2019年12月17日

気楽なネオ一眼パナソニックFZ85の実力

■■ 2019年12月17日 火曜日 午前9時32分
 
 今朝は雨のようだ。今週暖かい日があるといっていたのは、このことか。雨で気温が上がっていたりする。これだろう。
 蒸し寒いというのはないが、蒸し暑いというには寒い。しかし、それに似ている。湿っているためだろう。
 朝の喫茶店までの道中は幸い降られなかったが、既に降っていたのか、濡れている。そして、今も、降りかかっているが、まだ、降っていない。時間の問題で、今日も明日も一日中雨と予報では出ていた。
 朝、寝起きに天気予報を見たのだが、解説は読んでいないし、動画も見ていない。さっと一日の時間帯別の気温のグラフを見るだけ。それとお天気マーク。お日様とか傘とかを。
 そしてちらっと明日の予報や十日間の予報も。
 いずれも表。そのマスの中にマークが入っていることと、数値があるだけ。だから、一目で分かる。それ以上の解説はいらないわけではないが、これで分かってしまう。結局晴れるのか、雨なのか、気温は寒いのか、ましなのか、それが分かれば良いのだろう。
 解説や動画では、おそらく低気圧がどうの、高気圧がどうのと、その流れの話になるはずだが、最近そこまで見ていないので、これは連続してみておかないと、気圧の流れは分からない。まあ、それも天気図を見れば、分かる話だが。図だけなので、解説はないが。
 昔の人はどうか。高気圧や低気圧などとはいわなかったはずだが、土地土地に季節風の呼び方があったり、その土地独特の地形に即した合図のようなものが山や野や雲にあったのではないか。当然川の水の冷たさとか、小動物の動きとか。
 まあ、カエルが鳴くと雨が降るとか、その類いだが。だから雨蛙といったりする。まあ、カエルは始終鳴いていたとしても、泣き声が大きいとか。
 情報を身近なところから読み取っているのだ。それらがセンサーになる。さらに腰が痛いとかも。これで天気が分かったりする人もいる。
 今朝はいつもの喫茶店が定休日なので、週に一度だけ行く個人喫茶へ行く。ここにも常連さんがいるし、定休日で行き場を失った顔なじみが来ていたりする。いずれも、定休日なので、流れてきた人だが、これまで見かけた限り、一組しかいないので、他の常連客は何処へ行ったのだろう。別の店かもしれないし、最初から立ち寄らなかったりするかもしれない。ただ、朝メニュー目当ての人は腹がすくだろう。毎朝トーストと卵とコーヒーを、この店で食べている人は、同じことをしたいはず。昨日と同じことをできるかぎりしたい。ただ、その店、ハンバーガー屋なのだが、朝から食べる気がしなかったりするので、やはりカリッとしたトーストが良いのだろう。
 今朝は早い目に目が覚めた。珍しい。しかし、まだ余裕のある早さなので、二度寝した。それでも、まだ早い方だ。二度寝の満足を得たうえ早い目に起きてこられたのだから、いい感じだ。
 今日は暖かくなるということだったので、自転車散歩を予定していたのだが、雨では何ともならない。昨日は晴れていたが、散歩が二日続くことになるので避けたのだ。
 
 今朝のお供のカメラはパナソニックのネオ一眼のFZ85。このFZという型番は幾種類もある。1インチタイプもあれば、ポケットに入る旅カメラも。いずれも高倍率ズームということでは共通している。
 このFZ85は、20から1200ミリのズーム機で、かなり安っぽいカメラ。だから写りはそこそこ。このそこそこが良いのだろう。写りの良さが特徴のカメラではないので、逆に写しやすい。
 先日中古で買ったTX1は1インチタイプなので、画質はいい。暗いところでも強い。しかし、そういうカメラは画質を気にしながら写すことが多い。これが逆に欠点なのだ。
 このFZ85は新しい。スカスカのネオ一眼なので、結構軽い。
 カメラの紹介ページを見ると、日常を切り取るとなっている。これが気に入ったので、同調した。
 20ミリから1200ミリ。これでほぼほとんどの日常を切り取れるだろう。だが、切り取るだけで、立派な写真が写るわけではない。あくまでも家庭用、個人の日常をアート風に写す程度だろう。ただの記録ならスマホでも良いのだから。
 機能的には最新の機能をほぼ網羅している。どんな写し方でも、どんな撮影方法でも可能。
 ただ、液晶は回転しないし、液晶と電子ファインダーの切り替えも自動ではない。
 ただ、意外性がある。それは性能で。
 この自動切り替えがないので、電子ファインダーに切り替えた状態で使っているとき、自動切り替えセンサー経由ではないので、電源を入れた瞬間に覗くと既に営業中。この早さが凄い。またファインダーの解像力も低く、小さなファインダー。それで早いのかもしれない。準備が。1インチタイプの高級機よりも速いので、スナップ性の高さでは勝っている。ワンテンポ置くと、もう被写体は消えていたりする。
 液晶撮影では液晶が回転しないので、不便かと思ったのだが、カメラが大きいので、液晶を上げると大層な感じになる。それと大きなグリップが付いているので、安定感があり、結構ラフに構えられる。手かざしスタイルで写すときも、いい感じだ。
 そして液晶は回転しないが、タッチ液晶なのでタッチAFとかタッチシャッターとかができる。このあたりはスマホになる。
 少し嵩の高いカメラだが、日常の中でも取り出しやすい。メカメカしたカメラではないためだろう。そして高精細な描写を誇るカメラでもないので、気楽なのだ。樹脂製の安っぽさも、一役買っている。
 ズームカメラなので、ズームしなければ立ち上がりは20ミリの超広角。とりあえず前方をバッサリと写しておこうというときには良い。この20ミリが付いているのはパナソニックコンパクト系では、この一機種だけ。
 20ミリで1センチ接写ができるので、背景まで取り込んだ超広角マクロができる。
 だからテーブルものや、小物の撮影を得意としている。中望遠でも結構寄れるので、花とかも大写ししやすい。1メートルほど離せば500ミリ少しで写せる。望遠端1200ミリで1メートル半。このクラスとしてはもの凄く寄れる望遠だろう。
 色々できるが、写りは普段着画質という感じなのが、愛嬌だろう。
 
 
 
posted by 川崎ゆきお at 11:19| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年12月16日

新書太閤記 長久手の戦い 吉川英治

■■ 2019年12月16日 月曜日 午前10時44分
 
 今朝は晴れているが、少し寒い。昨夜も寒い。昼間は暖かい日が続くと予報ではなっているが、まあ、冬は冬なので、それほどでもないせよ、寒波で寒いよりはましだろう。
 暖かい日の朝夕は寒い。温度差がかなりある。暖かくない昼のほうが朝夕はましだったりする。昼間暖かいツケが朝夕、これは夜だが、そこに来る。だから朝、寒いと思い、寒い一日だと思っていると、逆に暖かい日になっていたりするので、朝の気温は一日の天気ではない。よく晴れた朝、気分よく、さあ一日が始まるといっても、朝だけで、決して気分よく晴れた一日ではなかったりすることもある。
 昨日の続きで今朝も早起きではなく、遅起きで、しかも少し遅い目の遅起き。遅さにも程度がある。
 昨日も遅起きだったので、昼の喫茶店へ行くと、結構遅い。そして戻り道、このまま戻るより、少し外した方がいいと思い、散歩に出ることにした。それほど暖かい日ではなかったが、もの凄く寒い日でもないので、出掛けることにした。時間的にも遅いので、短い目にする。すぐに日が落ちるためだ。
 それで一応尼崎の中古屋へ向かう。これはあくまでも方角程度のもので、そこへ行くまでの道筋が目的。道が目的。
 行き方は様々あり、古い農家や村の面影が残っているところや、旧街道や、小さな商店通りなどが混ざっている場所。それなりに散歩コースとしては良い。これを幹線道路で行くと、工場地帯や、殺風景な場所が多いので、路地伝いに行くのがいい。
 カメラは偶然その日持ち出していたペンタックスの一眼レフK70。自転車長距離散歩では、これをよく持ち出していたが、昨日はその気はなかった。
 ポケットにはパナソニックのFZ95で、これは組み合わせだ。ペンタックスは200ミリまでのズームなので、望遠が足りない。それで700ミリまである旅カメラを予備でポケットに入れた。この予備のカメラだけでも十分目的を果たせるのだが。
 ペンタックスのK70はやはりファインダーがいい。その直接的な見え方が、電子ファインダーにはない自然さがある。夜は暗くて見えにくいが、昼間は鮮明。レンズをそのまま見ているようなものなので、付けているレンズにより違いが出るが。
 それでも自然物などを、これで覗くと、自然。肉眼で見ていたのと同じ質感のものがファインダーからも見える。違和感がない。
 しかし、このカメラ、重い。それほど大きなカメラではないのだが重いのだ。100パーセントの視野率のガラスのプリズムが入っているためだ。これで、一眼レフは重い。そのかわり、光学ファインダーの良さを味わえる。この重さはそのためだ。
 しかし、室内で手にしているときは重く感じるが、外では軽い。重さを感じない。
 シャッター音ミラー音は大きく響き、目立ってしまうが、快い音がする。がっちりとしたグリップ。滑らかに回る高倍率標準ズーム。これだけでもう写真が決まるようなものだ。
 そしてこのカメラを持ち出すと落ち着く。ミラーレスのような尖った機能はない。カメラは四角く角張っているが、カメラそのものが昔ながらの一眼レフのためだろう。
 散歩撮影の風景は200ミリまでの望遠でも何とかなるし、200ミリでは無理なようなものは最初から見ないようにしていたりする。もっと望遠があった方がいいと思うこともあるが、引いた感じも悪くはない。
 中古屋に着き、中古カメラなどを見るが、ニコンの古い一眼レフがまだ売れていない。それとペンタックスのK1000だろうか。これも古い。SDカード以前のものかもしれない。よく見かけたカメラだ。最近はペンタックスの一眼レフなど家電店に置いていなかったりする。
 富士の標準レンズとなる35ミリF1.4と広角の単焦点レンズが並んで置いてあった。50ミリ相当になる明るい定番レンズで、これは高い。中古でも高い。広角の方が安い。
 戻ってきてネットで見ると、中古価格とほぼ同じなので、相場通りだった。
 ポケットに入っていたパナソニックは戻り道、一枚写しただけ。それなりの望遠が必要だったのは、この一枚だけだった。
 帰りは日はまだあったが、寒い。冬はそんなものだが、自転車でウロウロするには適していない。
 それで、夕方前に行く喫茶店に、ちょうど夕方前に入ることができた。帰り道にあるのだ。
 結局遅起きだったが、昼寝の時間に散歩に出ていたようなものだ。
 戻ってくるといつもは暗いのだが、昨日はまだ明るかった。早起きした日のようなペースになっていた。
 遅起きを逆転させたようなものだった。
 
新書太閤記 長久手の戦い 吉川英治
 これを読んでからしばらく立つので、記憶が曖昧になったし、細かいことは忘れてしまったので、覚えていることだけを書くことにする。
 長久手の戦いとは美濃での戦い。今の岐阜県や愛知県、また三重県にもまたがる戦いと言ってもいい。その中で本格的な戦闘があったのが美濃から三河へ抜ける裏道のような場所にある長久手あたりの小山や岡が続いているような場所。これは何をしていたのか。
 新書太閤記なので、当然秀吉を中心とした話なのだが、家康との戦いなのだ。豊臣と徳川の戦いとなっている。
 なぜ戦ったのか。それは秀吉が織田家を乗っ取ったような感じになり、本来の主家であり、主君であるべき織田家をないがしろにし、自分が天下人となろうとしたためだ。そんなことは家康も分かっていたが、何ともならない。それに織田家というのは一体何処にあるのか。このときの織田家当主は子供だろう。そして本能寺後は岐阜織田家、尾張織田家に分かれていた。次男と三男。信勝、信雄だが、どちらが上か下か分からない。兄より、弟の方が本当は年が上だったとされている。母の身分で、そういうことがあるらしい。
 その岐阜織田家は潰れている。残る葉三男だけ。しかし、信長の子供はこれだけではない。四男は秀吉の養子になっていたはず。まだ織田と名乗る織田一門の親戚筋が多くいる。
 旧織田軍団をほぼ手中に収め、秀吉陣営は日本最大。徳川軍はそれに継ぐ大国だが、やはり小さい。まともに戦えば脂の乗りきっている秀吉に負ける。その手腕は家康もよく知っている。
 戦いのきっかけになったのは信長の三男と秀吉との仲が悪いと言うことで、それは誤解だとして秀吉は琵琶湖近くで会見する。
 この三男の上に次男がいる。これは先ほど言ったが。年齢的には、この人が継ぐはずだったが、実際には秀吉の企みでまだ幼い三法師君が織田家当主となっている。まあ、信長が死に、後継者の長男信忠が死んだので、その直系の信忠の子が継ぐのが正しのだろう。しかし、傀儡だ。前回書いた清洲会議が、それだ。そして、次男は不満なので、同じ不満を懐く柴田勝家、滝川などと秀吉と戦う。これも前回書いた賎が岳の戦い。その後、信長の次男は結局殺されたようなものだ。秀吉が直接手を下したわけではないが、三男に命じたのだろう。兄の領地を結構もらえたのではないだろうか。
 だからこれで三男だけが力がまだ残り、尾張伊勢に領土を持つ大大名。今度はこの三男が問題になる。織田家で残っている力のある人物は、この三男を残すだけ。
 それで秀吉がこの三男も滅ぼしてしまうのではないかという噂が立つ。
 そこで秀吉はそんなことはないということを示すためか、また誤解があるようなので、ということで、琵琶湖、これは三井寺あたりだったと記憶している。そこで会見する。
 ところが本殿のいいところに先に秀吉が入っている。三男は客殿のようなところだろうか。
 そして明日会見という前日、秀吉は三男、信勝か信雄か忘れたが、その家老、四人か五人呼び出し、何とかせいと詰め寄る。つまり、始末せいと。
 家老の中の一人だけ、それに反対し、三男に報告する。聞いた瞬間、三男は逃げ帰る。
 そして家康に泣きつく。
 それでやっと家康は名分を得て豊臣との戦いを起こす。しかし、実際には秀吉と三男の戦いで、主将は三男。家康は助っ人。単独では秀吉軍には勝てないので、これで家康は良いものを手にした。
 ここは第一次関ヶ原のようなもので、東軍が来るのなら、おそらく西軍は大垣あたり、近江と美濃、尾張の境あたりで激突することになる。
 吉川英治は、このとき秀吉は出遅れたと言っている。かなり前から準備をし、勝てる状態になってから戦うのだが、今回は世帯が大きくなりすぎたらしい。家康の脅威は北条と上杉。だが北条に娘を嫁がしたのか、そこは忘れたが姻戚関係になり、不戦条約になっているので、脅威はない。北の上杉は日本海側ではないかと思うが、真田がいるあたりまで徳川は支配している。川中島は近い。
 後年、徳川が真田を攻めたとき、真田は秀吉に泣きつき、秀吉は助けるために上杉に援軍を送るように頼んでいる。このとき上杉は五千か七千ほど出したようだ。川中衆というのだろうか。国境に近いので、その警備という名目で。しかし、家康は上杉とは戦いたくなかっただろう。
 それに無理攻めすると、今度は上杉景勝本人が出てくる。まさに謙信そのものだ。
 上杉はこのとき、きっぱり秀吉につき、家康を敵と見なした。中途半端な日和見はしない。これは謙信公から続く家風のようなものらしい。
 話は逸れたが、まあ、上杉は北で遠いので、東海道まで来るようなことはないので、ほぼ全軍を連れて尾張に来ている。
 ところが秀吉は、毛利の動きがまだ怪しいので中国筋の浮田軍を使えない。ここの兵は多い。関ヶ原での主力だったのだから。
 それと四国の長宗我部、これも遠いのだが、紀州あたりには、まだややこしい勢力が残っている。高野山や熊野、雑賀など、本願寺の残党などだ。前足利の将軍の残党とかも。その前将軍は毛利にいるが。
 だからこのあたりにも睨みをきかせないといけない。だから黒田官兵衛はそちらを受け持っている。
 北陸はどうか。いつも世話になる丹羽の領地が広い。その先に前田がいる。秀吉にとっては友人だ。しかし丹羽も前田も動けない。佐々成政が家康と通じているためだ。これの抑えで残さないといけない。だから世帯が大きいので、家康のような全部連れてくるわけにはいかない。
 しかし、逆にここが実は徳川軍の弱点で、本国はカラ。尾張に近い岡崎を攻撃されるなら計算に入れていない。もしそんなことがあるとすれば、奇計だ。
 それを言い出したのは岐阜の池田。この人は前田利家などと同クラス。秀吉や前田と同じように、若い頃からの遊び仲間。
 その前に、池田は家康軍を攻撃しているが、大失敗。勝手にやったことで、秀吉の命ではない。小牧あたりだろうか。ここに東軍の本陣がある。
 大変な黒星を最初から付けてしまったことを恥、挽回するには思い切ったことをするしかない。。それで所謂中入りに走った。奇策、奇計だ。つまり密かに岡崎方面を突くと言うことで、敵地に割って入るのだ。そこへ行くまでも小城はいくつかある。
 これは賎が岳の戦いと同じだ。その岡崎への抜け道が長久手だったと思う。ここで激戦となる。密かに、そっと岡崎を付くというのがバレたのだ。
 池田軍の背後を家康に取られ、大敗北、壊滅した。 秀吉にとっても黒星。徳川に負けたのだから。しかし、勝った徳川は、そのまま調子に乗らず、さっと引き返した。それを狙っていた秀吉が駆けつけたときは、もう徳川軍はいなかった。まあ、池田軍を犠牲にしての罠ではないかと、家康が見抜いたのかどうかは分からないが。
 駆けつける秀吉本隊。これは主力だ。そこを横から邪魔する少数の兵。鉄砲を撃ちかけてくる。無謀な攻撃だ。誰かと聞くとその名は本多平八郎。数十人で秀吉本軍に襲いかかってきたのだ。家康が、もしすぐに引かず深追いしていた場合、秀吉の到着を少しでも遅らせるための自殺行為だ。
 しかし秀吉は、相手にするなと、無視した。
 秀吉軍は本田に手出ししなかったのは、欲しかったのかもしれない。
 吉川英治は、この戦いは将棋の名人戦に讃えている。下手に動いた方が負け。この作戦、秀吉が命じたわけではない。
 では秀吉はどんな感じで勝とうとしていたのだろうか。睨み合ったまま互いに陣から出てこない。軽い小競り合い程度で、本気で戦っていない。もし、全軍で互いに戦ったとすればどうなるか。
 こういう平地部での野戦は家康は得意としているようだ。ここでの睨み合いの兵はほぼ互角。信長の三男の領地なので、動員兵は多い。それに家康はほぼ全軍連れてきている。
 この戦いに長引けば、毛利や長宗我部や紀州あたりから大阪を目指すかもしれない。既にこのとき大阪城があり、京よりも、落とすなら大阪なのだ。秀吉の本拠地を叩く必要がある。
 長久手で敗北したのだが、ほんの一部の兵が動いただけで、秀吉軍に支障はない。
 小牧だったと思うが家康は本陣を置き、その周辺に防御策を何段も構えていた。それに合わすように、秀吉軍も向かい合っていた。それらの柵を突破するのはお互いに難しい。
 長久手の敗北後、徳川勢が攻めてきた。それを聞いた秀吉は、そこに家康がいるのかと聞く。いないと伝令が伝えると、相手にしなかった。
 家康は本陣にいて、秀吉が出てきたかと聞く。出てきていないというと、そのまま動かなかった。雑魚の武将を取っても仕方がないためだ。互いに欲しいのは鯛なのだ。鯛を釣らなければ、話にならないのだろう。
 膠着状態が続いている最中、秀吉は引き上げてしまう。敵に後ろを見せることになる。信長の三男は、これはチャンスと追い打ちをかけるが、家康は動かない。そのかわり、本多平八郎だけを向かわせる。
 秀吉軍の殿、しんがりと読む。これは最後尾の部隊。ここに精鋭部隊の蒲生などを入れている。信長の三男では敵う相手ではない。いくら逃げていく敵は討ちやすいと言っても。
 それで、追撃している方が危なくなり、本田兵が助ける。
 この戦い東軍の主将は信長の三男。家康は客将。助っ人。主将の三男が家康に頼むのだが、一緒に追撃戦をしてくれなかった。
 家康はそれほど無謀ではない。全軍で勝負し、家康が勝ち、ロボロになって逃げていく秀吉軍なら追える。そして大阪まで突っ込むだろう。しかし、そうではない。これが最後の秀吉の罠だったのかもしれないが、家康は乗ってこない。
 もし追撃したとしても、近江に出ないといけない。琵琶だ。そうなると、秀吉軍は増軍できる。先ず丹羽が出てくるだろう。
 丹波や丹後の細川も駆けつけてくるかもしれない。その中に突っ込むには勢いがないといけない。
 この戦い、名分は家康側にある。織田家に代わって天下を取ろうとしているためだ。そして主筋の織田家を無視していると。
 しかし、これは、のちに家康がそれをやっているのだが。
 
 大阪城に戻った秀吉は遊んでいる。
 家康は尾張にいるが、秀吉軍がいないので、岡崎あたりまで引いたのだろうか。敵がいないので、頑張る必要がない。
 ところが秀吉側は、その後、信長の三男の大きな領地を、一寸ずつ攻めている。小城を奪ったりしている。
 さらに尾張と岡崎を分断させるため、その中間の城を攻める。これには流石に、家康も動くしかない。
 織田家の水軍、これは鳥羽と九鬼水軍だろうか。秀吉側に付いている。そこから大型船を何艘も連ねて攻めてくる。海兵隊だ。馬も乗っている。
 さらに織田軍団時代の老将滝川一益が中間の城を奪う。これは柴田と組んで秀吉と戦ったのだが、破れて、小さな領地をもらい、ひっそりと暮らしていた。それを秀吉は起用した。伊勢方面が地元なので、地の利を知っている。
 これは流石に失敗したが、家康もたまったものではない。なぜならどんなに勝利しても、一円にもならない。逆に秀吉は城を取り、領地を広げた。
 家康はボランテアで、家来が手柄を立てても褒美でやる土地がない。増えていないのだから。
 ここから秀吉の詰めが始まる。詰め将棋だ。
 徳川方とされている勢力を摘むことにする。その第一候補で最大勢力を持つのは毛利でも長宗我部でもない。信長の三男だ。今回の戦いの大将だ。これを家康から奪う。それだけでいい。
 つまり秀吉らしく戦わないで、和睦した。前回は一寸誤解があったと。しかし、その前回、三男を潰そうと家老に働きかけたのだから、大嘘だが。
 要するに三男の家老で三男を始末せよとの密議があったのだ。これは前にもいった。それで殺されると思い、家康に泣きついた。
 今回は活かすし、大事にするし、取った城や領土も返すと言った。
 このときの会見場は尾張、長島の近くだろうか。三男の本拠地近くだ。そこまで秀吉軍は迫ってきていたのだ。
 河原か何処かで二人は会うのだが、三男を見付けた秀吉は歩み寄り、その足元で土下座する。このあたりの臭い芝居は秀吉らしい。生まれ育ちから城の若様で、大名になった信長やその三男とは違うのだ。そんな芸当は朝飯前だっただろう。あまり武士らしくないのだが、元々武家ではないのだ。
 家康もそうだと吉川英治は言う。確かに人質時代の苦労は凄いかもしれないが、生まれながらにして家臣がいる。秀吉は家来など一人もいない。秀吉そのものが一番下の身分だったのだから。そして家来らしい家来をいきなりもらうのだが、自分が連れてきた蜂須賀小六。だが、正式には秀吉の家臣ではない。信長の家臣で、秀吉に付けただけ。与力だ。しかし、実質的には家来。そして竹中半兵衛も家来になる。これが大きい。信長の家来を嫌がり、直接秀吉の家来になったのだが、これも形式的にはやはり信長の家来の一人だったはず。黒田官兵衛もそうだ。彼らの本当の主人は信長だったはず。
 まあ、一度養子として迎え、それを出すのに近いかもしれない。
 さて、これは余談。
 土下座して、秀吉はたぶらかした。これをやらせれば当時日本一だろう。所謂人たらし。
 気難しい信長の逆鱗に対し、一番上手く立ち回ったのは秀吉で、信長の考えや思いを読んでいた。何をすれば、気に入ってもらえるかが分かるのだろう。
 家康に懐いていた三男をあっという間に秀吉は転ばせた。その後秀吉の言いなりになる。
 どちらにしても信長時代の織田家は、もう終わりなのだ。秀吉がやらなければ家康がやるだろう。三男を担ぎ、奸臣秀吉を成敗すると。これは信長が流浪の将軍を旗にして京へ向かったように。
 吉川英治はこのあたりの戦いを、少し嘆いている。それは二つの天下と言うことらしい。二つの天下はあり得ない。だから一つにする。だから天下が二つあってもいいではないか。豊臣政権と、徳川政権が両立しても。しかし、ここから先は周囲がそれを許さないらしい。何か落ち着かないのだ。
 ここから先は個人の思惑、どんな人物の思惑とは裏腹に、激突する。
 だが、秀吉の人たらしは戦わずして、一つの天下に持って行こうとした。つまり家康と戦う理由など本当はないのだ。家康もそうだ。
 それで、戦いを避けるため、家康に諦めてもらうため、まずは旗を奪った。これで家康は名分を失い。当然三男も、もう家康を頼らなくてもいい。人柄的にも家康よりも秀吉の方があやすのが上手い。だから満足を得て、戦いをやめたのだが、家康にはまったく相談さえしていない。
 戦闘では勝てると徳川側は見ていた。秀吉軍は烏合の衆。徳川軍は一枚岩。家臣団はほぼ家康の普通の家来なのだ。家康を子供頃から世話をしていた家老などが、まだ生きている。その前の父親から仕えていた家来衆がわんさといる。所謂三河武士団。それに武田の陣法などを聞きだし、戦闘方法も信玄のものを多く取り入れた。これは最強の甲州軍団から学ぶのだから、強いだろう。
 しかし、家康は武力でも負けると思っていた節があるらしい。それは数なのだ。秀吉側が圧倒的に多く、また大阪城まで攻め上れるほどではない。ただ、友軍がいれば別。それがまだ曖昧な毛利や、長宗我部、そして態度をはっきりさせ、徳川に付くと決めた北陸の虎佐々成政。
 しかし、もう一人の英雄がいる。真田昌幸だ。幸村のお父さん。これが秀吉に付くと宣言した。位置がややこしい。上杉も秀吉に付くことを二人だけの密談で決めたらしい。佐々を討ったあと越後へ立ち寄り、景勝と会ったのだ。そのとき付き人して石田三成、景勝側は直江兼続。小説では密談後、この二人は夜を徹して語り合う。友を得たと。二人は同じ年だった。
 これがのち、関ヶ原へと繋がる強い絆となる。このとき、豊臣家と上杉家が何が取り交わされたのかは分からない。
 これで、佐々の脅威はなくなった。家康系が一人減る。
 その前に紀州、雑賀、高野山などを始末している。信長でさえ手を焼き、何ともならなかった勢力だが、秀吉は簡単に大掃除した。
 これに長宗我部が船団を組んで合流し、大阪に迫る脅威が消えた。
 しかし、長宗我部は四国をほぼ手中にしている。それで、弟を司令官として、どっと四国へ上陸。
 その豊かな戦備。装備、最新の兵器。大きな馬を見て、流石に長宗我部の宿老も、これは駄目だと、諦める。今なら土佐一国は残るだろうと。
 これで、家康が大阪に向かうときの友軍がいなくなる。
 きらびやらかな大阪城。それに比べ徳川は地方の大きな勢力にすぎない。大きさでは毛利も負けていないが、家訓で、天下は望んでいない。
 
 毛利の三兄弟。秀吉の中国攻めのとき、一度だけ毛利にチャンスがあった。日本海側の城での攻防戦のとき、毛利は主力、本軍を連れて援軍に来た。流石に秀吉もたまげただろう。だが、睨み合ったまま秀吉は諦めた。毛利も来ただけで、それで終わっている。
 このときまだ三木城も、有岡城も、落ちていなかったはず。当然本願寺も頑張っている。
 吉川元治が、このまま日本海側から、三木へ向かい、兵を吸収しながら、都へ向かい、安土を撃つという計画を披露したらしい。
 小早川、これは弟で、賢い人だが、それでは兄上が天下人になるつもりかと泣きながら止める。
 武人としては一流だが、天下を治めるだけの器かどうかを問うた。
 当然家訓があるので、そんなことはできないが、毛利が動く最後のチャンスだった。ただ、信長に代わって天下を統一するのは器だけの問題ではなく、時流がある。毛利はそのときではないということだろう。これがのち、徳川幕府と戦うまで、長い長い待ち時間がある。
 さて、これで、徳川に味方し、その時流に乗る勢力がほぼ消えた。毛利は動かないだろう。毛利には秀吉寄りの安国寺恵瓊がいる。これは毛利家の外務大臣のようなもの。
 徳川は北条の動きも気になる。姻戚関係になったが、真田が取っている城は協定では北条のものではないか、真田を直ちに明け渡せと何度も催促する。そのとき、真田は徳川側に属していた。その前は上杉だ。しかし、真田は城から出ない。困った徳川は真田を攻める。脅せば出るだろと思ったのだろう。だが、真田は屈せず、ここで徳川傘下から出て、豊臣側に走る。そして秀吉の頼みで、上杉は援軍に来る。これは先に語った。これで上杉も豊臣側と言うことを宣言したことになる。
 さらに徳川領内でも豊臣側に走る家臣も出てくる。城を捨てて、大阪城へ。
 一番困ったのは、人質時代から、ずっと一緒に付き添ってくれた重臣が、岡崎城を抜け出し、大阪へ走った。重臣中の重臣だ。岡崎城代をやっていた。
 ここまで来ると、もう負けたも同然。勝つ目が、ほぼない。
 大阪城まで行って臣下の礼を取るしかない。
 あの織田の三男も、それを進めにやってくる。
 家康も本当はそれがいいと思っていたのかもしれないが、家臣を押さえきれない。
 吉川英治は二つの天下と言っていたと思う。つまり信玄も謙信も信長もいなくなった時代、次世代としてこの二人が並び立ち、それに該当する大名は他にいない。毛利は大きいが輝元だ。そして天下を掌握し、将軍になって幕府を開く器量があるのは、この二人といっている。そして、戦いとは、ここではもう個人を越えた法則のようなものになると。
 三河武士団は長久手の戦いで勝ったとはいえ結果を出していない。領土も増えていない。関東へ勢力を広げるには北条を討つしかないが、北条は秀吉と組むだろう。だから挟み撃ち。北の上杉を討てばいいのだが、それでは川中島の再現になるどころか、上杉は北条と秀吉とも組み、これで三方から徳川は挟まれ、戦う前から結果は分かっている。だから、家康は大阪城を攻めた方が早いのだ。
 大阪城を攻める。この時代無茶。家康が大阪城を攻めるのは死ぬ前。まだまだ先の話。
 尾張での戦いで、長久手だけの勝利で終わらず、秀吉軍を敗走させ、伊勢や尾張の三男の兵と一緒に大垣を超え、琵琶湖に出る方がまだましだったのかもしれない。それができなかったので、何ともならなくなった。
 ただ、吉川英治のいうように、家康自身、天下を取る気がこのときあったのかどうかは分からない。
 信長の三男を助けるために出兵しただけなのだ。まあ、そこで大きな名分を掲げたようだが、天下を取るのではなく、奸臣秀吉を倒すというだけの話だろう。まあ、家康も、秀吉亡き後、同じことをやっている。秀吉と同じことを。織田家ではなく、主家の豊臣家を滅ぼしている。
 
 長久手での戦いは、和解が成立し、三男は秀吉側に付いた。だから家康の対豊臣戦の名分がなくなり、今度は三男が間に入り、秀吉と家康は和解する。そして家康の娘か息子かは忘れたが、大阪城に人質として送られる。最終的には秀吉が勝ったことになる。
 もし家康の理想通りに行き、大阪城が陥落し、秀吉の首を取った場合、今度やられるのは織田家の三男だろう。
 家康は一応源氏を名乗っているので、将軍になれるし、幕府も開ける。
 秀吉はその間、関白になっている。平時を名乗っていたので、将軍にはなれなかった。しかし、征夷大将軍よりも偉い関白になった。人臣での最高位だろう。だから昔からある摂政として、政を一切を任された首相のようなものだ。日本国を朝廷に代わり、仕切ってもいい。
 まあ、それができるのは軍事力があるためなので、軍事政権だ。そうでないと、この時代、仕切れなかったのだろう。
 
 このあと家康は大阪城で君臣の礼だと思うが、違うかもしれないが、要するに秀吉の家来になるということだ。豊臣家の家臣に。
 このとき、その前夜秀吉は家康の部屋で、悪いが諸公の前で頭を下げてくれと頼んでいる。ただの儀式なので、よろしくと。
 だから三河武士団、家康の家臣団のような感じの家臣と、秀吉の家臣とは違うのだろう。寄親程度だったのかもしれない。これが信長なら、家康と同じように、織田の家臣団は、しっかりとした家臣団だったはず。秀吉も、光秀も、勝家も、主君信長を恐れ、その命令は絶対聞かないと、首が飛ぶ。主従関係の重さが違う。
 秀吉の家臣団は同僚だったり先輩だったりする。またライバルだったり、敵国の大名だったりする。これは足利幕府よりも弱いだろう。武家の本当の統領と、平民の子との違いだ。
 しかし、他の大名や元同僚から見ると、信長よりも秀吉の方が組みしやすかったはず。
 
 ここで吉川英治は、丹羽長秀にも触れている。自害している。切腹だ。病が重くなったためと言われているが、秀吉に従い、織田家相続問題では勝家を敵に回して、秀吉に味方した。織田家の正統な後継者が長男信忠の子、三法師。まだ子供だ。だから信長に仕えていたように、この三法師の元に秀吉も織田家臣団も集まるものと思っていたのだろう。
 安土城近くに屋敷を建て、そこで織田家当主をやっていたのだが、子供だ。それに付き添っているのは前田玄以。秀吉と仲がいい。だから傀儡だ。しかし、もう誰も織田家の当主は三法師君で、秀吉はその家臣。織田家の誰もがその家臣。しかし、子供では何も判断できない。
 幼君を助ける重臣役を丹羽長秀は願っていたのだろう。
 柴田亡き後は織田家臣団のナンバーワン。重鎮だ。それをことごとく秀吉に利用された。丹羽長秀が秀吉の従うことの意味の大きさ、丹羽様でさえ、となる。
 後ろめたいのか、秀吉はもの凄く広い領土を丹羽に与えている。要するにこのとき既に与える立場なのだ。戦いの最高司令官の権利のように。
 老いて病み、助からないと分かったとき、自分はこれまで何をしてきたのかと、憤りを感じたのかもしれない。秀吉の勢いによる大きな分け前を得て、豊かな老後になっていたはずなのだが、そうでもなかったらしい。北陸探題。そして近江の坂本あたりまで領地を持っている。
 長久手での和解の使者として丹羽が動いている。別に断らず、秀吉の言う通り、使い走りをしている。これで和議がなるわけがない。徳川軍を動揺させるためだ。もしかして、和解するのではないかと思うと、戦意が落ちる。だから秀吉の手だ。
 実際に和解したのは信長の三男を抜いてからだ。そして三男からの頼みで、和解に応じた。
 結果的に織田家臣団で生き残り、大国を得たまま明治まで行ったのは前田利家だろうか。黒田も細川もいるが、生え抜きの織田家の家臣ではない。
 太閤記、それは出世太閤記でもあり、平民から天下人になる話なので、痛快な話ではあるが、秀吉の晩年や、豊臣家のその後を知っているだけに、哀れを誘うが、少なくても英雄であったことに変わりない。
 
 
 
 
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2019年12月15日

松屋牛めし

■■ 2019年12月15日 日曜日 午前10時48分
 
 今朝は晴れているが、風が強い。しかしそれほど寒いとは思えないので、気温も高いのだろうか。風が強いとかなり寒いのだが。
 今朝も昨日と同じような遅起き。一度目が覚めたような気がしたのだが、無視して寝続ける。起きる気がないのだ。これが用事がある日なら、そのとき起きただろう。
 時計を見なかった。これが確信犯だ。目を開けないので、そのまま寝たが、まだ寝ている状態に近かったので、これは起きたとは言えないが。
 しかし、晴れているので、悪くはない。それに日曜なので、遅起きは当然だろう。だが、カレンダーの上だけの日曜で、平日とやっていることは変わらない。勝手なときだけ土日を利用したりする。
 昨日はご飯が切れていたので、夕食は外食か弁当にすることに決めたのだが、戻ってから米を洗い一時間ほど待つのが嫌なためだろう。ご飯を炊くのは朝がいい。
 それで、久しぶりに牛丼屋へ行く。これなら300円台で済む。味噌汁が付く松屋。吉野家も近くにあったが、帰路とは逆なので、流れが悪い。それに高い。
 吉野家は口頭でレジでいえばいいが、松屋は自販機で、階層が深い。一番単純な牛丼を探すが、ない。パネルには新メニューとか、そういうのがドンとあるためだ。以前と表示が変わっているので、分かりにくい。
 結局探しても見付からなかったのだが、一番上に小さなアイコンが帯状に並んでおり、そこに牛丼があった。それを押すと牛丼メニューが出るだけなので、さらに牛丼の並で、単品を選ばないといけない。手間なことだが、万札の両替を気兼ねなくできる。千円札も小銭もあるのだが、千円札が切れかかっている。普通の店で万札は出しにくい。コンビニでも五百円以下のものを買うことが多いので、これも出しにくい。特に馴染みの店では。少額の買い物ほど、千円札の釣りが多いので、都合が良いのだが。
 それで牛丼を食べたのだが、甘い。味を変えてきたのか、嫌な甘さだ。これは駄目だと思い、もう松屋で牛丼を食べないことにした。それと汁が少ない。そのかわり味噌汁が付いてくるので、汁は多いのだが、牛丼の中の汁が少なく、潤っていない。玉葱程度は入っているはずなのに、確認できなかった。この玉葱に含まれる水分、そして玉葱から出る甘味。これが大事なのだ。だから、この牛丼、砂糖のような物を入れているのだろう。
 戻ってから胸焼けした。これなら、コンビニの牛丼のほうがましだ。
 肉より、野菜の煮物に入れる厚揚げを囓っている方がおかずらしい。それとか、薄い切りハムとか。
 この時期、すき家の牛すきや牛鍋がよかったりする。豪華だ。すき家の「すき」はすき焼きのすきだろうか。牛丼はすき焼きをご飯にぶっ掛けて食べる感じが理想。豆腐や白ネギとか麩や糸こんとかも混ざっているのがいい。何せすき焼きはメインを取れる料理で、いいことがあった日か、特別な日の食べ物に属する。牛すきと牛鍋がある。うどんを入れて食べると、うどんが美味しい。豆腐もすき焼きに入れた豆腐が一番美味しい。
 すき焼きは決して肉を食べるための料理ではない。
 その添え物が美味しいのだ。
 
 
 
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2019年12月14日

1インチで十分TX1

■■ 2019年12月14日 土曜日 午前10時53分
 
 今朝は晴れている。いい感じだ。寒いが陽射しがあるので、何とかなる。室内はこういう日は逆に寒いだろう。凄い日影になるので。
 年はどんどん押し迫ってきて、今月もほぼ真ん中に来た。中旬だ。十日後にはクリスマスとなるのだから、これは押し迫っている感じがする。十日というのは一週間ではないが、一週間は早い。ゴミを出す日がすぐに来るように。そして、週末が早いように。え、もう一週間経ったのかと言うほど。十日間の感覚というのはないが、それに近いだろう。週や曜日単位での用事などがあるためだろうか。
 しかし週単位では曖昧なときがある。月初めの日曜とか、月の終わりの日曜とか。
 上旬中旬下旬が十日単位。この場合、上旬と中旬の境目は曖昧。
 また来月の下旬というのは、日にちに幅がある。16日から30日や31日までのことだが、早くて中旬、遅くてその次の月の上旬。
 四季のように月を四つに分けないのは、30日間ほどなので、割り切れないためだろう。3なら割り安い。割引はないが、30日と31日の月がある。
 まあ、こういうのは自然現象と使いやすさを見て、人が決めるのだが、決めなくても、決まっていたりし、誰もが知っていたりする。
 ただ、日にちとか、時間とかの単位がバラバラでは取引ができない。しかし月の満ち欠けで日にちを指定することができるが、かなりは幅がある。たとえば満月近くに、とか。これは雲が多いと見えないが。
 今朝は寒かったためか、かなりの遅起きになってしまったが、是非もない。寒いとき、早起きしても仕方がないわけではないが、寝ている方がいい。一日が忙しくなるが、何かを省略すればいい。
 それよりもよく寝て起きてきた方がいい。だから、遅起きは悪いことではない。身体がそう促しているのだから、それに素直に従った程度。しかし、遅いと困ることもあるが。
 
 昨日は喫茶店からの戻り道に大回り散歩で残っている紅葉などを撮りに行ったので、そこそこの時間に起きてきたが、戻ってくると大変遅い時間になってしまった。だから、今朝の大遅起きと昨日の帰宅時間が同じになるのではないかと思える。
 遅起きの話ではなく、撮影の話だが、1インチタイプのTX1を使っていると、普通の一眼レフはいらないのではないかと思えるほど、ボケてくれる。確かに差はあるのだが、大きな画面で見ないと分からない。写りは小さな受光素子でも大きな受光素子でもそれほど変わらないが、背景のぼけ具合だけが違う。1インチでも十分ボケるので、写真が柔らかくなり、ピントが来ている箇所が引き立つ。まあ、遠方だけを写したときはボケないので、同じだが、手前に何か入れると、手前ボケ、前ボケとなるので、これもまた奥行きを与える。何かフワッとしたものがあるなあ、程度だが。
 それで紅葉ではなく、椿が咲き出し、花びらを付け出したので、それを写す。もう少しすると、もの凄い数の花を付けるのだが、まだ、その手前。ポツポツ咲き程度。
 ミラーレスを一緒に持ち出していたのだが、400ミリ近くまである望遠だが、猫がいたのだが、届かない。TX1は250ミリで、こちらの方が短いのだが、1000ミリになる。それで猫の顔を抜けた。画質に問題はない。晴れていて日を受けているときは問題はない。これも写し取れたことが大事。
 背面液晶の明るさは自動調整。昼間の明るいところでも、見えにくくなったということは今のところない。明るいと自動的に上げてくれるのだが、それさえわからないほど。
 一眼レフ風、ミラーレス風な絵を求めるのなら、1インチで十分ではないかと思える。一緒に持って行ったミラーレスと大差が無いし、同じものを写したのだが、見分けられない。まあ、どちらも晴れて陽射したっぷり受けている順光ならどんなカメラで写しても、冴えた絵になるものだが。
 また、暗所に弱いわけではなく、よく写っている。
 
 
 
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2019年12月13日

TX1撮影編

■■ 2019年12月13日 金曜日 午前9時48分
 
 今朝は比較的すっきりと晴れている。青空率が高い。雲があまりない。晴天だろう。しかし、晴れている日の朝は寒いようだ。
 陽射しがあるので、それほど寒くはなさそうだが、夕方になると、冷え込むかもしれない。毎度のことなので分かりきったことだが。
 寒くても晴れていると気持ちがいい。暖かくても曇っている日よりも。晴れというのはやはりハレなのだ。
 しかし、晴れの日は結構多い。珍しいことではない。結構晴れて気持ちのいい日は多い。そのため、日常的になっており、珍しくはないが、流れというのがあり、曇り日が多かった後に晴れが来ると、これが値打ちで、新鮮だ。
 それと日々は、分かっているようでも、分からないので、踏んでみて初めて分かる。予想はできるが、実体験は別。これはいつも違い、真新しい。別に新年が来なくても。
 その新年も近付いて来るのだが、新年を意識しするか年末を意識するかがある。今は年末、年の瀬を意識するだろう。31日のことだ。越えてからではなく、超える直前。そして超える手前。
 だから今年も押し迫ったとか、年が終わるとか、そちらの話題が多い。その気持ちの方が多いためだろう。この時期、新年をあまり意識しないだろう。来年が来ると言うより、年が終わる方を気に掛ける。
 新年は新年になってからでいい。ここは慎重なのだ。越せるかどうかを迂闊に判断し、越せると思い込むのが、一寸楽天的過ぎるという感じになる。それは越してみないと分からないぞ、ということだろう。
 天は楽ばかりではなく、苦もある。晴れたり曇ったり雨になったりするので。
 
TX1撮影編
 パナソニックの1インチコンパクトデジカメで25から250で望遠に強いカメラ。既にその新製品が出ているが、あえて古い方を買っている。
 さて、撮影だが、実際に外に出て写してみると、カメラが小さく、構えにくかったりする。このサイズは手かざしが合っているのか。そちらの方が早かったりする。
 だから一般的な1インチ高級コンパクトデジカメと同等の使い方になりそうだ。
 要するに小さなカメラでチマチマしているので、あまりワイルドには使えない。
 小さなカメラでファインダーがあると、これはやはり覗くのが恥ずかしいような気になる。また、ファインダーを必要とするようなシーンはあまりなかったりする。
 ファインダーが小さいのでチマチマした写し方になってしまうのだろう。
 ファイダーの小ささと風景の小ささとは違うが。
 まあ、最初の印象は小さくて頼りないということだった。単純な話だ。
 その前に新品で買ったソニーのWX800はウェストレベルで液晶を真下に見ながら両手でしっかりと掴んで写すので、カメラは安定しているので、あまりチマチマ感はない。ところがTX1は液晶が動かないので、手かざしか、少し下げた程度になり、これが不安定なのだろう。
 よく考えると、この1インチの高級機の方が安かった。中古と、新製品のソニーとでは違うし、またソニーはどのカメラも高いので、そうなるのだが。
 しかし、実際に写したものをパソコンで見ると、安定している。まずは色目がほぼ同じなのだ。見た色と写っている色がほぼ同じ。これは見事だ。
 それとソニーは連写合成で写すことが多いが、TX1は素の力で写している。まあ1インチの優位性があるので、最初から有利なのだが。
 ライカデジカメの世界というのがあるようで、デジカメなのに液晶がなかったりする。フィルム時代の感覚で写せといわんばかりに。写っているかどうかは家に帰ってからでないと分からない。まあ、昔なら自分で現像でもしない限り、その日のうちに見ることはできなかったはず。
 これが撮影での緊張感を生むのだろうか。
 それで、撮影のときはそれほどでもないが、戻ってからパソコンで見るのが楽しみになる。外出でのお土産のようなもの。
 このカメラ、本当に小さい。まるで小刀で彫るような写し方になる。狙うのは急所だけ、という感じだが、実際には24ミリで大まかに写すのが適している。とりあえず写しておけという感じだ。
 液晶だけでは被写体の細かいところは見えないし、ファインダーも小さいので、構図程度しか分からない。望遠になるとピントは見え、背景がボケていること程度は分かるが。要するに大凡のところを、ざくっと写すのに適している。そしてよく見て写していないので、何が写っていたのかはあとのお楽しみとなる。だから作画意図とか、そういった臭いことは似合わない。それなりの作画機能は付いているし、操作はできるのだが、何せチマチマしているので、窮屈。幼児自転車に乗っているようなもの。
 ところが、この写し方、意図しない良さがある。狙い定めたものを詰めていくような写し方ではなく、このあたりが臭いと思うところにカメラを向けて切り取る程度。いわばカンだ。
 コンパクト系ほど写し方が難しいのかもしれない。だから素人はプロ機材で写し、プロはコンパクトカメラで写すわけではないが、それほど勘所が分かっていなければ素人が手にするカメラではないのかもしれない。しかし、コンパクト系は素人向けなのだが。またタイプのカメラ、特にパナソニック系は初心者向けが多いのだが。
 ソニーの回転式デジカメでウェストレベルで写していると上から覗くカメラを思い出す。しっかり絵作りをするアート用で、作画向けだ。レンズがツアイスだと、なおさらその趣がある。
 ところがTX1はライカレンズを付けているからというわけではないが、ドキュメント的。アート性よりも、その瞬間を写し取ることが大事な世界。ピントや構図などどうでもいいような世界だ。写したこと、そこに立ってカメラを向けたことが全てのような世界。しかし、普通の日常の中に、そんな緊迫したシーンはない。ただ、緊張する場所はあるが。
 当然街ゆく人を平気で写せない。そこを何とか写し取るというのが、値打ちになる。
 要するにこのカメラ、ライカの末裔で、それの一番小さなカメラかもしれない。このカメラのライカ版もある。
 猫を写したのだが、その日はニコンの一眼レフをメインで持ち出していた。シグマの400ミリ近くまである高倍率ズームを付けて。
 いつも寝ている猫がいるのだが、400ミリではそれほど寄れない。そこでTX1で写す。こちらの方が望遠は弱く250ミリしかないのだが、これが1000ミリになる。少し甘い画質になったが、それなりに写っていた。これが許せる画質と言えるのは、写したことが大事というだけのことで済ませられるため。画質は多少甘いが、アップで猫を捕らえることができたので、どういう猫なのかがよく分かるのだ。
 これは猫写真家なら駄目だが、ドキュメンタリーとしてならいける。
 まあ、そういう解釈をしてもいいのが、このカメラだろう。勝手な話だが、そういう風にして、自分のカメラにしていく。
 
 写しているものはいつものものだが、違いがあるとすれば画質とかタッチだろうか。新しいカメラを買ったとき、これを見るのが楽しみだ。ただ、部屋で気兼ねなく試写するのと違い、外では写すだけで一杯一杯なので実戦ではまた違う。
 このカメラを使っていると、すぐに意識してしまうのは700ミリ超えの旅カメラTZ95だろうか。ほぼ同じ操作感だが、多少は違っている。
 画質比べでは当然1インチの方が有利なのだが、それほど違いが見えるわけではない。ただ色目が濃いとか、その程度だろうか。TX1の方がこってりとしており色のりがいい。特に暗い場所では。
 それとエッジ立てというか、がさっとしたところが少ない。細かな葉や細い草草などが密生しているところでは、ガサガサした感じになるのだが、それがすっきり滑らかにとまではいかないが、エッジ立てが目立たない。どちらもフルオートなので、何も設定はしていない。
 だが、操作性や写しやすさはTZ95の方がよい。カメラも大きいし、分厚いので、しっかり握れる。カメラの背も高いので、窮屈さがない。これも僅かな差だが、重さもTZ95の方があるので、少しだけずっしりとしている。だから安定感があり、カメラがあまり動かないので、いい。
 軽く小さいのがコンパクトデジカメの命だが、望遠側があるので、小さいと苦しいときがある。
 しかし、写りは良く、手ぶれ補正がよく効いており望遠端ではピタリと止まり、動かなかったりするので、これは凄い。
 さらに250ミリを延長し1000ミリで写した場合も、一見して分からない。直射日光が当たっているところでは鮮明だ。光が味方となる。
 この1000ミリは使える。
 ズームレバーを引いているとき、逆に250ミリで止める方が難しい。ズーム表示を見ていないと止まらないのだ。だから満足のいくところまでズームすればいい。そういう風にできているのだろう。
 ここで1インチの差が出る。二倍になるのではなく、四倍になる。
 それで遠くにいる人を写したのだが、カメラが小さいので、手にしている物がカメラだとは分からないかもしれない。当然ファインダー撮影だと顔がカメラになるので、遠くからでも分かってしまう。
 要するに写りの安定感を買いたい。写す安定感はないが、写っている絵は安定している。申し分ない絵。
 TZ95に比べ、広角端が明るいこともあり、夜などでも写しやすい。どちらも3200より上がらないフルオートモードなので、超高感度を使わない状態でも、すんなりと写っているので、安心して夜景などが撮れる。そのときもほとんど液晶だ。暗いので液晶もよく見えるので。
 画質のいいカメラで写すより、いい画質に見える光線状態や被写体を探した方が早かったりする。
 実際にはどのカメラで写したかなどは本人に聞かなければ分からないだろう。特にいつも写すような日常風景では、どのカメラでも大差はない。
 その意味で、小さな受光素子なのに、TZ95は健闘している方だ。
 
 さて、撮影編と言っても移動しているとき、一寸写した程度だが、お供はニコンの一眼レフ。これはTX1にとって強敵だ。しかし、先ほども言ったように猫や鳥は400ミリ程度ではアップで抜けない。だからTX1の1000ミリが効く。デジタルズームなのだが、よく見ないと分からないだろう。これは先にも言った。
 その他、一寸したものを写していたのだが、下にあるようなものを覗き込んで写すとき、手かざしが楽。
 ニコンも液晶で写せば、ミラーレスのようになるのだが、使ったことがない。光学式ファインダーの一眼レフは、ファインダーを見て写すのが儀式なので。しかし、手を伸ばして、さっと液晶で写す方が楽なので、TX1を多用した。
 同じものを両機で写して、後で見たが、似たような絵だったが、ニコンの方が濃く、そしてアンダー気味に出るので、写真ぽかったが。
 まあ、どちらで写しても似たようなものだが、一眼レフファインダー撮影の方が充実する。写した気になる。写していて楽しいのは一眼レフだ。ミラーレスではなく。
 しかし、移動中の撮影とは言え、定点があり、いつも猫がいるような場所とか、鳥がいるような場所、花が咲いているような場所がある。望遠を持ってきていない日は、素通りする。
 また、偶然猫や鳥を見付けたとき、望遠を持ってこなかったときは、がっかりする。
 TX1は1000ミリまで使えるしポケットに入るし、ファインダーも付いているので、写しやすい。
 
 このカメラを買ったことで、同じ1インチのFZ100の良さも改めて見直した。ファインダーが大きく倍率も高く、鮮明なのだ。そういういいものを持っていたのに気付かせてくれたりする。ただ、ポケットに入らないが。
 
 1インチデジカメはそこそこボケる。1インチ高級カメラはもっとレンズは明るいので、さらにボケるだろうが、望遠が弱い。そして1インチ高級コンパクトは激戦区だ。1インチコンパクト系があれば一眼レフやミラーレスはいらないという程良く写る。しかも小さい。スマホよりも小さいだろう。重いが。
 それを250ミリまで伸ばしたのがTX1。その前にも同じようなカメラを出している。1インチタイプが出る前の高級デジカメは、少しだけ受光素子の大きいタイプ。それに200ミリを付けたのを出している。これはかなり小さいのだが、ファインダーまで付いていたのだ。これの1インチ版が今のTX1で、さらに300ミリ越えに伸ばしてきたのが最新のTX2となる。ソニーはそれに追従し200ミリまで伸ばしてきた。しかし中級機ミラーレス、ソニーで言えばα6400のダブルズームキット付きと値段は変わらないほど高い。何が言いたいのか、ミラーレスよりいいだろうと言うことだろう。小さいので持ち運べるので。だからミラーレスのかわりになるということかもしれない。
 ソニー系で言えば、28から200ミリ相当の高倍率標準ズームキットと同等。それがポケットに入ってしまうのだから。
 しかし、実際の撮影では小さく軽すぎるので、写しにくかったりする。
 だからTX1も同じなので、安定感に欠けるが、手の平に入ってしまうし、目立たないカメラなので、日常の中に入り込める。だから日常携帯カメラとしての用途がある。
 
 
 
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2019年12月12日

パナソニックTX1詳細

■■ 2019年12月12日 木曜日 午前10時03分
 
 今朝は晴れているようで曇っている。青空はあるのだが、雲が多いためか、陽射しが来ない。気温はそれほど低くはないようだが、暖かくはない。つまり中途半端な分かりにくい天気。リアルではこういうのが多い。把握しにくい。そして曖昧。
 まあ、雨が降っていないだけよしとするしかない。そして手が悴み耳が痛いような寒さではないので。
 12月も中頃になり、ここからは急坂を下る感じで、あっという間だろう。一月後、1月の中頃になる。正月が明け、少し立った頃。その間一ヶ月。そう考えると、もう来年が見えている。ただ、息をしていたらの話だが。先のことは誰にも分からない。
 雪不足でスキー場がどうのというニュースがある。すると暖冬なのか。あまり寒くないということだろう。しかし、雪はまだ早いと思うのだが、それは大阪方面の話で、スキー場の話は新潟。越後だろうか。雪が深そうだ。しかも日本海が寒そう。
 だが、実際にその地で暮らすと、そうでもなかったりしそうだ。印象だけで語り、またそういった情報だけで語るためだろう。その通りだった場合もあるし、そうでない場合もある。
 雪国といっても一年中雪が降っているわけではない。夏などは大阪よりも暑かったりする。
 大阪よりも暑く、そして豪雪地帯。これはどう解釈すればいいのだろう。だが、そこに住んでいると、普通のことで、あまり意識していないのかもしれない。そういうものだと。
 伝わってくるニュースなどが極端なためだろう。まあ、そうでないとニュースとして流れないが。
 同じことでも人により言い方が違うし、解釈も違うし、受け取り方も違う。だから世界は一人一人にあるようなもの。
 共通しているようなことでも、何処かで食い違う。
 悪い奴といわれている人も、別の人から見るとそうでもない。また差し障りがないので、罵倒でき、差し障りがあるので褒めもできなかったりする。
 誰に対して差し障りがあるのか。それは一人一人の世界に対してだろう。
 
 注文していたパナソニックの1インチコンパクトデジカメTX1が届いたので、早速開封。
 中古で元箱なしだが、元箱のあるタイプよりも安い。程度は良だがこすれ傷などや、印字が薄くなっている箇所もある。よく使い込んでいたのだろう。傷などのほとんどは鞄の中で擦れたりしたものだと思える。マニュアル書は入っていない。欠けているのがあるので、安かったのだろう。基本的に必要なものは入っているが、USB充電できるので、そのコードなどは複数持っているので、それはなくてもかまわないほど。
 しかし、おまけとして未開封のSDカードが入っていた。聞いたことのないメーカーだ。そしてマイクロSDカードなので、あれっと思った。TX1は普通のSDカードのはずなのだが。
 それでバッテリーを入れるとき、カードスロットルを見ると普通のタイプ。
 幸いマイクロSDと一緒に下駄も入っていたので、それに突っ込み、差し込む。問題はない。32ギガもある。いつも買うのは8ギガの一番安いタイプだ。量が多すぎる。分ければ何枚分にもなるので。まあ、動画などを考えれば、これぐらいは必要なのだろう。
 バッテリーは最初から結構残っている。時計も1分少し違うだけ。
 ここが消えていると、製造された年から始まる。それで年代が分かる。
 このカメラは古いが、まだ現役機で、新バージョンと共に並んでいる。タイプが少し違うためだろう。レンズが同じだし。
 一方FZ1000は消えている。FZ1000マーク2とレンズは同じなので、重なるためだろうか。
 まあ、F2.8スタートに意味があるのかどうかは分からないが、明るく感じるはず。
 宅配便で段ボールを受け取ったとき、スカスカ。軽すぎる。中に入っていないのではないかと思ったが、無駄なものがないので、軽いのだろう。マニュアルとか。
 
 それで早速試写。可も無く不可も無い。普通だ。
 ファインダーは小さく解像力も低いのだが、よく見える。結構鮮明だ。小さなファインダーなので、それほど解像力は必要ではないのかもしれない。暗いところでもざらつきが少ない。癖のない見え方だ。像倍率が低いのでアラが見えないのかもしれない。
 視度補正をしなくても合っている。前の人と同じ視力なのかもしれない。しかし、パナソニックのコンパクト系は、その視度補正ダイヤルがよく動く。これも動きそうだ。テープを貼る必要がある。
 この問題は最新のTZ95で改良された。奥まったところに入ったので、直接あたりにくくなったのだろう。だから動いたことがない。しかしその前のタイプのTX1なので、動きそうだ。
 薄暗いところでもピントは合うが、パナソニックのネオ一眼ほどではない。少し間がある。これはかなり暗い場合で、実際にはそんなところにピントを持っていくようなことはないのだが。一応ピント精度を見るための実験。
 どうやら中央部一点よりも、顔認識もやる自動被写体選択のフルオートタイプが一番合いやすいようだ。そちらにした方が早いし。
 まあ、暗いところではそうだが、中央部一点が必要なのは、背景に持って行かれそうな手前にある小さなものだろう。だが、パナソニックのAF自動認識は結構思ったところに来ることが多いし、背景に持って行かれる率が少ない。こういうところがよかったりする。空間認識AFというコントラスト式だが、独自なものだ。だから4Kフォトで、あとでピントを選べるモードなどもある。使っていないが。
 
 起動は速く、ファインダーの待ち時間は少ない。また、背面液晶を見ていて、ファインダーを見たとき、その切り替えは瞬時。これが待たされるミラーレスがあるのだから、どういうことだろう。
 また、電源を入れた瞬間、さっとズームレバーを引いても動いてくれる。これが動かないと、指が痛い。
 最新のTZ95よりかない古いのだが、それ並のスピードがあり、キビキビ動く。スナップ向け、ちょい写し向けだ。待たされないのが一番いい。ここが駄目だと、さっと取り出しさっと写せないので。
 高級タイプに属するが、1インチなので、それなりに重いのだろう。受光素子の小さなカメラのほうが動きが速いようだ。
 高いカメラの方が動きが遅く、安いカメラのほうが動きが速いとなると、これは何だろうと思う。
 
 感度は1万を超えるところまで、オートで上げてくれるが、シーン自動認識のフルオートモードでは3200で止まるようだ。それでは露出不足になるので、シャッタースピードが落ちるのだが、8分の1秒以下には落ちない仕組みのようだ。これはプログラムモードなら設定できるのだが、フルオートではリミッターがかかる。8分の1秒という安全圏を越えないように。そのため暗い目に写るが、夜景や薄暗い部屋なら、そういう暗さで、ちょうどになる。
 プログラムモードに入れると感度は1万を超えるので、暗い室内が昼間のようになる。
 それで、3200でもいけそうなので、夜も、これで行くことにする。要するにフルオートのままで十分と言うことだろう。
 
 露出補正はフルオートでもできる。プラスマイナス五段までいけるし、そのスケールが表示されるのだが、大きな目盛なので、裸眼でも見える。これは露出補正しやすい。
 ホワイトバランスはフルオートにはないが、色目を変更できる。だから同じことだ。
 暗いところで、補助光が光るのだが、これがもの凄く夜道では目立つ。プログラムモードでは消せるが、フルオートでは消せない。そのときはサイレントモードに入れれば消える。静かな場所で写すのだから、赤い火を発射させてはいけないだろうという配慮だろう。これで機械シャッターから電子シャッターに切り替わるのかもしれない。
 これで、電子音や、シャッター音など全て消える。
 
 デジタルズームは劣化しない領域があり、デジタルズーム系を使わない設定にしていても、その領域のおまけが使える。劣化がないとされるが、これはよく使っているが、綺麗に写っている。だから使わないと損だ。
 別に使い方はなく、ズームレバーでイケイケになるので、もう合体している。
 デジタルズーム率は保存画素数で決まる。サイズがLMSとあり、Sでも結構大きい。これで、最大ズーム比が変わる。
 Sにすると250ミリが1000ミリになる。
 最短撮影距離が望遠端で70センチなので、その距離で1000ミリが使えるということだ。試してみたが、びくともしない。これは強力な望遠マクロの世界になる。
 マクロとは別に虫眼鏡モードがあり、こちらは至近距離からの撮影で、広角側で寄れるだけより、そこからズームで三倍まで拡大できるのだが、これはただのデジタルズーム拡大なので、劣化するとなっている。まあ、小さな文字などを写し取って読むときには、この虫眼鏡の役割はいいのだが、写真としては少し粗くなる。
 
 電源はレバー式で、パナソニックミラーレスやネオ一眼と同じ手前側を親指で向こう側へ押すタイプ。指が痛くないのでいい。
 大きさは旅カメラのTZ95よりも小さく、薄い。1インチでしかもファインダーまで入れ、ストロボまで入れているのだから、詰め込んでいる感じ。これで液晶が回転すればいうことはないのだが、それでは分厚くなるし、ファインダー接眼部と被る。FZ95は上手くそれを交わしているが。
 グリップの飛び出しはあまりないが、軽くて小さいので、この程度でもいいだろう。片手で握ったときのバランスもいい。
 小さなボディーなのにファンクションボタンが四つもある。凝った写し方をする人なら、切り替えが楽だろう。それらは全て入れ替えられる。
 ファインダー内に、ズームしたときのミリ数や、何センチまで寄れますよという表示が分かりやすい。中間でもかなり寄れるようだ。これはパナソニックコンパクト系一般に言えることだが。
 カメラそのものの実力は差し置いて、そういったインターフェースの良さがある。パナソニックのカメラは優しい。
 
 虫眼鏡モードだがTZ95ではもろにデジタルズームになるので、無理があったが、TX1は1インチなので、その余裕でか、それなりに写っているので、これは使えることが分かった。
 そうなると1000ミリで70センチからの望遠マクロと、接近してのマクロもいけるということだ。ただ、画角は広角端ではなく、少し望遠側へ寄っているので、広角マクロというわけではないが。まあ24ミリでギリギリ寄ってもそれほど大きく写らないが、背景は広く映るので、その組み合わせの妙がいい。
 1インチのメリットは確かにある。
 
 AFはフルオートのシーン自動認識と顔認識または被写体自動選択でほぼいけるが、ピンポイントのものは合いにくいことがある。このときはプログラムモードで、中央一点で合わすとすっと合う。
 逆にフラットで、コントラストのない被写体では一点AFよりも自動選択の方が合いやすい。これは合いやすいものを探し出してくれるためだろう。
 被写体自動選択で、とんでもないところにピントが来ることはパナソニックの場合、あまりないが、そのとき一点にすることはできない。切り替えられるのは追尾。このときは一点になる。指で被写体をタッチすればいいのだが、望遠などではぐらぐらするし、小さなものに指を当てられない。
 AFフレームは追尾だけに切り替えられるので、それに変えれば中央部一点になるので、ピンポイントの被写体を捕まえることができる。ピントが合うと掴んで離さない。十字キーのボタンを押すと解除される。
 ボタンひとつで、中央一点に切り替えられると有り難いのだが、それができるのはFZ300だろう。レンズ側にそのボタンがある。そしてすぐに戻せる。そしてモードはフルオートモードのままなので、切り替える必要はない。
 プログラムモードにすれば中央一点になるようにしておけばいいのだが、カスタマイズした画質に変わってしまうので、タッチが違うかもしれない。
 まあ、パナソニックやニコンのカメラは、あまり無茶なところに勝手にピントは来ないので、バタバタしなくていい。
 
 しかし、こういうカメラを見ていると、1インチでもない小さな受光素子のFZ300がいとも簡単に暗いところでもピントがさっと合い、写りも悪くないのだから、これは脅威だ。感度も上がらないのに、3200だけで結構暗いところでも写っている。やはり全域F2.8のレンズが効いているのかもしれない。それとよく分からないが、望遠側でF2.8の明るさのためか、ピントがさっと合うし、正確。
 これは兄貴分のFZ1000の1インチものよりも凄かったりするし、渡り合っている。FZ1000もレンズはかなり明るいのだが。
 FZ300は名機の系譜だったのが、これで分かる。FZ200の後継機なので。
 まあ、TX1はポケットに入るが、ネオ一眼はポケットに入らないので、持ち出す機会は多くはない。その差が結構大きいのだが。
 だが、改めてFZ300の恐ろしさを見た思いだ。
 ただ、1インチとの差はやはり色で出る。TX1は暗くても色が濃く出る。FZ300は少し薄くなる程度。
 このFZ300の凄さや、ニコンのP900の解像感の高さには驚かされる。
 高いミラーレスや一眼なら綺麗に写ってあたりまえ。それでは面白くない。
 TX1は最初から1インチという高い下駄を履いているので、写りは悪いわけがない。だから、写っているのを見て、ああ、普通だという程度で、あまり驚きはないのはそのためだろう。
 
 使い慣れたパナソニックのカメラなので、まあ、そこもまた新鮮味がなく、今まで見たこともないような機能とかもないが、新機能よりも、従来ある機能をより使いやすくすることの方が大事。なぜなら一番多く使うところなので。
 その最初は電源だろう。このカメラはレバー式で、狭苦しいが、親指でぐっと前へ押せばいい。だが、もっと以前のコンパクト系は小さなレバー式だったのだが、いつの間にか一般的なボタン式になった。まあ、そちらの方が力がいらないが、場所が問題。
 TX1の電源レバーは、この小さなカメラには不似合いだが、ボタン式よりも明快。押せばオンオフではなく、物理的なため。そのため、プレビューボタンを押しても反応はない。電源が入っていないと、液晶は付かない。オンオフ式のボタン式なら、プレビューボタンを押せば電源が入るのだが。
 まあ、このレバー式は本格的なカメラだと言うことをいいたいのだろう。確かに曖昧さがないので、明快だ。
 十字キー周辺がダイヤル式になっているタイプもあるがこのカメラは、そうなっていない。あればダブル電子ダイヤルになったのだが。それと液晶で写すとき、十字キーのところが回る方が使いやすい。しかし、逆に十字キーを押しにくくなる。何処がダイヤルで、何処がボタンなのかが分かりにくいため。
 このカメラは小さいが、十字キーは親指の腹で楽に押せる。明快な落ち方をして、好感が持てる。
 撮影モードダイヤルは硬い目なので、不本意に回ることがない。どうせフルオートモードしか使わないので、軽く回ると困る。だから撮影するとき確認する必要はない。
 シャッターボタンも、ズームレバーも小さいが、固くはなく滑らか。
 ストロボはレバーで飛び出る。角度を指で調整できるので、天井に向けることもできる。使わないが、日影の花などでは有効だろう。
 鏡胴部にリングがあり、滑らかに回る。少し重みを持たせているのは、マニュアルフォーカスのとき用だろう。通常はズームになる。当然、別の機能に入れ替えられる。滑なので、気持ちがいい。初期設置はステップアップズームで、24ミリ、28ミリ、35ミリとか、段階的に回る。明快だ。何ミリで写したいのかが分かっているときは、重宝するだろう。
 さらにパナソニックらしいサービスで、デジタルズーム域に入っても倍率を出すのではなく、ミリ数を表示してくれる。250ミリまでだが、それを超えると500ミリとか1000ミリなどの表示がある。そして最高望遠ミリ数も最初から書かれているので、幅が分かる。このあたりのユーザーインターフェイスが結構いいのだ。新設だ。
 カメラメーカーではなかったので、こういうところに力を入れているのかもしれない。誰にでも分かるような表示だ。
 
 1インチサイズというのはパナソニックのハーフサイズのミラーレスとそれほど大きさは変わらない。だからパナソニックの一番安いミラーレスはコンパクトデジカメよりも小さかったりする。
 それよりも、普通のミラーレスよりもファインダーの表示が速く、切り替えも早いというのは、どういうことだろうか。本格的なミラーレスの方が遅いのだ。パナソニックのミラーレスはそんなことはないが。まあ、古いミラーレスしか持っていないが。古くて切り替えが早い。
 TX1は意外と早いが数年前のコンパクトデジカメなので今のFZ95はさらに早く瞬時になっている。スナップカメラとして、このタイプのカメラ方が速写性がある。
 ミラーレスは受光素子が大きいので、重いのだろうか。レンズも大きくなるし。
 そして機械式のズームはいいのだが、急激に回すと液晶が波打ち、見えなかったりする。
 TX1などの電動ズームの方が望遠端までのスピードが早い。回すときガタガタしないし波打たない。
 ファインダーは小さく、解像力も低いが、低いなりにもよく見える。
 それと手ぶれ補正も小さい目の受光素子の方がよく効く。フルサイズから見れば、超広角レンズを使っているようなものなのだから。
 広角ほどブレにくいというより、小さく写るので、よく見えないだけなのかもしれないが。
 
 
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2019年12月11日

パナソニックTX1購入へ

■■ 2019年12月11日 水曜日 午前9時34分
 
 今朝はまずまず晴れており、まずまずの時間に目が覚めた。起きるとき、まだ夢の中で2という数字が出た。二番手のような、二次のような。第一ではなく第二。これは意味らしきものがあって、二度寝の2で、今起きると、二度寝したので、遅いぞ、というような感じ。しかし、起きてみると、二度寝などしていない。そして時間的にはこの時期としてはまずまずの時間だったので、安心する。
 朝は夢の続きから始まるようで、起きてからが朝ではなく、起きつつあるまどろみから既に朝で、一日が始まっているのだろう。まあ、夢からさっと覚めたときで、覚えているときに限られるが。
 今朝は寒いので、中に着込むのを分厚い目のにしたのだが、それを着たとき、これはその上に、ダウンジャケットを羽織る必要はないような気がして、そのまま出た。薄着ではないか。
 しかし、マフラーというか首輪だけはした。カッターシャツの裏に毛が仕込まれているようなタイプなので、首元が寒いのだ。第一ボタンを留めると何とかなるが、喉を締め付けすぎになる。
 それで、昨日よりは寒いはずの道を自転車でいつものように走ったのだが、最初はいいが、スースーする。表地が綿生地のネルシャツなので、そんなものだろう。しかし裏毛のようなボアが胴体箇所だけに入っているので、そこはスースー具合はまし。スースーするのは腕だ。裏毛が入っていないためだろう。このボアボアの繊毛のようなもの、アクリルなので、多少は防風性があるのかもしれない。風を通しにくい。腕はツルッとした裏地が入っている。これだけでも普通のネルシャツより暖かいだろう。それでもやはり腕が寒かった。
 喫茶店に入ると、暖房が効いているので、丁度よい。
 街ゆく人を見ると、重武装。完全に真冬スタイルのロングダウンジャケットで、ぶかぶか状態で歩いていたり、自転車に乗っていたりする。そしてダウンジャケット率が意外にまだ高い。つまり、ほとんどの人は化繊を着ていることになる。結局軽さと効率を取るのだろう。それと安い。
 今朝こそ南極越冬隊のような重武装で出てもいいのに、シャツで出ているような感じになった。要するに防寒着がユニホーム。この時期の制服だ。
 昨日の昼間、結構暖かかったので、それを予想していたのだが、朝は寒い。昨日の夜の最低気温は1度。これは瞬間最低温なので、ずっとではない。
 しかし、昨日の昼間は暖かかった。晴れていい天気だった。だから、昼間暖かい日の朝は寒いと言うことだ。平均してしまえば、昼の暖かさが帳消しになるが、平均気温というのは現実には誰も体験できない。
 夜は寝ているので、寒くても分からないことが多い。
 
 昨日、言っていたパナソニックのコンパクトデジカメを注文したので、今日届くはず。
 TX1という初代機。コンパクト系の普及機は暗いところが厳しいが、1インチ受光素子の高級コンパクト系なら何とかなる。単に感度が高くなるためだろう。
 TX1は高級機路線だが、ズーム比の高い初代機だ。1インチ高級機のほとんどはもっとレンズが明るい。その分、望遠はスン止まりで、一眼レフの標準ズーム程度。ソニーが200ミリまでのを出したが、これだけが例外だろう。
 TX1に似ているのは、やはりパナソニックの定番旅カメラだろう。今はTZ95まで行っている。長く続いているシリーズで、花形商品だ。今朝もそれをポケットに入れている。
 最高感度が3200で止まってしまうので、暗いところが厳しいが、TX1なら1万台まで上がるので、何とかなる。その上の2万台はオート感度では上がらない。拡張のためだろう。
 パナソニックのカメラはフルオートのお任せモードにしていても感度は上限まで上がる。これが結構ありがたい。800とかで止まってしまうコンパクト系もあるためだ。だからプログラムモードに切り替えないといけない。これが面倒。
 パナソニックのカメラはフルオートのお任せモードでも結構弄れる。ここがメインのためだろう。
 ただ700ミリ超えの望遠が250ミリになる。しかし、夜に700ミリは使わないと思うので、夜景写しには250で十分かもしれない。昼間も鳥とか猫は厳しくなるが、鞄にネオ一眼を入れておけば問題はない。
 このカメラ、数年前に、非常に欲しかったのだが、高いので手が届かなかった。
 その後、新型が出たので、そちらを狙っていたのだが、やはり値段が高い。それからしばらくしてから、高かったTX1も中古ではガクンと落ち。コンパクト系普及機の新製品よりも安くなっていた。もう値段は高級機レベルではなくなり、熟れたので、買うことにした。
 新製品のTX2の望遠側の写りが甘いというのが一つのきっかけ。300ミリ半ばまである望遠が200ミリ半ばになってしまうが、望遠は1000ミリを超えないと鳥などは難しい。だから300ミリ超えでも、また700ミリ超えでも、今一つ寄れないので、同じこと。ここはネオ一眼に任せた方がいい。
 それよりも街頭スナップなどでは、このコピーライカ系コンパクトが写しやすい。気楽にさっと出してさっと撮せ。目立たない。
 ただTZ95は液晶が回転するが、TX1は固定。まあ、とっさの場合は液晶を上げる時間もないので、それでいいのかもしれない。ウェストレベルで写せないこともない。斜め上から何とか液晶は見えるので、ターゲット程度は分かるし、構図もある程度見える。斜めなので、圧縮されているが。ここはライカ式で、ファインダーも付いているので、液晶だけで写さなくても済む。
 この液晶の解像力や大きさはTZ95の前の機種とほぼ同じだろう。
 写りはソニーのWX800がかなり良く、非常に鮮明。パナソニックはそれに比べるとやんわりしている。だから画質の凄さで写すカメラではないので、逆に気楽に写せる。
 
 
 
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2019年12月10日

パナソニックTZ95その後

■■ 2019年12月10日 火曜日 午前10時48分
 
 今朝は晴れている。昨日も晴れていたような気がする。すると、続けて晴れていることになる。その前はどうだったのだろう。二日前だ。これは曖昧になっているが、しっかりとは晴れていなかったように思える。自転車のサドルの記憶。これが二三日前だ。濡れているので、拭いた覚えがある。夜露ではない。それ以上になると、日までは覚えていないが、何となくどんな天気だったのかは覚えている。
 いずれも印象記憶というやつで、印象に残ったものしか覚えていないようだ。ただ、小さな印象だと、これはもう忘れる。忘れてもいいものなので、忘れてしまうわけでもなさそうで、つまらないものでも未だに覚えているのがある。こういうのを覚えていても役に立たないのだが、記憶というのは役立つためにあるわけではないようだ。
 今朝は晴れており、陽射しもあり、そして気温も少し高い目。寒さが厳しくない程度だが、少し寒さが緩んだ感じ。このあたりが平年並ではないかと思える。12月はそれほど寒くはないので。
 今日は火曜なので、いつもの喫茶店は休み。そのため、週に一度だけ行く高い個人喫茶へ行く。ただ、サービスはいい。それと朝一番ではない限り、すいており、いつもの席が空いている。
 そして今朝は結構遅起きだったので、また夕方が早くなり、暗くなってしまう。夕方の時間に変化はないが、冬至前なので日が短い。だから暮れるのが早い。
 夕方の喫茶店へ出るとき、夕日があるかどうかが微妙なところ。数分違いで、沈んでいる。さらに遅れると、その残照もなくなり、ただの夜になっている。これでは夕方に行く喫茶店という感じではなく、夜に行く喫茶店になる。だから夜道を行く感じになる。
 ただ時間的にはそれほど遅くはない。時計の上ではそうだ。
 今朝、遅起きなのは夜更かししたためだろう。昨日と同じ時間に目が覚めたのだが、それを拒否し、二度寝した。まあ、その時間に起きても、それほど早い目ではなく、遅い目だが。
 こういうとき、風邪でも引けば、しんどいので、早寝するだろう。しかし、風邪は引きたくない。まあ、好んで引きたいと思う人もいないだろうが。
 
 今朝のお供のカメラはパナソニックのポケットに入る旅カメラのTZ95で型番が記憶できない。24から700ミリ少しある高倍率ズーム機。ファインダーが付き、この解像力や像倍率が、結構高く。非常によく見える。普通の撮影なら普通に写せる。ファインダーで被写体の細かなところまで見える。
 300グラム少しあり、少し大きい目なので、ポケットに入る限界に近いが、レンズさえ飛び出していないカメラなら、もっと大きく重いカメラでもポケットに入る。冬の服装に限られるが。
 TZ95はズボンのポケットにも入る限界カメラ。だから夏でも身に付けられるが、トランプを入れているようで、窮屈になるが、尻のポケットにも入る。このカメラの大きさ分厚さが限界だろう。
 一寸撮影に行くときは、ネオ一眼やミラーレスや一眼レフを持ち出すので、サブカメラ的なのだが、ペンタックスの一眼レフより、写りが良かったりする。だから、どちらがメインか分からなくなるが。
 パナソニックのカメラは操作性がいい。フルオートでも結構弄れるのだ。露出補正もホワイトバランスも弄れる。
 まあ、ほとんどフルオートで写しているのだが、AFも自動認識になり、思わぬものにピントが来たりして、困ることもあるが。まあ、そんなときは液晶をタッチして、一点AFに一時だけ変えてやればいい。
 このTZ95は最新機なので、今のパナソニックの機能や操作性などの最先端にあるカメラ。色々と改良され、使いやすくなっている。新しいカメラの恩恵だが、副作用もあるが。
 まあ、ほとんどはシャッターを押すだけ。ズームさえ使わないで、24ミリだけで写してもいい。
 電源を入れ、ファインダーを覗いたときはすぐに写せる。この待ち時間がないので、スナップ向け。ミラーレスでも待ち時間があるカメラがあり、ワンテンポ以上遅かったりするので、カメラを構えても真っ黒で何も見えなかったりする。街中でカメラを構えるのは一瞬。何もできないで、構えているだけでは間が悪い。この早さだけでも、このカメラの良さがある。ただ写りは関係しないが。
 今朝、このカメラを持ち出したのは、これの1インチタイプを物色しているため。
 そのタイプはTZではなく、TXシリーズで、その初代。古いので、中古でかなり落ちている。TX2をずっと狙っていたのだが、遠方での描写が甘いと言う情報が複数あるので、それでは選択からはずしかない。レンズも暗くなる。しかし望遠は300ミリ半ばまで伸びるのでいいのだが。
 TX1は広角でのレンズが明るい。TX2よりも。
 25から250ミリまでのズーム機。これはこれで独立した世界を持っている。望遠付きのコピーライカのような。
 これを今、狙っている。
 
 
 
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2019年12月09日

ヒロウス

■■ 2019年12月9日 月曜日 午前10時05分
 
 今朝はやっとすっきりと晴れた感じ。気温もそれほど低く感じないのは陽射しがあるためだろうか。しかし夜は寒いのか電気毛布を強のまましていた。寝るときは弱にするようにマニュアルにはある。だから毛布を触るとアツアツという昔のとは違うのだろう。まあ、自分の体温で蒲団を温めて寝るというのが基本かもしれない。
 今朝はまずまずの時間に起きてきたが、もっと寝たかった感じ。これは冬の朝よくあることだ。
 自転車の空気が減っているのか弾まないので、ペダルが重い。しかし、いい運動になる。これが軽快なスポーツ車なら逆にスポーツにはなっても運動にはならない。まあ、競輪の選手も練習で、重いのを付けて負荷をかけて走っているのかもしれないが。
 山登りでも、鍛えるため、重いものを身に付けて町で鍛えるとかもあるらしい。山などに登らなくても、その練習が十分運動になっていいのだが、これは楽しいことではないだろう。
 山登りと山歩きは違うはず。登る用がないのに、登る必要はない。どうしても超えなければいけない山なら別だが、余程の状況だろう。バスや車に乗ればいい。
 ただ、徒歩でしか行けない場所がある。それが僅かな距離でも、坂はやはり厳しいだろう。坂が多い町、起伏が多い場所に住んでいると、足腰が丈夫になるような気がする。練習でもスポーツでもなく、日常移動。
 今朝は月曜のためか、何故かいつもよりも朝の喫茶店が混んでいる。この時間すいているはずなのだが。
 特に町にイベントはない。個々人の事情が偶然そういう風に重なったのだろう。よく見ると、常連客ではなく一見さんが多い。この動きは読めないだろう。特にセールとかもしていないし。まあ、喫茶店でのセールはあまり聞かない。ポイントが多くたまるとか、特定のものが安いとかはないはず。
 寒いのか、暖房が強い。これは眠くなる。
 昨日は朝の喫茶店の戻り道に珍しくスーパーへ寄った。阪急のスーパーで、小綺麗し、休憩所もある。小さな喫茶店程度で、ファストフード店並み。無料だ。ただ自販機があり、珈琲ぐらいは飲める。これは自動だろう。水はただかもしれない。満席だ。
 ホウレン草が切れていたので、それを買うのと、あとは豆腐だ。これは帰り道のコンビニで買うことが多いが、ホウレン草は売っていないので、スーパーへ寄ることにした。ついでに一寸した惣菜も買う。これは作れないようなものを選んだ。
 ところが戻ってから米がないのに気付く。炊く米がない。それで近くのコンビニでレトルトのご飯と米袋の米を買う。結局コンビニへ行くことになってしまった。スーパーで気付いていれば、銘柄の違う米を買えたのだが。
 ホウレン草も、いつものスーパーでは見かけない宮崎産などが出ていた。形が違う。いつもは飛騨産。これはスーパーに多いためだ。常に置いてある。兵庫県産がたまに出るが、根が付いており、生々しい。植えれば、もっと大きくなるかもしれないが。
 玉葱が切れていたのを忘れていた。野菜が全部切れても玉葱程度は残っていたりするのだが。
 スーパーではヒロウスを買う。揚げの分厚いようなもので、楕円形。何か少しだけ詰め物が入っている。青い豆とか。これは出汁で食べるもので、甘辛く煮ないと、スカスカのスポンジをかじっているような感じになる。高野豆腐も同じだ。あのスポンジの中に染み込んでいる出汁を味わうもの。豆腐自体に味はなかったりするが、ほのかに豆臭かったりする。
 ヒロウスはやはり別鍋で煮こむのがいいようだ。
 12月も中頃に差し掛かっている。あとは一気だ。月の終わりではなく、年の終わりが近付いている。
 
 
 
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2019年12月08日

遅起き

■■ 2019年12月8日 日曜日 午前10時08分
 
 今朝は半曇か。雲の方が多い感じで、下手をすると陽射しがないかもしれないが、このまま雨になるような感じはないと思われるが、こればかりは分からない。気温は昨日よりも高いような気がするが、風がないため、そう思うのだろう。風がないので、穏やか。それほど強くないという程度だが。
 ここしばらくはもうすっかり冬の中にいるという感じ。まだ紅葉は続いており、色づいた葉が残っているので、そこだけ見ていると秋が残っていたりする。
 今朝はそれほど遅起きではなかったので、何とかなる。昨日は遅すぎた。遅さにも程度があり、やや遅い程度なら問題はない。少し急いだり、省略すれば取り戻せる。時間に追いつけるのだが、場所に追いつけるような感じ。いつも通る時間の場所へ何とか追いつける感じ。それが十五分ほどの差なら問題はない。三十分では、少し遅い早いを感じてしまう。要するに気になる。待ち合わせで人を待っているときの時間に近い。三十分で厳しくなるだろう。五分はいいし、十分はいい。十五分だと、遅れているのか程度。そこから先は、場所を間違えたのではないかと思うほど。そして三十分で、我慢できなくなる。また三十分待ったのだから、立ち去ってもいい。
 まあ、最近はそんなことをしなくても電話すればすぐに分かることだが。
 初対面の人と待ち合わせをした場合、人が多い場所だと、現実の中のひとつを取り出す感じ。現実に人と会うのだから、現実の人だろう。だから、目の前を通りすぎる人と大差が無い。こういう人の中の一人だということ。あとは性別は年齢などから近い人を見ると、これかな、とか思うだろう。いずれも現実のひとつと遭遇することになる。これはリアルなものだ。決してモンスターが出てくるわけではない。現実には色々なものがあるが、その中の一つだ。特に人間の場合、一人しかいない。これが現実の怖さだ。生々しい。
 今日は日曜だが、そんな感じが何処にもない。カレンダーを見ないと日曜だとは分からない。変化する箇所が見えないためだろう。カレンダーは変化する。だから見える。
 朝から子供連れとかを見ると、何となく分かる。学校へ行っているはずの小学生が歩いていると、休みだと気付いたりするが、気付かないときもある。子供が歩いている。何の不思議もない。そこに時間を絡めると、おやっと感じるだろう。それを絡めるかどうかだ。
 街ゆく人はもうすっかり真冬の服装なので、南極越冬隊のようなのを着て歩いていても大丈夫なようだ。そういうのを着ると、下に着込まなくてもいい。中に着込んでいた分を上着込みで一枚で済む。
 秋の終わり近くから自転車で遠くまで出る事がなくなった。寒いし日も短いためだろ。しかし、小春日和があり、そういう日があれば出やすい。寒くても風がなければ何とかなる。当然陽射しがあることが条件だが。
 それと時間的に余裕があること。これは起きた時間が遅すぎると、無理だ。
 まあ、冬場は籠もりがちになるのは、動物的に仕方のないことだろう。
 
 
posted by 川崎ゆきお at 11:52| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする