑かったのだが、朝の喫茶店からの戻り道、少しだけ自転車散歩。いつものコースなので、大した変化はない。そして暑いためか、歩いている人が少ない。公園にも子供の姿はない。
 健康のために散歩に出るといっても、炎天下の歩きは危険だろう。まあそれ以前に出る気がしないので、外に出ている人は少なかった。
 確かに暑いが、夜の暑さより陽気でいい。日陰に入ると、涼しい。夜はそうはいかない。
 お盆になると暑さは増しになる。それを期待する。あとわずかだ。しかしそれは同時に夏が過ぎること。
 
 
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2018年08月05日

意外と使えるパナソニックのネオ一眼FZ85

■■ 2018年8月5日 日曜日 午前8時43分
 
 今朝も晴れており、相変わらずの夏の空と気温。昨日の夕方頃の気温は日本一高かった。伊丹空港。夜になっても暑さが抜けず、暑苦しい夜になり、寝る直前にやっと気温が下がった。夜に30度はきつい。
 空港のある豊中、そして神戸が夕方時間帯上位。これはNHKの気温で見ているのだが、毎日見ているわけではない。妙に暑いと思うとき、見る。すると、当たっていたのか、全国的に上位の暑さになっている。最高気温が出るのは二時頃なのだが、最近はズレて夕方に出たりする。大阪なので、一日の中での最高気温は高くない。暑いので有名な常連の町で出るのだが、意外と夕方や夜になると、大阪は強い。一位になったりする。当然京都も健闘している。また京都は最高気温も結構出る。
 しかし、夜中はこれまでと似たような気温なのだが、涼しくなっている。扇風機がいらない。掛け布団が必要なほど。ここに秋を見出している。真っ盛りの夏から見ると、少し弱ってきている。ただ昼間は盛夏の時期と変わらない。
 夕方に来るむっとするような熱気。大して高い気温ではないが、35度あるので、これは猛暑ランク。これが結構きつい。真昼の38度よりも。
 そういうむっとする夕方は過去にもあり、盆踊りの頃にあった。誰も踊っていなかった。
 昨日は前日うな重を食べたからではないが、元気で、暑さに負けなかった。結局スタミナのあるものを食べればいいのか、という話になる。夏バテ防止には、そういうのが効くのだろう。だから焼き肉などがいいかもしれない。またギトギトの脂っこいもの。まあ、野菜でも油をたっぷり使って、揚げ物でも出来そうな状態で炒めて食べるのがいいのかもしれない。ピーマンが安いので、これも油炒めにするとおいしい。普通の切りハムの安いのを生ではなく、炒めると油が出て、油を入れなくてもいいほどだが。
 しかし昨日はコンビニの餃子で済ませた。夕食だが、お茶漬けにした。永谷園のシャケ茶漬けだ。やはり塩分が欲しいのだろう。
 最近は暑いので野菜の煮物を作っていない。そのため作り置きがない。しかし、ジャガイモなどを蒸かして冷凍にしている。味噌汁などに入れただけで解凍し、煮なくても熱い湯だけで戻る。ただし、味は付かない。
 昨日は朝の喫茶店からの戻り道、少しだけうろっとして戻る。ウロウロというほどでもなく、軽くうろっと。少しだけ道を変えただけ。
 しかし昨日も朝から暑いのだが、午前中はまだましな方。焼け付くような暑さではなく、日陰に入ると凌げる。だから日陰を見付けて、そこで休憩しながらウロウロした。ずっと陽射しのあるところにいるわけではない。日影が全くない通りもある。ここが厳しいのだが、歩いている人もいるし、自転車で走っている人もいる。用事があるのあろう。
 今日は日曜日、伊丹駅前へ毎朝向かうのだが、その通りが静か。自転車も車も少ない。歩いている人も少なく、よく見ると、その近所の人だろう。だから駅へ向かう人ではない。
 そのため用もないのにウロウロしている人は少ない。たとえば散歩とか。
 犬の散歩人は当然いるが、もっと早い時間帯だろう。昼に近いほど暑いので、出たくないはず。
 
 今朝のお供のカメラはパナソニックのネオ一眼FZ85。型番では分からないが、20から1200までのネオ一眼で、一眼レフの形をしている。液晶は回転しないし、ファインダーとの切り替えは手動。しかし、このカメラ20ミリという超広角区域も押さえており、さらにレンズはF2.8と結構明るい。あとは普通のコンパクトデジカメと同じ操作だが、かなり安っぽい。大きさのわりには軽い。そして起動が速いのがいい。これで4k動画まで撮れるのだから、値段的には凄いカメラなのだが、動画は撮らないので、関係はないが。
 画質はあまりよくないが、それなりに写っている。このカメラの宣伝文句を見ていると、日常写しとなっている。つまり日常風景を20から1200というものすごい幅で写せるので、ほぼ何でも写せるといってもいい。超望遠から超広角、そして結構寄れるのでマクロも。あまり画質に凝った写し方をしなくてもいい。画質に関してはそこそこなのだが、かえってその方が気楽に写せる。
 夏場は、こういったあっさりとした非本格的で、非一眼画質のカメラの方が暑苦しくなくていい。だから絵も涼しい。
 
 
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2018年08月04日

うな重

■■ 2018年8月4日 土曜日 午前9時26分
 
 今朝も暑いが、夜は意外と涼しく、扇風機がいらなかった。寝る前も扇風機を止めた。いつもどちらかと迷うのだが、昨夜は付けないで寝た。しかも蒲団を被って。
 あとでその時間帯の気温を見ると24度。これでその日の最低気温が25度以上の熱帯夜ではなくなる。最低気温は24度なので。
 しかし、起きてから喫茶店へ行くのだが、その道中は結構暑い。しかし、日陰に入ると、ひんやりとする。これは秋の兆候だ。というより、お盆頃の夏の印象に近い。八月に入ると、少しましになり、勢いが衰え出すのだが、それは夜に出始める。そういう日がポツンとあったりする程度で、また熱帯夜に戻ってしまうはずだが、秋の気配が姿を出し始めるのも確か。赤とんぼのようなのが飛んでいた頃から、見えるものとしても、出ている。
 今年は暑すぎるのか、蚊が出ない。気温が高すぎると蚊も飛ばないらしい。しかし、特攻隊のように襲ってくるのは夏の終わり頃の蚊。だが最近は一匹か二匹で、数が減っていた。部屋の何処かでふ化した蚊は別だが。
 そう言えば、いつもこの時期来る強烈な蚊の姿を見ない。ここ数年見ていない。その蚊のために蚊取り線香をつけていたのだが、今年はいらない。
 どちらにしても昨夜は夏の勢いが弱まりだしたことを感じた。それは七月のように、これからもっともっと暑くなるという右肩上がりではなく、残暑へと至る道。
 昨日は夏バテ予防のマジナイのようなうな重を弁当屋で買って食べた。これがまた高い。900円している。夏バテ封じの縁起物なので、そんなものかもしれないが、牛丼屋のうな重なら800円台。899円出せば漬物としじみ汁がついてくる。百円の差だ。だから単品のうな重を貧乏臭く食べるより、百円足した方が満足度が高い。
 弁当屋のうな重はしっかりと重箱のような四角い箱に入っていた。錦糸卵も乗っている。そしてウナギの形がいい。だが食べると穴子ではないかと思うほど。油気を抜いているのか、最初から無いのかは分からないが、形がいい。綺麗な長方形が一枚乗っている。尻尾などは捨てるのだろうか。
 これで、ウナギも食べ納め。本当は土用の一番暑い頃に食べるのがいいのだろう。
 土曜と土用を聞き間違えることはない。アクセントが違うためと、文脈でも分かるだろう。土曜はウナギを食べる日だと毎週食べないといけない。
 昼間は相変わらず暑くて何ともならないが、昼寝ができるようになった。その前までは暑くて眠るのは無理だったが。それでも暑い中を自転車で移動するのは苦しいので、夕方前の喫茶店は近所にする。それだけ日に当たる時間が短い。コーヒー代は高いが。
 夏の暑い頃、公園で子供が大勢遊んでいたのだが、誰もいない。夏休みに入ってから減ったような気がしていた。これは学校からお触れでも出ているのだろうか。
 蝉捕りをしている子供を見かけるが、親が付いてきている。実際には親が蝉を捕っている。網を使わなくても、蝉は落ちていたりする。拾い蝉では狩りにはならないのだろう。生きている蝉を捕らなければ値打ちがない。しかし取ってもすぐに死ぬだろう。だが、しばらくはまだ生きているはず。
 蝉は誰も知らないようなところで果てるのではなく、そのあたりで果てている。これはすぐに蟻が始末してくれる。蟻の貴重な食料になるのだろうか。蟻だけではなく、蝉を楽しみにしている虫などが他にもいるはず。ただ、蟻にも縄張りがあり、蟻がいない領域もある。
 蝉捕りなどは狩りの練習。これは本能に入っているのかもしれない。大人になってからはしないが、子供の頃はやる。他の動物もそうだろう。小さい頃からその練習をする。
 ただ、人は蝉捕りや雑魚捕りが上手くなっても役立たない。しかし、蝉捕りに巧みな子供は、別の意味での狩りに強い。
 狩りは狩猟民族云々以前の、もっと動物的なレベルだろう。基本的な行為かもしれない。
 
 
 
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2018年08月03日

コンビニレトルトビーフカレー

■■ 2018年8月3日 金曜日 午前9時19分
 
 今朝も晴れており、朝から暑い。昨夜は扇風機をつけたまま寝たのだが、途中で寒くならず、そのまま朝まで回っていた。湿気が高いのか、蒸し暑い。気温的には昨日とそれほど違わないのだが、暑さが違う。朝の喫茶店までの道も、いつもよりも暑い。晴れているので、陽射しはあるが、たまにかげったりする。上を見ていないのでよく分からないが、雲が多いのかもしれない。
 俄雨、夕立のシーズン。夕方に少しだけ降るタイプで、真夏の盛んなときは滅多に降らないが、残暑の頃、夕立が多くなり、夏の終わり頃は大雨になり、俄雨どころではなくなることもある。
 長期予報では中旬まで暑いらしいが、要するに夏が終わるまで暑いという普通のことを言っているのに近い。これが八月の上旬まで暑いとなっていても、お盆前までは結局は暑い。
 ただ暑さの程度が、平年並に戻る程度だが、平年の夏というのは結局は暑い。
 昨日夕食に迷い、あっさりとしたお茶漬けを狙っていたのだが、それでは何なので、いろいろと考えたところ、お茶をご飯にぶっ掛けるのではなく、カレーをぶっ掛けることにする。そうなるとレトルトカレーになる。
 それでコンビニでコンビニ製のレトルトカレーを買う。これはハンバーグなどを売っているおかずの棚にある。ハンバーグもレトルトだ。
 カレーのタイプは、ビーフカレーで、よく煮こんだ肉らしく300円を超えている。まあ、肉入りの方がお茶漬けから考えれば、充分ランクは高い。
 ご飯はあるので、袋を温めるだけ。お茶漬けで、湯を沸かすよりも、少しだけ時間がかかる。中まで温めないといけないためだろう。沸騰すればいいというわけではない。
 それでぶっ掛けると、普通のカレーになるのだが、肉の量が多い。大きな塊を複数発見。
 このレトルトカレー、金の何とかという名が付いており、高い目。そして要冷蔵。10度以下となっている。普通のレトルトカレーは平温で保存できるので、その差は何だろう。賞味期限を見ると、結構短い。そしてボンカレーのように箱に入っていない。まあ、そんな箱はいらないが、雰囲気が出る。食は舌以前に目から入るためだろう。
 さて、そのビーフカレー、肉が多くて柔らかい。それで300円少し。これなら牛丼よりもいいのではないかと思える。
 よく行っていたカレー専門店のビーフカレーは500円超えで、肉は少なく、運が悪ければ硬くて、かみ切れないのが入っていた。まあ場所代とご飯代や水などのサービス。香の物のサービスなどを入れれば、そんな値段になっても当然かもしれないが。
 この煮込みビーフカレーはよかった。うな丼よりも充実感があった。肉とルーとご飯だけなので、これはバランスが悪いが、トマトがあったので、それを添えた。カレーにラッキョウを添えるようなものだ、福神漬けが多いのだが、扱いやすいためだろ。
 まあ普通のボンカレーにしておけば、ご飯さえあれば夕食代は百円で済むが。
 スーパーなどでレトルトカレーを束にして売られているのがある。一度買ったことがあるが、味が妙で、食べきれなかった。これも見た目から入る。一つ50円ほどだという意識も加わる。
 昔のどろっとした缶詰のカレーが懐かしい。飯ごう炊さんなどで、そういう缶詰カレーを温めて食べたことがあるが、おいしかった。これは山で食べるためだろう。まずくても、おいしいと感じるのは、まずくあってはいけないためだろう。おいしいと決めつけて食べている。自分で炊いた焦げ付いたような飯ごうのご飯でも。
 これは、ここまで来て、ここでご飯の用意をしてという過程が入っている。かなりの過程だ。だからまずいと話しにならなくなる。おいしくなければ話がまとまらない。その過程を考えれば。だから自分で盛り上げて、盛り上げ麻酔舌にして食べたのだろう。
 
 
 
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