2019年12月27日

イオスキッスX9の続き

■■ 2019年12月27日 金曜日 午前9時50分
 
 今朝は晴れているが雨が降っている。虹まで架かっている。その虹、かなり大きい。高いし長い。しかし青空も拡がっているので、薄くてよく見えない。
 陽射しがあり、そのため雨もよく見えないので、降っていないように見えるが、実は降っている。おかしな天気だ。空が荒れているのかもしれないが、風がないので、穏やかに見える。
 寒いが、みぞれでも雪でもない。細い雨だ。
 来週の今頃は正月三が日の三日目、最終日。翌日は正月明けとまでは言えないのは、まだ休みのためだろう。正月休み明けが、正月明けになる。これは学校や会社の休みから見たものだろうか。正月三が日というのは確かにあり、神社とかでは三日まで元旦と同じ様子だが、四日になるともう屋台なども消え、平日に戻っている。
 この三が日は、亜空間のようで、何処に属している三日間なのかが分かりにくい。まあ正月に属しているのだろう。その正月とは何かとなると、これもよく分からない。誰がいつ言いだしたのか、始めたのか。
 この正月、何も情報がなければ、何もないだろう。
 しかし、大晦日、新年が徐々に近付いて来る。毎年、そんなことを言っているのだが、こういうのを恒例という。決まり事なのだ。その意味は知らなくてもいい。分かっているのはそう決まっているという程度。色々な意味はあるだろうが、古すぎてピンとこなかったりする。
 それより年が明ければ正月で目出度い。何が目出度いかよりも、目出度く思えることだけで目出度い。年が明けるとめでたい。別に何もしていないのだが、朝、目を覚ますと新年でめでたい。または12時を回ると新年で、これもまためでたい。
 これは無事年を越えたためだろうか。それとも新年が来ることがめでたいのだろうか。来るのは分かっているが、真新しいのでめでたいのだろう。
 年を一つとるのは誕生日から。新年を迎えられることがめでたいという意味もある。無事、一年生きていたことに対して。まあ、生きているだけ、と言うのもあるが。
 当然、あまり良い年越しではない場合もある。良い年ではなく、悪い年で、それを引き継いだまま次の年も迎えるとなると。
 良い年でありますように、とは悪い年があると言うことだ。
 悪い年を引き摺ったままの新年。しかし、これは新しいので、未知を含んでいる。どう変化するか、まだ分からない。良い年になる可能性もある。
 いい年を完璧に迎えた人でも、餅でやられることがある。
 
イオスキッスX9の続き
 紙のマニュアルが入っていたのだが、レンズのマニュアルがない。キットものの場合、付属レンズの詳細が、カメラのマニュアルの中に書かれている場合もあるが、それがないどころか、カメラそのもののスペックなども記されていない。流石初心者向け。しかしコンパクトデジカメでもそれぐらいは載っているのだが、紙のマニュアルがないほうが多い。
 しかし、マニュアルは分かりやすく、また、写し方の方法なども記されている。具体的に。だからカメラの本を買ったようなものだ。
 標準ズームの最短撮影距離などは分からない。20センチ程度まで寄れるのではないかと思える。ネットで一度見た覚えがある。かなり短い。全域で。しかし、マクロレンズほどでもない。一番大きく写せるのは望遠端で、20センチ近くまで寄れるのだが、それほど大きく撮し込めるわけではない。
 まあ、ほどほどのアップが撮れる程度。小さな花などを大きく写すと、逆に小さな花であることが分からなくなったりする。意外とそのほうが、小さな花を写したと言うことが分かっていいのかもしれない。
 
 流石に受光素子が大きいためか、近距離のものを寄って写すと、背景がボケボケで、何が写っているのか分からなくなる。絞ればいいのだろうが。
 そういうとき、絞り優先とかにしないでも、背景ぼかしの調整ができるモードがある。
 クリエートモードだろうか。ここに合わして撮影すると、絞りを変えられるようだ。バーが出て、右へ行くほどくっきりとなる。初心者向けで、まずはそれで試してみるのだろう。そして、そんな回りくどいことをするのが面倒とか、手間がかかるとかになると、絞り優先モードに行けばいい。こちらだと数値でセットできる。しかもセット画面が大きいので、絞り値だけが変化するのではなく、絵図で大きく見せてくれる。
 受光素子の小さなコンパクト系の場合、絞り優先など必要ではない。全てレンズは開放。かなり明るいときにしか、絞られない。シャッターでできるだけ稼いでいる。開放以外にしたくないのだ。画質が悪くなるためもあるが、絞りの段階が二つか三つしか無いこともある。
 だからフィルム時代に近い、このカメラでは絞り優先とかシャッター優先で使う人が多いかもしれない。背景をそんなにぼかしたくないとかの問題があるので、フルオートでは満足できなかったりしてからの話だが。こういうとき一インチサイズのカメラだと、もの凄くボケないので、丁度いいかもしれない。
 一眼レフなので、光学ファインダー、ボケは開放でしか見えない。だからかなりボケていることになる。絞り込みボタンが、このカメラにはあるので、それを押して覗くと、ボケ具合は分かるが、画面は暗くなり、逆によく見えなかったりする。ただ、道端で、ゴソゴソ、そんなことをするゆとりはない。写す前にセットしておくべきだろう。
 まあ、背景がボケて欲しいと思っても、レンズそのものがキットレンズで暗いので、開放でも絞られた感じなので、それほどボケてくれないが。
 しかし、コンパクト系よりも、手前ボケや背景ぼけがそれなりに分かるほどなので、受光素子の大きさは、ここで発揮される。だから柔らかい写真や奥行きがあるような写真になったりする。
 こういうのは一度写すと、その味を覚えるので、前後関係を見て、大凡どんな感じになるのかが分かるようになる。
 最初の一枚は偶然が多い。そんな意図などなくても、偶然そういう風に写っていたとか。まあ、意図しても、そのようにならない場合もある。
 絞り優先モードに入れた場合、何処に絞りを持ってくればいいのかが分からなければ、暗いレンズなら開放に合わせておけばいい。露出オーバーには滅多にならないはず。開放が暗いし、シャッタースピードも高い目があるので。
 二段ほど絞れば一番鮮明という説があるが、別の説では開放がベストという説がある。そのレンズの特徴を一番よく引き出すとか。絞れば個性が消えるとか。まあ、悪いレンズなら、絞って誤魔化した方がいいのかもしれないが。
 開放にしておけば、暗くなっても、そのまま写せる。ピントが全部合った写真を写したいのなら、広角端にすればいい。そしてあまり至近距離にピントを合わせないようにすれば、深度が深いので、その範囲内に入るはず。二メートル半ほど先なら結構ピントが行き渡るはず。
 だから、ピントを合わす場所が大事。これで深度が決まり、ボケ具合が決まるので。ただ、広角ではよく分からないが。
 そういうのに敏感なのは50ミリ標準レンズ。先ずレンズが明るいし、広角でも望遠でもないニュートラルで、中途半端な画角なので、ピント位置でがらりと変わる。ただ、数メートル先までで、遠いところだと、それほど変化はない。
 標準ズーム特有の距離があるのだろう。一メートル半から数メートル先にあるようなものとか。
 まあ、このイオスキッスX9は、そんなことを思い起こさせるカメラで、一眼レフの使い始めの頃を思い出させてくれる。
 ただ、フルサイズカメラではないので、50ミリが80ミリになったりし、35ミリが50ミリになったりするので、少し違うが。
 
 レンズの詳細はパッケージにないので、ネットで調べる。これを買うとき、レンズ一本付きとなっており、どういうレンズが付いているのか、その詳細さえなかったのだが、まあ、展示品なのでレンズは付いたまま飾ってあったので、それで分かるのだが。非常に扱いが荒っぽいレンズだ。
 これは最新の標準ズームで、その前のタイプよりも開放が少し暗くなっている。F4だ。その分少しだけ小さくなっている。だからS系一眼系でキットもので使われるレンズ。当然単体販売もされている。ただ、白のレンズはレンズだけの販売はないかもしれない。
 最短撮影距離は20センチ少し。だからレンズ先端からでは10センチほど寄れる。85ミリ側でも寄れる。全域同じだ。これは分かりやすい。
 ここはもうコンパクトデジカメと同じほど寄れると言うことだ。オリンパスのコンパクトデジカメは最短撮影距離が長い方だが10センチ。まあそれと同じなので、コンパクトデジカメ並。ただ、広角端だけではなく、望遠端でも寄れるのがいい。広角端だけなら1センチとか、キヤノンなら0センチまで寄れたりするので、キヤノン系から見れば、10センチは、少し長いと言うことだが、10センチまで寄れるのなら、気楽だ。あまり最短撮影距離など気にしなくてもいい。
 これは28ミリから85ミリの大人しいズーム比のためだろう。
 
 AFは背景がゴチャゴチャあるところにある細いものや小さなものでも意外とさっと合う。これは一寸驚いた。これならマニュアルフォーカスなどいらないだろう。
 フォーカスエリアは一眼レフ系なので、広くはない。中央部周辺だが、左右に結構長い。上下もある。そこに数点の測距ポイントがある。ミラーレスのもの凄い数の測距点と比べるともの凄く少ないが、画面端にピントが来てしまい、面倒なことにならなくてもいい。
 このカメラのAF方式はかなり古いので荒っぽいが、シンプルで分かりやすい。中央一点は明るいところなら、印が見えるで、そこに命中させればいい。これが一番確実だ。ファインダーに黒い線で印が書かれているだけなので、暗いところでは黒い線は見えにくいが。
 全部の測距点を使っても、それほど多くない。中央部から出ている菱形状の範囲だろう。命中すればその箇所に赤いポーズが入る。距離が同じものなら複数のネオンが一瞬だけ灯る。ほとんどこれで写せる。
 中央部が一番感度がよく、性能がいいので、できるだけ中央部に被写体を置いて写すのがいい。中央部重点で。まあ、スナップとかでは構図を変えたくないので、端でピントを引っかける感じが多いが。それほど端にはピントが来ないのがいい。
 このあたり、ドタバタとしたミラーレス系に比べ、大人しい。
 どうしても周囲にピントが来そうな場合は、一点にする。全部か、一点か、その切り替えだけでいいだろう。測距点を移動できるが、面倒だ。中央でピントだけもらって、構図を変えて写した方が早い。
 一度変えると学習するようで、次回も覚えている。そしてプログラムモードと、フルオートモードでは、別々に覚えるようで、これはコンパクト系によくある使い方ができる。撮影モードダイヤルを回した方が早いので、それで、一点か、全部かを切り替える。
 それらの切り替えは、液晶で大きな絵のガイドが入るので、非常に分かりやすい。裸眼でも見える。これは露出補正のバーも画面一杯に出るので、よく見える。しかも明るい側とか、暗い側とかの説明も入っていたりする。
 これは入門機であり、初心者向けカメラなのだが、年寄りカメラのように、文字が大きく、分かりやすい。
 カメラもイオスキッスでは一番小さく、軽い。負担が少ない。
 一眼レフの泥臭さがなく、軽快で明るいカメラだ。メカメカしたカメラではなく、ボタン類も柔らかな押し具合で、カチカチ言わない。
 それと樹脂製なので、冬でもカメラは冷たくならない。
 
 T字型でグリップがしっかりとあり、非常に持ちやすく、構えやすい。指が痛くならない。カメラがぐらぐらしない。そしてすっきりとしたファインダーで、カシャッと写す。軽快なシャッター音が快い。これは写すだけでも楽しいカメラだ。
 
 
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2019年12月26日

キヤノンイオスX9の続き

■■ 2019年12月26日 木曜日 午前10時15分
 
 クリスマス明けは雨。これは昼過ぎからはやむらしい。雪のクリスマスになりかけていたのだが、クリスマス寒波でも来ない限り、大阪方面は雪にはならない。平地では。
 それに雨は今朝なので、ズレている。クリスマス明けの雪になるが、暖かいので雨。しかも小雨で、傘はいらないほどだが、喫茶店までの道中、少し濡れた。水滴が浮いている。防水性の証明。
 このダウンジャケットは今年買ったもので、ずっとそればかり着ている。能書きは防水性があるとなっていただけ。防寒や防風、蒸れ対策、等々色々な能書きを貼り付けたカードの多いのがあるが、そちらの方が安かったりする。
 高い目のブランド冬上着などを見ていると、防水性さえない。何もない。能書きや効能は一切なかったりする。金持ちなので野外でウロウロしないのだろう。ゴルフなどでも傘を差してもらうのだろう。王様のような大きな傘を。
 冬は屋敷内。外に出るときも車なので、自転車でウロウロする服装とは違う。
 しかし、昔のような一見して身分の高い人や金持ちを見かけない。まあ、町内には来ないだろうが、服装だけでは分からない。何かの儀式でもない限り。
 昨日は暖かかったので、自転車散歩にはもってこいで、十日間予報を見ても、そんな日は見当たらない。ちょうどクリスマスの日だし、カメラも買ったところなので、出掛けやすかったのだが、あまり写す気がしないのと、のんびりしていたかったので、冒険は避けた。
 その代わり、夕方、旧友とばったり道で出会った。もう死んでいるのかと思っていたのだが、生きていたようだ。ここ数年出くわさないので、てっきりあっちへ行ったと思った。病気だったし。
 昨日はコンビニでクリスマスケーキを買う。丸いやつもあったが、三角にする。それが二つ入っていて100円引きだった。まあ、普段から売ってあるやつだが。イチゴが固かった。この三角のケーキ、一口だ。それと天麩羅蕎麦を買う。かき揚げだ。クリスマスと大晦日をこれで越したような気がした。年越し蕎麦はカップそばでいいだろう。普通の蕎麦では食べきれなかったりする。夜中なので。それに腹もそれほどすいていないはず。それを夕食とするのなら、しっかりとした蕎麦がいいが、それでもこれ一食では頼りないので、おやつがいるだろう。
 立ち食い蕎麦屋での年越し、かやくご飯を付けて豪華に、もいい。
 来週の今頃は正月の二日目。今年はもう一週間を完全に切っている。まあ、用事は30日手前の29日までだろう。30日になると、もうあと一日しかない。
 年末年始、特に何も起こらないが、年越しというのがある。これは寝ていてもできるが、目を覚まさない人もいるだろう。
 
キヤノンイオスX9の続き
 買ったのは夜なので、明るいところでの撮影を翌日実行。
 暗いところでのフルオート撮影では感度上限は6400あたりで止まるようだ。まあ、昼間なら感度上げは必要ではないが。
 フルオートだと一寸暗いと昼間でもストリボが立ち上がる。これは癖が悪い。ストロボをオフにしても、電源を入れ直すと、覚えていない。そのため、ストロボを使わないモードがその横にある。
 初心者向けカメラなので、手ぶれしたり、感度を上げすぎないように、ストロボを使わそうとしているようだ。まあ、花などを写しているとき、ストロボが勝手に立つのはいいかもしれない。わざわざストロボを使おうとは思わないためだ。それに便乗してもいい。
 昼間見るファインダーはクリア。すっきりしている。ここが光学式ファインダーの良さ。そしてカシャッと鳴るシャッター音が小気味いい。余韻を残す音なので。これは前回も書いたが。
 ポケットに同じキヤノンの旅カメラを入れて、日常移動中に写す。28から80あたりのズームなので、望遠がないためだ。旅カメラならポケットに入るし1000ミリ近くまで写せる。ファインダーはないが、小さく軽い。キヤノンコンビだ。
 写りは悪いはずがない。それよりも、カメラを取り出し、電源レバーを引いた瞬間、さっと写せる。このスピードは流石だ。光学ファインダーなので、電源が入っていなくても見えるためだろう。しばらく真っ黒なファインダーを見て起動待ちするのに比べて文句なく早い。
 手動ズームなので、写す前にもう画角は決まっているので、そこにあわせればいい。広角と望遠、その中間、それしかない。ズーム比が低いので、選択肢は少ない。
 望遠で先ず写して、すっと戻して50ミリあたりでもう一枚、とかもやりやすい。望遠と言っても80ミリほどなので、標準レンズと変わらないのだが、一応中望遠だろう。広角も28ミリで、今は24ミリが多いので、それほど広角とは言えないが、28ミリはやはり広角で、標準画角内ではない。35ミリなら標準域と見てもいい。
 いつもなら、ほとんどメインとして使わないようなズーム比で、望遠がないので、写すものが減る。ほとんど望遠で写しているので。
 それでも80ミリあたりでそれなりの構図を取って写した。望遠の方が優しい。主要被写体を切り取ればいいだけなので。それができないので、周囲を構図として取り込みながら絵作りをしないといけない。これは勉強になる。
 猫と遭遇したので、このときは旅カメラで1000ミリ近くまで伸ばしてアップを写す。ファインダーがなくても、何とか写せる。カメラも小さいので、ブレやすいが。
 このキットレンズの最短撮影距離がかなり短いので、全域でかなり寄れる。
 小さな花が咲いていたので、それを最接近して写す。そうでないと小さすぎるので。ファインダーで覗くと、綺麗だ。既に絵になった像ではなく、生の花を見ているためだろう。こういうときは一眼レフの方が充実する。
 夕方は夕空を写したのだが、空にもピントが合う。フラットで雲が薄いと、AFは苦手なはずだが、しっかりと合うので、これは満足。
 フルオートだと、AF測距窓。フレームだが、複数出る。どこかで合うという感じだ。違うところに合う場合、一点に切り替えられる。そのボタンが良いところにあり、それを押すと動かせるが、十字キーの真ん中のボタンを押すと、一気に中央一点になるので、都合ボタン二つ押せば多点から一点へさっと切り替わる。これは便利だ。
 ただ、電源を入れ直すと、戻っている。これはフルオートの場合。
 まあ、普段は多点でいいだろう。
 
 感度は二万台まで上がるが、フルオートではそこまで上がらないので、プログラムモードに切り替えないといけないが、6400まででほとんどの夜の風景などは映ってしまうので、そのままフルオートでいいだろう。80ミリまでしかないので、スローシャッターでも行ける。ただ昼間のように写すのなら別だが。
 できるだけ操作をしたくないので、撮影ダイヤルなども回したくない。ストロボを使わないのなら、フルオートのストロボ禁止のダイヤル位置に固定しておけば、何も触る必要はない。
 ただ、このカメラではフルオートでは露出補正は使えない。だが露出は結構いいので、白飛びしそうな白いものなどでもそのままでもよかったりする。
 だから一眼レフコンパクトデジカメ、所謂バカチョンカメラ作戦だ。このカメラは一番安いタイプで、コンパクトデジカメよりも安かったりするので、それが似合っている。
 黒バックに白いものなどは露出補正が必要なようだが、これはスポットライトとして認識してくれれば、背景の暗さに引っ張られない。
 またAFの合致位置などからの推測で、評価が変わるようで、結構賢い。それがもっと進めばAIカメラになるのだが、徐々にそうなっていくのだろう。
 しかし、初心者用にわかりやすいガイドがあり、それに従っていけば、そういう設定になる。始めてカメラを触る人なら、これは分かりやすくていいだろう。
 
 小さなコンパクトデジカメと違うところは、持ったときの安定感だ。こちらの方が振り回しやすいし、構えやすい。それでいて、それほど大きくも重くもないカメラなので、丁度いい感じだ。ただし一眼レフはレンズ交換式なので、レンズを変えるとがらりと雰囲気が変わる。
 だが、このキットものの標準レンズしか付いていない白ボディーは、これで独立した、完成された使い方なのかもしれない。レンズも白い。これは売っていないだろう。白ボディーのキットを買った場合の組み合わせのためだ。これで何かパナソニックのカメラのように見えたりする。所謂白物家電イメージ。だから、このキット女性向けのようだ。
 これが売られていたところに50ミリ単焦点レンズが置かれていた。80ミリになる。所謂蒔きレンズで安くてよく写る。レンズも明るい。ただ、最短撮影距離が遠く、しかも手ぶれ補正は付いていない。キヤノンにカメラにははボディー内補正はないが、それに近い電子式手ぶれ補正が付いていたりするが。
 まあ、レンズが明るいので、手ぶれ補正はいらないのかもしれない。手ぶれ補正は超望遠用だったはず。今では広角でも、手ぶれ補正がないと不安になったりするのだが。これはただの保険で、ブレるときはいくら手ぶれ補正があってもブレるものだ。
 だから、標準ズームと80ミリ相当の標準系中望遠を抱き合わせたかったのかもしれない。そういうキットは他社にもある。
 ただ、この80ミリ相当のレンズ。フィルム時代の安い方の標準レンズだったのではないかと思える。だから50ミリ相当にならないで、80ミリ相当になっている。
 80ミリ単焦点撮影、これは悪くない。ズームの80ミリよりもよくボケるし、ファインダーも明るく綺麗に見えるだろう。蒔きレンズなので、安い。それに蒔きレンズは性能がいい。そうでないと食いつかない。この安さでこれだけ写るのだから、もっと高いものなら、さらにいいはず、と思わせるのが蒔きレンズの役目。安いので、まずは使って貰うことだろう。試しに。レンズ沼に引っ張り込む役目。
 
 大層な一眼レフやミラーレスよりも、こういったコンパクトで気楽で明るく軽い一眼レフの方が、写しやすいのかもしれない。
 日常を一眼レフで切り取る。この初心者向けのカメラなら、すっとできそうだ。何の芸も無く、ただ単に素直に写すような。
 イオスキッスX9白ボディー白レンズ。逆にプロ向けだったりする。
 
 
 
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2019年12月25日

キヤノンイオスX9

■■ 2019年12月25日 水曜日 午前9時21分
 
 今朝は何とか晴れている。風がないので、寒さはまし。気温は高いか低いかは分かりにくいが、この時期の寒さだろう。特に目立った寒さはないので、気にならない程度。さらに寒くなっていくはずなので、暖かさはもう期待できない。
 そのため、寒さがどの程度のましなのか程度になる。ましだと過ごしやすいが、快適なわけではない。寒いので。
 ただ、暖かい場所、暖房の効いている場所にいると快適。気持ちがいいというか、適温のためだろう。だが、暖房が効きすぎると、暑くなるが、その暑さが気持ちよかったりする。ずっとではないが。
 今朝は少し早い目というか、いつもが遅すぎるので、早く起きたような感じとなる。この時間、喫茶店に行くと、外光が眩しい。ちょうど陽射しを正面から受けるためだろう。太陽が直接見えるわけではないが、地面に太陽がある。だからその反射が下から来る。陽射しが下から。アッパーで突き上げられるような光線。これで、ノートパソコンが暗くなる。まさに逆光。
 陽があるので、太陽はモロには見えないが、見えない角度から店内に差し込む。だから照り返しと直射の二重攻撃。これは座った場所による。この攻撃を受ける席は二つ。この二つの席によく座るので、眩しいときの方が多い。ただ、これで暖房がいらないのではないかと思える。陽の暖かさというのは、やはり有り難い。
 今年もクリスマスまで来てしまった。明日からは喫茶店でよくかかっているクリスマスソングは消えるだろう。クリスマスとは何だったのかはもう忘れてしまった。サンタクロース信仰になっている。プレゼントのやり取り。子供なら、受け取るだけ。何かがもらえる日。そして丸く大きなケーキが食べられる日。食べるのはその日だけで、年に一度だったりする。そして夕食はケーキ。それだけ。
 だからご飯のように食べる。昔のケーキなので、パンのようなものだ。これで腹を壊したり、胸が悪くなったりする。食べ過ぎだ。しかも食べ慣れないもの。年に一度なので。
 今は菓子パンがケーキ並に甘いので、あの白いクリーム状のものは日頃から食べているので、慣れているが。
 ケーキは赤飯レベル。そういう日にしか食べないような。また甘い物を禁じられている人でも、クリスマスケーキだけは許されてたりする。一日だけ解禁。
 それで今年もクリスマスを迎えたのだが、クリスマスケーキではなく、クリスマスカメラを今年も買うことができた。食べないが。
 
キヤノンイオスX9
 クリスマスイブの夜。カメラを買い行った。これは自撮りではなく自取りのプレゼント。
 ここ数日キヤノンのネオ一眼で写していて、いい感じで写っているので、この路線を広げることにした。といってもそのネオ一眼で、既に完結し、何も付け加える必要はないのだが。ちょうど去年の今頃新製品で出た日に買っている。
 今年はそれで、キヤノンにすることにした。といっても上等なのは買えないし、また必要ではなく、かえって不便になる。また高級コンパクト系も、中途半端なので、ネオ一眼の使いやすさから見れば、持ち出しやすいが振り回しにくいカメラだ。
 それで、適当に選んだわけではないが、以前から、余裕があれば冗談で一台欲しいと思っていたイオスの一眼レフに目がいった。これはイオスキッスで安いクラス。それでも三段階に分かれており、初心者向けカメラでもピンからキリまである。その中で、一番安いのを買った。イオスキッスX9だ。X9iが狙い目だったが、一番安いのがいい。そのため、軽くて小さい。
 さらに標準ズーム付きキットで、望遠はない。望遠は実はかなり前に中古で買った古いイオスキッスの三代目あたりを持っていたので、そのときのレンズが残っている。カメラそのものは古すぎて感度が低いことと、バッテリーが劣化しており、使えなくなっていた。しかしレンズは無事。
 さらに今回は展示品なので、それなりに安い。だから中古と言うことだが、出たときから触っていた展示物なので、馴染みが深い。
 既にミラーレス時代になっており、一眼レフの人気がないのだろう。
 そのため、コンパクトデジカメの値段と変わらなかった。しかし、ファインダーの付いた一眼レフなので、こちらで写す方が本当はいいはずだ。
 標準ズームだけのキットなのは、ボディーが白いためだろう。樹脂丸出しだが、レンズも白い。このキットだけが特別で、黒ボディーならダブルズームキットがある。
 どうせ標準ズームだけでしか写さないという人向けだろう。女性向けのような感じがする。望遠が付いてこないので、持ち歩くのは標準ズームだけなので、軽い。
 昔、X7が欲しかったのだが、結局買えなかった。世界最小最軽量の一眼レフ。この記録は未だに破られていない。まあ、小さすぎて構えにくかったのだが。
 その後X8が出たりし、今度は大きくなっていき、X9で少し軽くなったが、X9iでまた大きく重くなった。今は10までいっている。
 同じクラスのニコンの34000を以前買って使っていたのだが、受光素子にゴミは付着した。自動的に掃除してくれないのだ。振動で振り落とす機能が省略されていた。これはミラーアップし、センサーを直接拭けばいい。
 しかしもう十分使ったので、ここで終わりだろう。
 X9は掃除装置が付いており、電源を落とすとき、さっと振動し、切れる。
 
 それで、クリスマスイブで賑わうところで、カメラを買い、ひとつ百円のパンを五つ買うと二割引になる時間帯に買い、これをクリスマスケーキとして、菓子パンをかじりながら、この文書を書いている。
 まずは試写だ。感度は二万まで上がるので、暗いところでも平気だが、初期設定は6400が上限となっていた。これは増やせる。
 ファイだーは一眼レフなので、暗い。暗い室内はそのまま暗い。
 他の一眼レフとピントの合い方に大差はない。
 写りは少し明るい目に出るようで、このカメラの用途が分かるような気がする。ファミリー写真の明るい感じだろうか。または小物とかの物撮りとか。そして風景なども観光地が多いはずなので、明るく。
 ただ、露出というのがあり、いかに評価測光とはいえ、暗い目に写ることもある。一眼レフの光学ファインダーなので、覗いていても分からない。
 
 このカメラ一番安い一眼レフだろう。ニコンはもっと安いのが、センサーのゴミ取りが省略されているので、そういうことでも安いのかもしれない。
 ただ、現役で市販されている一番安いタイプの一眼レフというのがいい。しかし、今のカメラなので、実はこのカメラ、ミラーレスになる。まあ、一時的にミラーを上げてしまうだけのことだが、最近のカメラだけあって、ミラーレスのキヤノンイオスMとそれほど変わらないのだ。大きいので持ちやすい。液晶だけのイオスM系と同じだ。
 液晶だけの撮影になってしまうが、普通のミラーレスのように軽快にピントが合い、軽快に写せる。このときのAFは、いつものコンパクトデジカメと同じ流儀で、分かりやすい。
 液晶も回転するが、横開き。カメラがそれほど大きくなく、軽いので、望遠を付けていても、ウエストレベルでも写せる。
 つまりキヤノンのミラーレスを買うより、お得で安い言うことだ。そしてミラーレス機にはない光学ファインダーが付いている。まあ、メインはこれなのだが、視野率が低く、倍率も低いが、肉眼に近い見え方をするので、被写体を探しやすい。電気ものではないところが残っているので、窮屈さがない。
 
 いずれにしてもクリスマス自取り買いなので、それほど凄いスペックのカメラではなく、キヤノンの中では一番低い一眼レフ。しかし、今のカメラなので、このクラスで十分だろう。
 
 ニコンの一番安いのよりも高いのは、機能が他にも色々付いていることだろう。
 たとえば絞り込みボタンがある。ファインダーで見えているのは開放で見ているため、実際の絞りに絞り込まれた状態が見えるようになっている。
 液晶が回転するので、ここもひとつ上。キットレンズもキヤノンのはAFMFの切り替えと手ぶれ補正オンオフの切り替えレバーが付いている。
 古いキットレンズなら、マニュアルフォーカスは機械式になる。AFに切り替えなくても、回るので、ピントを一時的に手動にできる。ただ、シャッターを半押し維持が必要だが。ただ、距離目盛はレンズ側にはないが。端まで回せば無限近くだろう。実際には無限を少し越えるようだが、AFなので、端でぶつかったときの余地を開けているためだろう。
 まあ、AFが最初から合いにくく迷っているときは、手動で回して、その近くまで持ってきてやれば、あとはAFがその位置から動くので、導いてやれる。
 フワッとした白い花とかでは合わなくて、後ろに合うことが多い。できるだけ、AFで合わすようにしているが、無理なときは、手動で導いてやれるので、MFモードに入れる必要はない。こういうのは滅多にないが。
 露出補正などはプログラムモードに入れていると、背面液晶が、画面一杯に補正画面に最初からなっている。全画面露出補正となり、タッチすることで、補正できる。ただ、ファインダーを覗いても同じだが、光学式なので、それは仕方がない。
 露出補正ボタンもあるし、電子ダイヤルでもしっかりと操作出来る。
 十字キーはあるが、チマチマしたメニューはそこに並んでいない。ただの上下左右キーのようなもので、あっさりとしている。
 要するに、チマチマとした操作系のパラメーターのようなのを弄る画面が大きく、液晶一杯を使い、しかも指でできるので、これは楽だ。だから初心者向けと言うことだ。分かりやすい。
 これはプログラムモードでもできる。
 
 このカメラ、ファンクションボタンを探したが、ない。まあ、あっても使わないだろう。
 切り替えや、一寸弄りたいときのボタンは最初からあり、特に不自由は感じないはず。これは高級コンパクトデジカメよりも単純かもしれない。ただ、何処に何があるのかすぐに分かるので、探し回らなくてもいい。
 そしてやはり液晶パネルが生きている。ここで大きな画面で合わせられるので、露出補正などは裸眼でも楽だろう。補正値が大きく出る。図で。
 
 これの上位機であるX9iもいいのだが、電源レバーがX9の方がいい。手前側にあり半円をしており、ぐっと引くか戻すかだけで、オンオフになる。親指でできるので痛くない。引きすぎるとオンを越えて動画になるが。この電源レバーを比べていて、まだ買う気はなかったころ、X9の方が使いやすかったのを覚えている。ミラーレスのイオスMと同じタイプだ。
 
 クリスマスに買うには丁度いい明るいカメラで、野暮ったい一眼レフだが、小さいと、すっきりとしており、白ボディーと茶色の革張りで、見た目も明るい。質感は全くなく、スカスカだが。
 光学式一眼レフの先は淋しいらしい。今年発売された一眼レフはキヤノンのX10と中級機だけではないか。もっとも、この受光素子の機種だけに限られるが。ニコンもペンタックスからも今年は出ていない。
 そしてキヤノンの中級機も、今出ているのが最後という噂もある。もう中級機は作らないということだろうか。
 しかし、世間がそちらへ向かっているとき、逆方向の光学式ファインダーの一眼レフへ行く方が、味わい深いものがある。
 
 カメラはネオ一眼があれば、それで行ける。21ミリから1400ミリ近くのカメラと、今回の28から80あたりのレンズの付いたカメラとを比べた場合、大きさは変わらないが、重さではネオ一眼がスカスカで軽い。まあ、一眼レフでもガラスのプリズムではないタイプのX9なので軽いはずだが、それでもまだ重いほど。
 それよりも画質に関してはネオ一眼で事足りている。時代はミラーレスではなく、ネオ一眼なのだ。まあ、そんなことをいう人はいないが、一眼画質と言われたものは、最近のスマホの画質でも分かるように、何とでもなるのだろう。
 ネオ一眼の原点はやはり一眼レフとコンパクトカメラとのハーフのようなもの。だから、原点に近い一眼レフを持つことは、押さえになる。
 だからキヤノンのネオ一眼、去年のクリスマスあたりに買っているはずだが、そのSX70は一眼レフとミラーレスのハーフでもある。中間なのだ。
 今回のX7とミラーレスのイオスM3のバッテリーは同じだった。
 X9のようなストレートなカメラは、結構安定感がある。既に行くところまで行った一眼レフで、これ以上大きな変化はないためだろう。
 
 X9のレンズキットに付いていた標準ズームが使いやすい。最近の一眼レフやミラーレスの標準ズームは沈胴式か電動式になっている。ここは機械式のズームで、写すとき、いちいち沈胴を伸ばす手間がいらない。沈胴にしても僅かな差で、それほど短いものではなかったりする。どうせ使うときは伸びているので。
 このキットレンズは昔、中古で買ったときのものがそのまま残っている。同じレンズだが、バージョンが違うのだろう。キットレンズも変化していくのだ。
 標準ズームなので、ズーム比は僅かなもの。広角端と望遠端まで一気。突き当たってカチカチ言う感じだ。
 電動ではないので、行き止まりがある。端でストップがかかるので、分かりやすい。
 このカメラ、生まれて初めて一眼レフを手にしたときの喜びのようなものを、未だに覚えているようで、昔は50ミリ標準だけが付いたセットだったが、今はレンズを買わなくても最初から80ミリと50ミリと28ミリが付いている。まあ、これはネオ一眼から比べれば広角端も望遠端も大人しいが、そういう原点のようなものが残っている。
 これからカメラをやっていくという感じで。ただ、昔と比べ、このタイプの初心者向けデジタル一眼レフは安くなったものだ。フィルム時代のものよりもはるかに安い。
 高級コンパクトデジカメの方が値段が高く、一眼レフの方が安いのだ。
 当然一年前に買ったキヤノンのネオ一眼よりも、今回の一眼レフの方が安い。高級ネオ一眼ではなく普及機なのに、それに負けているのがx9だ。
 画質的には見分けが付かないが、ボケ具合は流石に一眼レフの方がある。まあ、ネオ一眼でも望遠側とか、接近して写せば背景はボケボケになるのだが。
 いずれにしてもコンパクトデジカメを買う値段で買える一眼レフで、一眼レフだが、ミラーレスの顔も持っている。ミラーレスはレンズが変えられるコンパクトデジカメのようなもの。
 これで、写りの差が明快に出るのなら、一眼レフやミラーレスの値打ちもあるのだろうが、一見して分かりにくい。
 まあ、コンパクトカメラ代わりに一眼レフを使う。受光素子が大きいのだから、贅沢な話だ。
 
 それで、今朝はクリスマスなのだが、この新カメラを持って、寝起き、喫茶店まで、行く。
 試写は夜に室内でしたが、メインは昼間の明るいところなので、そこで見るファインダーとか、写りとかは夜とは全く違う。
 ファインダーは小さく、画面の周囲は切れているはずなので、実際にはもう少し周囲が入る。それは見えていないが。視野率100パーセントではないので、そんなものだ。
 ファインダーで覗くと、ギラつきなどがなく、澄んでいる。一眼レフは明るいレンズを付ければファインダーも明るくなる。キットレンズは暗いので、まずまずの明るさだが、昔のファインダーよりもよくなっているので、ざらつきなどはない。非常に落ち着いた画面で、目にも優しい。
 小さなファインダーだが、見え方に奥行きがある。
 シャッター音は軽快で、余韻を残すタイプ。これは昔からキヤノンの特徴だろう。それが軽快。カシャンと鳴る。電子音ではない。
 28ミリから80ミリあたりまでで写すというのは逆に新鮮。しかもカメラはそれなりに大きく、グリップも効いているし、レンズもそれなりに太く、しかも機械式のズームなので、違和感がない。つまり、このカメラは一眼レフだが、コンパクトカメラのようなもの。標準ズームなので、軽いし、バランスがいい。上から見ると綺麗なT字型をしている。やはりこの形が一番握りやすく、構えやすく、操作もしやすい。
 朝、喫茶店までの風景を写したのだが、何か初心者に戻ったような感じで、全てがフォーマットされたあとのようで、清々しかった。
 
 
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2019年12月24日

年末

■■ 2019年12月24日 火曜日 午前9時49分
 
 今朝は晴れており、少し暖かいかもしれない。風がないのが幸い。まあ、穏やかな冬の日と言うことだが、いいクリスマスになるだろう。クリスマスというのはカメラを買う日のことだが、そういう決まりはない。
 年末までのややこしいこととはクリスマス前にやるのがいいのだが、気が付けばクリスマスになっていることがある。もう少し間があると思っていたのだろう。意外とすぐに来る。中旬に入ってから一気に来る。
 来週の今頃は大晦日。別に普段とは変わりはないが、店が早く閉まったりするので、買い物などで梅田などに出るのは30日まで。31日になると、どんどんシャッターが落ち、壊滅状態になるので。
 クリスマスから大晦日までの間隔が異常。これは感覚の問題か、押し寄せられている感じだ。追い詰められているような。だからその数日は妙。別に用事が多いとかではなく、普段と同じことをができるし、普段通りの日常を送っていても、妙なものを感じる。これには具体性がない。あるとすれば、数字だろう。日にちの。
 そういう押し迫ったとき、台風の目の中に入ったようになったりする。これは気忙しいのだが、結構長いのだ。
 すぐに大晦日まで行くと思っているので、実際の日にちを見ると、まだ31日になっていないため。28日とか、そのあたりが何か間延びしており、のろくさえ感じられる。日が進んでいないような。
 これは早く、一気に過ぎ去ると思っているためだろう。だからそれほど早くはない。
 まあ、年末、押し迫ったとき、あまりウロウロしない方がいいのかもしれない。折角年が越せるところまで来たのに、思わぬことに遭遇し、厳しい年越しになったりする。昔は物騒だったので、今もそうだが、年末年始特別警戒云々がリアルなものとしてあった。
 年末のどさくさに紛れてとか、慌ただしく動いている人の隙を狙ってとか。また、急いでいる人や車も多いので、思わぬ接触があるのだろう。
 折角無事に大晦日あたりまで辿り着いたのに、そこでおじゃんになったりする。逆に年末に良いことがあり、勢いづくこともある。これはもう神頼みで初詣しなくても、年末に大きな福を得るといういいパターンだ。だが、そんなことは少ないが、年越し前から既に良い年になっていたりする。
 そして正月明け、ガタンと厳しい状態になったりするので、よいことも起これば悪いことも起こるのが常。
 
 昨日は遅起きだったが、昼の喫茶店からの戻り道に、少し遠出をしてやれと、寄り道をしたのだが、日がすぐに傾きだし、それに寒くなり出したので、途中で引き返した。だから自転車散歩未遂で終わったが、少しは沖近くまで出たので、散歩は散歩だ。つまり、いつもの帰路の道筋ではなく、たまにしか入り込まない道沿い。だからたまなので、以前とは少しだけ違っていたりする。毎日通っている道とは違う程度だが、よく知っている道。日常の中にはないが、見知らぬ場所でもない。それなりに見慣れている場所。外野ではなく、まだ内野。しかし、ボールが飛んでこない内野のようなもの。
 見えているのだが、踏まないような。
 まあ、冬場の寒い時期は、この感じのショート散歩で十分かもしれない。
 今朝は暖かいので、散歩に出られそうだが、気分が付いてくればの話。
 まあ、年末近く、あまりウロウロしない方がいいのだが、年の瀬の風景も悪くはない。
 人が慌ただしく行き交っている所をのんびりと自転車で移動するのは、気持ちがいい。
 
 
 
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2019年12月23日

キャノンSX70この一年

■■ 2019年12月23日 月曜日 午前10時46分
 
 今朝はやっと晴れた。まだ雨で、路面が濡れていたりする。それほど寒くはないし、風もないので、結構穏やか。
 しかし、遅起きになり、これで気分は今一つ。だが、朝の喫茶店へ行ってみると、がら空き。時間が遅いためだろう。ほとんどの客はパチンコ屋開店待ち客だったのではないかと思えるほど。
 この時間なら、完全に開いている。
 しかし、この時間は朝と昼の間で、食べに来る人が少ないのだろう。メインはハンバーガー。しかし、朝はトースト客の方が多いが。パチンコ客はコーヒーだけの方が多い。
 朝食は戻ってから食べるので、ここでは食べない。以前は喫茶店のモーニングサービスをよく食べていた。食べないと損という感じで。
 値段はコーヒー代と同じなので、おまけで付いてくる。
 今は朝、一番多く食べる。おかずを作るのも朝だ。ご飯を炊くのも朝が良い。そこで作ったものをそのあと食べれば良いので、一度作ると、二三日持ったりするが、これは野菜を煮たものなので、メインではない。メインはなかったりするが、卵とかハム程度はある。何もないときは、それだけでいい。それと味噌汁を作る。ここにホウレン草と豆腐を入れる。この椀だけでも十分だろう。そこに卵を入れれば、ひと椀とはいえ、結構量がある。
 野菜の煮物からいい出汁が出る。この出汁だけを残しておけば「お吸い物」になる。だからミソがいらなかったりする。野菜の煮物の出汁は醤油のみ。あとは入れている野菜類から味が出るので、一品の出汁となる。これを取り置けばいいのだろう。
 味を見るため、小皿で味見をするのだが、そのとき、美味しかったので、これは使えると思った。
 味見は単に水臭くないかどうかだけ。水を足して炊き直すとき、水を多く入れすぎた場合、味見する。最初に鍋に醤油を入れるときは、適当。これは味見はしない。鍋の量を見て、スーと醤油を流す。このスーの秒で決まる。
 ただし、いつもの醤油容器の口からでないと駄目で、瓶に入った小さな醤油差しでは糸のようにしか出ないので、分量が分からない。いずれも慣れただけろう。
 昨日は雨で何ともならかかった。それに冷たい雨で、寒い。それでも雨の中、夕方の喫茶店まで行く。遠い方だ。
 近い方は前日行ったし、高いので、続けるとそれが習慣になる。
 それに近いと風景を見ている時間も短い。近すぎて道を選べない。ほぼ一本道で、違う道から回り込むということはできない。遠回りになりすぎるため。
 道中は雨の中だが、それなりに変化があり、それを見ながら傘を差しながら煙草を吸いながら自転車で走る。雨が降っていなくても、この時期寒いので、あまり気持ちがいいものではない。
 夏至を過ぎたので、徐々に夕方も遅くなるだろう。今は一番暗い状態だが、一日一日明るくなっていくはず。
 
 今朝のお供のカメラはキャノンのネオ一眼。SX70。
 去年の今頃買った。ファインダーが大きく鮮明なので、迷わず買っている。その前の機種よりも明らかに見やすい。それだけの変化で、中身は同じだったりするが。ただ、映像エンジンが最新のものになっていたので、早くなった。また、画質も、それで少しは違うのだろうが、これは分からないレベル。
 このカメラが一番操作性がいい。ただ、フルオートで写したときだが。そのため、電源を入れてから被写体を捕らえるまでが勝負。これが早い。
 ファインダーは暗いところでは汚れたようになり、あまり綺麗ではなくなくなるが、昼間とか、日常の明るさでは、綺麗に見えている。何せ当時のキヤノンミラーレスと同じファイダーのはずなので。
 このカメラが素早いのは、ファインダーを覗いた瞬間既にピントが合っていることだが、これは21ミリなので、合うだろう。そこから、スーと望遠側へズームしたとき、かなり望遠まで進めてもファインダーはしっかりと見えている。ピントが付いてきてくれているのだ。他のネオ一眼だと途中で一度シャッターボタン半押しにしてピントを取る必要がある。そうでないと、ぼんやりしていて、被写体が見えないためだ。このカメラはそれが見えるのだ。だから一気の寄りに強い。
 ファインダーが大きく精細なので、狙いやすい。だから一気に狙った被写体まで寄れる。
 そこからがまた素早いと言うより、シャッターボタンが浅いというか軽いので、さっとシャッターが切れてしまう。これは少し早すぎるのではないかと思うほどで、手ぶれ補正がまだ安定していない状態のはずなので、もう少し待ったほうがいい場合もある。
 鳥や猫などを、発見してから一枚目を写すのが、このカメラが一番早い。
 丸っこいカメラで、軽い。スカスカの樹脂製だが、扱いやすい。
 一年間使ってきたのだが、写りは平凡で、これという特徴がない。きつすぎず、柔らかすぎず。無難な画質。猫を写したときは、毛の一本一本を浮かび上がらせるカリカリした画質ではなく、毛並みの柔らかさなどが出すのに適したもので、まあ、キヤノンのカメラはポートレートに向いているらしいだけあって、どぎつくないのだろう。ニコンとは対照的だ。
 このカメラで写せば、こんな特徴のある絵になるというのがなかったりする。そのため、絵に癖がない。それが一寸物足りないのだが。
 シャッターボタンは早く落ちるタイプだが、半押しキープがしっかりとできる。ここは見事だ。
 一枚写してから少しだけシャッターボタンを浮かすことができる。浮かしすぎると、半押しを通り越して解除される。そのため、二枚目はまたAFが動く。
 被写体自動認識AFはバタバタするタイプで、とんでもないものを囲ったりするが、少しカメラを振れば、違うものを囲んでくれる。それが動いているものであれば掴んで離さない。迷惑な話だが、十字キーを押せば解除される。これがいい。
 要するに超望遠を含んでの操作性は抜群で、非常に軽快。さっと見てさっと写せるカメラなので、手っ取り早い。ただ、あまり写している充実感はないが、早撃ちの快適さはある。仕事が早い。
 
 
 
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2019年12月22日

冬至

■■ 2019年12月22日 日曜日 午前9時09分
 
 今朝は曇ってしまった。雨が降るかもしれない。昨日の昼間から翔りだし、晴れていたのは午前中だけだったように記憶している。大事なことではないので、記憶になかっても問題はないが。
 今日は冬至のようだ。一年で一番夜が長い。それだけ日照時間が短い。ただ、昼間の時間は短くても晴れておれば、雨が降り続く夏至より日照時間は長かったりする。だが、昼間の明るさというのがあり、これは雨が降っていても、夜のように暗くならない。日はないが、太陽光は来ているのだ。
 夜が一番長いことと真冬とはまた違う。その真冬へと至ると言うことで、冬至。これは夏へ至る夏至も同じ。日が一番短い頂点と、日が一番長い頂点。これは何か象徴的だ。
 分かっていることは春に向かっていること。では春至ではないか。冬至が過ぎると、日が今度は長くなり出す。ここだ。このターニングポイントがいい。これで夜明けが早くなり、夕方が遅くなる。日が沈むのが遅くなり、これまでよりも日が長くなる。だが、一日が長くなるわけではないが。
 だから、今よりも真冬の方が日は長いのだ。夕焼け空も遅い目に来る。日の長さは夏至がピーク。それまでは右肩上がり。
 といいながらも本格的に寒くなるのはこれから。12月中、年内はそれほど寒くはない。年を越えて少し立った頃から厳しくなる。
 夏至と正月までの日数はほんの僅か。だから年明けを新春と言っても悪くはない。太陽の動きは春に向かっているというより、夏に向かっている。目標は夏前の夏至へ。
 では春には何があるのか。それは春分の日がある。ここでついに昼と夜の時間が同じになる。そして逆転し、今度は昼の方が長くなる。そして夏至でピーク。
 さらに冬至へと進むのだが、その前に昼と夜がもう一度同じ時間になるのが秋分の日。どちらにも傾いていないが、瞬間だろう。
 このピタリと同じになる日は春のお彼岸、秋のお彼岸とも重なる。
 ただし、これは地球の北半球だけのことらしい。要するに太陽の高さだ。それが一番高いか、低いかと言うこと。また、地球はやや傾いて回転している。軸が最初からズレている。四季もそれに関係するのだろう。赤道ではなく北回帰線、南回帰線がその証拠だろうか。
 
 先日買った冬の暖ズボン。何か窮屈な割りに腰の後ろに隙間ができて、寒々しい。最近のズボンは腰が短いためもあるが、ベルト式のためだろう。ゴムズボンならパンツと同じで、しっかりと止まり、浮くことはないだろう。
 表面生地は綿でいいのだが、重いし窮屈。それで、昨日はふわふわのズボンを買う。分厚い股引か、パッチのようなものだ。これが見事なばかりのゴムパンで、部屋ではくようなくにゃくにゃで、毛玉だらけになるあれに近いが。
 しかし、形はズボンで、ポケットもしっかりとある。そこに並んでいるズボンコーナーは2千円台。しかし、そのズボンは3千円台。少し上等なのだ。まあ、昔はGパンが1万円近くしていたりしたのだが、最近は2千円ほど。
 冬の暖パンは1900円あたりからある。
 ただ、スポーツ用品メーカーのはかなり高いが。
 裏に暖素材の生地が貼り付けられている。スポンジのように。これが分離して止めているだけのがある。それが1900円台。
 どちらにしても樹脂製なので、劣化するらしい。毛玉の手入れ方法も書かれている。爪で引っ張って剥がすより、丁寧に摘む方が傷めないと。
 そして毛玉ができるのを覚悟の上買って下さいというような感じだった。避けられないと。
 これが三割引になっていたので、まあ、ずっと履き続けるようなタイプではないのだろう。このタイプ。ずっと水の中に入れておくと溶け出す。
 綿のしっかりとしたものでも劣化することにはかわりはない。色あせしたり、禿げたり、汗をかいて濡れたとき、ビリッと裂けたりする。それにほつれてくる。一度穴が空くと、拡がっていく。
 このモンペのようなパッチのような股引のようなのが、結構履きやすく、履き心地がいい。パッチとの違いはダブッとしていることだろう。そしてかなり伸びる。これで、窮屈さがなくなる。
 雨には弱いが、風は通さないようだ。
 
 
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2019年12月21日

年末カメラ

■■ 2019年12月21日 土曜日 午前9時15分
 
 今朝も晴れているが寒い。晴れている日の朝は寒いようだ。
 昨日もそうだったが、昼間はそれほど暖かくならなかった。陽射しが途中から中途半端になったためだろうか。今日は昼間も寒そうな気がする。服装は最近変わっていない。ずっと同じ組み合わせだったりする。この時期ほぼ真冬と同じ服装なので、それ以上はない。以下はいくらでもあるが、さらに寒くなってくるので、今以下にはしないだろう。暖かい日があっても。
 12月も下旬。十日もしないうちに年が明けるだろう。次の区切りは一週間。これはすぐにやってくる。クリスマスまであと数日。すぐだ。そこから一週間で年が明ける。
 クリスマス明けから押し迫る。だからクリスマスまでは年末らしくなかったりする。
 だから年内のことはクリスマスまでにやっておくのがいいだろう。
 カメラ方面は新製品は出尽くしたのか、ほぼ発売されているようだ。つまり発売日が11月とかで、12月の際際の発売はなかったりするが、去年は押し迫ったときにキヤノンのネオ一眼の新製品が出たので、クリスマスカメラらとして買っている。これは上新リアル店で、出たその日だ。偶然立ち寄ったときに買った。いいタイミングだ。それから一年経つが、その新製品はまだ出ていないようだ。これは二年か三年おきなので、そんなものだが、以前は毎年出ていたような気がする。
 去年は、その前に同じようなカメラを買っていた。同じクラスのパナソニック版だ。こちらは結構安かった。スペック的に少し下がるためだろう。
 流石キヤノンという感じなのだが、薄暗いところではパナソニックの方がピントが合いやすく、早い。スペックはほぼ同じなのに。このネオ一眼の上位機はさらに早いのはレンズが明るいためかもしれない。
 薄暗いところではニコンの一眼レフでは合わなかったりするので、これは不思議だ。ペンタックスの一眼レフでも、少しもたつく。しかし、ただのコントラスト式のAFなのに、その上を行くのだから、これは何だろうかと考えたりした。一眼レフの方がしんどいのだから。
 寒いので、部屋で、そういう試写をやっているのだが、意外な結果によくなる。
 コンパクト系ネオ一眼で一番安定しているのは2000ミリまであるP900だろうか。鳥や猫なら、このカメラがあれば何とかなる。その上位機のP1000は3000ミリまであり、ファインダーもいいのを付けているのだが、何せ重いし大きい。日常的に持ち歩いて振り回せるカメラではない。p900なら、少し重い目のネオ一眼程度なので、それほど差はない。
 今年はニコンからもミラーレスが出たのだが、キットレンズの望遠は400ミリまで行っていないので、2000ミリのP900と比べると、物足りないだろう。ファインダーが綺麗なようだし、AFも良さそうで、操作性もいいようだが。まあ、こういうミラーレスや一眼レフのキットレンズは、写りよりも、レンズ交換しないといけないダブルズームキットは結構面倒。だから高倍率標準ズームになるのだが、望遠がさらに弱くなる。
 最近はパナソニックの安っぽいネオ一眼をよく使っている。FZ85だが、高画質ハイスペックではないカメラで挑む方が楽しいようだ。
 低いスペックだが、そこから良いものを引き出すような感じがいい。
 
 
 
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2019年12月20日

ジャズと演歌と都はるみ 中上健次

■■ 2019年12月20日 金曜日 午前10時18分
 
 今朝はやっと晴れた感じ。青空が拡がっており陽射しがある。気温は低い目かもしれないが、陽射しがあるので暖かく感じる。日陰に入れば別だが。
 そして今朝はまずまずの時間に起きてきた。それほど早くはないが、遅くもない。しかも一発起き。時計を見たとき、納得できたためだ。これがもう少し早いと、もう一度寝るだろう。その二度寝を楽しみにしていたりする。
 晴れたので、空気が乾燥しているようだ。そうなると本格的な冬。
 晴れていい感じだが、張り切って何かをやるようなこともない。日常移動が楽になる程度か。だか、晴れていると、気持ちがいい。これだけでもいいだろう。
 そして、まずまずの時間に起きてきたので、朝の喫茶店からの戻り道散歩ができそうだが、これをすると、戻りが遅くなり、遅起きした時間と変わらなくなる。
 この時期、椿が咲き出すのだが、既に咲いているが、さらに満開になり出す。それが椿か、椿に似た花かは分からないが。また椿にも種類があるようだ。椿だと思っていたら山茶花だったりする。椿系なので、見分けにくく、また山茶花の種類も多いようだ。形が違う。
 まあ、普通の樹木でも、幹は同じで、枝振りも葉も同じようなのがある。一見しただけでは分からない。妙な名が付いているが、覚えられるだけの繋がりがない。印象として残りにくい特徴のためだ。松なら分かる。これぐらいの違いが無いと無理。
 まあ、世の中には色々なものが生えているもので、初めて見るものもあれば、存在さえ知らないものもある。目に触れているはずのものでも、見ていなかったりする。ああ、木が生えている程度で。
 それが何の木であるかなどとなると、これは一歩踏み込むことになる。だから踏み込まないと見えてこない世界だ。その必要があるのかないのかで、世界が違ってくる。
 鳥などを撮していると、鳥を見るようになる。雀と鳩とカラスしかいないと思っていると、そうではなく、他の種類も混ざっている。ただ日常的にいつも見かけるわけではない。鳩は常にいる。雀もカラスも。目撃頻度が問題かもしれない。だから、珍しい、となる。
 それと渡り鳥。これは年中いない。その間目撃しない。
 まあ、そういう鳥を見ていると、常に餌を探している。じっとしている鳥もいるが、待機型だろうか。
 鳥を一眼レフで撮すとなると大砲がいる。300ミリや400ミリや600ミリあたりは小さいが、800ミリを超えると三脚がいるだろう。
 昨日はパナソニックのFZ85を持って出たので、これだけで1200ミリだ。それでも遠くにいるサギは遠い。大きい鳥なので、楽なのだが、この白いサギすぐに逃げる。近寄れない。1200ミリでは遠いので、デジタルズーム域で写す。2400ミリだ。小さな受光素子のデジタルズーム。しかも曇っており、さらに暗い。だが、結構写っていた。これは目撃例の証拠写真としてはいいだろう。画質に拘らなければ、大きく写せる。画面一杯に。
 しかし、写真として見た場合、甘い目に写っているのが雰囲気としてふさわしかったりする。画質よりも、鳥そのものの雰囲気が勝つことがある。こんな姿をしているのかと。
 まあ、鳥だけを撮すわけではないので、超広角から超望遠まで行けるFZ85などのネオ一眼系は強い。
 こういうコンパクト系で挑むところがいいのだが、ただ単に無精しているだけかもしれない。
 
ジャズと演歌と都はるみ 中上健次
 これは小学館電子書籍で「中上健次電子全書14」となっている。何冊あるのか知らないが、その中の一冊はほぼ都はるみとなっている。この比重は大きい。全集の一冊が都はるみとは。
 その中に「天の歌 小説 都はるみ」が入っている。これはこれで紙の単行本としてあるはずだが、電書の方が安いし、全集の一冊なので、ボリュームがあるので、都はるみとの対談が二つほどあり、またかなりの数の都はるみがらみのエッセイがある。
 また、ドキュメント的な、コンサートの様子なども含まれる。
 その中のメインでもある「天の歌 小説 都はるみ」についての感想を書いてみる。
 子供時代から一時引退で紅白で最後を飾るところまで。
 ただ、これはフィクションらしく、ドキュメントではないので、事実関係は違うだろうし、あくまでもフィクション、実名の都はるみやその周辺の人が出てくるが、それらの人が、実際にそう言ったとかではない。
 要するに小説なのだ。ただ、大きく踏み外したり、とんでもないことが書かれているわけではない。フィクションとして書いた方がよりリアルにあぶり出せるのではないかということだろう。つまり、都はるみとは何だったのか。
 そのため、タイトルは「都はるみ」なのだ。だが、北村晴美と都はるみが行き来し、その関係などが興味深い。
 そして生身の北村晴美と歌手都はるみ。生身の北村晴美そのものも小説なので、フィクション。そして、そこに出てくる都はるみは果たして実在か、それともフィクションか。
 この小説は北村晴美を主人公にしている。その中に都はるみが出てくる。ややこしい。
 まあ、あらましは似た本が二冊あり、いずれも紹介した。一冊は「小説都はるみ」でこれは小説風に書いた方が分かりやすいということで、そうなった。中身はドキュメンタリーだ。その語りが小説風。
 それら二冊の本は似たようなシーンを書いている。まあ、違っている方がおかしいが、細かいところでは、違うところが多いが、大筋は同じで、良い本だ。
 今回読むのは三冊目となる。それが中上健次が書いた、今回のもの。これは最後に残しておこうと思った。中上健次なので重そうなので。それに都はるみよりも、中上健次が気になったりする。何故か重そうな印象とだが、だがそうでもなかった。
 読み終えると、やはり爆発しており、筆の勢いが凄まじい。なかなか言いたいこと、感じたことが言えないことの苛立ちなども見える。まあ、言いにくいのだ。全集の一冊を占めるほど、熱く語れるほどなのだから、生きておれば、もっと書いていただろう。
 
 さて、子供の頃、男の子たちとメンコをして遊んでいたあたりが微笑ましい。かなり強かったようだ。大阪ではメンコではなく、ベッタンと言っていたように思う。丸いタイプを丸ベッタン、これがメンコだ。
 まあ、賭けなのだ。勝負して負けるとメンコを取られる。ベッタンとビー玉。これは、この世代の子供にとり、財宝なのだ。そして貨幣だ。おはじきは屋内でやる。これは女の子の貝遊びのようなものだろうか。
 町内の地蔵盆で、のど自慢に出るのだが、この小説では家の裏側にある庭に地蔵がある。北村家専用だ。お守り袋に線香の灰を入れていたというのは事実らしいが、それは路地の角の地蔵だろう。このお守り袋の話は紅白で黒柳徹子がやっていた。浮き草暮らしの頃だろうか。「千年の古都」でもその地蔵が出てくる。
 そして、そのフィクションの地蔵の裏に銀の簪を隠している。これは父親から貰ったものだ。だが、実際には女にやるためのものだった。小説では困った父親となっているが、本人が聞けば怒り出すかもしれない。ただ、北村晴美は両親の血を半分半分受け継いでいる。髪の毛が柔らかく、ボリュームがある。これは父親の血だと、母親は言う。実際はどうだったのかは知らないが。
 この銀の簪に何か縁起の悪そうな、何かが籠もっているような感じがする。女郎さんがしそうな素人はしない簪。それは後の歌という魔物とも絡んでくる。人の怖い情のようなものだろうか。この比喩は流石小説家。他の二冊のライターとの違いがそう言うところに出る。まあ、小説として書いているので、かなり想像が入っているのだが。そんな簪はフィクションかもしれない。
 この銀の簪、弟が持ち出し、それと交換でメンコを買おうとしたのだろうか。仲間から。
 簪が消えているのを知った北村晴美は遊び場の寺の境内でやりあう。そのとき、風を吹き雨を降らす。まるで龍だ。
 そして、その先は非常に大味に、さっさと進み、途中を省略して、レコード会社のコンクールへ行く。大阪での地方大会。このあたり、細かい描写はない。この大会へ行く前に、色々な公開の場でも都はるみは歌っているし、別のレコード会社まで行き、歌を聴いてもらったりしている。そういうのは省略。
 そしてすぐに東京での全国大会。夜行寝台の一等で行く。新幹線は線路ぐらいはできていたはず。しかし、まだ走っていない。だから、車中一泊で上京。朝に着く。
 大会では本番で順番が前後する東北から来た丸坊主の青年と会話する。この青年、落ちるが、落ちてもクラブ歌手になると言っている。のちに登場するが、それは都はるみラストステージのとき。大島から運ばれてきた椿の花を晴海埠頭あたりからトラックで会場まで運んできた運転手となっている。再会はない。この椿を間に合わせるため、大島でビニールで温室のようなものを作り、早く咲かせたとか。
 歌手になりたくても、レイコード会社は無理、そしてクラブ歌手でも駄目だったのだろう。あれから20年は経つので。そういう歌手になりたい人は一杯いる。二十年間ずっと陽の当たるところで歌っていた都はるみ。誰でもできることではない。
 
 さて、それは最後の話だが、デビュー曲などは省略。いきなりあんこ椿へと行く。そして作詞家の星野哲朗の前で歌ったとき、犬が吠えだしたというエピソードは当然入れている。ただ、犬は最初から同室にいた。そして都はるみが歌い出し、唸り出すと吠えだし、しばらくして、お漏らしをしていることを奥さんが見付ける。今まで室内でお漏らしなどしたことがなかったとか。犬の位置が問題ではない。吠えたことだ。野生の何かと通じる都はるみの唸り声に畏れ入り、怯えたのだ。犬はセパード。
 このシーンに関しては何度も語ったので、ここでは省略。
 
 こうしてもの凄いテンポで進むので、当然小説としては短い。
 クライマックスというか、結局書きたかったのは引退シーン。ここに集まってくる。
 生身の北村晴美と歌手都はるみ。北村晴美が都はるみを殺すシーン。それは肉面となった都はるみを剥がす痛さ。
 この引退とは何だったのか、それが、この小説の全てのように思われる。
 歌に魅入られたわけではない。歌が好きで、歌の鬼になったわけではない。しかし、天性のものがあり、それを「徹」だったか「激」かは忘れたが、そういう言葉で言っている。それがあるのは二人しかいない。一人は美空ひばり。
 まあ、大事な言葉だが、ピンとこなかったので、忘れたのだろう。
 歌の持つ魔性と戦う北村晴美。そして殺してしまう。引退し、もう二度と歌わないと。
 しかし、もう一人だけの都はるみではない。その葛藤が当然あるが、女としての北村晴美。普通のおばさんになると言うことがどれだけ難しいことか。しかし、それさえできない歌の魔。北村晴美は、しかし決行したのだ。これは挑んだと言うべきか。
 この小説が書かれたのは引退宣言のあとだろうか。その前から着想はあったらしいが、このとき、復活することは分かっていない。
 復活後に書かれた二冊の都はるみ本とは一寸違う。
 引退宣言あたりで中上健次は都はるみと会っている。角川での対談だろうか。
 もし、復帰が分かっていた状態で書いた場合、また違った結末になっていたかもしれない。
 しかし、無念さ、残念さをどうしようもなく感じていた時期だからこそ、書けた小説かもしれない。
 小説以外にも、引退コンサートや、紅白での大トリでのお別れなどについては複数のエッセイを残している。それらを合わせて読めるのは、全集の一冊のためだろう。都はるみメインの一冊で、ページ数が余るのか、村上龍との対談を入れている。これはおまけだ。
 ジャズの本流はブルースで、その先にあるのは都はるみとなる。
 音楽のことはよく知らないので、どういう意味なのかは分からない。ブルースと言えば「盛り場ブルース」「港町ブルース」が真っ先に浮かぶので。
 市川昭介以前から、色々なジャンルの音楽が歌謡曲として、流行歌として、取り込まれていき、合体したという説は有名だ。
 だからジャンルでは括れないのだろう。
 この本では、中上健次と都はるみがツーショットで写った写真が載っている。都はるみはかなり若い。
 さて、小説の中では、都はるみを殺す北村晴美の紅白がクライマックス。やめてしまうことをどう解釈すればいいのかと作者は戸惑ったのだろうか。それで、何らかの神話のような形に持って行きたかったのかもしれない。そうでないと納得できない。
 別のエッセイでは、8千万人が見ている前での自殺。都はるみを殺す瞬間を見ている。
 また、別のエッセイでは、その前日のコマ劇場での最終コンサートで、客が全員で都はるみを殺すとなる。これはもう宗教的儀式のようなものだ。
 エッセイも含めて読んだので、小説とエッセイがごっちゃになった。同じようなことを繰り返し語っているのだが、それを読んでいて、余程無念、残念だったことだけが伝わる。何故やめるのかと。
 だから大袈裟なことを中上健次は言っている。引退が発表されたとき、文壇の奥が荒れたと。
 安岡章太郎は演歌の終焉を言ったようだ。以前にも都はるみ論を書いていたらしい。
 水上勉も都はるみのファンだ。都はるみとの対談で中上健次が初めて会ったとき、水上も安岡も嫉妬の炎を燃やしたとか。
 さらに都はるみの自殺。これは歌をやめると言うことだが、その数年前の三島由紀夫の割腹自殺も持ち出している。もう総動員だ。
 要するに痛いだろうということかもしれない。
 
 果たして都はるみは歌手になりたかったのだろうか。そして歌手を志したのだろうか。全て母親が決めたことで、小さな頃から、そこへしか行けなかったのではないか。目標を与えられ、声を唸らせて歌うと10円もらえた。
 歌の学校をよくサボった。ここから既に、歌と対峙する何かがあったのだろう。子供なので、深い意味はない。小説では近所のガキ大将たちと遊んでいるとき、途中で抜け出し損ねたことがあったため。このまま普通の子供として遊んでいたかったのではないか。ここから対峙が始まっているのだろうか。
 家に帰ると、路地を通る。西陣なので、機の音がする。そして硝子窓か何かは忘れたが、もう一人の北村晴美が写っていたような気がしたとか。そのもう一人の北村晴美こそ、歌だけの北村晴美で、のちに都はるみとなる。このへんの描写が上手い。
 子供の頃から目標を与えられていた。自分で考えたものではない。だから迷うことはない。
 別の本にもあるように、都はるみは負けん気が強い。勝負となると、勝ちたい。勝たないと気が済まないだろう。だからコンクールに出ても勝ちたかったはず。歌そのもの云々ではなく。
 ところが、偶然か何か分からないのだが、天分があったのだろう。またピタリとその時代にはまったのだ。次はどんな歌が来るのか、専門家でも分からなかったらしい。次の時代の歌。都はるみはそれを持っていたのだ。
 まあ、簡単に言えば美空ひばりや島倉千代子ではない、違うものを時代が探していたのだろう。それは高度経済成長と同時期に登場し、その時代の勢いのある歌手。
 だからヒットしたあんこ椿の音である作曲家市川昭介もかなり若いのだ。これからの時代に人だった。
 
 小説ではないが、同じ電書の中のエッセイで、安岡章太郎が言っているのだが、歌がびっくりするほど上手い歌手はいくらでもいる。しかし、情として伝わってくるものがあるのは都はるみらしい。それは「柄がいい」とか言っている。体格を指しているのではない。「あの人ガラが悪い」とか、下品とか荒っぽいとかをさすが「ガラがいい」という言い方もあるのだ。
 まあ、安岡章太郎が偶然都はるみの歌い方に波長があっただけのことかもしれないが。
 このあたりにことが結構この全集の中の都はるみ編のような一冊には、他にも色々な文書が入っている。雑誌で書き殴ったようなものなども含めて。
 世界の著名人を多数登場させ、都はると絡めている。
 
 別の本では、都はるみは中上健次の小説を一応読んだらしい。「岬」あたりだろうか。三ページか四ページでダウンしたらしい。同時代の小説家の本なら読めるのだが、中上健次だけは読めなかったと。しかし、実際に会って話すと、もの凄く分かりやすい人だった。この落差は何だろう。
 この小説は、難しくない。スラスラと読める。ただ、句読点が少なく、改行がなかったりする。だから同じ段落の中でシーンがごろりと急に変わったりするので、そのあたりは読みにくいかもしれないが、文章はかなりはしょっている。
 まあ、知っている話、つまり都はるみの話なので、事実関係は既に分かっているので、楽に読める。
 意外と短く感じたのは、一気に引退のところまで駆け抜けたためだろう。クライマックスへ至る引退シーンで一気に詳細になり、纏めてパンチを連打し、一気に倒してしまうようなラスト。
 都はるみはそのとき死んだ。しかし、その死の瞬間、紅白で八千万の人が見ていたのだが誰も見えていなかった。それを見た者はただ一人、都はるみだけが、それを見ていた。これは別のエッセイだが、まあ、この小説、そこに集約されている。
 数いる歌い手の中で、なぜ都はるみの小説にしたのか。そこには色々なものが詰まっていたためだろう。そして流行歌を超えた何かが見えたのだ。それを発していたのだ。それを中上健次は見逃さなかった。まあ、多くのファンもそうだろう。
 それを具体的に何であるかを書いたのが、この小説かもしれない。
 ここで書かれているラストコンサート、これは新宿コマ。そして紅白でのラスト、いずれもYouTubeで見ることができる。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 12:12| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月19日

カメラのキタムラ中古カメラ受け取り

■■ 2019年12月19日 木曜日 午前9時40分
 
 今朝は雨ではないが、かなり曇っている。当然雨が降ってもおかしくない。気温は昨日に比べると低い目となっている。肌寒い。夜も前夜よりも寒かった。その前夜が暖かすぎたのだろう。だから平年並に戻った感じだが、この平年は、この時期ならこれぐらいだろうという程度のもの。
 本格的に曇っているので、空が暗く、街も暗い。こういうのは冬の暗さには合っているのだろう。太平洋側の冬はそれほど暗くはないのだが。まあ、天気が悪ければ空も暗くなる。
 雲の形はなく、ガス状だろうか。
 今朝はまずまずの時間に目が覚めた。自然な目覚めで一発起き。二度寝はない。時計を見て合点がいったのだろう。早すぎないし、遅すぎない。まずまずの立ち合い。
 これで晴れていればいい感じなのだが、そうはいかない。
 暖かい日があると聞いていたのだが、それは過ぎ去った。その日、自転車で散歩に出たかったのだが、雨。雨で暖かかったと言うことになる。気温が高い目なのはいいが、雨では何ともならない。
 やはり多少寒くても晴れていて陽射しがしっかりとある日に散歩に出た方がいいだろう。まだ真冬でもないので、言うほどの寒さではない。
 その暖かくなる前に少しだけ遠出しているが、そこは散歩コースのようなところで、見慣れた風景なので、日常と変わらなかったが。やはり、もっと沖に出ないといけない。
 夕食後の徒歩散歩もしていない。これはもろに寒くて出る気がしないため。それで足腰が、という問題もあるが、歩けばいいというものではない。だから階段などを上るとき、足が重くなるのは普段歩いていないからではなく、歩いていなくても、足が軽いときがある。まあ、僅かな距離を歩く程度の徒歩散歩なので、それぐらいは日常的な用事で、移動しているとき、足を使っているはず。また、室内でも、結構移動するので、わざわざ歩くためだけに歩くという時間を作らなくてもいいような気がする。
 冬眠から覚めた熊が歩けなくなったというのは聞かない。冬の間、寝ているのだから、運動不足のはず、というより、まったく歩いていないのだから。
 自転車は始終乗っているのだが、これは歩くときに使う筋肉とか筋とかとは別。
 しかし、たまに長い距離を歩くようなときは、厳しかったりするが、滅多にない。
 それと、夕食後の徒歩散歩での夜景撮影も、同じ物ばかりになるので、飽きたのだろう。この夜景撮影を楽しみに歩いていたのだが。やはり、寒さには勝てない。足よりも、別のところをやられそうなので。
 
 カメラのキタムラの中古販売がいい。近所にキタムラがあったのだが、潰れた。そこで中古を見るのを楽しみにしていたのだが。
 そこは潰れたが、全国的に展開しているので、中古を置いている店が結構あり、それらをネットで一覧できる。まあ、アマゾンに出品している中古の数も多いのだが、宅配になる。
 ところがキタムラは近くの店で勘定をする。近くの店まで品を運んでくれるのだ。送料はいらない。しかし、まだ買っていない。現物を見て決める感じで、気に入らなければ買わなくてもいいとか。
 取り寄せておいて買わないというのは少ないだろうが、このとき、普通のカメラ屋で普通に買うのと同じ。「このカメラ、一寸見せてもらえますか」という感じと同じ。買うとは言っていない。
 近くのキタムラが潰れたので、近くではなくなったのだが、もう一店もっと近いところにあり、毎日行っているショッピングモール内にもあることを思いだした。カメラは売っていないカウンターと、セルフプリント程度のコーナーだ。ここが中古受け渡し場所にもなっていることを知る。
 ただ、遅いだろう。一週間ほどかかるかもしれない。送料なしで、代引手数料もいらない。保証もあり、自然故障なら受け取った店へ持ち込めばいい。初期不良とかがあるので。
 まあ、これまでキタムラで買った中古カメラ、故障はない。
 それで、価格を見ると、まあ、相場通りで、安いわけではないし、高いわけでもない。
 キタムラでは委託販売をしていたような記憶がある。キタムラが買い取るのではなく。
 キタムラリアル店にあるものに限られるが。
 新製品に近い物は、中古でもそれほど値段の差がなかったりするので、そこは考えものだが。
 リアル店で展示品特価が、中古よりも安かったりすることもある。
 そういう展示品特価品の売れ残りを集めた上新アウトレットもある。近所にはないが、西宮と池田にある。どちらも自転車で行けるが、少し遠い。
 だが、そういう目標があると、寒くても、遠出する気になる。
 ただ、中古はカメラ屋へ行かなくても、色々なものを売っている中古屋が結構ある。そこは定期的に行っているが、品の流れが止まっていたりする。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 11:22| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月18日

クリスマスカメラ

■■ 2019年12月18日 水曜日 午前10時44分
 
 今朝も雨。しかし、出るときはやんでいた。傘マークが昼からなくなるので、曇りだけになる。晴れ間も出るかもしれない。まあ、一日中雨よりもいいだろう。
 朝方寝ているとき、雨音がしていたので、起きるのをやめた。そのあと二度か三度、目が覚めたが、いずれも無視。それで、遅起きになったのだが、昨日はまずまずの時間に起きてきたので、残念だ。
 しかし、目は一応覚めていたのだから、そのとき起きれば残念がらずに済んだ。だが、寝ている方がいい。そのときは、それが一番。
 それで寝過ごしたためか、出るときはやんでいたので、こちらの方がいいので、遅起きした甲斐があったというもの。
 しばらく晴れの日が続いていたので、たまには降らないと、野菜がまた値上がりしそうだ。
 12月も中旬から下旬になろうとしている。押し迫っているが、まだ年末の気配はない。年末らしさはクリスマスの飾り付け程度だろうか。これはそのまま正月まで持つ。物はだめだが、光り物は新年を祝う飾り付けとして流用されたりする。
 だからクリスマスにだけに特化した飾り付けではないということだ。玄関先の、ただの明かりもの、飾り照明のような。
 クリスマスといえば、カメラだ。
 年末にカメラを買う行事だが、普通の月でも買っているので、年末に限らないが。
 だが、大して高いカメラを買うわけではない。一台のカメラを使い続けるよりも、複数のカメラを使う方が、その一台一台のカメラの良さなどが分かったりする。逆もあるが。
 自分に合ったこの一台、というのは存在しない。これは自分でカメラを作ってもできないだろう。
 今朝は最後に中古で買ったパナソニックの1インチタイプの高い目のカメラだが、中古なので、普通のコンパクトデジカメ新製品より安いが。
 夜でも安心して写せるので、重宝している。雨の日などはポケットに入るので、このタイプは持ち出す頻度が高くなる。出番が多い。
 パナソニックのミラーレスも視野に入れているのだが、このタイプになると、途端に不便になる。標準ズームだけを付けて写すのなら問題はないが。
 最新のミラーレスはG99となっているはず。G7を狙っていたのだが、G8時代になり、今はG9。しかし、このG9というのはG9プロのことで、馬鹿でかい電子ファインダーが付いている。そしてボディーも大きい。そして高いので、G99が出た。こちらもG8に比べれば、大きい目だが。しかし、G8が狙い目だったのはG9が出たためで、型落ちで安くなっていただけ。
 だがG99は新しいだけに、中古価格では上位機のG9との差は1万円。その程度の違いなら、G9にした方がいいのではないかという話になる。これはボディーだけの価格。
 レンズは1万円台で中古で買った電動望遠ズームがある程度。それとかなり前に買ったG5に付いていた電動標準パンケーキズーム。だからキットレンズだ。大したレンズは持っていないし、また、レンズ方面を伸ばす気はあまりない。
 G8時代は24から120ミリ相当の標準ズームが付いていたはず。28ミリ始まりだったかもしれない。これは忘れた。あまり見ていないので。これがキットレンズ。それ付きで買えば安い。G7時代は28から280ミリ相当の高倍率標準ズームキットで売られていた。だからG8になってズーム比が落ちた。
 G99になると復活し、高倍率に戻ったが、レンズのバージョンも上がり、防水性が加わったのだろうか。
 短い目の標準ズームはG9に付いているが、これはライカになる。だから、パナソニック版よりも高い。このレンズが高いので、キットレンズ付きG9はもの凄く高くなる。
 最新ミラーレスカメラの最高機種で一番安く買えるのはパナソニックで、中古価格がガクンと落ちているので、これは狙い目。しかし、ハーフサイズのわりには大きく重いので、オリンパスと同じことになっている。小振りな一眼とはもう言えないので。
 それなら今年出た25から400の明るい目のレンズの付いたFZ1000マーク2の方がよかったりする。ハーフサイズと1インチとの差はあまりないのだ。
 だからパナソニックミラーレスを見ていくと、結局はネオ一眼に落ち着くことになる。それが落ちだ。
 
 昨日はおかずだけが切れていたので、餃子の持ち帰りをしたのだが、しばらく待ったあと、受け取ったとき、少し重い。いつもより重い。
 おかしいなあと思いながら、雨の中、自転車で戻ったのだが、四人前だった。
 いつもは二人前を買っている。その箱が昨日は二つになった。そしておかずなので、一人前でいい。残りは朝に回す。ところが四人前だと余るので、二人前をおかずで食べきり、夜食で、一人前を食べきった。そのかわりご飯は残した。
 もう餃子はしばらく食べたくない。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 12:42| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする